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2011-11-29

大阪ダブル選 再編の風、箱根越えるか


 では橋下氏は次にどんな一手を考えているのか。

 公約に掲げた大阪都構想を実現に移すことは間違いない。府と市を副首都機能を持たせた「大阪都」に再編し、特別自治区と市町村を直轄するプランである。

 とはいえ、議会の同意なしに実現できない。府議会で大阪維新の会は過半数を占めるが、市議会では過半数に満たない。他党を巻き込まなければ都構想は前に進まない。

 そこで目をつけたのが市議会第二党の公明党だった。橋下氏は告示前から布石を打っていた。

 10月28日、橋下氏のブレーンである作家の堺屋太一氏は関西池田記念会館(大阪市天王寺区)を訪ね、創価学会総関西長を長く務めた西口良三副理事長にこう切り出した。

「都構想に協力してくれるならば次の衆院選で公明党が候補擁立する選挙区に対抗馬を立てませんよ」

 公明党がダブル選告示直前に自主投票を決めたこととこの動きは無関係ではあるまい。堺屋氏はダブル選勝利が見えてきた11月21日にも再び西口氏と面談し、今後の構想を語り合った。市議会で公明党が与党になれば都構想を支持する勢力は過半数を占める。民主、自民両党の市議団が切り崩されるのは時間の問題ではないか。


MSN産経ニュース 2011-11-28

マフム−ド・アフマディネジャ−ド、イラン大統領の強靭な知性


D


 政治家の発言を聞いて、これほどの感動を覚えたことはない。マフムード・アフマディネジャードとウゴ・チャベスの言葉には真実だけがもつ力がある。尚、アメリカのメディアは完全にユダヤ資本の支配下にある。

英雄的な行為をする人々


 忘れそうなんでメモを。英雄的な行為をする人々の研究が行われており、いくつかの共通点が既に解明されている。まず、信仰の違いに有意な差異は見つからなかった。遺伝的な要素でも文化的な要素でもない。政治信条や政治への関心度も関係がなかった。彼らに共通していたのは「両親との関係」が良好なことであった。そして様々な宗教や階級の友人がいることが判明した。その重要な特質は「共感」である。また民主的で多元的なイデオロギーを支持する傾向が強かった。更に英雄的な行為をする人々は、日常的にも人助けをすることがわかった。

  • 親子関係が良好というのは物語性が上手く機能しているということ。
  • つまり教育というよりは、正義と平等を示すモデルとして機能するのだろう。
  • 兄弟姉妹であっても関係性はそれぞれ異なる。
  • 教育や人材育成の可能性は意外と低い可能性がある。
  • 殆どの人々は英雄ではないため、組み合わせによる効果を生むのが組織構築のホシとなる。

2011-11-28

『東日本大震災 創価学会はどう動いたか』「潮」編集部編(潮出版社、2011年)


東日本大震災―創価学会はどう動いたか


3.11”の夜、創価学会の各会館には近隣の被災者が続々と避難してきた。その数5000人。すぐに必要な食料・水・トイレ・ガソリンなどをどう調達するのか――。近県の学会組織が即座に自発的に動き出し、驚異的な支援を繰り広げていった。その全体像を初めて明かす迫真のドキュメント。

暴力の様相 13


Najaf Sultana, 16


 16歳のパキスタン人女性。5歳の時に父親から酸を掛けられた。整形手術を10回行っている。

すっかり生まれ変わり、新しく何かが根づくことを待っている土


 アネモネ、カタクリ、ヤマブキソウ、キツネノカミソリ、キリンソウ、ツリガネソウ……。

 おじいさんはぼくたちの知らない草花の名前を、次から次へと並べた。ぼくたちはそれぞれの花畑を夢見ながら、何もなくなった庭に降る雨をただ見ていた。すっかり生まれ変わり、新しく何かが根づくことを待っている土に、天から水がまかれる音を耳を澄まして聞いていたのだ。


