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2011-09-11

視覚はなんのためにあるのか?


 この問いに答えるためには、進化生物学に眼を向け、次のように問う必要がある。「視覚はなんのためにあるのか?」生物学的観点から得られる答えはきわめて明快だ。視覚が進化したのは、それが動物の適応度をとにかく高める――生存し繁殖する能力を高める――からである。自然淘汰(すなわち、集団内でそれぞれの個体がどの程度生き延びられるか)は、究極的には、動物が視覚を用いてなにをするかにかかっており、なにを体験するかにはよらない。したがって視覚は、進化という遠い時間の彼方で、生物の行動を誘導する方法として出現したのに違いない。


【『もうひとつの視覚 〈見えない視覚〉はどのように発見されたか』メルヴィン・グッデイル、デイヴィッド・ミルナー/鈴木光太郎、工藤信雄訳(新曜社、2008年)】


開目抄」と「観心本尊抄」に共通するのは視覚的要素である。そしてマンダラはイメージである。木像であろうが画像であろうが本尊はイメージ情報を伝えるものだ。このあたりの研究がまったくなされていない。悟りは側頭葉の反応が顕著であるが、それを導くのはたぶん視覚野なのだ。きっと「見える」こと自体が一つの悟りに近い行為なのだろう。我々凡夫はそれを自覚し得ない。本覚論の脱構築が可能であるとすれば、ここにヒントがあると思われる。


もうひとつの視覚―〈見えない視覚〉はどのように発見されたか

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