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2011-06-30

インドの大学は副学長が実質的権限者


 インドの大学は大学総長は名誉職で、中央の政府役人とか、州知事などが兼任することが多く、副学長が実質的権限者である。


【『不可触民 もうひとつのインド』山際素男〈やまぎわ・もとお〉(三一書房、1981年/光文社知恵の森文庫、2000年)】

不可触民もうひとつのインド 不可触民―もうひとつのインド (知恵の森文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

2011-06-29

スピリチュアル系創価学会員


 スピリチュアル系創価学会員としか言いようがない人物からメールが寄せられる。その淫祠邪教レベルにたじろぐ。今日は時間がないので、明日紹介しよう。

2011-06-28

六道


 ひとつわかった。六道とは社会を意味する。生産と消費に支配される世界だ。声聞・縁覚という生命状態は社会から離れている。微妙ではあるが何らかのスキルアップや資格習得を目指す勉強は声聞たり得ない。それは修羅であろう。本を読んでいる瞬間は六道という欲望から離れている。もちろん生命の境涯は瞬間瞬間揺れ動くものだ。それでも思索を巡らしたり、何かにはたと気づく時、そこに欲望や願望は影を潜める。


 既に紹介済みだが、元々声聞とはブッダ説法(声)を直接聞いた弟子たちを指した言葉であった。悟りなき知識が嘲笑の的となり、維摩詰ミリンダ王の物語を生んだのは明らかだ。


 菩薩はもっと微妙だ。成果目当ての勧誘が菩薩界であるはずがない。そりゃ餓鬼界だわな(笑)。祈りも同様で、学会員の場合は欲望を満たすことが目的になっており、完全に六道輪廻のリズムを形成している。

内なる声


 遅まきながら気が付いたんだ…

 耳を傾けるべきは他人の御託じゃなくて

 自分…

 オレ自身の声

 信じるべきはオレの力…!(『賭博黙示録 カイジ』)


【『福本伸行 人生を逆転する名言集 覚醒と不屈の言葉たち』福本伸行著、橋富政彦編(竹書房、2009年)】

人生を逆転する名言集 福本伸行 人生を逆転する名言集 2

2011-06-27

ひとりでは屋根を持ち上げることはできない


 マウライには、“ひとりでは屋根を持ち上げることはできない”という言いまわしがあるけれど、まあ、父さんにはそれはあてはまらない。


【『風をつかまえた少年 14歳だったぼくはたったひとりで風力発電をつくった』ウィリアム・カムクワンバ、ブライアン・ミーラー/池上彰解説、田口俊樹訳(文藝春秋、2010年)】


 マウライはアフリカの最貧国だ。ウィリアム少年は中学へ通うこともできなくなる。学校の図書館で一冊の本と巡り合う。『風力発電』と題された本だ。少年はたった一人で発電装置を作りあげた。

風をつかまえた少年

2011-06-26

ヲタ芸


 ヲタ芸のできる者は、これで学会歌の指揮をとってみせろ(笑)。


D

科学に対する錯誤


 科学は物を巧みに操作するが、物に住みつくことは断念している。科学は物の内在的〔=観念的〕モデルを作り上げ、そしてその指数とか変数に、それらの定義から許される範囲の変換操作を加えるだけであって、現実の世界とはほんの時たましか顔を合わせない。


【『眼と精神』M・メルロ=ポンティ/滝浦静雄、木田元〈きだ・げん〉訳(みすず書房、1966年)】


 古い時代の錯誤を気取った文章で綴っている。現在の量子力学と脳科学を知れば、この文章は引っ込めたことだろう。科学の世界は劇的な進歩を遂げている。それに比べると哲学は骨董品市の様相を呈している。エ、宗教? 既に宗教は考古学の領域だ(笑)。


眼と精神

2011-06-25

呪術を捉え直す


 宮城谷昌光や白川静を読むと、呪術を捉え直す必要に駆られる。


 ここ数年にわたって「日蓮はなぜマントラ復唱を勧めたのか」を思索している。マントラは真言・呪文と訳す。「打倒日顕」なんてのは完全な呪文だが、祈りと呪いとが中々結びつかなかった。


 ところが二人の著作をひもとくと呪術や占いの意味が引っくり返る。人間の脳を支配する「物語」は、死というアナロジーから生まれ、呪術によって構成されたのだろう。そんな気がしてならない。


 20代で漢字に興味のある人たちで「漢字部会」を立ち上げるべきだ。漢字−呪術・占い−アニミズムを総合的に体系化し、宮崎駿作品などを思想的にバックアップすることができれば、キリスト教世界に風穴を開けることが可能となる。


 これは実に間口が広く、アメリカ先住民宗教性やスピリチュアリズムを容易に取り込むことができる。


孟嘗君(1) (講談社文庫) 孟嘗君(2) (講談社文庫) 孟嘗君(3) (講談社文庫)


孟嘗君(4) (講談社文庫) 孟嘗君(5) (講談社文庫) 漢字―生い立ちとその背景 (岩波新書)

