Hatena::ブログ(Diary)

斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


WWW を検索 創価王道を検索

2011-07-14

Def Techとメルセデス・ソーサから考える二処三会


 まずは二曲、お聴き願いたい。


D


Catch The Wave Def Tech OKINAWA LIVE [DVD]

(※左がCD、右がDVD)


D


Best of Mercedes Sosa


 Def TechのDVDを観た時、「二処三会(にしょさんね)が意味したものは、これだったのかもしれないな」と直観的に感じた。


 つい最近、達雄氏から教えてもらい、フォルクローレ歌手のメルセデス・ソーサを知った。それがこの動画である。私は近頃、民主主義に対して強い嫌悪感を抱いているのだが、ここには完璧な民主主義があった。何千年も昔に人々が集まって、このようなコミュニケーションが成立していたに違いないとさえ思う。


 二処三会(にしょさんね)とは、法華経において霊鷲山虚空会霊鷲山と二つの場所で三度の会座(えざ)があったことを示す。

 重要なのは舞台が変わることだ。更に踏み込めば「舞台が反転する」と言い換えてもよい。二つの動画は、「完全なコミュニケーション」が成立した瞬間に歌い手と聴き手の役目が入れ替われることを示している。


 ということはだ、師匠と弟子、先輩と後輩、親と子は入れ替わることが可能なのかもしれない。つまり完全なコミュニケーションが成立した時、双方向性の説法、あるいは教育の道が開けるのだ。


 虚空会は現実から離れた場所である。そこは社会の立場からも離れているに違いない。


 では、「完全なコミュニケーション」とは何か? それはコントロール性から離れて互いを理解し合うことである。


 仏典において過去世において師と弟子が逆転する説話があるが、そんなのは物語にすぎない。とすると、実際にブッダは弟子から学んでいたと考えるべきだろう。


 あなたが法を説き、私が耳を傾ける。そして私が歌い、あなたが耳を澄ます。二処三会(にしょさんね)はこの関係性を表しているのかもしれない。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20110714/p3