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2010-08-31

12歳で少年院を脱走


 毎晩そうやって自転車置き場で過ごしながら、ぼくはおごそかなる誓いを立てた。いつか自分の家を持つことができたら、家のない人のために予備の部屋を用意しようと。

 寝る場所もさることながら、食べ物の確保も大問題だった。もう腹ぺこで死にそうだった。ぼくの年(※当時12歳)では物乞いもできないし、となればもうかっぱらいしかない。


【『3歳で、ぼくは路上に捨てられた』ティム・ゲナール/橘明美訳(ソフトバンク クリエイティブ、2005年)】

3歳で、ぼくは路上に捨てられた

2010-08-30

オサマ・ビン・ラディンとアドルフ・ヒトラーの共通点


 こうして見てくると、オサマ・ビン・ラディンとアドルフ・ヒトラーの登場の背景には、大きな共通点が存在することがわかる。共に反共産主義の砦として、アメリカ政財界の「同じ」エリート集団の支援を受け、後に敵対したことである。共産主義ソ連の台頭に脅威を感じるアメリカの資本家を中心とするこの集団は、世界経済を安定させ共産主義の拡大を防ぐという目的のために、第一次世界大戦直後から国際政治に大きな影響を及ぼすようになっていた。


【『アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか』菅原出〈すがわら・いずる〉(草思社、2002年)】

アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか

2010-08-29

コスイギンは改革派官僚だった


佐藤●コスイギンという人は、じつは改革派官僚だったのです。中国の周恩来のような立場だったといえばわかりやすいかもしれない。


【『北方領土 特命交渉』鈴木宗男佐藤優(講談社、2006年/講談社+α文庫、2007年)】

北方領土「特命交渉」 北方領土 特命交渉 (講談社+α文庫)

2010-08-28

痛みに感謝する老婦人


「ズキン、ズキンとするのは痛いけれど、私にはそれが、建築現場の槌音(つちおと)のように感じるのです。ズキン、ズキンとくるたびに、私の壊(こわ)れた体が健康な体へと生まれかえさせて頂(いただ)いている。そう思うと、勿体(もったい)なくて、手をあわせているのです。ですから、少しも苦しいと思わないのです」

 おだやかに話されるお婆さんの目は優しく、まるで観音(かんのん)さまのようでした。そのお婆さん、今はすっかり元気になられ、またあちこちを飛びまわっておられます。


【『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』 若き医師が死の直前まで綴った愛の手記』井村和清(祥伝社ノンブック、1981年/〈新版〉祥伝社、2005年)】

飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ―若き医師が死の直前まで綴った愛の手記

2010-08-27

障害者にやらせを強要するNHK


 メディアを通じて国民に障害者に対する特定の価値観を植え付けようとするのは、NHKのお家芸のようです。以前、料理をする様子を取材された視覚障害者が、こんな話をしていました。

 取材時、その人はディレクターから、「食器を揃えるのが速すぎる」と注意を受けました。本人は、演技ではなく普段と同じようにしていただけなのに、ディレクターは、「映像としては視覚障害者の様子には見えない。困っている映像にしたい」としきりに繰り返し、手探りの動きをクローズアップして撮影したというのです。

 これを「やらせ」と言わずして、なんと言うのでしょうか。このようにして、障害者のイメージは、誤った障害者観を振りかざす愚かなディレクターによって作り出されているのです。


【『怒りの川田さん 全盲だから見えた日本のリアル』川田隆一〈かわだ・りゅういち〉(オクムラ書店、2006年)】

怒りの川田さん―全盲だから見えた日本のリアル

2010-08-26

母と娘が綴る変毒為薬の物語


奇跡の夢ノート


「シンクロでオリンピックに出る!」――交通事故で瀕死の重傷を負ったベッドで、少女は「夢ノート」に綴る。眼球打撲による網膜剥離、失明の危機、三半規管にも障害が残りまっすぐに泳げない。ましてや水中での回転や倒立は到底不可能。顔には傷跡が残り友達から「フランケン」と呼ばれた。しかし、日々の目標を「夢ノート」に記し、ひとつひとつ達成していった彼女に、17年後ついに奇跡が……。