【『夏の庭 The Friends』湯本香樹実〈ゆもと・かずみ〉(新潮文庫、1994年/徳間書店、2001年)】

夏の庭―The Friends (新潮文庫)

2011-11-27

供犠


 古来、宗教には供犠(くぎ)が付き物だった。大切な家畜や、時には子供の生命を神に捧げることで天地の平安を願った。供犠としての活動、供犠としての財務ならやらない方がよい。ある古参の副会長が「10時間唱題は我慢大会にすぎない」と語ったことがある。まったく同感だ。基本的なことではあるが、借金を抱えている人と生活保護を受けている人を広布部員にしてはならない。

まちがったこと


「人はまちがったことをしていると知りながら、それをなおつづけることができる」


【『暗殺者(キラー)』グレッグ・ルッカ:古沢嘉通〈ふるさわ・よしみち〉(講談社文庫、2002年)】

暗殺者 (講談社文庫)

『心さえ負けなければ、大丈夫』織田友理子(鳳書院、2011年)


心さえ負けなければ、大丈夫


 著者は大学4年生で告知を受けて以来、全身の筋肉が消えていく難病(縁取り空胞を伴う遠位型ミオパチー)と闘う日々を送る。そんななか大学時代から付き合っていたボーイフレンドは、不治の病と知ったうえで結婚。25歳、寝たきりになってしまうことを覚悟して出産を決意する。2006年8月、男児出産。以後、車椅子の生活を余儀なくされる。やがて「遠位型ミオパチー患者会」の発足にかかわり、希少疾病の現状を目の当たりにしながら、世界でも初めての治療薬の開発へ向けて精力的な活動を展開する。紆余曲折をへて、2011年、医師主導による治験がスタート。病気を使命ととらえ、数々の試練を乗り越えながら自身のおかれた立場のなかで行政と向き合い、勇気を奮い起して挑戦を続けている。

2011-11-26

暴力の様相 11


Saira Liaqat, 26


 26歳のパキスタン人女性。9回の整形手術を受けている。結婚生活のトラブルから被害に遭った。

なぜ名を正すのか?


 しかしながら、なぜ、名を「正す」必要があるのであろうか。それは名が乱れているがゆえである。つまり、名称とそれが指し示す実物との間に差異が生じ、混乱が起きてくるがゆえに、名を正す必要が生じてくるのである。


【『思想革命 儒学・道学・ゲーテ・天台・日蓮湯浅勲(海鳥社、2003年)】


 孔子の「名を正す」を冒頭で紹介しておきながら、結論部分で日蓮大聖人池田名誉会長と敬称を付けるのは明らかに筋が通らない。せっかくの思想的格闘が台無しになっている。創価学会プロパガンダ本であることは明白だ。著者と出版社の見識を大いに疑う。著者を知っている方がいたら、東浩紀〈あずま・ひろき〉の動画を見るよう進言してもらいたい(冒頭部分)。

思想革命―儒学・道学・ゲーテ・天台・日蓮

2011-11-24

正気とは


 なにが正気で、なにが狂気だろう? だれが正気で、だれが知っているだろうか? 政治家は正気だろうか? 聖職者たち、彼らは狂っていやしないか? イデオロギーに専念している人たちは正気だろうか? 私たちは彼らに操られ、型にはめられ、小突きまわされている。私たちは正気だろうか?

