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2011-01-31

エジプト 狙撃される市民


 戦時には最前線へ送り込み、自由を求めれば狙撃される。汝の名は「国民」なり。エジプト・カイロ市内で治安警察のヘリが民間人を狙撃する瞬間の映像。27日の事件。


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息子のパートナーを絶対に嫁視しない


 息子のパートナーを私は絶対に嫁視しない。嫁という言葉も内実も私で断(た)ち斬(き)らねばならないと思う。息子の仲立ちで出会った大切な女友だちであると同時に、ありのままのすべて、存在そのものが愛(いと)しいわが子が3人になっただけ。つまり、彼女に教え覚えてもらうようなこちらの「文化」はなに一つ持たない。


【『寝たきり婆あ猛語録』門野晴子(講談社、1996年/講談社+α文庫、1999年)】


寝たきり婆あ猛語録 (講談社プラスアルファ文庫)

2011-01-30

利敵行為


 我々が好む言葉の一つだ。なぜ敵を利することになるのだろうか? 答え──それは同じレベルで戦っているからだよ。本当の意味で日蓮正宗や共産党が敵であるなら、創価学会宗教性はその程度ってことになるわな。この場合、広宣流布とはマーケットの奪い合いを意味する。

人が人材になる過程は、木が木材になる過程とよく似ている


 人が人材になる過程は、木が木材になる過程とよく似ている。よけいな枝を落とし、虫の食った部分を捨てて、要するに規格化するわけなのだ(生きている木を切り倒して、乾燥させて、丸裸にし、材木にして、切って、削って、風呂場のすのこにするのだ)。そして、言うまでもないことだが、ハッカーという人々は余計な枝が多かったり、幹が曲がっていたり、加工しにくかったりして、人材としては不良品である場合が多い。


【『我が心はICにあらず』小田嶋隆(BNN、1988年/光文社文庫、1989年)】

我が心はICにあらず(単行本)


我が心はICにあらず(文庫本)

2011-01-29

新聞:談話「創作された」 識者抗議受け謝罪


「人体の不思議展」の人体標本展示が死体解剖保存法に抵触する恐れがあることを指摘した産経新聞の記事で、同社の記者が2カ月も前に取材した内容と過去の論文を組み合わせるなどして識者談話を書き、本人に断りなく掲載していたことが27日、関係者への取材で分かった。掲載された識者は末永恵子・福島県立医大講師で、記事の一部は発言したことのない内容だとしている。産経新聞社は26日、本人からの抗議を受けて謝罪した。


 同展は遺体を特殊加工した標本などを展示したもので、02年から全国を巡回。これまで約650万人が入場し、京都市でも23日まで開かれた。


 産経新聞は19日刊で、厚生労働省が「人体の不思議展」の人体標本は「遺体」に当たるとの見解を示し、京都府警が違法性の有無を捜査する方針を固めた──との記事を掲載した。談話は「人の死には尊厳があり、遺体を安易に利用することはできない。開催自体が死者への冒涜(ぼうとく)ではないか」との内容で社会面に掲載された。


 末永講師は「『人体の不思議展』に疑問をもつ会」に所属しており、メンバーらのメーリングリストに22日、「(2カ月前の取材後は)直接取材を受けていない」と書き込んで問題が浮上。記事にある「標本はすべて中国人ということだが、もしこれが日本人だったらどう思うか」という発言はしたことがないと主張し、「創作された文章で、中国人に対して差別的な印象もあり、多くの人から真意を問う連絡を受けている」と困惑している。


 産経新聞大阪本社総合企画室によると、京都総局の記者が昨年11月、同展について末永講師に取材し、メモを大阪本社社会部へ送付。執筆に当たった記者は内容が不足していると感じ、末永講師の論文などで加味した。しかし、両記者が互いに本人へ連絡していると思い込み、確認や掲載の通告を怠ったという。


 執筆した社会部の記者と上司は26日、電話で謝罪し、末永講師はこれを受け入れた。同総合企画室は「確認を怠ったミスはあったが、非常識な取材はしていない」とし、講師が発言していないとする内容が盛り込まれた経緯は「取材過程については答えかねる」としている。


問題の記事


 産経新聞が末永恵子・福島県立医大講師の談話として掲載した記事は次の通り。


「人の死には尊厳があるので、医学研究や教育の自由といえども、遺体を安易に利用することは許されない。標本はすべて中国人ということだが、もしこれが日本人だったらどう思うか。主催者側が説明する遺族の承諾や、標本の由来などは本当なのかという疑問も残る。展示会は遺体の『商品化』という感がぬぐえず、開催自体が死者への冒涜なのではないか」


毎日.jp 2011-01-28


 産経は保守系御用新聞だ。中国を初めとするアジア蔑視を喧伝している。敵を叩くためとあらば嘘もつくし、記事も捏造するってわけだ。思想を広めるための宣伝工作。これを「思想の経済性」と名づけよう。対話以外の方法は一切がプロパガンダと化す。ドグマが支配する組織では、見境なく大善のための小悪が許されるようになる。


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英知に生きる


 万人のうちで、英知に専念する者のみが暇のある人たちであり、このような者のみが生きていると言うべきである。それは、彼らが単に自己の生涯を立派に守っているからだけではない。彼らはあらゆる時代を自己の時代に付け加える。彼ら以前に過ぎ去った年月は、ことごとく彼らに付加されている。


【『人生の短さについて』セネカ/茂手木元蔵〈もてぎ・もとぞう〉訳(岩波文庫、1980年/大西英文訳、2010年)】


 英知とは真理に向かう精神の閃光である。

生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)

2011-01-28

首相、企業献金禁止変更なし 公明が衆院解散か退陣要求


 一方、質問に立った公明党の井上義久幹事長は民主党の政権公約修正を「国民・有権者に対する契約不履行」とした上で「あらためて信を問うべきだ。それができないのであれば首相の職を辞すべきだ」と衆院解散か内閣総辞職を求めた。井上氏はこれまで解散や総辞職に言及していなかった。


47NEWS 2011-01-27


 解散要求はもちろんブラフだ。混乱に乗じて勝機を窺えるようなリーダーは一人もいない。我々の戦いとは現状維持の異名だ。運がよければ微増。

精神疾患が脳の神経化学的現象であるという証拠は存在しない


 最近の本は、脳の神経化学的現象と精神状態の関係を誇張したり、ねじ曲げているものが多い。ワシントン大学のある精神科医が、「セロトニンが枯渇しつつある時代」、「世界的規模でうつ病流行している」と書いている。しかし、実際には脳のセロトニンの減少が世界中で起きている証拠は微塵もないのだ。またある本では、ピューリッツァー賞を受賞したサイエンス・ライターが、主要な性格や行動の特徴はノルアドレナリンとセロトニンのバランスで制御されるという「革命的な」発見があったと書いているが、確かな証拠があるわけではない。ある種のかすかな傾向をあたかも確立した事象のように書き、矛盾する証拠には適当に目をつぶることによって、人気作家の多くは、複雑な人格が二つの神経伝達物質のバランスに支配されていると思わせるように腐心している。薬が人格の「表面上の」変化を生じさせることができると、現在、実に多くの人々が信じていることは、さして驚くべきことではない。


【『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の化学と虚構』エリオット・S・ヴァレンスタイン/功刀浩〈くぬぎ・ひろし〉監修、中塚公子訳(みすず書房、2008年)】

精神疾患は脳の病気か?―向精神薬の科学と虚構

2011-01-27

懲罰的授業料を苦に、「天才」は自殺を選んだ 韓国式の人材育成に警告か!?

