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2011-02-23

諸法実相と本覚思想


 平安時代になると、「諸法実相」の考え方が発展して「本覚(ほんがく)思想」が生れた。これは人間はむろんのこと、山川草木(さんせんそうもく)を含むすべてのものが成仏するという考え方であるが、インドの仏教からすればかなりの変質といわざるを得ない。ネパールやチベットの仏教も「山川草木が成仏する」とはいわない。しかし中国仏教にはこのような考え方の芽がある。そのかぎりでは、中国仏教と日本仏教は近いといえよう。というよりもも日本仏教は、そのような中国仏教の思想を、日本の文化風土の合わせて導入したといった方が正確であろう。

 平安後期から末期にかけて勢力を得た「本覚思想」に対して、二つの方向からの批判が生れた。一方は法然(1133-1212)や親鸞(1173-1262)の浄土教であり、もう一方は道元(1200-53)を中心とする禅仏教であった。鎌倉仏教の主役であったこの二種の仏教伝統は、本覚思想が安易な現実肯定におち、悟りを求める実践の重要性を軽視していると批判した。


【『最澄と空海 日本仏教思想の誕生』立川武蔵〈たちかわ・むさし〉(講談社選書メチエ、1998年)】


 本覚思想とアニミズムは分けて考えるべきだ。編集者も見逃しているようで、危うい文章となっている。尚、本覚思想とアニミズムに共通する「安易さ」は、現代におけるスピリチュアリズムと同じ臭いがする。

最澄と空海―日本仏教思想の誕生 (講談社選書メチエ)

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