 正気とはなんだろうか? 全人的であること、行動や生活や、あらゆる種類の関係において、断片的でないこと――それが正気であることの本質だ。


【『クリシュナムルティの日記』J・クリシュナムルティ/宮内勝典〈みやうち・かつすけ〉訳(めるくまーる、1983年)】


クリシュナムルティの日記

2011-11-23

宮田論文に関する覚え書き 5

 第一次宗門問題が生じる少し前に、実質的に私の信仰指導をする立場にあった野崎勲から創価学会本部へ呼び出しを受け、私も所属していた伸一会のメンバーに池田から「・・・桜」という揮毫が与えられ(中には原島崇のように「新弟子」という称号まで授与されたメンバーもいたらしい)、そのときに野崎から「これから大変なことが起きるかもしれないが、しっかりと本部についてくるように」と言われ、私には事情は飲み込めなかったが、後になってこういうことかと思った。


『本尊問答抄』について 5


 正しい表記は「原島嵩(はらしま・たかし)」である。少し前ということは、昭和52年か53年あたりか。その時点で原島氏は問題視されていなかった事実が窺える。「新弟子」とは「新六」になぞらえたのだろう。「・・・桜」とは「苗字桜」のこと。私がもらえる身分であれば「小野桜」となる。


 いずれにしても創価学会が法難と考えている歴史は情報に偏りがある。それ相応の見識をもった非学会員によらなければ本当の事実関係は藪の中だ。


5−4−3 理法と教法


 こんな便利な言葉があったとは露知らず。不明を恥じた次第である。ここは丁寧にやりたいので、本日は私のツイートを紹介するに留めておく。


一つわかりました。先を歩む人が行為→理論という方向性であるのに対し、後に続く人は理論→行為となる。ここに話し手と聞き手の関係性が成り立つ原因がある。送り手と受け手の役割が階級を生む。受け取った情報をどう開き、蘇らせるかが問われる。 RT @ujikenorio
Oct 14 10 via Twit DelayFavoriteRetweetReply

オリンパス不正の温床、ある現役社員の戦い

 学会本部も似た情況となっている。使い込みをする職員が後を絶たないが、厳正な処分が行われていない。また、邪魔な人物を葬るために意図的なデマ情報を流す人物がいる。因果関係は不明であるが、精神疾患を抱える職員は予想以上に多い。

暴力の様相 9


Irum Saeed, 30


 既に25回の整形手術を受けている。

公明、自主投票が裏目に 大阪ダブル選、自民と亀裂も


 27日投開票の大阪市長選と知事選に自主投票で臨む方針を決めた公明党府本部が、市長選で平松邦夫市長(63)、知事選で倉田薫前池田市長(63)の支援を決めた自民党側から批判を受け、苦境に立っている。

 衆院選小選挙区や府議選で協力してきた両党の関係に亀裂が生じかねず、旗幟(きし)鮮明にしなかったことが裏目に出たとの見方もある。

 公明党関係者によると、既成政党の中で最も遅く態度表明した8日以降、自民党の府議や支持者から「心待ちしていたのに失望した」「次の選挙は応援しない」との反発が相次いで寄せられた。

 党支持者の中にも「誰に入れればいいのか」と戸惑う声が多いが、幹部には候補者の名前を出さず「判断は任せる」と答えるように指示が徹底されているという。

 ただ大阪市内では「保守層の票をもらって当選したので無視できない」(党関係者)との声もあり、選挙戦終盤に自民党との連携を重視する動きが出るとの観測もある。

 自主投票にした背景に、国政進出をにじませる橋下徹前知事(42)との対決を避けたと見る向きもあるが、ある幹部は「橋下氏が恩に感じるかは疑問だ。こっちは動くに動けず、袋小路に追い込まれた」と嘆いている。


中國新聞 2011-11-20


 指示がなければ投票も自分で決められない事実をどう考えるか?