 仏教のキリスト教の審判とは明らかに意味合いが異なるが、使用法や文脈は一緒である。すなわち「脅し文句」だ。宗教という権威に寄りかかって人間を断罪する視線に貫かれている。信仰とは、異なる教団に所属する人間の不幸を嘲(あざけ)り笑う行為なのかもしれない。断罪という斧を振り下ろす時、殺されつつあるのは我が精神の自由である。

理想という鋳型


 理想が何を含意しているかは明白です。教師が理想を追求しているとき、彼は生徒を理解することができません。なぜならそのときには、未来――理想――のほうが生徒――現在――よりもはるかに重要になるからです。彼は正しいと思われる一定の目的を心に期し、そして子供をその理想に強いて適合させようとします。疑いなく、これは教育ではありません。それは自動車を生産するようなものです。


【『クリシュナムルティの教育・人生論 心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性』大野純一著編訳(コスモス・ライブラリー、2000年)】

クリシュナムルティの教育・人生論―心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性

2011-01-26

大阪、輸血ミスで男性重症 市大病院、看護師誤る

 三重のミスが招いた不幸。ヒューマンエラーを前提にした事故防止システムをどう確立するかが問われている。「まさか、こんなところ」にミスの温床がある。

カースト制度を支える精神


 貧しい人々には何もない。土地も、金も、力も。彼らははただ、金持ちに仕えるためにこの世に生まれてきたのだ。

「プーラン、世の中はそういうふうにできているんだ」と父は言った。「頭をさげ、上の者の足にさわって尊敬の気持ちを表わさなくちゃならん。そうしなければ守ってもらえないからな」

 わたしは父の臆病そうな顔を見た。眉間によっては深い皺、古びた木綿のシャツ、荒れてごつごつした手、土埃で黄土色に汚れた皮膚。その汚れた黄土色は、わたしたちの生活そのものの色だった。


【『女盗賊プーラン』プーラン・デヴィ/武者圭子〈むしゃ・けいこ〉(草思社、1997年)】


 この父親は目の前で娘が複数の男たちから強姦されても何もできなかった人物だ。インドのカースト制度の歴史は仏教よりも古い。悪しき歴史を支えているのは犬にも劣る人間どもだ。畜生の上に修羅が君臨する。これがヒエラルキーの本質だ。

文庫 女盗賊プーラン 上 (草思社文庫) 文庫 女盗賊プーラン 下 (草思社文庫)

2011-01-25

世界の失業者、依然2億人超 ILO、回復進まず

 世界における2010年の失業者数は2億500万人で失業率は6.2%。今後数年間は更に増加することだろう。日本も同様だ。景気が悪くなると国家への依存度が高まる。

タイガーマスク、実は施設の上級生 配布の菓子貯め贈る

 その優しさに泣けてくる。貧しき者、弱き者、小さき者──彼らこそ人間なのだ。

近代医学は軍事的意味合いをもつ


 日本は、幕末から西洋の近代文明を取り入れた。特に明治からは、ドイツの医学を学んだ。その近代医学はかならず軍事的な意味合いをもってきた。それ以前の医学が呪術的、道徳的意味を持っていたのと、大きく異なっていた。言い方を変えるなら、近代医学は戦争によって進歩したのである。


【『砂の文明・石の文明・泥の文明』松本健一(PHP新書、2003年)】


 参謀制度というのも同様で、プロイセン(ドイツ)の参謀本部から始まったもの。将校個人裁量をシステム化する目的があった。看護という概念を確立したのはナイチンゲールで、クリミア戦争でのこと。彼女は傷病兵の手当てをしながら統計資料を作成した。これが統計学の始まり。

砂の文明・石の文明・泥の文明 (PHP新書)

2011-01-24

祭事と軍事と裁判


 むかしから正義といふものは、神の怒りと共に考へられ、それは刑や復讐のうちに具体化されると見られてゐたのである。むかしの人が、国家社会の成立について語つた神話のうちには、刑的な正義が、国家社会成立の根本条件とされてゐるものがある。古代社会の首長がもつた大切な役目は、祭事と軍事と、そして刑を主とする裁判であつたとも考へられる。


【『日本の名随筆 別巻91 裁判』佐木隆三〈さき・りゅうぞう〉編(作品社、1998年)】


 権力は、宗教と暴力と裁判に象徴される。幸徳事件で11名が処刑されたのが100年前の今日のこと。

裁判 (日本の名随筆)

2011-01-23

ボタンの掛け違え


 創価学会は小沢一郎に恩がある。詳細を書くわけにはいかないが、恩があるという事実を知ってもらえばいい。昨今のメディア&政権与党の小沢バッシングは常軌を逸している。検察審査会の手続きも罪をでっち上げようとしているふうにしか見えない。官僚とメディアがタッグを組んでいるとなれば、アメリカからの指示と考えてよかろう。敗戦後、この国のシステムは何ひとつ変わっていないのだから。


 創価学会が少なからず人権標榜する団体であるなら、断じて小沢一郎を擁護すべきであろう。いつ学会に対して同じ手が使われるかわからないのだ。しかし公明党は既に小沢を糾弾している。


 果たしてどこでボタンを掛け違えたのだろうか? それはやはり、2006年4月11日の「アポなし訪問」だと思えてならない。衆院補選のさなかでのトリッキーな動きに秋谷会長は警戒感を抱いたことだろう。そしてこの時の秋谷会長の判断が小沢という人物を特定する要因になってしまった。


 その後民主党は2007年の参院選で第一党となり、2009年に政権交代を実現した。では、参院選以降、民主公明の連立模索はあり得ただろうか? それはなかった。もし可能性があったとすれば、自民党との連立解消の声が挙がったはずだ。そして参院選後、小沢は石井一を表舞台に出し、公明党に揺さぶりをかけた。


 結局ボタンの掛け違えがあったことは確かだが、他の選択肢があったとも思えない。そして今、小沢は政界から葬られようとしている。


 小沢から受けた恩は、非礼によってチャラになったのだろうか? そうかもしれないし、そうでないかもしれない。私が知らない事実だって、きっとたくさんあるはずだ。

俺突然天涯孤独だよ

 照れ臭さを必死で隠そうとする「wwwww」の連打がかえって胸を打つ。

「そこに住んでいた人たちを殺して、村を焼き討ちして」イスラエルは建国された


 ヨゼフ(※突然声を掛けてきた宝石屋のおじさん)は言いました。

「この旧市街は、四つの区域に分かれているんだよ。キリスト教地区、アルメニア人地区、イスラム教地区、ユダヤ人地区、そして『お隣さん』と呼びあって暮らしてきたんだ。

 今起きていることは、宗教戦争だと思うかい? でも俺たちはもうずっと昔から、お互いの宗教を尊重してきた。大戦中、ユダヤ人の迫害が世界で起きた時だってそうだ。迫害から逃れてきたたくさんのユダヤ人を、俺たちパレスチナ人は受け入れてきたじゃないか。

