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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2011-01-13

果報にしたがつて見るところ各別なり


 今の法華経の文字は皆生身の仏なり。我等は肉眼なれば文字と見る也。たとえば餓鬼は恒河を火と見る、人は水と見、天人は甘露と見る。水は一なれども果報にしたがて見るところ各々別也。此の法華経の文字は盲目の者は之を見ず。肉眼は黒色と見る。二乗は虚空と見、菩薩は種々の色と見、仏種純熟せる人は仏と見奉る。されば経文に云く_若有能持 則持仏身〔若し能く持つことあるは 則ち仏身を持つなり〕等云云。天台云く ̄一帙八軸四七品 六万九千三百八十四 一一文文是真仏 真仏説法衆生等と書かれて候。


【「法蓮鈔」真蹟


 今の法華経の文字は皆生身の仏なり我等は肉眼なれば文字と見るなり、たとへば餓鬼は恒河を火と見る人は水と見天人は甘露と見る、水は一なれども果報にしたがつて見るところ各別なり、此の法華経の文字は盲目の者は之を見ず肉眼は黒色と見る二乗は虚空と見菩薩は種種の色と見仏種純熟せる人は仏と見奉る、されば経文に云く「若し能く持つこと有るは即ち仏身を持つなり」等云云、天台の云く「稽首妙法蓮華経一帙八軸四七品六万九千三八四一一文文是真仏真仏説法利衆生」等と書かれて候。


【「法蓮抄」創価学会版御書全集】


 空観の否定というよりは、諸法無我から諸法実相への志向を示しているように思う。そうでないと「果報主義」となってしまい、因縁が見失われる。直後の段には「上の如くすれども仏にならぬ時もあり。時に依て不定なるべし。されば天台大師は ̄適時而已と書かれ、章安大師は ̄取捨得宜不可一向〔取捨宜しきを得て一向にすべからず〕等云云」と認(したた)められている。

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