精神の自由を保つ


 思索しながら独断におちいらないためにはどうしたらよいのか。それには常に精神の自由を保つということが必要であります。それは言いかえますと、できあがっている概念や思想で〈もの〉を、あるいは〈事実〉をながめることをやめ、自己を無にして、事実そのものに溶け入るということが必要なのであります。どんなに美しい景色でも、それを灰色めがねをかけて眺めるなら、いっさいは灰色になります。また、はじめから自分の立場をきめておいて、その立場だけからものをながめますなら、ものの一面しか見えません。したがって、そのものの全体の姿もゆがめられておるはずであります。そのような色めがねをはずすこと、自分の立場を必要に応じていつでも変えるということが、すなわち精神の自由を保つということなのであります。それは言葉を換えて申しますと、常に心の柔軟さを保つということではないかと思います。


【『「自分で考える」ということ』澤瀉久敬〈おもだか・ひさゆき〉(文藝春秋新社、1961年/第三文明レグルス文庫、1991年)】


 特定の政治信条や信仰をもつ者には「精神の自由」がない。思想は孫悟空の頭にはまった金冠のように作用する。っていうか、元々自由に興味がないんだろうな(笑)。


 私の研究によれば、創価学会エホバの証人と共産党は全く同じように機能している。最近聞いた話だが、ルワンダ虐殺においてエホバ信者のフツ族がツチ族を匿(かくま)ったというから、機能としてはエホバが一歩リードしているといってよい。


 ルワンダにも創価学会員がいたが何の情報も伝わってこない。伝わってこないということ自体が米国への配慮だと私は考える。当時はクリントン政権だ。

「自分で考える」ということ

2011-06-24

一党独裁体制の方が資本主義経済を上手くコントロールできる


 残念なことに、意思決定に時間がかかる民主主義よりも、国家統制のもとに即時にすべてを決められる一党独裁体制の方が、資本主義経済を上手くコントロールするには有利なのです。


【『騙されないための世界経済入門』中原圭介(フォレスト出版、2010年)】


 創価学会と共産党は犬猿の仲だが組織の体質はそっくりだ。共産党員は「党の方針」に従い、学会員は「本部の方針」に額(ぬか)づく。いずれも判断力や思考力を奪われた状態に置かれていて、「コントロールされる人々」しか存在しない。

騙されないための世界経済入門

2011-06-23

腐臭


 信濃町方面の腐臭が八王子にまで漂っている。本部職員は全員が与同罪と知れ。訳知り顔で平然と構えている連中しかいないよ。事件が起こるのも時間の問題だろう。今頃、山友がいたら学会は完全に乗っ取られている。


 こう書くと、「本部がどんなに腐っていようと、自分は信心で勝負してみせる」と意気込む連中が必ず出てくる。無駄な抵抗だ(笑)。組織というものはシステムだから、自浄作用が働かないようになっているのだ。もちろん一人で修行を深めることは可能だ。


 師匠の病状すら知らされない信徒の立場に、いつまで甘んじているつもりなんだ? そこを厳しく自分に問うべきだ。

人はまず、なによりも人を信じなきゃいけない


「誰でも自分自身のすばらしい神様を信じているが、ほかの人のことは信じないんだ。その人だってなにか善なるものを信じているのに。人はまず、なによりも人を信じなきゃいけない。そのことにほかの人たちもそろそろ気づくだろう」


【『絶対製造工場』カレル・チャペック/飯島周〈いいじま・いたる〉訳(平凡社ライブラリー、2010年)】


 バルザック著『「絶対」の探究』へのオマージュ。チャペックは「ロボット」という造語と共に知られる。原子力発電所の放射能漏れみたいに、絶対(啓示、悟り、法悦)があふれ出した。「被害」に遭った人々は愛情に満ち、慈愛の行動に走る。後半の失速が惜しまれるが、思考実験としては実に優れている。目の前の人間よりも、どこにいるかもわからぬ神を信じる愚かさ。


絶対製造工場 (平凡社ライブラリー)

2011-06-22

2011-06-21

「わたし」とは長期間持続する物質とエネルギーのパターンである


 では、わたしとは誰なのか? たえず変化しているのだから、それはただのパターンにすぎないのだろうか? そのパターンを誰かにコピーされてしまったらどうなるのだろう? わたしはオリジナルのほうなのか、コピーのほうなのか、それともその両方なのだろうか? おそらく、わたしとは、現にここにある物体なのではないか。すなわち、この身体と脳を形づくっている、整然かつ混沌とした分子の集合体なのではないか。

 だが、この見方には問題がある。わたしの身体と脳を構成する特定の粒子の集合は、じつは、ほんの少し前にわたしを構成していた原子や分子とはまったく異なるものなのだ。われわれの細胞のほとんどがものの数週間で入れ替わり、比較的長期間はっきりした細胞として持続するニューロンでさえ、1か月で全ての構成分子が入れ替わってしまう。微小管(ニューロンの形成にかかわるタンパク質繊維)の半減期はおよそ10分である。樹状突起中のアクチンフィラメントに至っては約40秒で入れ替わる。シナプスを駆使するタンパク質はほぼ1時間で入れ替わり、シナプス中のNMDA受容体は比較的長くとどまるが、それでも5日間で入れ替わる。

 そういうわけで、現在のわたしは1か月前のわたしとはまるで異なる物質の集合体であり、変わらずに持続しているのは、物質を組織するパターンのみだ。パターンも又変化するが、それはゆっくりとした連続性のある変化だ。「わたし」とはむしろ川の流れが岩の周りを勢いよく流れていくときに生じる模様のようなものなのだ。実際の水の分子は1000分の1秒ごとに変化するものの、流れのパターンは数時間、時には数年間も持続する。