お金はうんこのようなもので、教祖は便器のようなもの


 つまるところ、宗教的寄付というものの本質は「自分のために行うもの」なのです。だから、(※これから教祖になる)あなたもむしろ奉仕の気持ちでお金を受け取るべきでしょう。お金はうんこのようなもので、教祖は便器のようなものなのです。


【『完全教祖マニュアル』架神恭介〈かがみ・きょうすけ〉、辰巳一世〈たつみ・いっせい〉(ちくま新書、2009年)】

完全教祖マニュアル (ちくま新書)

2011-11-22

暴力の様相 8


Shameem Akhter, 18


 18歳の女性。15歳の時に男3人から強姦され、そして酸を掛けられた。10回にわたる整形手術を受けている。

権威に従う人々は良心の呵責に苦しむことなく破壊的な行為に加担する


 権威ある人間からの合法的な命令であると思いさえすれば、それがどんな命令であっても、良心の呵責に苦しむこともなく、非常に多くの人が、言われたとおりに行動をしてしまう……。

 私たちの研究の結果から得られる教訓は、次のようなものである。

 ごく普通に仕事をしている、ごく普通の人間が、特に他人に対して敵意を持っているわけでもないのに、破壊的な行為をする人たちの手先になってしまうことがあり得るのである。


 ──スタンレー・ミルグラム、1974年


【『服従実験とは何だったのか スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産』トーマス・ブラス/野島久男、藍澤美紀訳(誠信書房、2008年)】

服従実験とは何だったのか―スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産

2011-11-21

その真理を知った人は、争うことがない


884 真理は一つであって第二のものは存在しない。その真理を知った人は、争うことがない。彼らはめいめい異なった真理を褒めたたえている。それ故に諸々の<道の人>は同一の事を語らないのである(スッタニパータ)
Nov 20 via twittbot.netFavoriteRetweetReply


ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

誤った推論や間違った信念


 誤信や迷信を許容していると、間接的にではあるが、別の被害を受けることになる。誤った考えを許容し続けることは、初めは安全に見えてもいつのまにかブレーキが効かなくなる「危険な坂道」なのである。誤った推論や間違った信念をわずかとはいえ許容し続けているかぎり、一般的な思考習慣にまでその影響が及ばないという保証が得られるだろうか? 世の中のものごとについて正しく考えることができることは、貴重で困難なことであり、注意深く育てていかなければならないものなのである。私たちの鋭い知性を、いたずらに正しく働かせたり働かせなかったりしていると、知性そのものを失くしてしまう恐れがあり、世の中を正しく見る能力を失くしてしまう危険がある。さらには、ものごとを批判的にみる能力をしっかり育てておかないと、善意にもとづくとは限らない多くの議論や警告にまったく無抵抗の状態になってしまう。S・J・グールドは、「人々が判断の道具を持つことを学ばずに、希望を追うことだけを学んだとき、政治的な操作の種が蒔かれたことになる」と述べている。個人個人が、そして社会全体が、迷信や誤信を排除するよう努めるべきである。そして、世の中を正しく見つめる「心の習慣」を育てるべく努力すべきであると私は考える。


【『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ/守一雄〈もり・かずお〉、守秀子訳(新曜社、1993年)】

人間この信じやすきもの―迷信・誤信はどうして生まれるか (認知科学選書)

2011-11-20

宮田論文に関する覚え書き 4

 文化宗教としての宗教的儀礼はそれなりに尊重されているが、教義、教団については必ずしも宗教にとって本質的な要素になっているとは見なされていない。創価学会もかっては日蓮正宗の影響もあり、教義的な問題にこだわっていた時期があったが、日蓮正宗と分離してからは、その教義がどのように変更されたのかはそれほど問題にされることもない。それは日常的信仰生活にとって必要な宗教的指針は複雑な教義理解とは無関係であるからだ。


『本尊問答抄』について 5


 つまり創価学会にプリンシプルとしての教義は存在しないということだ。私は最近になって気づいた。


 原発事故が起こってから中部大学武田邦彦が様々な問題提起を行っている。なぜ原発を推進する側にいた人物が、原子力行政を批判するようになったか? それは学問の原則に反しているからだ。