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「なんでも喜ぶ」ゲーム


「あなたはなんでも喜べるらしいですね」あの殺風景な屋根裏の部屋を喜ぼうとしたパレアナの努力を思い出すと、少し胸がつまってくるような気がしました。

 パレアナは低く笑いました。

「それがゲームなのよ」

「え? ゲームですって?」

「ええ、『なんでも喜ぶ』ゲームなの」

「遊びのことを言ってるのよ。お父さんが教えてくだすったの。すばらしいゲームよ。あたし、小さい時からずうっと、この遊びをやってるのよ」


【『少女パレアナ』エレナ・ポーター/村岡花子訳(角川文庫、1962年)】

少女パレアナ (角川文庫クラシックス) パレアナの青春 (角川文庫)

2010-08-25

己を問う


 湯浅謙さんは、過去の自分の行為を自分の問題として意識し続けてきた。いつも、させられた行為、皆で行ったのだから仕方がないと弁明している限り、結局は、自分の人生も無かったことになる。それでは個人としての一生を生きたのではなく、ある集団に固定された、単なる集団のなかの一人としての人生が終っていく。自分の行為として、良いことも悪いことも引き受け、その意味を問うことによって、自分の一回限りの生を取り戻す。それが湯浅さんの戦後の日々であった。


【『戦争と罪責』野田正彰(岩波書店、1998年)】

戦争と罪責

2010-08-24

パトリシオ・エイルウィン


 今日、ツイッターでチリ共和国の歴史を立て続けに発信した。ピノチェト軍事政権の後を受けて大統領になったのがパトリシオ・エイルウィンだった。

 この記事にも書いたがエイルウィンは非常に複雑な立場だった。過去にはピノチェト政権を礼賛したこともあった。アメリカが裏で支えていた軍事政権を批判するのは簡単だが、それでチリ国民を守れるはずもなかった。まして政治は駆け引きの世界である。多数の国民が殺された現実を目の当たりにすれば、信念を折ったり曲げたりする局面も出てくるに違いない。


 先生は対談で幾度となく当時の苦労について質問をしたが、エイルウィンは沈黙を貫いている。多分彼は「過去の恥ずべき自分」を決して許すことができなかったのだろう。


 対談を読むとわかるが凄まじい知性の持ち主である。これほどの人物であっても政治を変えることは困なのだ。複雑なまでに絡み合った利権と人々を解くには、やはり時間を要する。


 チリといえばちょうど日本の裏側に当たる。『新・人間革命』でも紹介されているが、その最も遠い国で地震が起こり、日本にまで津波が押し寄せたことがある(1960年チリ地震)。その意味では太平洋を挟んだ隣国といえよう。エイルウィン対談は大いなる平和の波そのものだ。

太平洋の旭日

孤独


 ひとりきりで永遠を生きたいとは、だれも思わない。


【『ひとりっ子』グレッグ・イーガン/山岸真編・訳(ハヤカワ文庫、2006年)】


ひとりっ子 (ハヤカワ文庫SF)

2010-08-23

発送電一体の電力利権


 競争のない地域独占と発送電一体こそ日本の電力業界の命である。それによって各社それぞれが、地域の産業界トップに君臨。政治家には政治献金で、多くの子会社、関連会社、業界で組織する各種団体は自社OBはもとより、多数の経産省OBの受け皿になっているのだ。政財界のこのトライアングルも発送電一体だからこそ維持されるシステム。欧米諸国のように発電、送電、小売り、とそれぞれ専業化されたうえに競争を強いられたら「鉄のトライアングル」も吹き飛んでしまう。


【『暗黒の帝国』恩田勝亘〈おんだ・かつのぶ〉(七つ森書館、2007年)】

東京電力・帝国の暗黒

2010-08-22

損傷した末梢神経は1日1ミリ伸びる


 感覚麻痺は中枢神経損傷でも抹消神経損傷でも生じる。ただし、末梢神経はトカゲの尻尾のように1日1ミリ伸びるために、末梢神経損傷には完全回復の可能性がある。一方、中枢神経は再生しないので、中枢神経損傷による感覚麻痺は回復しないとされている。