 つまり、「わたし」とは長期間持続する物質とエネルギーのパターンである、と言うべきだろう。だが、この定義にもまた問題がある。いずれこのパターンをアップロードし、オリジナルとコピーが見分けられないほど正確に、自分の身体と脳を複製できるようになるからだ(そうなると、わたしのコピーが、「レイ・カーツワイル」を見分けるチューリングテストに合格しかねない)。


【『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル:井上健監訳、小野木明恵、野中香方子〈のなか・きょうこ〉、福田実訳(NHK出版、2007年)】


 トール・ノーレットランダーシュ著『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』を読んだ人は必読のこと。どちらも経典本(きょうてんぼん)だ。

ポスト・ヒューマン誕生―コンピュータが人類の知性を超えるとき

2011-06-19

蒸気機関の発明から組織社会が誕生


 1776年、ジェームズ・ワットによる実用蒸気機関の発明によって、膨大な生産力の増大があった。そのため、人がともに働くという産業社会すなわち組織社会が生まれた。

 奇しくも同じ1776年、アダム・スミスが『国富論』を書いて、自由に利潤を追求すれば人は幸せになるとした。


【『ドラッカー入門 万人のための帝王学を求めて』上田惇生〈うえだ・あつお〉(ダイヤモンド社、2006年)】


 目から鱗(うろこ)を削ぎ落とされる指摘だ。足元が鱗だらけになったほどである(ウソ)。とすると、19世紀以降の組織生産性によって築かれたと考えるべきだろう。サンガが元々組合を意味する言葉であったことを踏まえると、会社のような組織仏法に馴染まないはずだ。


 生産性の合理化は人間を部品として扱う。そして組織の理想は軍隊に極まる。草創期にあって青年部の組織名が「部隊」であったことは偶然ではあるまい。参謀室を設けたのも、戸田会長がドイツ軍に倣(なら)ったものと考えられる。


 産業革命が社会構造を変えた事実が重要だ。ダーウィンの進化論も同様で、「進化」という概念が唯物史観の母となったのだ。ヨーロッパで散々批判されている「進歩主義」には唯物史観の潮流がある(多分)。


 学会員が大好きな「ヒューマニズム」はもっと前に敗れ去っている。ヨーロッパでは完全に葬られたものと弁えるべきだ。っていうか、そもそもキリスト教世界にヒューマニズムって言葉は通用しない。奴等の論理でゆけば、神を信じない者は人間と見なさないのだから。異教徒を殺戮(さつりく)することは「神の命令」であった。だから何の痛痒(つうよう)も感じていないはずだ。

ドラッカー入門―万人のための帝王学を求めて 国富論 (1) (中公文庫) 国富論 (2) (中公文庫) 国富論 (3) (中公文庫)

2011-06-18

イエス・キリストの記録は何もない


 イエスの生きている間に作られた記録は、何もない。作られたとしても残ってはいない。彼が自分で書いたものは、あったかもしれないが残らなかった。

 姿かたちはどんなだっただろう。身長、体重、目の色、髪の色、そういう記録も一切なし。目立った特徴についても、全く何も書き残されていない。


【『イエスの失われた十七年』エリザベス・クレア・プロフェット/下野博訳(立風書房、1998年)】


 イエスには13歳から30歳までの記録がない。教会はエジプトへ渡ったとの見解を示しているが、ニコラス・ノートヴィッチの調査によればインドに足跡があるという。更にチベットの古文書を調べると「イッサ伝説」があった。イエス=イッサで、実は大乗仏教を学んでいたという主張を展開している。

イエスの失われた十七年

2011-06-17

人の一生は短かった


 大恐慌が起こった1930年代でも、ペストが大流行した14世紀でも、もっと昔の氷河時代でもいい。どの時代に戻っても、概して人の一生は今より短く、野蛮で過酷なものだったし、未来を読むことも容易ではなかった。

 たとえば、16世紀の欧州で王様や貴族を裏切れば、広場でつるし上げられて半殺しの目にあったり、腹を割かれて腸を取り出され、それを自分の目の前で焼かれて殺されたりしただろう。生き埋めにされたり、ギロチンで首を落とされたりした人もいたはずだ。

 もっと昔なら、自分の住む村がなんの前触れもなく盗賊に襲われることもあっただろう。子どもたちは面白半分に殺され、女たちはもてあそばれた。男たちは奴隷として売られ、商船や軍艦に乗せられて、息が絶えるまでオールを漕がなければならなかった。理不尽な話だから、映画や物語の世界に閉じ込めておきたいと思うかもしれないが、人類にはそういう時代が実際にあったのだ。


【『最悪期まであと2年! 次なる大恐慌 人口トレンドが教える消費崩壊のシナリオ』ハリー・S・デント・ジュニア/神田昌典監訳、平野誠一訳(ダイヤモンド社、2010年)】


最悪期まであと2年! 次なる大恐慌―人口トレンドが教える消費崩壊のシナリオ

2011-06-16

ベトナム出身の禅僧


 ティク・ナット・ハンは本物の人物であると思う。「ダライ・ラマ14世と並んで、現代社会における実際の平和活動に従事する代表的な仏教者であり、行動する仏教または社会参画仏教(Engaged Buddhism)の命名者でもある」(Wikipedia)。