 アメリカは受け入れたがらなかった。ホロコーストを非しながら、アメリカに住むユダヤ人の手で、ユダヤ民の受け入れを拒否したじゃないか。ロシアだって、イギリスだってそうさ。

 俺たちは、もともと人が好きなんだ。愛があるんだよ。アラブには。

 土地だって少しくらい狭くなったっていいじゃないか。そう思ってユダヤ民を受け入れて、一緒に暮らしていた時代があったんだ。お互い鍵だってかけなかったよ。出かける時は一声かければよかったんだ。

 俺たちはもともと肌の色や宗教が違うことなんて慣れっこなんだ。人ってのは、違うんだよ、もともと。同じ人なんてこの世に一人もいやしない。

 いいかい、君の指は5本に分かれているだろう。

 でもな、その指をたどっていくと手の平んとこでちゃんと一つにつながっているじゃないか。宗教や民族が違いを争ったって意味がないんだ。パレスチナ人は人が好きな民族なんだよ。

 納得いかないのは、ただ一つ。イスラエルの建国のしかたなんだ。なぜ、あんなやり方でしか国を作れなかったのか。国を作りたいんなら作ればいいんだ。ちょっと相談してくれりゃいいんだよ。

 なぜ、そこに住んでいた人たちを殺して、村を焼き討ちして、もともとあった村はなかったことにしてまで、むりやり作る必要があったんだ? いったい何を恐れてあんな方法を選んだんだ? ただの臆病者のやり方じゃないか。

 パレスチナ人は和平を望まないって世界の人は思っているらしい。

 でもそうじゃない。ただ、俺たちは平和な暮らしがしたいだけだ。1967年に戻してくれればいいんだよ。その前に戻せって言ってるんじゃない。イスラエルの国に出てってくれって言ってるわけじゃないんだ。普通の暮らしがしたいだけだ。それで十分なんだ。

 なぜ、俺たちには、普通の暮らしも望めないんだ? そこがわからないんだよ」


【『「パレスチナが見たい」』森沢典子〈もりさわ・のりこ〉(TBSブリタニカ、2002年)】

パレスチナが見たい

2011-01-22

慎重さ


 私の慎重さを理解できる人が果たして何人いるだろう? ま、10人もいれば御(おん)の字だ。慎重さというバランス性は責任のある人しか理解できない。


 実は過去に「週刊新潮」で引用されたことがある。さほど問題になるような文章ではなかったが、それ以降というもの私の慎重度は200%にアップした。


 人の境涯は千差万別である。それゆえ一切の情報は自分のレベルでしか受け取ることができない。その感度が人生の進路を分かつといってよい。


 思想的格闘と知的葛藤を経ていない人々は、これからどんどんふるい落とされてゆく。まあ見ていてごらん。

ブッダもイエスも宗教改革者


 ブッダもイエスも宗教改革者だった。ブッダは旧来のバラモン教を否定し、イエスもユダヤ教を否定して、それぞれ新しい教えを説いた。彼らの教えが後に仏教やキリスト教といった世界宗教に発展したわけだが、二人ともその本質は宗教改革者だったのである。それゆえ、旧勢力の人々の目には彼らは「魔人」と映ったに違いない。同様のことは、キリスト教徒にとってのムハンマド、カトリック信者にとってのルターにもいえることである。


【『世界の「聖人」「魔人」がよくわかる本』一条真也監修、クリエイティブ・スイート編(PHP文庫、2008年)】


 古い常識にとらわれた人々の目には、改革者の姿がテロリストのように映ったことであろう。奇異なものを見るような眼差し。その瞳の持ち主は羊のようにヒエラルキーの中でぬくぬくと惰眠を貪る人々であった。ブッダもイエス(実在したとすればの話だが)も死ぬまで改革の旗を振り続けた。果たして創価学会は如何(いかん)?

世界の「聖人」「魔人」がよくわかる本 (PHP文庫)

2011-01-21

陸軍中野学校の自由な校風


 校風は当時では考えられないほど自由奔放で、国体を批判しようが、八紘一宇(はっこういちう)を疑おうがおとがめなし。むしろ「天皇のために死なず」という気風すらあった。

 自分たちが命を捧げる対象は、天皇でもなく、政府、軍部でもなく、日本民族である。民族を愛し、民族の捨て石となって喜んで死ぬことができるか──を問うた。

 こんな精神教育の上に立ち、命も名もいらぬ人間として諜報技術を叩き込まれた。

 軍人の規範とされた戦陣訓には「恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思い、愈々(いよいよ)奮励してその期待に答うべし。生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿(なか)れ」とある。

 しかし中野学校では、「死ぬなら捕虜になれ」と教えた。捕虜になって的に偽情報をつかませるのだ。そのため“擬装投降”という戦術まであった。

 だが、功績を認めてくれるのは組織上層部だけで、世間には汚名を着せられ、人知れず朽ち果てていく。これが秘密戦士の宿命であった。

 では、秘密戦にたずさわる者は、いったい何をよりどころにすればいいのか。中野学校はこれをひと言で表現した。

「秘密戦とは誠なり」である。


【『たった一人の30年戦争』小野田寛郎〈おのだ・ひろお〉(東京新聞出版局、1995年)】

たった一人の30年戦争

2011-01-20

顕密仏教と鎌倉仏教


 しかし、戦前から戦後を通じて、ごく常識的に唱えられてきたこうした鎌倉仏教観は、現在、大きな修正を迫られている。それは古代以来の八宗(いわゆる南都六宗と天台・真言宗を指す)を中心とする顕密仏教こそがじつは中世の主要な仏教である、という主張による。鎌倉仏教などは、顕密仏教の社会における影響力を考えると、せいぜい顕密仏教の異端の一つにしかすぎないというのである。


【『戦国仏教 中世社会と日蓮宗』湯浅治久(中公新書、2009年)】

戦国仏教―中世社会と日蓮宗 (中公新書)

2011-01-19

唾棄すべき依存心


 コメント欄を閉じたのは、鬱病の学会員が不穏当な書き込みをしたため。アクセス数が多くなると、かようなリスクが生じる。いつだって自由は損なわれる。少数の人物によって。


 その他のコメントについては、「ま、こんなもんだろーなー」という印象だ。有用な意見は一つも寄せられなかった。ま、ほんの少しはあったんだが、敢えて皆無だと言い切っておこう。そう、私はミスター横柄だ。


 何度かに分けて、いくつかのコメントに応答しておく。

「デカルト、カント、ヘーゲルと並べられるような作品があるでしょうか? 私はないと思います」とあなたは言いますが、そうでしょうか? 例えば各国の大学での講演のレベルは? 対談集に込められた先生の、対談者の強いメッセージは? 先生を最初に注目された外国の知性は、アーノルド・J・トインビーでした。見てる人は、見て知っています。特に世界的な問題の解決を模索している知性は。心配する必要はないと私は思います。(※誤字を訂正した)


【fowo】


 当初から想定された反応ではあったが、やはり書かれると逆鱗(げきりん)に触れる。この文章の無責任さ、依存性を一瞬で判断できるようでないといけない。

  • 各国大学で行われている他の講演を知っているのか?
  • 対談者の他の著作を読んだことがあるのか?
  • トインビー以前に、ジョン・F・ケネディやクーデンホーフ・カレルギー、アンドレ・マルローがいたことも知らないのか?