 かつて戸田先生は哲学についてこう語った。


「一番優しい哲学は、水戸光圀(みと・みつくに/水戸黄門)の漫遊記があるが、その中に、いなかでお婆さんに水をくれといって、米俵に腰をかけたらおばあさんが、これは水戸様にだす米だといって怒った。光圀は頭をさげてあやまった。聞けば、こっけいな話であるが、おばあさんには、自分の作った米を領主様にさしあげると、このことが哲学である」。


「だれがなんといっても、これだけはどうしようもない」これが哲学である」と。哲学も文化も、飾りでなくて、生き方なのです。外面にぶら下げるものではなくて、内面に肉化すべきです。


【出典不明/珍念のひとりごと


 創価学会と日蓮正宗の間で二度にわたる紛争があったが、この際教義に変更があったと考えていいだろう。それまで功徳があるとされた登山や寺院参詣、塔婆供養の類いは否定されたのだから。最も大きかったのは法主の宗教的ポジションである。それこそ我々は法主を「永遠の指導者」のように思い込んでいた。御本尊を書写する人だから当然仏だわな、と錯覚していた。


 最初の紛争が収まった後、宗門の伝統的な教学の影響を受けた人物はことごとく排除された。1992年、公明党はPKO法案に賛成。更にイラク戦争では自衛隊イラク派遣に賛成した。


 原理・原則がないことは一目瞭然だ。宗教的な価値観が正統性ではなく所属で決まるようになってしまった。


 矢野本を紹介したのも同じ理由からだ。

 著作を読む限りでは明らかに創価学会側に問題がある。創価大学法学部に法の精神があるならば創価学会を糾弾するのが当然だ。

 原理・原則も哲学もない集団となれば、単なる利益共有団体でしかない。

暴力の様相 7


Shehnaz Usman, 36


 36歳のパキスタン人女性。親族間の争いからアシッド・アタックを受けた。10回にわたって整形手術を受けている。

すべての人間が「役割」になり下がる


 勝手にしろ、だ。

 が、これだけは覚えておいた方が良い。

「リーダーシップ」であるとか「指導力」といったような言葉が使われる場所では、「個人」は「手駒」になり、「人間性」は「忌むべき不確定要素」とみなされ、最終的にはリーダーを含むすべての人間が「役割」になり下がるのだ。


【『パソコンゲーマーは眠らない』小田嶋隆(朝日新聞社、1992年/朝日文庫、1995年)】

パソコンゲーマーは眠らない

2011-11-19

宮田論文に関する覚え書き 3

 少し戻ろう。


「唯だもし所あるとすれば、倫理道徳の取扱ふ所の人道即ち社会的因果の法則(道理)は現世に限られ、科学の取扱ふ所の因果の法則は各分化の現象のみに限られて居り、総合科学たる哲学と雖も現世を超越し得ざる人生観、世界観に限られて居るに対して、仏教の教へる所は、吾吾の肉眼の外に天眼、慧眼、法眼、仏眼の五智眼を以て、世間及び出世間即ち過去、現在、未来の三世に亙っての因果流転の法則を明にした所にあると思はれる」(『創価教育学体系』第2巻原著の「価値論」)


『本尊問答抄』について 5


 宗教行為における因果は証明することができない。主観であるわけだから当然だ。

 ちょっと考えればわかることだが、体験=現証であれば、いかがわしい健康食品も高価な壷を購入させられる宗教も正しいことになってしまう。「嘘も方便」とはよくいったもので、大乗仏教効用主義(プラグマティズム)を顕著に示している。


 この部分は戸田城聖補訂版の『価値論』では大幅に書き換えられて原型をとどめていない。しかし私は牧口常三郎日蓮仏法を選択した三つの理由として重要視している部分である。第一に日蓮仏法は自然科学が合理的な理論と実験証明によって成り立っているように、仏法上の議論も合理的な理論(理証)と実験的(体験的)証明(実証)さらには文献的論証(文証)によって成立していて、その点で科学的真理と仏法的真理とは類似関係にあると牧口は見なした。