【『脳のなかの身体』宮本省三〈みやもと・しょうぞう〉(講談社現代新書、2008年)】


「心の中枢神経」は25歳までに出来上がる。

脳のなかの身体―認知運動療法の挑戦 (講談社現代新書 1929) (講談社現代新書)

2010-08-21

グリーン論者はヒューマニズムの焼き直しを唱えているだけ


 挑戦的な内容は、刊行と同時に論争を巻き起こし、「賛否を問わず避けて通れない」と評され、『タイムズ』ほか11紙が「今年の一冊」にあげた。未来への方策を真摯に探る衝撃の書である。(みすず書房公式サイトより引用)


 これは有用なテキストだ。本書を完膚なきまでに批判し得る知性が求められている。批判を可能にするのは、直観もさることながら、「何が書かれていないか」を鋭く見抜くことだ。


 環境保護を掲げるグリーン論者は、人間が地球の支配者たりえないことは知っている。しかしながら、産業革命時代、機械を目の敵にして打ち壊しに走った手工業者たちのラッダイト運動にも似て、その技術排斥は地球を人間の目的にかなうものにすることができるという幻想を引きずっている。何を言おうと、グリーン論者の多くは人間主義──ヒューマニズムの焼き直しを唱えているだけで、それに代わる新しい発想は聞かれない。


【『わらの犬 地球に君臨する人間』ジョン・グレイ/池央耿〈いけ・ひろあき〉訳(みすず書房、2009年)】

わらの犬――地球に君臨する人間

2010-08-20

深いよろこび


 いちばんかんじんなものが、私に欠けている。ささやかな生活のなかのささやかなたのしみを、おしげもなくなげうたせる深いよろこびが。


【『石原吉郎詩文集』石原吉郎〈いしはら・よしろう〉(講談社文芸文庫、2005年)】

石原吉郎詩文集 (講談社文芸文庫)

2010-08-19

アメリカでは190万台の車が差し押さえられている


 現在、全米の差し押さえの車の数は、驚くなかれ、190万台、日夜ひっきりなしに車が差し押さえにあっている、という状態です。深夜、寝静まった駐車場から、レッカー車で車を運んで行く姿は、まるで車泥棒そのものですが、実は立派な職業なのです。


【『恐慌第2幕 世界は悪性インフレの地獄に堕ちる』倉慶〈あさくら・けい〉(ゴマブックス、2009年)】

恐慌第2幕

2010-08-18

自分の死ぬ年齢を知っていたら


 もし自分の死ぬ年齢を知っていたら、

 大半の人間の生きようは一変するだろう。

 従って社会の様相も一変するだろう。

 そして歴史そのものが一変するだろう。

 山田風太郎――


【『人間臨終図巻』山田風太郎(徳間書店、1986年/徳間文庫、2001年)】

人間臨終図巻〈1〉 (徳間文庫) 人間臨終図巻〈2〉 (徳間文庫) 人間臨終図巻〈3〉 (徳間文庫)

2010-08-17

遣唐使・最澄の活躍明らかに 持ち帰った論文の写本確認


 平安時代の僧で天台宗開祖、最澄が遣唐使として中国から持ち帰った仏教の論文を、室町時代に書き写した写本が確認された。最澄が中国で元の論文を写した年月や寺院名が記録されており、中国滞在時の活動を伝える貴重な資料と研究者は話している。

 確認されたのは、「三教不斉論(さんぎょうふせいろん)」で、写本は大津市の石山寺に保管されていた。同じ内容で空海が持ち帰った論文の写本が先ごろ、確認された。それを機に高野山大学密教文化研究所が調査したところ、今回の写本を確認した。

 奥書によると、1497(明応6)年に僧・源雅(げんが)が筆写したもので、元になった論文は、最澄自身が804年11月16日に、中国の台州臨海県龍興寺(現在の中国浙江省)の北房で写していた。

 最澄が活動した比叡山は織田信長による焼き打ちにあうなどしたため、中国から持ち帰った資料はわずかしか残っておらず、この論文も伝わっていなかった。「最澄自身が、在唐中、どこでどんな論文を収集したかは、ほとんど分かっていない。書き写した年月と場所を記録している点で、極めて重要な資料と言える」と、同研究所委託研究員の藤井淳さんは話している。

