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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2010-01-30

公共の電波が創価学会のCMを解禁するのは問題じゃないのか


 スポンサーの「CM離れ」が深刻になっているテレビ界。ここにきて民放各局がある重大な決断を下した。間もなくテレビ東京が創価学会のCMの放送を“解禁”し、他のキー局も順次放送を開始するという。久本雅美ら学会員タレントがCMに起用される可能性もありそうだ。

 すでに創価学会ローカル局ラジオ局など電波系メディアにCMを大量に出稿している。タクシーに乗って、ラジオから「創価学会〜♪」というCMが流れてくるのを聞いたことがある人も多いのではないか。

 しかし、影響力がケタ違いの全国ネットのテレビ放送となると話は別。テレビ局内でも創価学会のCM解禁には慎重意見が相次いだという。

「フジテレビと日本テレビが08年10月から『創価大学』のCMを放送して、話題になったことがあります。ちょうどその頃、衆院解散が近いとみられていたため、フジと日テレの局内では報道スタッフを中心に“選挙学会公明党の報道に支障をきたすのではないか”という指摘があったそうです。今夏も参院選があって、状況は1年半前と重なります。創価学会がスポンサーになって、報道の公平性が担保できるか疑問です」(マスコミ関係者)

 そもそも、かつてテレビ局はパチンコ関連、宗教団体関連、ハイリスクの金融商品のCMを不文律で禁止してきた。それが08年のリーマン・ショック以降、なし崩しになり、今やパチンコ台やFXのCMが普通に流れている。そして、創価学会のCMがついに解禁……。

 メディア論が専門のある大学教授がこう言う。

「信教の自由がある日本で、宗教法人がCMを流すことが一概に問題とはいえません。むしろ心配なのが“背に腹は代えられない”と次々に『禁断の果実』に手を出すテレビ局の姿勢です。放送倫理について、もう少し真剣に考えてもらいたい」

 一番ツライのは創価学会に興味のない視聴者だが……。


【日刊ゲンダイ2010-01-27】


 私は一学会員としてCM放映に反対する。というよりも、宗教団体が行う宣伝の全てに反対である。そこに、どのような戦略や付き合いがあったとしても認めない。宣伝によって得られるものよりも、失うものの方が大きいと思うからだ。資本主義経済における自由競争というのは画に描いた餅であり、実際は広告によって競争が左右されている。つまり広告によって消費者を奪い合っているのだ。メディア戦略に力を注いだ分だけ、確実に学会員から折伏する力が失われてゆくことだろう。聖教新聞社のラジオCMもやめるべきだと言いたい。そんな金があるなら、配達員さんの賃金をアップするのが先ではないのか? ゲンダイの記事は単なる揶揄(やゆ)の次元となっている。公共の電波や放送倫理を問題視するのであれば、テレビ番組そのものをまず問うべきだろう。テレビCMは莫大な費用が掛かる。どうしても宣伝したいのであれば、会長がテレビ出演すればいいことだ。会長がバラエティ番組に出てバツゲームでもやらされた暁には、創価学会の人気度も格段に上がることだろう。

反逆と混乱


 昨年の10月20日からクリシュナムルティの著作を読み始め、既に16冊を読了した。クリシュナムルティとの出会いは、「衝撃」というよりも「事故」というべき経験であった。内外を問わず、これはと思う人物数十名に本書を薦めた。


Q――もしもすべての個人が反逆していたなら、世界に混乱が起きるだろうとは思われませんか。


 まず質問を聴いてごらんなさい。なぜなら、ただ答えを待つのではなく、問題を理解することがとても重要だからです。問題は、もしもすべての個人が反逆していたなら、世界は混乱しないだろうか、ということです。しかし、現在の社会には、もしもあらゆる人がそれに対して反逆したなら結果的に混乱するような、完全な秩序があるのでしょうか。それとも、【今】、混乱がないのでしょうか。あらゆるものが美しくて、腐敗していないのでしょうか。あらゆる人が幸せに充分に豊かに生きているでしょうか。人と人が対立していないでしょうか。野心や無慈悲な競争はないのでしょうか。それで、世界はすでに混乱しているのです。それが最初に悟らなくてはならないことです。これが秩序ある社会だと決めこんではいけません。言葉で自分を眠らせてはいけません。ここでもヨーロッパでもアメリカでもロシアでも、世界は腐敗の過程にあるのです。その腐敗が見えるなら、君は挑戦されています。この切実な課題の解決法を見出すようにと挑戦されているのです。そして、この挑戦にどのように応答するのかが重要でしょう。ヒンドゥー教徒、仏教徒キリスト教徒、共産主義者として応答するなら、その応答はとても限られていて、それではまったく応答にはなりません。ただ、君に恐怖がないのなら、ヒンドゥー教徒、共産主義者、資本主義者としてではなく、この課題を解決しようとしている完全な人間として考えるのなら、充分に適切に応答できるのです。そして、君自身がすべてのものに対して、社会がそれに基づいているところの野心的な欲得に対して反逆しなければ、それは解決できません。君自身が野心なく、欲がなく、身の安全にすがりついていないとき、そのときにだけこの挑戦に応答し、新しい世界を創造できるのです。


【『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ/藤仲孝司〈ふじなか・たかし〉訳(平河出版社、1992年)】


子供たちとの対話―考えてごらん (mind books)