 哲学は言葉で構築するバベルの塔である。これに対してスピリチュアル・メッセージは音楽の趣がある。それを「言葉の遊び」と言い換えてもよかろう。一方、真の宗教性において言葉は風と化す。聴く人の思考と感情を揺るがす。揺さぶるのではなくして揺るがすのだ。揺さぶる−揺さぶられる関係性はコントロールをはらんでいる。意志を決定しているのも「電気信号のゆらぎ」なのだ。

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小説ブッダ―いにしえの道、白い雲 怒り(心の炎の静め方) 法華経の省察―行動の扉をひらく

とことんまでつきつめて考えると人は変わる


 人間は塀の外で自由に暮らしているときには、自分のことをふり返ってみないし、わかろうとしない。自分の中にもうひとりの自分がいて酷使されていたり、粗末にされていても気がつかない。刑務所は周りから完全に遮断されているからそれがわかる。ひとりになると、自分の中の魂と対話するしかない。簡単にいうと、自分を助けてやることができるのは自分しかいないのだ。とことんまでつきつめて考えると人は変わる。俺は変わった。


【『アメリカ重犯罪刑務所 麻薬王になった日本人の獄中記』丸山隆三〈まるやま・たかみ〉(二見書房、2003年/ルー出版、1998年『ホテルカリフォルニア 重犯罪刑務所』を加筆訂正)】


 人気絶頂の松田聖子が枕営業に訪れる件(くだり)がある。芸能人は商品だ。本人も周囲も価値観が常人とは違うのだろう。勝ち残るためには手段を選ばないってわけだ。アメリカの重犯罪刑務所でルールを学び、のし上がっていった日本人の手記。


 羽振りがよかった頃に一人のウェイトレスと出会う。乙女は歌手を目指していた。丸山は大物プロデューサーに大枚をはたいて曲を作らせプロデビューが決まった。丸山は妹のように可愛がった。全てを失った時、彼女が心の支えとなった。この少女がマリーンであった。


アメリカ重犯罪刑務所―麻薬王になった日本人の獄中記


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2011-06-15

自動車のメリットとデメリット


 自動車についての最初の症候は交通事故という現象であった。交通事故は人やものの移動にさいして不可避の現象であるが、自動車の場合、事故のおきる確率はほかの交通手段とは比較できないほど高い。移動の自由、速さ、快適性、効率性などという自動車のもつ魅力が、じつはそのまま事故の要因を構成しているといってもよいほどだからである。したがって、自動車事故を防止するさまざまな手段がとられてきたにもかかわらず、自動車のもつメリットを捨てないかぎり、事故を完全に防止するということはできなかった。


【『自動車の社会的費用』宇沢弘文〈うざわ・ひろぶみ〉(岩波新書、1974年)】


 何にでもメリットとデメリットとがある。組織にも。


自動車の社会的費用 (岩波新書 青版 B-47)

2011-06-14

諸法実相は実在論に非ず


 常住なる根本原理が自己展開して世界が形成される、という展開説にブッダの説が属さないのはもちろんではあるが、彼の説は一定数の恒常不変な構成要素の相互の関係によって世界の形成・構造を説明するという一種の集合説でもない。というのは、縁起の関係を構成している項は、究極的には止滅すべきものだからだ。次の第4章で考察するように、正統バラモン哲学学派には、世界を不変の原子の集合として説明するものがあるが、その種の集合説と縁起説とは区別されねばならない。


【『はじめてのインド哲学立川武蔵〈たちかわ・むさし〉(講談社現代新書、1992年)】


 立川武蔵の本を読むと創価学会員は混乱するだろうが、学問の手法としてはあながち間違ってはいないと思う。私にいわせれば、21世紀になってもなお天台の教相判釈にこだわっている方がどうかしている。


 戸田先生の「ロンドン仏教」という発言で学会員の思考は停止したままだ。どうせ、「♪ロンドン、ロンドン、楽しいロンドン、愉快なロンドン」くらいにしか思っていないはずだ。ちなみにこれ、昔深夜に流れていたキャバレーのCM。


 で、問題は実相だ。

 諸行無常、諸法無我から諸法実相への哲学的展開が今ひとつ弱いと感じてならない。西洋キリスト世界に対して、十分な説得力をもって発信する必要があろう。


 諸法の実相は十如是であって十界ではない。ここを誤解している学会員が多い。

はじめてのインド哲学 (講談社現代新書)

2011-06-13

妥協


 民主党と手を組みそうな予感。ま、人生に妥協はつきものだが、果たして何のための妥協なのか? 大丈夫だ。問題はない。上から言われれば黙って従うのが創価学会の流儀だ。

第六天の魔王


 第六天の魔王は、脳のコントロール機能および拡張機能を示している。万能感は刺激であって悟りではない。ここが急所だ。思考の枠組みが拡がれば声聞、脳の反応が変われば縁覚へと進む。芸術やスポーツは身体コントロールを伴うので、抜きん出た人物の言葉は哲学性を帯びている。

宗教団体法制定前夜の仏教界と今


歴史は繰り返すか


 歴史は繰り返すのか、繰り返さないのか。どちらにも一半の真理がありそうで厄介なのだが、昨年(1995年)来のオウム真理教事件や宗教法人法改正論議の宗教側の対応ぶりが、実はかつての「宗教団体法」の制定当時とあまりにも似ているので、最近、思いついて見直してみて、正直、私は少々唖然たる気持にさせられている。