 馬鹿丸出しである。学会員は何かというとトインビーを口にする悪い癖があるが、『二十一世紀への対話』(文藝春秋、1975年)を読んでいるメンバーは多分1割に満たないだろう。そもそも、日常の活動をする中で「トインビー対談って凄いですね!」なんて話は、まず聞いたことがない。時折、会合では流通しているようだがタイトルだけだ(笑)。


 本当に凄いと感動した人であれば繰り返し読むはずだ。更に少なからぬ創価ブロガーが思索の痕跡を記しているはずではないのか? 大体「トインビー、トインビー」ってポリンキーみたいに言ってやがるが、トインビーの本を読んだことがあるのか? そしてそこにとどまることなく、他の歴史学者の著作を紐解いた上で「20世紀最大の歴史学者」と言うことが可能になるんじゃないのか?


「見ている人は見ています」だと? お前はどうなんだよ? 他の人なんてどうでもいいんだよ。お前がどこまで感動を語り、思索を書き残しているんだよ? 「心配する必要はない」って、まずお前自身のことを心配しろよ。


 平均的な学会員ってこんなもんだろ? 師に依存し、識者に依存し、他人の褌(ふんどし)で相撲をとって平然としていやがる。それが師匠を利用していることにすら気づかずに。こんなのばっかりいるから、個人崇拝に毒された北鮮と同一視されるんだよ。根拠なき万歳。


 例えば先日、こんなことがあった。フランス人の書いた学術書に先生の主張が紹介されていたが、学会員であれば明らかに違和感を覚える内容だった。出典が不明確で1977年としか書かれていなかった(これが最近の学術書の傾向)。私は直ぐさま、この年代の著作を一通り確認した。4冊ほどだ。この中に該当しそうなキリスト教に関する話題は1ヶ所のみであった。


 しかも会長勇退の2年前とあって、大半の指導が要旨のみの紹介となっている。『月刊ペン』が反学会キャンペーンの狼煙(のろし)を上げたがの1976年のこと。日本人の、しかも学会員である私が見つけられないのだから誤謬(ごびゅう)の可能性が高い。


 私は出版社にメールを送った。「翻訳者経由で著者にご確認願いたい」と。「素晴らしい内容であるだけに、つまらぬ誤謬で瑕疵(かし)をつけてはもったいない限りです」と付け加えておいた。後日、出版社から丁重な返事が寄せられた。私のメールは既にフランス在住の翻訳者へ送られたとのことで、感謝の言葉が添えられていた。


 少なくともこの程度のことができるようになってから一丁前の口を利いて欲しいものだ。


 ま、こんな後ろ向きの内容を書いても仕方がないのだが、あまりにもレベルの低い学会員が多いので、警鐘を鳴らす意味を込めて記した。少しは自分の無知を恥じろ!


二十一世紀への対話〈上〉 (聖教ワイド文庫) 二十一世紀への対話〈中〉 (聖教ワイド文庫) 二十一世紀への対話〈下〉 (聖教ワイド文庫)

「カラスてんぐ」の正体はトンビ 和歌山、CTで判明


「カラスてんぐ」の正体は、トンビとみられる鳥の骨と粘土だった―。和歌山県がコンピューター断層撮影(CT)でミイラを解析し、こんな結果を出していたことが19日、分かった。

 ミイラは仏教を守護する八部衆の一人「生身迦樓羅王尊像」とされ、信仰の対象になってきたが、関係者の間では「正体が分かってすっきり」「昔の信仰や技術を調べるきっかけになる」などと注目が集まっている。

 県立資料館「紀伊風土記の丘」(和歌山市)によると、高さ約39センチ。頭の両側にとがった耳があり、鋭いくちばしや翼も。ある僧が941年、奈良・大峰山で修行していると、「安産除悪の秘符」とともに天から降ってきたと伝えられる。


47NEWS 2011-01-19


 因みに941年というのは、平将門の乱が収束した年の翌年に当たる。トンビがカラスを生んだって話になる(笑)。

科学上の新発見とは、誤った先入観から脱したということ


 まず迷信や神話があって科学が、まず占星術があって天文学が、まず錬金術があって化学が生まれてきたのであって、何も知らない無知の状態から、徐々に知識が蓄えられて科学として成立したわけではない。科学上の新発見とは、それまで知らなかったことを新たに知ったというよりはむしろ、それまで囚われていた誤った先入観から脱したということである。


【『続 ものぐさ精神分析』岸田秀〈きしだ・しゅう〉(中公文庫、1982年/『二番煎じ ものぐさ精神分析』青土社、1978年と『出がらし ものぐさ精神分析』青土社、1980年で構成)】

ものぐさ精神分析 (中公文庫) 続 ものぐさ精神分析 (中公文庫)

2011-01-18

チュニジアの「ジャスミン革命」はフェイスブックとウィキリークスが決定的な役割を果たした最初の革命

 ソーシャルメディアが遂に革命を起こした。国民や市民を奴隷にしようと目論む権力者は真実を隠す。相互交流すら望ましくないと規定する。

 インターネットよりも架空の座談会の方がはるかに問題だと思うぞ(笑)。

殺された孫。臨終に急ぐ祖父のため離陸を遅らせたパイロット

 味な配慮。苦悩の深さによって大小相対は逆転する場面がある。人数ではなく苦悩の次元の大小相対。

モンティ・ホール問題に対する反応


 おおぜいのひとが雑誌に手紙を出して、マリリン・フォス・サバントはまちがっているといってきた、彼女がなぜ自分は正しいか、とてもていねいに説明したにもかかわらず、その問題(※モンティ・ホール問題)について彼女のところに送られた手紙の92パーセントは、彼女はまちがっているというもので、その手紙の多くは数学者や科学者からのものだった、ここに彼らの意見の一部をのせる。


 わたしは一般大衆の数学能力の欠如を非常に憂慮するものである。あなたの誤りを公表して事態を改善して下さい。

【ロバート・サックス博士、ジョージ・メイソン大学】


 わが国には数学に無知な人間がおおぜいいる。このうえ世界最高のIQの保持者まで無知であることを世界に知らしめる必要はない。恥を知りたまえ!

【スコット・スミス博士、フロリダ大学】


 すくなくとも3人の数学者に指摘されたにもかかわらず、自分の誤りに気づかないとはなんたることか。

【ケント・フォード、ディキンソン州立大学


 あなたは高校生や大学生からたくさんの手紙を受け取ったことと思う。そのうちのいくつかの住所を書きとめておかれてはいかがでしょう。今後、コラムを書く際には彼らの助けが必要になるかもしれませんから。

【W・ロバート・スミス博士、ジョージア州立大学】


 あなたはぜったいにまちがっている……あなたの心を変えさせるのにいったい何人の怒れる数学者が必要なのでしょうか?