 論文は、唐の官僚だった姚弁(ようべん)という人物が書いたもの。儒教道教、仏教の中で仏教が最も優れていると説いている。


asahi.com 2010-02-19

一冊の本を巡る出会い


 1954年の1月、東京大学志村五郎は、いつものように数学科の図書室に立ち寄った。この才能ある若き数学者は、『マテマティーシュ・アナーレン』の第24巻を探していたのだった。なかでも、虚数乗法の代数理論に関するドイリングの論文がほしかった。その論文があれば、いま手を焼いているしい計算ができるかもしれないと考えたのである。

 ところが驚いたことに、その巻はすでに貸し出されていた。借りていったのは、別のキャンパスにいる谷山豊という人物で、志村もまったく知らない相手ではなかった。そこで志村は谷山に葉書を書き、厄介な計算を仕上げるために至急その雑誌を見たいのだが、いつ返却されるつもりだろうかと丁寧に尋ねたのだった。

 数日後、志村のもとに谷山からの葉書が届いた。それによれば、谷山もまさに同じようなことをしているという。そして谷山は志村に、お互いのアイディアを交換し合って、いっしょにこの問題に取り組んでみないかと提案していたのである。図書室の一冊の雑誌をめぐるこの偶然の出会いが、数学史の流れを変える熱いパートナーシップのはじまりだった。


【『フェルマーの最終定理 ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』サイモン・シン/青木薫訳(新潮社、2000年/新潮文庫、2006年)】


 谷山=志村予想を証明することがフェルマーの最終定理を解く鍵だった。これぞ数学界の血脈相承。今日はピエール・ド・フェルマーが生まれた日。

フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

2010-08-16

仏教そのものが円と螺旋の思想体系


 仏陀像の頭髪は、螺髪(らはつ)と呼ばれる無数の螺旋である。その額にある白毫(びゃくごう)もまたひとつの螺旋である。

 仏教そのものが、円と螺旋の思想体系と言ってもよい。

 現代科学の両極もまた、マクロとミクロの螺旋である。


【『上弦の月を喰べる獅子』夢枕獏(早川書房、1989年/ハヤカワ文庫、1995年)】


上弦の月を喰べる獅子〈上〉 (ハヤカワ文庫JA) 上弦の月を喰べる獅子〈下〉 (ハヤカワ文庫JA)

2010-08-15

ポジショントーク


 ポジショントークという言葉がある。金融マーケットの売買において自分の立場(ポジション)が有利になるよう働きかける言説を指す。例えばトヨタの株式を購入した人物が「絶対に株価は上昇する。理由は――」と語ることで、トヨタ株を買うよう促す行為。ま、Yahoo!の株式掲示板なんぞは殆どがそんな内容だ(笑)。


 人は皆、知らず知らずのうちにポジショントークとなっている場合が多い。特に旗幟(きし)を鮮明にする世界では尚更だ。国家、宗教、政治、経済、科学に至るまでポジショントークが氾濫(はんらん)している。


 自分の立場を有利にしようとする言動は、物を売りつける営業マンさながらだ。営業マンがお客さんの前で自社製品を悪しざまに語ることはあり得ない。大したことのない製品であっても美辞麗句を弄して購買意欲を煽ってみせる。


 まったくの個人的な見解になるが、私は宗教団体や政党が自分達を礼賛する言論が有効だとは思っていない。むしろ逆効果だと考える。礼賛が人の心に届くならば、北鮮を素晴らしい国だと思う人はもっと多いはずだろう。中国にしても同様だ。


 実際は礼賛すればするほど、聞いているこちら側は空々しい気持ちになり、「お前、頭は大丈夫か?」と心配してしまう。


 昔の話だが、総区部長会で新任の総区青年部長が挨拶の冒頭で、「実は僕は前任の○○青年部長が大嫌いでした」と語ったことがあった。会場は爆笑に包まれた。ま、ウケを狙ったのは間違いないが、「杓子定規な考えでやっていくつもりはないから、そこんとこ宜しく」という決意が込められていた。