 いうまでもなく、宗教団体法は戦前戦中の宗教をがんじがらめにし翼賛宗教へと駆りたてた、あの悪名高い典型的な宗教管理法であった。明治末年以来の曲折があり、一概には言えないが、しかし当初は「反対」していた仏教界が、昭和時代になると積極翼賛に回り、成立を「熱望」し陳情までして推進した経過がある。


 その結果は、宗教にはご存じ、自縄自縛であったわけで歴史の皮肉だったが、今回の宗教法人法改正過程でも、伝統仏教界は一部に危惧の意見表明はあったものの、大勢は全日本仏教会沈黙することで容認した。


 歴史の経緯をどう受け止めるかは、それぞれに立場があるわけでむずかしい。しかし、それは措いても、やはり宗教団体法の制定過程はこの際、興味深いのではなかろうか。


 なにしろ与党の中軸自民党は、本年になっても、「宗教基本法」(あるいは「政教分離法」)などの名の宗教規制法作りをちらつかせている。宗教団体側がどう対処するかは現実の生々しい課題である。


【『ルポ・宗教 横山真佳報道集 1』横山真佳〈よこやま みちよし〉(東方出版、2000年)】


「第2章 宗教法人法改正問題」が資料として有益。政治日程と全体のアウトラインがよくわかる。新聞記者のため思想的な深みはないが、それは我々が論じればいい。以前、全文をアップしていたのだが、2万6000字を超える分量であったため著作権に配慮し削除済み。


ルポ・宗教 横山真佳報道集 1

2011-06-12

コンスタンティヌス


 コンスタンティヌスは〈教会〉を合法化し、建立し、優遇し、それを自らの個人的な宗教にすることによって、完成された組織を強化し、やがては人民大衆を徐々に統率し、キリスト教化し、異国の民のところにまで宣教師派遣することになる恐るべき機械装置を始動させた。というのも、キリスト教にはさらにもうひとつの独自性があったからで、それは新加入者の勧誘に熱心だったということである。これに反して、異教とユダヤ教は他人に自分たちの神々に帰依するよう説得しようとはめったにしなかった(ママ)。キリスト教は信仰告白されねばならず、あえて自らが真理だと言わねばならないだけでなく、さらにそのうえ普遍主義的宗教でもあったのだ。


【『「私たちの世界」がキリスト教になったとき コンスタンティヌスという男』ポール・ヴェーヌ/西永良成〈にしなが・よしなり〉、渡名喜庸哲〈となき・ようてつ〉訳(岩波書店、2010年)】


 キリスト教がなぜ世界を席巻するに至ったのか? 長らく抱えていた疑問の大半が氷解した。ポール・ヴェーヌは古代ローマ史の碩学(せきがく)のようだが文章がよくない。そのうえ翻訳もまずい。ここ数年、キリスト教の書籍を読んでいるが、欧米を中心とする世界がキリスト教基準である以上、比較宗教学的見地から義務教育でも学ばせる必要があると感じる。内下相対で破折できると思い込んでいる学会員は愚か極まりない。


「私たちの世界」がキリスト教になったとき――コンスタンティヌスという男

2011-06-11

科学的態度


 このタレントの姿を見よ。「誤った信念」がよく理解できる。懐疑なき無謬性を私は信仰的態度と名づける。磯野貴理は学会婦人部そっくりだ(笑)。


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温暖化謀略論ー米中同時没落と日本の繁栄ー ウソだらけ間違いだらけの環境問題 「エコ」社会が日本をダメにする―真面目な人がバカをみる、あやしい「環境運動」 君が地球を守る必要はありません (14歳の世渡り術)

2011-06-10

プライミング効果


 実に気になる実験だ。自分で自発的な行動だと思っているものの多くは幻なのだということをこの実験は示している。

 私たちはたいてい自動操縦モードで動いている。私たちの考えや行動、特に、とっさの場合にいかに適切に判断して行動するかは、思った以上に外界の影響を受けやすい。


【『第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』マルコム・グラッドウェル/沢田博、阿部尚美訳(光文社、2006年)】


 これをプライミング効果という。実験では「お行儀系」の言葉と「無礼系」の言葉を参照した人々の行動に統計的な違いが確認されている。意識は言葉の領域である。つまり無意識を我々は説明することができない。意識下は本能や業が渦巻く世界なのだろう。依正不二とは生命主体と環境との双方向性を説いたものである。これを意図的に「自分が変わって世界を変える」と深読みするのはやめた方がいい。常に相手をコントロールしようとたくらんで、生き方が粗雑になるから(笑)。世界は後回しでいいよ。自分が変わればそれでおしまい。仏道修行は完結している。勝負意識も不要だ。

第1感  「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい (翻訳)

2011-06-09

色=ヴァルナ=種姓


 サンスクリット語で本来〈色〉を意味する〈ヴァルナ〉は、インド・アーリア人がインドに侵入したとき、皮膚の色が支配者(白)と被支配者(黒)の区別を示したために、〈身分〉〈階級〉の意味を持つようになった。