【E・レイ・ボボ博士、ジョージタウン大学】


 もしこれらの博士たちがみなまちがっているなどということがあるなら、この国に未来はないであろう。

【エベレット・ハーマン博士、アメリカ陸軍研究所】


 しかしマリリン・フォス・サバントは正しかったのです。そしてそのことを示すには二つの方法がある。


【『夜中に犬に起こった奇妙な事件』マーク・ハッドン/小尾芙佐訳(早川書房、2003年/新書版、2007年)】


 自閉症を主人公にした物語でエリザベス・ムーン著『くらやみの速さはどれくらい』と双璧を成す作品。一人称で語られており、自閉症の眼差しを経験することができる。世界一のIQの持ち主であっても、これほどの非にさらされる。反証可能性をもつ科学の世界において、反証自体を誤る場合があるという好例。宗教世界は反証不可能な仮説であるがゆえに、誤りは桁違いに多くなる。だからこそ科学的態度が求められるのだ。


夜中に犬に起こった奇妙な事件

2011-01-17

TPP(環太平洋連携協定)でアメリカは日本を狙い撃つ


 TPPが実現すると、「年次改革要望書」以上の縛りとなることは確実だ。日本は更なるデフレとなり、ゆうちょマネーがアメリカへ流れることになるだろう。



自由貿易の罠 覚醒する保護主義

人生という部分情報と神という完全情報


 私たちが知りうるのは、生れてからの出来事と、死ぬまでの出来事にかぎられています。生まれる前の出来事や死んだ後の出来事は、人間の物理世界の外側にあるわけですから、説明しようにもそれはいっさいかないません。生まれてくることについても、私たちは、自分がある決まったときに生まれてくるということを知りえませんし、いつ死ぬのかということについても、皆目わからないわけです。

 このように、私たちが部分情報であることを決定的に規定しているのは、人間の生と死です。

 生まれる前のこと、死んだ後のことという説明のつかない世界に対して、部分情報である人間が何らかの説明を求める気持ちを強く抱くのは当然です。そして、それを解き明かしてくれるはずの、完全情報としての神を求めるようになるわけです。


【『なぜ、脳は神を創ったのか?』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(フォレスト2345新書、2010年)】

なぜ、脳は神を創ったのか? (フォレスト2545新書)

2011-01-16

田原総一朗vs佐藤優

 この瞬間、田原総一朗の時代は終わった。会場からの失笑がそれを雄弁に物語っている。フォーラム終了後、田原から佐藤に握手を求める場面もあった。しかし田原は、この直後に行われたホリエモンとの対談で恨み節を語っていた。「サンデープロジェクト」が打ち切られてからというもの、明らかに焦りが窺える。ホリエモンに「ネットでどうやって稼いでいるのか?」と尋ねていたのが印象深い。

手品の基本法・パーミング


 何よりも、信ずべき根拠もなく、心霊手術でがんが治ると考える「非合理主義への心の傾斜」を反省しなければならないだろう。「切らずにがんを治したい」という一種の「欲得」が理性的な目を曇らせ、急速に進歩してきた診断や治療のための技術の恩恵を放棄させてしまったのだ。


【『霊はあるか 科学の視点から』安斎育郎〈あんざい・いくろう〉(講談社ブルーバックス、2002年)】

霊はあるか―科学の視点から (ブルーバックス)

2011-01-15

失敗が生んだドラマ





 最後のものは自閉症の男性。自閉症の人には嘘を見抜く天才的な能力があり、突然笑い出すことが多い。

但し法門をもて邪正をただすべし利根と通力とにはよるべからず


 唱法華題目抄は真蹟が存在しないものの、曽存と考えてよかろう。


 御真蹟は現存しませんが、『南条兵衛七郎殿御書』の御真蹟の三紙にわたって、その行間に、日興上人が本抄の一部を書き込まれるという珍しい形で、最古の写しが伝えられています。


「大白法」平成8年5月1日刊(第454号)】


 この御文をどう読むか?

 大半の創価学会員はこのように読んでいることと思われる。というわけで憶見、誤謬を指摘しておこう。我々は御書をありのままに読むこともできなくなっているのだ。


 尚、市丸さんは創価系ブロガーの中で最もきちんとした文章が書ける方で、広布史に関する証言は読み応えがある。少なからず私が敬意を払っている人物の一人であることを付言しておこう。


 この御文が凄いのは、日蓮が通力と利根を認めているところにあるのだ。ただし、正邪を糺(ただ)す場合は飽くまでも法門によるべきだとしている。ここでいう法門とは道理と考えていいと思う。すなわち、キャラクターよりも道理の方が重いという意味合いなのだ。


 明らかに超能力があると思われる人物を私は6人ほど知っている。「凄いなあ」と思う。でも、通力よりも目が見えることの方が不思議だ。生きていることは、もっと不思議だよ(笑)。

小林秀雄「池田大作さんには政治家肌というところがあるな」


小林●新聞が公明党と共産党との握手というような事を言っているな。池田大作さんとは面識があるが、あの人には政治家肌という所があるな。天理教の中山正善さんも知っているが、あの人とは違った感じだな。中山みきという人は宗教家として天才だと思っているが、その血を受けた感じがしたな。


【『小林秀雄全作品 26 信ずることと知ること』小林秀雄(新潮社、2004年)】

小林秀雄全作品〈26〉信ずることと知ること 信ずることと考えること―講義・質疑応答 (新潮CD 講演 小林秀雄講演 第 2巻)

2011-01-14

中国の人権派弁護士、拷問を告白 警官が交代で殴打


 AP通信は11日までに、中国の人権派弁護士、高智晟氏と昨年4月、北京で面会した際に、同氏が当局に拘束されている間、拷問を受けたことを告白したと報じた。高氏は同月、再び行方不明になっており、当局に拘束されているとみられている。

 胡錦濤国家主席の訪米を前に中国の人権問題があらためて注目されそうだ。

 APによると、高氏は2009年2月、当局に拘束された後、丸2日間にわたり警官が代わる代わる銃で殴り続け、手足を縛って床に放り投げるなどの拷問を繰り返したと告白。高氏を拷問した当局者は「人間であることを忘れろ」などと言い放ったという。


47NEWS 2011-01-11

創価大学の失敗


 開学を目前に控え、「学歴剥奪(はくだつ)、学力尊重が中道だ」、「これからも、エリートはいらない。闘士が必要なのだ」という指導があった(「人間の証」を示せ 「人生の証」を発揮せよ)。そして現在、創大卒という学歴学会組織内でブランドと化している。聖教紙上においては数年前から学歴掲載をやめた。にもかかわらず創大だけは流通している。「公明党の失敗」は信心を無視して社会に迎合したところにあった。創価大学の失敗は、二世議員のような感覚を形成したことにある。創価同窓の集いでは、30代の婦人部が友人から役職を尋ねられ、「私、まだ本部長なんだよねー(笑)」などと語っている。「まだ」って、お前は一体誰を基準にものを考えているんだ? 更に見逃すことができないのは、サークル活動における洗脳に等しい行為である。因果関係は断定できないが、明らかに鬱病の学生が多い。私の身内でも統合失調症となって退学を余儀なくされた者もいる。創価大学は訴訟リスクにさらされている。

人は人がわからないということろから出発したい


 自閉症論を執筆するにあたり、つねに頭を離れなかったのは、「人は人がわからないということろから出発したい」ということでした。たとえきわめて密な人間関係であっても、「分からなさ」を覆すことは私は不可能に近いと考えています。

 なぜなら人は、自分の認識を通して他人を見ているからです。自分の認識を抜きにして、物や人を見ることは果たして可能なのでしょうか。

 よく「自閉症児は分からない」といわれます。しかし、分からないのは、何も自閉症児に限られたことだけではないと思います。

 そして、子どもたち、とりわけ障害を持った子どもたちを見ていると、「分かる」とか「分かっている」というのは、物事が自分の思い通りに動いていることを指しているにすぎないのではないかという思いにしばしば駆られます。