 折伏が単なる勧誘や営業になっていることは決して珍しくない。傍(はた)で聞いていると、まるで「入ってください」とお願いしているような話をする者もいる。


 率直にありのままの心情を語らなければ、それは相手をコントロールしようとする策謀となってしまう。他人を意のままに操ろうとする生命は、第六天の魔王と変わるところがない。

ブッダは祈祷や呪文を説いていない


 火を崇拝すると厄除けになるといわれるが、本文中に書いているように、釈尊が拝火教のカッサバ兄弟を帰依させた事例は、火を崇拝することの無意味を理解させるためであった。つまり火を崇拝すれば厄除けできるなら、火を取り扱う職業の人は毎日厄除けしていることになろう。何の災いもその人にはないはずなのに、どういうわけかそうではない。それは一体どういうことかと釈尊はいう。

 仏教信仰に金銭はいらない。たとえば極楽浄土にゆきたいと願う人に金銭を出せ、物品を買えと説いた経典があっただろうか。

 祈とうや呪文によって病気が治ったということはない。

 説法のなかで釈尊自身が自分の病気を祈とうや呪文によって治したと述べている例はまったくない。病気にかかったら医者の治療を受けている。釈尊は亡くなる前に激しい下痢をしている。これが死の直接の原因であるが、この時は医者は駆けつけていない。間に合わなかったのであろう。この苦しい最後の場面で釈尊は呪文を唱えただろうか。祈とうをしただろうか。すべて否である。


【『人間ブッダ』田上太秀〈たがみ・たいしゅう〉(第三文明レグルス文庫、2000年)】

人間ブッダ

2010-08-14

ガンディーはアフリカの黒人問題を無視した


 作家のV・S・ナイポールが記しているように、『自伝』のうち250頁が南アフリカに費やされているが、この国の黒人問題についてはほぼ一言も触れていないことは注目に値する。あたかも彼らは存在していなかったかのようである。南アフリカの問題は、白人とインド人の平等認識問題に帰している。当時のガンジーを動機づけていたのは、社会正義そのものというよりは、南アフリカ社会における同郷インド人の権利であった。


【『ガンジーの実像』ロベール・ドリエージュ/今枝由郎訳(白水社文庫クセジュ、2002年)】

ガンジーの実像 (文庫クセジュ)

2010-08-13

仲良しクラブ的な官僚的発想


 日本長期信用銀行や日本債権信用銀行が破綻したのは、同じ大学を出た同じようなタイプの人材を採用してきたために、仲良しクラブ的な官僚的発想に陥り、決断が遅れたことが一つの原因になっている。同じタイプの人間しかいないコーポクラシー(企業官僚制)のところに、イノベイティブな発想は生まれない。

 ヨーロッパの経済史をひもとくと、オランダのアムステルダムが繁栄した時代がある。なぜアムステルダムが繁栄したかと言えば、1492年の「レコンキスタ」成功後、スペインやポルトガルを追われたユダヤ人を大量に受け入れたからである。ちなみに、そのユダヤ人の中に哲学者のスピノザがいた。

 宗教的に寛容で異なったカルチャーを受け入れる異質混合社会は、経済的に強くなる。現在のアメリカの強さも、ハイブリッドな文化の強さに由来している。


【『ジャパン・レボリューション 「日本再生」への処方箋』正慶孝〈しょうけい・たかし〉、藤原肇(清流出版、2003年)】

ジャパン・レボリューション―「日本再生」への処方箋

2010-08-12

私たち人間はどうして今の私たちになってしまったのか?


 それで私たちはともに、二人の友だちとして――どうか、これを心得てください。二人の友だちとして、です――互いに対立しあっているのではなく、友好的であり、互いに一定の慈しみをもち、そしてこの問題に向き合っているのです。すなわち、私たち人間はどうして今の私たちになってしまったのでしょうか。混乱し不安定で、やって来るどんな指導者にもついていき、国はばらばらになり、分裂はつづき、シーク教徒、ヒンドゥー教徒、イスラム教徒など、この原因は何なのでしょうか。