【『リシバレーの日々 葛藤を超えた生活を求めて』菅野恭子〈かんの・きょうこ〉(文芸社、2003年)】


 ヴァルナとは種姓のこと。インドのリシバレーにあるクリシュナムルティ・スクールの見学記。著者は『ザーネンのクリシュナムルティ』を翻訳した人物である。

リシバレーの日々―葛藤を超えた生活を求めて

2011-06-08

2種類の真実


 伝説的と言って間違いないデンマークの物理学者、ニールス・ボーアは、2種類の真実を区別していた。普通の真実とは、その逆が誤りである主張。深い真実とは、その逆もまた深い真実である主張、という区別が。

 この精神に則れば、普通の誤りとは袋小路へと導くもので、深い誤りとは前進へと導くものと言えるかもしれない。普通の誤りは誰にでもおかせるが、深い誤りをおかすのは天才だけだ。


【『物質のすべては光 現代物理学が明かす、力と質量の起源』フランク・ウィルチェック/吉田三知世〈よしだ・みちよ〉訳(早川書房、2009年)】


 エドウィン・ハッブルが宇宙の膨張を確認した。アインシュタインは宇宙定数(宇宙項とも)の導入(一般相対性理論の修正)を「生涯最大の過ち」と悔いた。ところがどっこい、半世紀以上を経てダークエネルギー(宇宙を膨張させているエネルギー)が想定されると、宇宙定数は息を吹き返した。科学は常に修正され発展し続ける。宗教は修正を嫌い墓石みたいになっている。


 宇宙定数について学びたい人は、以下の順番で読むといい。

 そして本書。ダーウィンの進化論やアインシュタインの相対性理論は、学説に収まることなく人々の思考概念を一変させたところに重要な意味がある。

物質のすべては光―現代物理学が明かす、力と質量の起源

2011-06-07

余命3年か?日本共産党が危ない

 機関紙「赤旗」→おおむね年5万部ペースの減少が、昨年から年10万部減のペースになっている。

英国特殊空挺部隊


 英国の特殊空挺部隊の隊員を怒らせるのは、たとえどんなに訓練をつんでいたとしても、賢明なことではない。SASはグレートブリテンにとって、アメリカ合衆国におけるSEAL(海軍特殊部隊)やデルタ分遣隊陸軍テロ対策特殊部隊)やグリーンベレー(陸軍対ゲリラ特殊部隊)とおなじような役割を果たしている。もっとも、SASのほうが実力は上だと言う人間は多いだろうが。


【『奪回者』グレッグ・ルッカ/古沢嘉通〈ふるさわ・よしみち〉訳(講談社文庫、2000年)】


 アティカス・コディアック・シリースの第二弾。ミステリ好きであればSASと聞くと胸が高鳴る。このように「訓練は計ること」ができる。厳密にいえば人材育成組織内部におけるマネジメント(管理、経営)であって、宗教行動とは言いい。なぜなら、育成という名のもとで相手をコントロールする営みであるからだ。すなわち、「心理的誘導」が人材育成の正体である。

奪回者 (講談社文庫)

2011-06-06

大連立:動き加速 岡田幹事長「国民、公明も視野」


 仙谷氏は自民党の大島理森副総裁と4日に会談し、「連立的な動きをするにしても公明党、国民新党のことも考えてほしい」と公明党を含む大連立の協議を要請。これに対し大島氏は、民自公3党で修正合意している復興基本法案の成立直後の首相退陣を求めていた。仙谷氏の6日の発言は、首相の希望する「2次補正成立後」より退陣時期を早めることで与野党協議の呼び水にする狙いがある。


毎日jp 2011-06-06

聖教新聞販売店で発砲事件か…福岡・直方


 5日午後10時50分頃、福岡県直方市溝堀1の聖教新聞直方販売店の男性店長(41)から、「2階の窓ガラスが割れている」と110番があった。

 県警直方署が調べたところ、サッシの枠から弾丸のようなものが見つかった。県警は発砲事件とみて調べている。


YOMIURI ONLINE 2011-06-06

アメリカのキリスト教原理主義者


 やかまし男がメガフォンを掲げ、話しはじめた。

「諸君に殺人について話そう」男はいった。

 デモ隊はざわめいた。

「またしても殺人が、さらなる血塗られた殺人がおこなわれている」男はいった。「おびただしい死体、ちぎれ、引き裂かれた死体が彼らのゴミ箱を、大型ゴミ容器を、シンクを埋めている。冷たい金属、鋭い金属、あの子たちの感じるこのうえもなく冷たく、このうえもなく鋭いもの、母から引き離され、安全とぬくもりとふるさとから引き離されて二度めに感じるものがそれなのだ」


【『守護者(キーパー)』グレッグ・ルッカ/古沢嘉通〈ふるさわ・よしみち〉訳(講談社文庫、1999年)】


 妊娠中絶に反対するキリスト教原理主義者が産婦人科の前で叫んだ。言葉だけ見れば正しいことを言っているのに、やっていることは暴力そのものである。本人と周囲の連中は欺瞞の言動を信じて疑わない。彼らは自分たちの信仰を宣揚するために胎児を利用しているだけなのだ。相手の弱みに付け込む正義は必ず暴力性を帯びている。なおタイトルの「キーパー」には灯台守の意味も。グレッグ・ルッカのデビュー作。26歳で書き上げたというのだから凄い。

守護者 (講談社文庫)