 なぜ、私たちは、「分かる」ことにこだわるのでしょうか。また、社会全体が、分かる、それもとにかく早く分かることにこだわりすぎているように思います。

 人は、分からないからこそ人との関係に悩み、少しでも分かろうとするための努力を続けます。しかし、「早く分かる」ことだけを求める時、人はしばしばこの努力を怠り、自分を安心させようとして勝手な解釈をしたり、相手を理解したつもりになります。

 何かにつけて急ぐことは、あまりよい結果をもたらしません。急ぐこにとよって、あるいは急がされることによって、人は大きな変化に遭遇することになるからです。大きな変化は、時には人をぐんと成長させることもあるでしょう。しかし、いまの社会を見ていると、そうでないことの方が多く、人間の環境に対する適応は、本来、細かな変化の積み重ねによって保証されていくのではないかと思うのです。


【『自閉症の子どもたち 心は本当に閉ざされているのか』酒木保〈さかき・たもつ〉(PHP新書、2001年)】


 真のリベラリズムは大いに揺れ、迷うものだ。その振幅が様々な人々の琴線に触れる。単純な正義、直線的な確信は幼児性の表れにすぎない。自閉症を主人にした作品では、エリザベス・ムーン著『くらやみの速さはどれくらい』がオススメ。

自閉症の子どもたち―心は本当に閉ざされているのか (PHP新書)

2011-01-13

タイガーマスク運動


 直人vs直人(笑)。ツイッターより転載──


  • 子供達にランドセルを背負わせるのが伊達直人、子供達に借金を背負わせるのが菅直人
  • 自分で技を決めるのが伊達直人、自分で何も決められないのが菅直人
  • 虎のマスクをかぶってるのが伊達直人、虎の尾を踏みたがらないのが菅直人
  • 庶民を勇気づけるのが伊達直人、庶民を落胆させるのが菅直人
  • フェアープレーで闘うのが伊達直人、スタンドプレーで目立とうとするのが菅直人
  • 施設にランドセル贈るのが伊達直人、中露にランド・セールするのが菅直人
  • 悪役を退治するのが伊達直人、悪役と対峙しても逃げ腰なのが菅直人
  • 子供に夢を与えるのが伊達直人、子供に無駄な手当てを与えるのが菅直人
  • 虎の穴から来たのが伊達直人、目が節穴で霞んで来たのが菅直人

@Real_Great

果報にしたがつて見るところ各別なり


 今の法華経の文字は皆生身の仏なり。我等は肉眼なれば文字と見る也。たとえば餓鬼は恒河を火と見る、人は水と見、天人は甘露と見る。水は一なれども果報にしたがて見るところ各々別也。此の法華経の文字は盲目の者は之を見ず。肉眼は黒色と見る。二乗は虚空と見、菩薩は種々の色と見、仏種純熟せる人は仏と見奉る。されば経文に云く_若有能持 則持仏身〔若し能く持つことあるは 則ち仏身を持つなり〕等云云。天台云く ̄一帙八軸四七品 六万九千三百八十四 一一文文是真仏 真仏説法衆生等と書かれて候。


【「法蓮鈔」真蹟


 今の法華経の文字は皆生身の仏なり我等は肉眼なれば文字と見るなり、たとへば餓鬼は恒河を火と見る人は水と見天人は甘露と見る、水は一なれども果報にしたがつて見るところ各別なり、此の法華経の文字は盲目の者は之を見ず肉眼は黒色と見る二乗は虚空と見菩薩は種種の色と見仏種純熟せる人は仏と見奉る、されば経文に云く「若し能く持つこと有るは即ち仏身を持つなり」等云云、天台の云く「稽首妙法蓮華経一帙八軸四七品六万九千三八四一一文文是真仏真仏説法利衆生」等と書かれて候。


【「法蓮抄」創価学会版御書全集】


 空観の否定というよりは、諸法無我から諸法実相への志向を示しているように思う。そうでないと「果報主義」となってしまい、因縁が見失われる。直後の段には「上の如くすれども仏にならぬ時もあり。時に依て不定なるべし。されば天台大師は ̄適時而已と書かれ、章安大師は ̄取捨得宜不可一向〔取捨宜しきを得て一向にすべからず〕等云云」と認(したた)められている。

公明党の失敗

 これが全てである。「それ自体が今度は学会を危険に陥(おとしい)れ」てしまったのだ。

「殺しても罪の意識はまったくありませんでした」


 小島さんたち尉官以下の囚人は、5人から15人が一室に入れられていた。隣の部屋の声もよく聞こえる。廊下を行き来する看守に対し、共同で騒ぐことは容易だった。家を焼かれ、家族を殺されて革命軍に入った中国青年が、どれほどの怒りと侮蔑を抑えて勤務しているか、想像することもなかった。

「農民を焼き殺した、首を斬った、拷問したということが犯罪だとは、まったく思っていませんよ。何でもない捕虜を殺した、これが国際法に反するとか、戦犯として処刑される原因だとは思いもよりません。殺しても罪の意識はまったくありませんでした。しかし、いいことじゃないという意識はもっているわけです。軍隊で他国である中国へ行って、中国人を捕まえて、お前はいい中国人だ、お前は悪い中国人だ、我々の意識で勝手に色分けし、悪いのは殺したり殴ったりしているんですから。いいことではない、悪いこともやったなという考えは大半の人にあったと思います。しかし、それが罪になるということになると、また別です。罪というのは、社会常識上許されない罪。人を殺すなんていうことは、小さくたって罪は罪ですよ。しかしながら、当時我々が受けた教育からいえば、戦争なんだから」

 なんと、「しかし」の多い弁明だろう。それが敗戦後5年の時点での小島さんたちの論理だった。このように集団で虚勢を張っていても、内心はびくびくしていた。


【『戦争と罪責』野田正彰(岩波書店、1998年)】

戦争と罪責

2011-01-12

本地垂迹説は神道に対する妥協の産物


 仏教の伝来に対する、氏神信仰からの激しい抵抗の結果、仏教の側では、一種の妥協と譲歩を余儀なくされた。インドの仏が、衆生(しゅじょう)を済度するために、神の姿でわが国に現れたとする本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)こそ、仏教の神道に対する妥協の産物、つまり神仏習合思想の現われにほかならなかった。鎌倉時代になってからも、氏神信仰はさかんであり、ことに宮中では、神事が仏事に優先していた。


【『鎌倉佛教 親鸞と道元と日蓮』戸頃重基〈ところ・しげもと〉(中公新書、1967年)】

鎌倉佛教 親鸞と道元と日蓮

2011-01-11

感応


 思考が秩序立ってきちんとし、明確であることは、それ自体ではあまり重要ではありません。しかし、敏感で、深く感じて、永続的な内的革命の状態にある人には重要になるのです。もし君が貧しい人のさだめや、豊かな人の車が通るときに埃をまともに被る乞食について、とても強く感じるならば、あらゆることについて、とてつもない感受性を持ち、敏感であるならば、そのときはその敏感さこそが秩序や徳をもたらします。それで、このことを教師も生徒も理解することがとても重要だと思うのです。


【『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ/藤仲孝司〈ふじなか・たかし〉訳(平河出版社、1992年)】