【『知恵のめざめ 悲しみが花開いて終わるとき』J・クリシュナムルティ/小早川詔〈こばやかわ・あきら〉、藤仲孝司〈ふじなか・たかし〉訳(UNIO、2003年)】


知恵のめざめ―悲しみが花開いて終わるとき

2010-08-11

未来と将来の違い


 仏典では「未来」という言葉が使われる。未来とは「未だ来たらざる」時間のこと。これに対して将来は「将(まさ)に来たらん」とする時間を意味する。仏法の現在性を示していて実に興味深い。一生成仏という概念は飽くまでも歴劫修行に対置したものであって、仏法の本義からいえば一念三千になる。

少年兵の作り方


 同じ立場に置かれたらどうするか? 答えは四つある。


 片方の腕をさっと伸ばしてぼくらを指し、反乱兵の一人が言いはなった。「目の前にいるこいつらを殺すことによって、おまえら全員を入隊させる。血を見せれば、おまえらは強くなる。そのためにはこうすることが必要なのさ。もう二度とこいつらに会うことはないだろう。まあ来世を信じていれば話は別だが」。彼はげんこつで自分の胸をたたいて笑った。

 ぼくは振りかえってジュニアを見た。目が赤い。涙をこらえようとしているのだろう。彼はこぶしを固く握りしめて、手の震えをおさえている。ぼくは声を押し殺して泣きだし、そのとき急に目まいがした。選ばれた少年のうちの一人が反吐(へど)を吐いた。反乱兵の一人が銃床でその子の顔をなぐり、ぼくらの列に押し込んだ。歩き続けていると、少年の顔から血が流れてきた。


【『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア/忠平美幸〈ただひら・みゆき〉訳(河出書房新社、2008年)】

戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった

2010-08-10

信濃町教会


 信濃町教会学会本部の隣にある(※リンク先ページの左上の画像をズームせよ)。時の経過を無視すれば、私は石原吉郎、鹿野武一〈かの・ぶいち〉と擦れ違っていたことになる。


 日曜日には、石原と鹿野は連れ立って信濃町教会へ出かけ、福田牧師の説教を聴いたりしていた。


【『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治〈ただ・しげはる〉(社会思想社、1994年/文元社、2004年)※社会思想社版は「シベリヤ」となっている】

内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史


内なるシベリヤ抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史

2010-08-09

消極性が惨禍を生む


 取り締まりによってのみ社会を維持しようとする体制は、やがてその社会の崩壊を劇的に招来するしかない。同じように、戦争の抑制のみによって平和を維持しようとする体制は、あらゆる地域紛争を世界的な大火災の引き金とし、大戦勃発の可能性を高めるだけである。


【『ドラッカー名著集 9 「経済人」の終わり』P・F・ドラッカー/上田惇生〈うえだ・あつお〉訳(ダイヤモンド社、2007年/岩根忠訳、東洋経済新報社、1958年)】

ドラッカー名著集9 「経済人」の終わり

2010-08-08

耐え難い孤独こそ人間性回復の証だった


 生々しい自分は消え去り、私は日一日とロボット化していく自分を知った。その進行に不感症になるのはたやすい作業だった。見返りは山ほどあった。女にはモテ、いたるところがフリーパス同様になり、板前は注文しない特別料理を用意し、買いたいものがすべて買えた。色紙の書き方もサインの仕方も上達した。何よりも、この状態は望めばほぼ一生続けられるし、より一層“有名人”になることは、いともたやすいことだった。政界からもお誘いが来た。金銭的見返りは莫大だった。

 ある日、銀座を肩で風を切って歩いていた。

 私はショーウィンドウのガラスに映る見も知らぬ自分の歩調を見た。その姿は完全に人間ではなかった。発作的に、私はズボンの尻のポケットに入れていた財布を、そのまま、ちょうど目の前の路上でギターを弾いていた男の、空のギターケースに投げ入れた。無意識だった。その男は落ち着いた態度で、その財布を拾い上げ、私の目を覗き込みながら、中を改めた(ママ)。何枚ものクレジットカードが見えた。彼は紙幣だけを抜き取り、財布を私に手渡し、にっこりした。たいした金額ではなかった。私は銀座から信濃町の自宅まで歩いて帰った。その夜、私は自殺を試み、気づくと、病院にいた。