 しかし実際問題として因果は物語とならざるを得ない。その帰結として牧口先生は罰論を振りかざしたのだろう。


 ここは厳密な検証が求められるところだ。現在の学会員が説くような単純な罰論であれば、他人の不幸を望むような心理情況に陥る。


 第二の議論は本尊論に関する議論であるが、牧口は信仰対象となる人格的神仏の像は、それを制作する彫刻家、絵師あるいは制作を依頼する人々が「各個人の意識の内に構成する」ものにしか過ぎないと批判する。


 これは鋭い卓見である。牧口先生が「思考の限界」を見極めていたことを窺わせる。


 第三の議論は仏法が、自然科学、道徳科学、哲学と矛盾せず、これらはすべて因果の法則を研究するという点で共通し、仏法は他の学問を包容する全体と部分という関係にあるという主張である。


「仏法は他の学問を包容する全体で、その他の学問は部分として包摂される」という文意なのだろう。これについては、強く主張する必要はないと思う。仏法は仏法、学問は学問でいい。そうでないと教義の体系化、構造化が主目的になってしまうからだ。


 その議論の特徴は、善は公益=社会全体の利益として定義され、社会によって内容が異なるという社会相対主義の主張が強くなされていることである。


 論文では国益と人類益との相克が示されているが、私は別角度から論じたい。現在、進化論的視点から宗教発生の研究がなされている。適応という観点からいえば牧口先生の指摘は正しい。宗教が淘汰されることなく現代にまで受け継がれているのは、コミュニティの結束を強め、ルールを破る行為に対するブレーキと化したと考えられる。つまり宗教を持たない集団よりも、宗教を持った集団の方が戦争に強かったと想定することが可能だ。


 しかしこれは宗教全般に対して考えられていることだ。私は、本能に基づいた文化である宗教に全く新しい生命を吹き込んだのがブッダであったと考えている。善=公益であれば、社会や時代の変遷に伴って善の価値も変化することだろう。


 戦前の創価学会が明確に反戦を訴えることがなかったのも、これが理由だと思われてならない。

安全なポジション


ピプ(3)集団の中で目立ったふるまいをする人を非することで、非者は、自分が集団の多数に所属する、安全なポジションを確保しているということを確認することができる。スケープゴートをつくることで、自分が非の対象にならないことを保証するのである。
Dec 06 10 via webFavoriteRetweetReply

激怒の時


「もっと近くへ来てくれ!」私は彼らに命じた。「いまは笑うときじゃない! 泣かにゃならんときだ、嘆くべきときだ! 激怒のときだ! 皆の衆、お前さんたちは【人間】だ、【人間】なんだ、野の獣じゃない! お前さんたちは四足の犬でもない! 【人間】なんだ! どこに、いったいどこに、皆の衆、お前さんたちの誇りはあるんだ?」


【『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン/大橋吉之輔〈おおはし・きちのすけ〉訳(河出書房新社、1970年)】


ナット・ターナーの告白

2011-11-18

梵天勧請について


厳密にいえば、大乗的理論構築と運動を分けるべきだと私は思います。ここもしいところです。悟りを行為に貶めたと見ることも可能です。梵天勧請なんていうデマ話を鵜呑みにできません(笑)。 RT @ujikenorio: そして聖俗構造論だからシカタガナイとしても、例えば大乗「運動」…
Nov 11 10 via ついっぷる/twippleFavoriteRetweetReply


仏教に梵天勧請という話がある。悟りを開いたブッダが法悦に浸り「このまま人生終わってもいいかな」と思っていた。そこへ梵天という神が降りてきて法を説くことを要請したというもの。物語としてあまりにも稚拙だと思う。(続く) http://bit.ly/9Viz2j
Nov 11 10 via ついっぷる/twippleFavoriteRetweetReply