 鈍感とは、人種や国家、あるいは性別、年齢、地域、学歴党派性宗教観、経済性に束縛された状態を意味する。このような人々は事実や言葉をありのままに捉えることができない。色眼鏡越しに世界を見つめながら、「先入観を捨てよ」と他人に説く人物が多すぎる。生命は鐘の如し。小さく弾(はじ)くか大きく打つかは自分次第だ。心豊かな人は人生に深い余韻を与えることができよう。

子供たちとの対話―考えてごらん (mind books)

2011-01-10

ブッダは「修行する仲間」の一人であった


 釈尊には生涯を通して、自分が修行者の集まりのリーダーであるとか、帰依者たちの師であるとかの気持ちがなく、また、そのような態度で話すこともありませんでした。つねに自分は修行する仲間の一人という気持ちを持ち続けました。


【『人間ブッダ』田上太秀〈たがみ・たいしゅう〉(第三文明レグルス文庫、2000年)】

人間ブッダ

2011-01-09

ブラフマンがバラモンとなった


 ヴェーダ文献において「ブラフマン」という語は、呪力のあることばあるいはその力そのものを意味した。祭式において、呪文としてヴェーダのことばを唱えることにより神々をも動かす力が生まれているという意味で、ヴェーダの讃歌、祝詞等も「ブラフマン」と呼ばれた。儀礼中心主義をとるヴェーダの密教では、神々にも命令を下すことのできる呪力あることばは、宇宙の原理と考えられることになった。ヴェーダの祭式において祭式を司った祭司は、「ブラーフマナ」(ブラフマンを有するもの)と呼ばれた。彼らは、呪文を専有する者であり、バラモン僧、階層としてのバラモンの祖である。


【『はじめてのインド哲学立川武蔵〈たちかわ・むさし〉(講談社現代新書、1992年)】

はじめてのインド哲学 (講談社現代新書)

2011-01-08

希望はいまの自分の中にある


 でも、そもそも希望とは与えられるものなのか。自分の外で光り輝いているものなのか。さらにいえば、希望とは未来にあるものなのか?

 そうではない。希望はいまの自分の中にある。君の胸の奥には、希望をたくわえる器が生まれたときから備わっているんだ、と僕は思う。


【「91年に生まれた君へ 逆境で気づく希望の器 重松清さん」】


コロンバイン・ハイスクール・ダイアリー

多義的な言葉には意味がない


 ことばの意味がこれほど多義的であるのは、もともとそのことばの意味というものが、ほとんどないからである。意味が乏しいから流行し、乱用され、そして流行し、乱用されるから多義的になるのである。

 この「近代」流行の時代を経て、やがて歴史学者は否応なくこのことばを取り上げ、時代区分の用語としてのオモテの意味を与えるようになる。このオモテの意味は、いわばそのウラの意味があらかじめあったからこそ、与えられるようになったわけである。つまり、初めに、意味の乏しい「近代」ということばの形があって、それがやがてしかるべき意味を獲得していった、というわけであり、それは、私たちにおける翻訳語の意味形成過程を、典型的に物語っているのである。


【『翻訳語成立事情』柳父章〈やなぶ・あきら〉(岩波新書、1982年)】

翻訳語成立事情 (岩波新書 黄版 189)

2011-01-07

決定的なもの


 それらの領域の中で、(決定的な)役割を果たすいかなる領域もない。たといそれが《最終的に》であるとしても。そうした《決定的なもの》という思想自体、無意味である。(コリュネリュウス・カストリアディス)


Essais d’herméneutique

殉教という物語


 大坂においても、キリシタン信仰の強さは同様だった。

 豊臣秀頼家老の立場にあった摂津茨木(いばらき)城主片桐且元(かたぎりかつもと)が、キリシタンの名簿作りを指示し、「キリストを棄てたくない者は死ぬ準備をして開放された広場に翌日来るように」と命じたところ、なんと300人以上の者が集まった。

 これほど多数の者を殺したり追放したりするのは困だと思った役人は、そのうちから58名を選んで、俵(たわら)に入れて市中を引き回した。取り残された者たちの中には、「自分たちはキリシタンだ」と大声で叫びながら縛られた者たちのあとを追う者もいた。

 こうして、京都と大坂のキリシタンたちは追放に処せられた。彼らは次のような様子だった。


 彼らは、自分たちのデウスへの愛ゆえに喜んで追放へ赴くこと、そして信仰のために苦悩している者が最下層民には属していないことをはっきりさせるために、あたかも豪奢(ごうしゃ)な饗宴(きょうえん)に赴くかのように、絹でおおいに着飾った。


【『殉教 日本人は何を信仰したか』山本博文(光文社新書、2009年)】

殉教 日本人は何を信仰したか (光文社新書)

2011-01-06

あらゆるシステムは求心的な強迫と遠心的な強迫を同時に内包する


 終末あるいは死は、もはや何ものをも(神さえも)消去しない。何がすべてを消去するかといえば、それは増殖と感染、飽和状態の透明さ、衰弱による絶滅であり、あるいはシミュレーションを第二の存在形態のなかに移転する伝染性の悪だ。消滅(ディスパリシオン)という宿命的(ファタル)なモードはもはや姿を消し、拡散(ディスペルシオン)というフラクタルなモードが出現する。

 もはや何ものもほんとうの意味で自己を反映できはしないのだ、鏡のなかでも、入れ子状態の構造のなかでも(そんな構造は意識を無限に二重化する装置にすぎない)。価値の革命はもはやありえず、価値の旋回と退行の過程があるばかりだ。あらゆるシステムは求心的な強迫と遠心的な強迫を同時に内包するので、そこでは内的転移と熱性の自己感染的毒性が生じ、システムは固有の限界を越えて自爆する方向をめざすことになる。純粋な同語反復としてではなく、潜在的な上昇曲線のかたちでシステムがみずからの喪失を演じるという幻想的な相乗作用として、システムの固有の論理を越えるのだ。


【『透きとおった悪』ジャン・ボードリヤール/塚原史〈つかはら・ふみ〉訳(紀伊國屋書店、1991年)】

透きとおった悪

2011-01-05

創価学会公式サイト


 数年ぶりに学会の公式サイトを見た。以下、気になった点をメモしておく──

  • 世帯数 827万世帯
  • 教学部員 260万人

 1世帯が2人以下であることはわかっているが詳細は不明。仮に1世帯=1.5人とすると1240万人となる。これだと教学部員の比率は21%だ。いくら何でも21%ってことはないわな。


 会則には驚くべきことが記されていた。


第2章 名誉会長および会長


(会長)

第8条 この会に、会長を置く。


(地位)

第9条 会長は、この会を統理する。


(権限)

第10条 会長は、次に定める会務を行なう。

1) 教義および化儀裁定する。この場合、師範会議に諮問の上、最高指導会議の意見を聞き、これを尊重するものとする。

2) 御本尊に関する事項を司る。

3) 儀式行事を主宰する。


 こんな会則を知っていた? 何と会長は教義を改変することができるのだ。ってことは、御書よりも上の存在という意味になる。で、会則上では明らかに名誉会長よりも権限がある。例えば第67代会長がおかしくなった場合、どうするのだろう?