 私が約18年暮らしたオーストラリアの場所は、水道もない山の中だった。8万3000坪の敷地のほとんどは、亜熱帯性雨林のジャングルだった。周囲に家は一軒もなかった。私はテレビは無論のこと、あらゆる世間との世俗的交渉を絶ち、人間回復を試みた。音楽を聴き、本を読んだ。(中略)

 その後の耐えい孤独は、いや、その耐えい孤独こそ、人間性回復の証だった。

 今でも私は、死よりもつらい孤独の底に沈んでいる。

 その底こそが、人間の真の住処であることを、誰よりも強く、確実に認識しながら。


【『おテレビ様と日本人』林秀彦(成甲書房、2009年)】

おテレビ様と日本人

2010-08-07

バッハをキリスト教に閉じ込めてはならない


 私は、バッハにおけるキリスト教の役割を軽視する考えには、絶対に反対である。バッハにとってこれほど大切だったものを尊重し、その内容を知り、その影響を考えることは、正しいバッハ理解のための不可欠の条件であると思う。その意味では、聖書の勉強がたいへん役に立つ。

 だが、だからといってバッハを、キリスト教に閉じ込めてはならない。バッハを教会で聴くのはいいものだが、演奏の場を教会に限るべきではないだろう。それと同じように、バッハのメッセージも、当時の教会の教えにすべて還元されるべきではない。むしろわれわれは、バッハがその教えの上に立ちながら、いかに国境と時代を超えた作品を作り出したかに、目を注ぐべきである。

 バッハの人間理解に深さが感じられるのは、彼が人間の概念を、いつも人間を超えたものとの関係においてとらえているからではないだろうか。


【『J・S・バッハ』礒山雅〈いそやま・ただし〉(講談社現代新書、1990年)】

J・S・バッハ (講談社現代新書)

2010-08-06

「朝鮮動乱と広宣流布」


 三十八度線を中心にした鮮の戦争は、共産軍と国連軍の闘争である。

 戦争の勝敗、政策、思想の是非(ぜひ)を吾人は論ずるものではないが、この戦争によって、夫を失い、妻をなくし、子を求め、親をさがす民衆が多くおりはしないかと嘆くものである。

 きのうまでの財産を失って、路頭に迷って、にわかに死んだものもあるであろう。なんのために死なねばならぬかを知らずに、死んでいった若者もあるであろう。「私はなにも悪いことをしない」と叫んで殺されていった老婆もいるにちがいない。親とか兄弟とかいう種類の縁者が、世の中にいるのかと不思議がる子どもの群(む)れもできているにちがいない。着のみ着のままが、人生のふつうの生活だと思いこむようになった主婦も少なくあるまい。むかし食べた米のごはんを夢みておどろく老人がいないであろうか。

 かれらのなかには、共産党思想が何で、国連軍がなんできたかも知らない者が多くなかろうか。「おまえはどっちの味方だ」と聞かれて、おどろいた顔をして、「ごはんの味方で、家のあるほうへつきます」と、平気で答える者がなかろうか。

 鮮民族の生活は、このうえない悲惨(ひさん)な生活で、かれらの身の上におおいかぶさった世界は悪国悪時の世界である。


昭和26年(1951年)5月10日/『戸田城聖全集 第3巻 論文・講演編』聖教新聞社、1983年】


戸田城聖全集 第3巻 論文・講演編

2010-08-05

死者が生者の世界を構造化する


 死者たちは生者たちの世界を歴史的に構造化し続ける、死者こそが生者を歴史的存在者たらしめるべく生者を助け支えてくれているのだ、


【『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫(筑摩書房、1991年/ちくま学芸文庫、2002年)】