2011-06-05

ニューエイジを定義する


 学会幹部の資質として「雄弁」が問われた。そう、昔の話だ。組織は既に指導者を必要としていない。このためリーダー役は打ち出しを正確に落とすことと、トラブルを未然に防ぐ調整能力があれば誰でも務まるようになった。ま、スポークスマンといったところ。あるいは町内会のまとめ役。


 書くことが億劫(おっくう)になってきたので、スピリチュアル系の情報を紹介しよう。彼らから学ぶべきことは当意即妙の言葉である。


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【ジョー・ヴィタリー「究極の質問」】


 早速私なりにニューエイジを定義してみよう。厳密にいえばスピリチュアリズム心霊主義を意味する。エソテリシズム(秘教主義)におけるグノーシス主義(1世紀)からカバラマニ教に至る系譜、更に魔術、占星術錬金術を網羅する流れがスピリチュアリズムであるというのが私の考えだ。


 一方ニューエイジはカウンターカルチャーの要素が濃い。そして自然や宇宙との一体感を説く教えが多い。すなわちニューエイジとは「教会権威に抵抗する形で現れた自然主義的かつ内道志向の宗教性」と定義することが可能だ(と思う)。


 これは仏教においても決して他人事ではなく、大乗仏教制作という歴史的事実は「教義の権威化」であり、「仏教における教会化」として捉えることもできよう。


 既に何度も書いているとおり、日蓮が権実相対を前面に出して法論を呼びかけたのは、対話のテーブル作りが目的であって、実大乗教である法華経を絶対視したものではないと思われる。もしも日蓮が現代に生まれたとすれば、多分「民主主義と自由」を語ったことだろう。


 話を元に戻そう。スピリチュアリズムにせよニューエイジにせよ、根っこにあるのは「教会権威に対する反動」であろう。人間は適度な束縛やストレスを望む一方で、行き過ぎると今度は自由を求めるようになるものだ。


 そしてアメリカ西海岸から発信されたニューエイジに決定的な影響を与えたのは「神智学協会時代のクリシュナムルティ」であったと私は見る。これこそがニューエイジの誤謬(ごびゅう)であった。日蓮が比叡山で学んだことの大半を批判しぬいたように、クリシュナムルティは心霊主義に鉄槌を振り下ろした。


 ただしニューエイジ的潮流を軽んじるべきではない。なぜなら、そこに世界中の人々が求める何かがあるからだ。


 図1 ニューエイジ度の尺度


            反ニューエイジ的←→ニューエイジ的

  世界観 二元論(善悪の対立、絶対者)←→一元論(自己変容)

     実践形態 厳格な規律、上下関係←→ゆるやかなネットワーク

担い手の意識 教祖や教義を崇拝、他者依存←→自立的、スピリチュアル


【『現代社会とスピリチュアリティ 現代人の宗教意識の社会学的探究』伊藤雅之(渓水社、2003年】


 このように比較するとニューエイジ的手法が社会の変化を表わしていることに気づく。創価学会がアンバランスなのは教義がニューエイジ的であるにもかかわらず、組織が反ニューエイジ的になっているためだ。


 そもそも選挙運動は宗教行動ではない。誰がどのような基準で決めたかすらわからない候補者を全力で支援するわけだから、完全に民主主義を否定している。簡単な思考実験をしてみよう。日本国民全員が創価学会員になれば、選挙をする必要がなくなってしまうのだ(笑)。この時点で政教一致は避けようがない(笑)。わかりやすくいえば学会本部が政治家を指名することになるのだ。


 与えて論ずれば、ニューエイジは神の僕(しもべ)=奴隷からの解放といえるかもしれない。

ザ・キー ついに開錠される成功の黄金法則 (East Press Business) THE SECRET [DVD]

2011-06-04

宗教研究者のバイアス


 そのため、これまでなされてきた研究には、不幸なパターンがあった。宗教を研究したいと思っている人々には、決まって心に何か考えがある。その考えは、自分の大好きな宗教批判から守りたいという考えか、宗教の非合理性無益さを示したいという考えのいずれかであり、このような考えは、彼らの方法を偏見(バイアス)で汚しがちになっていた。そのような歪みは、もちろん、避けられないものではない。


【『解明される宗教 進化論的アプローチ』ダニエル・C・デネット:阿部文彦訳(青土社、2010年)】


 これは信仰者においても全く同様である。我々は創価学会を礼賛する情報は誇大に受け止め、都合の悪い情報は無視する傾向が強い。例えを示そう。北野弘久(日本大学名誉教授/故人)が選挙運動学会会館を使用するのは政教分離に反すると指摘したことがある。私はギクリとなった。掲示板で紹介したのだが誰も反応しなかった。これははっきり言って分が悪いよ。他党の候補であれば会場を使用するのにお金がかかっているはずだもの。こっちはタダだ。しかも学会員手弁当で支援しているため、遊説や役員などのアルバイト賃金も発生しない(この点は共産党も同じだと思われる)。明らかに平等とはいえない。


 また学会出版物や民音チケットなどについても、世間からすれば信者から集めたお金を内部で還流させているようにしか見えないことだろう。これは否定できない。もっといえば、出版コーナーに置く書籍を誰が決めているのかわからないし、学会本部が大量購入する書籍も基準が不明だ。