(権限)

第25条 教義および化儀の裁定、重要な運営方針の決定、その他この会の重要な事項を決定するにあたっては、最高指導会議の意見を聞かなければならない。


 と最高会議の権限が書かれているが、会長は「聞けば」いいだけの話。


第14章 賞


懲戒

第72条 この会は、会員としてふさわしくない言動をした会員に対し、その情状に応じ、戒告、活動停止または除名の処分を行なうことができる。


 会長は「この会を統理する」ので、気に食わない連中は全員クビにできる。ということはだ、この会則は悪い会長が出た場合を想定していない。しかも致命的なことに会長の弾劾規定がない。


 会則が教義よりも上位に設定された以上、創価学会は「民衆の団体」ではなく「会長の団体」となったと弁えるべきだろう。

石の革命−インディファーダ(民衆蜂起)


 大きな変化は、1987年12月8日に始まった。「インティファーダ(民衆蜂起)」と呼ばれるパレスチナ人の抵抗運動である。

 この日、イスラエル領内で働いてガザに帰ってきたパレスチナ人労働者の2台の車に、イスラエル軍の大型トレーラーが突っ込んで、パレスチナ人4人が死亡、7人が重軽傷を負った。犠牲者の葬式に集まった人々は、激しいデモを行ない、占領軍とぶつかり、さらに死傷者が出た。10日には西岸地区のナブルスでパレスチナ人とイスラエル軍が衝突し、一人のパレスチナ人少女が射殺された。それを機に、闘争は一挙に全占領地に拡大した。子どもたちや女たちも街頭に出て、石でイスラエル軍に対抗しはじめた。戦術を石に限定しているところが、この運動を広げた。これはやがて「石の革命」と呼ばれるようになる。


【『パレスチナ 新版』広河隆一〈ひろかわ・りゅういち〉(岩波新書、2002年)】

パレスチナ新版 (岩波新書)

2011-01-04

渡部通子さん死去 元公明党衆院議員・参院議員


 渡部通子さん(わたなべ・みちこ=元公明党衆院議員・参院議員)10年12月23日午前8時48分、胃がんのため死去、78歳。さいたま市出身。葬儀告別式は近親者で済ませた。喪主は夫一郎(いちろう)氏。

 69年、衆院旧東京1区で初当選するが、72年に落選。77年に参院兵庫地方区で当選し1期務めた。


47NEWS 2011-01-04


 渡部通子さんは女子部長も務めた方。渡部さんの後任が八矢弓子さん。

天職という概念は宗教改革の産物


プロテスタンティズムの倫理」ことウェーバーの思想の源泉は、ルター、カルヴィン、バクスターなどの16、17世紀の宗教思想家たちの著作にあるが、彼はその解釈の中心に「天職」の概念を据えた。天職とは人生における基本的な務めであり、定められた努力をする選ばれた領域であり、そしてそれを決定したのは、ルターらによれば、神である。スラッカーたちに往々にして欠けているもの、私の息子に欠けていたと思えるものは、まさにこの天職なのだ。そしてスラッカーという概念と同じように、天職という概念も比較的最近の文化的発明である。ウェーバーが着目したように、それは、いにしえの時代やカトリック神学には存在せず、宗教改革の産物なのである。

 天職という概念の新しさは、人間の生涯の仕事を「個人の道徳的活動がとりうる最高次の形態」に変えたところにある。


【『働かない 「怠けもの」と呼ばれた人たち』トム・ルッツ/小澤英実〈おざわ・えいみ〉、篠儀直子〈しのぎ・なおこ〉(青土社、2006年)】

働かない―「怠けもの」と呼ばれた人たち

2011-01-03

日本を支配する東大卒


受験制度という金型」はこのように機能する。


 大蔵省の課長以上の地位にある役付官僚の88.6パーセントが、東大卒である。その他、外務省では76パーセント、国土庁では73.5パーセント、運輸省では68.5パーセントとなっている。毎年、大蔵省が採用する新卒者20人から30人のうちの8〜9割が、東大法学部出身である。田中角栄と竹下登という際立った例外を除き、戦後、影響力のあった日本の歴代総理大臣のほとんどは、東大の卒業生である。戦後の内閣の重要なポストも、東大卒で占められてきた、田中内閣においてさえ、7人の大臣が東大法学部卒だった。国会議員の4分の1以上、そして自民党議員の3分の1以上が東大卒である。1970年代のなかばには、一流企業50社の全取締役1434人の大企業のうち東大出身者が533人で全体の37.2パーセントを占め、圧倒的多数を維持していた。1985年には、上位1454社の大企業のうち401社の社長が東大卒で、実質的に同じランクとされている京大一橋大の卒業生が、それぞれ140社、72社の社長であった。


【『日本/権力構造の謎』カレル・ヴァン・ウォルフレン/篠原勝訳(早川書房、1990年/ハヤカワ文庫、1994年)】

日本 権力構造の謎〈上〉 (ハヤカワ文庫NF) 日本 権力構造の謎〈下〉 (ハヤカワ文庫NF)

2011-01-02

不確定性原理とは


 諸行無常のことである。量子世界では仮諦(けたい)を捉えることができない。つまりミクロレベルでは実体があやふやになる。同じ瞬間であっても捉えることが不可能だ。

地デジにする意味がなくなってしまった


 上杉隆記者クラブ問題や官房機密費問題を追求したことで、既に各テレビ局から干されている。動画はTOKYO MXの番組で、ここは東京のローカル放送局


 たとえば、当時は通信より放送の方が伝送許容量が大きかったけれど、いまや完全に肩を並べています。さらに音声などの伝達に限って言えば、通信の方が圧倒的に安定しています。つまり、イノベーションの点からも、地デジにする意味がなくなってしまったのですが、霞ヶ関の決定事項は大本営発表と同じで、いったん方針を打ち出したら最後、公共工事と同様後戻りできないわけです。地デジ化というのは、国策公共事業ですから。


 家電メーカーもそれにのっかって止まらなくなったのですが、ともかく2011年7月には失敗がはっきりとわかるでしょう。ただ新聞やテレビは、事情があってその経緯をいっさい報じずにごまかしてきたわけです。一般の人がどれだけ被害を受けても、それはどうにもならないというわけです。これは世界を見渡しても日本だけの話です。


気鋭のジャーナリスト・上杉隆氏が語る2011年の日本


トントン

 イベントのスケジュールを調整するためのウェブサービス。

即時の理解


 私たちがお互いに考えていることを相手に伝達することは、相手のことを非常に良く知っている場合でも、きわめてしいことです。同じ言葉でも、「私」と「あなた」は違った意味で使っているかもしれません。理解というものは、私たち、つまり私とあなたが、同時に、同じレベルで出会うときに生まれてきます。しかもそれは人と人との間に、夫と妻の間に、また親しい友人同士の間に真の愛情があるときにしか生まれません。これが真の人間的共感――親交です。このように即時(そくじ)の理解――直覚は、私たちが、【同時に】、【同じレベルで】出会うときに初めて生じるものなのです。


【『自我の終焉 絶対自由への道』J・クリシュナムーティ/根木宏、山口圭三郎訳(篠崎書林、1980年)】

自我の終焉―絶対自由への道 自我の終焉 絶対自由への道

(※どちらも同じ作品)

2011-01-01

五十にして天命を知る


 子の曰(のたま)わく、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(した)がう。七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず。


【『論語』孔子/金谷治訳注(岩波文庫、1999年)】


論語 (岩波文庫)