死と狂気 死者の発見 死と狂気 (ちくま学芸文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

2010-08-04

米国の精神医学界はその主張を「母親に責任あり」から「脳に責任あり」に変えた


 米国の精神医学界はその主張を、「母親に責任あり」から「脳に責任あり」に変えたと言われている。精神障害の原因が家庭における初期経験に根ざしていると考えられていたのはさほど昔のことではない。だが現在では、脳の化学的なバランスのくずれが原因であるという考え方が、専門家にも一般の人にも受け入れられるようになっている。現在の通説では、統合失調症の原因は神経伝達物質のドーパミンの過剰、うつ病はセロトニンの不足であり、不安障害やその他の精神障害は、他の神経伝達物質の異常によるものということになる。脳の神経化学的現象が、精神障害の原因であるだけではなく、個性や行動が人によって違うのはなぜかをも説明できると信じられている。20〜30年の間にこのような根本的な変化がいかに生じたのだろうか。得られている証拠とこの理論はつじつまが合うのか。生化学的な説明を行い、薬の投与による治療を推し進めることは、誰の利益になり、この利益はいかに推し進められているのか。精神障害を生化学的に説明し、あらゆる心理学・行動学的問題の対処に薬への依存度を増していくことの長期的に見た意味合いとは何か。本書はこれらの問題に答えようとするものである。


【『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の化学と虚構』エリオット・S・ヴァレンスタイン/功刀浩〈くぬぎ・ひろし〉監修、中塚公子訳(みすず書房、2008年)】

精神疾患は脳の病気か?―向精神薬の科学と虚構

2010-08-03

「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」


 鹿野武一〈かの・ぶいち〉の存在は、私にとって『夜と霧』以上の衝撃であった。努力や訓練からこのような人物が生まれることはないだろう。周囲と断絶するほどの固有性が「存在」であり「真の生」なのだ。シベリア抑留も彼の魂を束縛することはできなかった。


 鹿野の絶食さわぎは、これで一応おちついたが、収容所側は当然これを一種のレジスタンスとみて、執拗な追求を始めた。鹿野は毎晩のように取調室へ呼び出され、おそくなってバラックに帰って来た。取調べに当たったのは施(シェ)という中国人の上級保安中尉で、自分の功績しか念頭にない男であったため、鹿野の答弁は、はじめから訊問と行きちがった。根まけした施は、さいごに態度を変えて「人間的に話そう」と切り出した。このような場面でさいごに切り出される「人間的に」というロシア語は、囚人しか知らない特殊なニュアンスをもっている。それは「これ以上追求しないから、そのかわりわれわれに協力してくれ」という意味である。〈協力〉とはいうまでもなく、受刑者の動静にかんする情報の提供である。

 鹿野はこれにたいして「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない。」と答えている。取調べが終ったあとで、彼はこの言葉をロシヤ(ママ)文法の例題でも暗誦するように、無表情に私にくりかえした。


【『石原吉郎詩文集』石原吉郎〈いしはら・よしろう〉(講談社文芸文庫、2005年)】

石原吉郎詩文集 (講談社文芸文庫)

2010-08-02

敵対関係


 敵対関係を考察してみよう。創価学会の利益は日蓮正宗の損失である。同じく日蓮正宗の利益は創価学会の損失である。つまり、敵対関係の本質は経済的関係性なのだ。

運命を引き受ける


 ですから、私たちは、どんな場合でも、自分の身に起こる運命を自分なりに形成することができます。「なにかを行うこと、なにかに耐えることのどちらかで高められない事態はない」とゲーテはいっています。【それが可能なら運命を変える、それが不可避なら進んで運命を引き受ける、そのどちらかなのです】。


【『それでも人生にイエスと言う』V・E・フランクル/山田邦男、松田美佳訳(春秋社、1993年)】

それでも人生にイエスと言う

2010-08-01

静かに祈る


 静かに祈ろう。願うことをやめて。

群衆の部分と化す強制収容所の人々


 強制収容所内の人間は、彼が抵抗して自己価値感の最後の高揚を試みない限り、まだ主体であるという感情を一般に失っていくのである。ましてや内的な自由と、人格的な価値をもった精神的存在などということは尚更であった。彼はもはや自分を大きな群衆の最小の部分としてしか感ぜず、彼の存在は群衆の存在の水準まで低下するのである。正しく考え、意欲することもなく、人間はあるいはこちらへあるいはあちらへと駆られ離合集散せしめられて、羊の群の如くであった。


【『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』V・E・フランクル/霜山徳爾〈しもやま・とくじ〉訳(みすず書房、1956年/新版、1985年/池田香代子訳、2002年)】

夜と霧―ドイツ強制収容所の体験記録