 聖教新聞の多部数購読は環境問題に逆行しているし、聖教新聞の配達は低賃金で会員を利用する格好となっている。やっているのは末端幹部が殆どだろう。愚かな婦人部幹部が「配達員さんは凄い功徳がある」なあんて言ってやがるが、本当にあるなら自分でやっているはずだよね(笑)。


 と、まあ都合の悪い真実には目をつぶっているから、いつまで経っても悪い幹部は処分されないわけだ。


 本書を正視眼で読むことのできる信仰者はまずいないことだろう。後半はやや失速するものの、それくらい見事な宗教批判だ。

解明される宗教 進化論的アプローチ

2011-06-03

家族関係の歪み


 ときとしては、精神科医の眼から見ればすでに疑問の余地のない分裂病症状が始まっていて、しかもそれがすでに数年の経過をへていると思われるような場合にすら、この「症状」が家族の眼にはまだ異常なこととして感じられず、家族は患者が精神病であるという医者の診断に対してまったく耳を傾けようとしない、といった例も少なからずある。(中略)精神分裂病者の育ってきた家族には独特の人間関係の歪みが認められるのがつねであり、そのような家族においては、世間一般に通用している常識が十分な規範性をもたず、そのためにかなりの程度の常識違反でも家族の眼には異常とうつらないのであろう。このような家族については、発病して精神科医のもとで治療を受けることになる一人の患者が分裂病にかかっているというよりも、むしろ全体としての家族そのものが、「常識の欠落」という意味での分裂病におちいっているのだといったほうがよいかもしれない。


【『異常の構造』木村敏〈きむら・びん〉(講談社現代新書、1973年)】


 既に心因説は否定されている。病状悪化の要因とはなり得るが病因ではない、と。著者の経験則から導き出された考えであるが、私が知っている範囲内でも同様の傾向が見られる。ただし、100人の統合失調症患者がいて、全員の家族関係が歪んでいたとしても、相関関係は認められるが因果関係の証明とはならない。

異常の構造 (講談社現代新書 331)

2011-06-02

仏教がヨーロッパの至るところに静かに広がっている理由


 いつの日か、ブッダの穏やかなほほえみが、十字架上のキリストの苦悶にみちた表情にとって代わるのであろうか。西洋は、キリスト信仰を捨てて、仏教のメッセージに乗り換えるのであろうか。ニーチェは、その最晩年に、そうまるであろうと確信していた。彼はこう書いている。「キリスト教は力尽きようとしている。人々は阿片としてのキリスト教で満足している。なぜなら、人々は探し求め、闘い、果敢に挑み、孤立を望む力も、パスカル主義という、このあまりにも理詰めの自己蔑視の思想、人間は下劣なものであるという信条、「ひょっとしたら〔最後の審判で〕有罪を宣告されるのではないか」という不安に対処するために必要な力も、持ち合わせてはいないからだ。しかし、病んだ神経を鎮めることを第一義とする、そういうキリスト教であれば、「十字架上の神」という、恐るべき解決策などいっさい不要である。これは、仏教がヨーロッパの至るところに静かに広がっている理由である」〔『残された断想』(1885年秋−1887年秋)〕。


【『仏教と西洋の出会い』フレデリック・ルノワール/今枝由郎〈いまえだ・よしろう〉、富樫櫻子〈とがし・ようこ〉訳(トランスビュー、2010年)】


 以前、「出版社にメールを出した」と書いたのが本書である。ま、案の定というか返事はまだだ(笑)。それはそれで構わない。


 これは名著である。比較宗教学の学術書なのだが実に読みやすい。クリシュナムルティを見出した神智学協会が、実は世界において比叡山的な役割を果たしたことを知った。また、仏教をニヒリズムという次元に貶めたショーペンハウアーの「犯行」についても詳細が記されている。


 西洋における神秘主義の流れは、日本のスピリチュアリズムとは全く異なっている。ここを押さえておかないと西洋史の底流を見失う。


 結論部分は部派仏教に偏っているが、それすらも勉強になった。


 東洋哲学研究所はしっかりとフレデリック・ルノワールに応答すべきだ。


仏教と西洋の出会い 

2011-06-01

ルドルフ・シュタイナーとクリシュナムルティ


 ドイツにおけるベサント夫人の同僚の神智学徒としてよく知られていたルドルフ・シュタイナーはT・S(※神智学協会)は「東洋化」されつつあると感じ、少年クリシュナムルティを何らかの霊的重要性を持った存在として認めることを拒んだ。彼は離脱し、彼自身の協会「人智学協会」を結成した。教育、芸術、本の出版を中心としたこの協会は今日まで栄えている。


【『回想のクリシュナムルティ 第1部 最初の一歩……』イーブリン・ブロー/大野純一訳(コスモス・ライブラリー、2009年)】


 シュタイナーは教育者である前に神秘思想家であった。日本でただ一人、神智学協会に参加したのは今武平〈こん・ぶへい〉で、今東光日出海兄弟の父親である。このため学生時代から日出海と親しかった小林秀雄クリシュナムルティのことは知っており、講演で紹介したことがある。


 クリシュナムルティ1986年に亡くなっている。創価学会クリシュナムルティの擦れ違いは、何となく日蓮道元の擦れ違いを思わせる。


回想のクリシュナムルティ〈第1部〉最初の一歩…