ここに示されているのは、ブッダが悟りを得てから法を説くまでに時間を要したという事実であろう。とすると答えは簡単だ。ブッダは悟りを言語化することに呻吟したのだ。言葉にした途端、それは情報と化し、理論化を目指す羽目となる。ブッダは誰よりも言葉の限界を知っていたに違いない。
Nov 11 10 via ついっぷる/twippleFavoriteRetweetReply

宮田論文に関する覚え書き 2

 牧口が国際連盟を人類全体の善を代表するものとは見ていなかったことは、満州事変に関するリットン報告書を採択した国際連盟の決定を(※『創価教育学体系』)第3巻で非していることからも窺われる。(アニメガンダムシリーズのファンであるならば、国連に相当する連邦政府が地球の一部の特権階級の利益を代表し、多くの宇宙コロニーの利益を搾取する機関となっているというイメージを持つであろうが、牧口にとっても国際連盟は大国〈その一つに日本も含まれるということが牧口の議論を危うくさせてもいるのだが〉の利害を調整する機関に過ぎず、日本の利益が守れないのであれば国際連盟脱退も選択肢の一つになると牧口は考えていた。これは池田大作の国際連合を中心に人類益を実現しようという考えとは異なる。)


『本尊問答抄』について 5


 これは知らなかった。まったくの初耳である。それにしても明治人の見識には驚かされる。福澤諭吉勝海舟が代表格だが、今時の政治家官僚が束になってもかなわないことだろう。たぶん不平等条約が日本人の国家観を際立たせたのだろう。現在の国連も第二次大戦の戦勝国が常任理事国を占め、拒否権を行使しながら国益の綱引きを行っている。国連はルワンダ虐殺の事実を知りながらも完全に無視した。国連支援が一定のアドバンテージになることは理解できるが、あまり肩入れすべきではないというのが個人的な考えだ。

暴力の様相 5


Munira Asef, 23


 23歳の女性。多くの場合、結婚を拒んで被害にあっている。

無は世界の源


 だが、同時にヒンドゥーのコスモスは、元来もっていた空虚を本当に捨ててしまうことはなかった。無は世界の源であり、再び無に到達するのが人類の究極の目的となった。ある物語では、死神が弟子に向かって魂について語る。「あらゆる存在の核心には、アートマン霊魂、自己が隠れている。どんなに小さな原子よりも小さく、広大な空間より大きい」。あらゆるもののなかに存在するこのアートマンは、宇宙の本質の一部であり、不滅である。人が死ぬと、アートマンは肉体から解放され、まもなく別の肉体に入る。魂は乗り移り、人は生まれ変わる。ヒンドゥー教目標はアートマンを輪廻から完全に解放し、死から死へとさまようのをやめさせることだ。


【『異端の数ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』チャールズ・サイフェ/林大訳(早川書房、2003年/ハヤカワ文庫、2009年)】

異端の数ゼロ――数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)

2011-11-17

宮田論文に関する覚え書き 1

 マンダラについて調べていたところ、宮田幸一さんのページがヒットした。いやあ、たまげた。驚愕の一言に尽きる。友岡本以上の昂奮を覚えた。学問する精神を仰ぎ見る思いがする。客観性とは「情報空間を高い視点から俯瞰する」ことである(苫米地英人)。創価学会員でこれほど高い視点をもつ人物がいたとはね。


 論文は「『本尊問答抄』について」と題するもので、私が読んだのは「5」だけである。大変失礼な話で恐縮だが、私は本尊論については全く興味がないのだ。というわけで、自分の考えを整理する目的で宮田論文の覚え書きを綴ることにする。

 これは新学生同盟のメンバーとの懇談の機会であったが、西口(浩)が「純信とは何か」という質問をした中で、池田が「いろいろ創価学会に問題を感じるかもししれないが、それは皆さん方で変えていけばいい。私も戸田先生のやり方で納得できないことは変えてきた。」という趣旨の指導である(この趣旨の指導はアメリカでも行われたということをSGI-USAのメンバーから聞いたことがある)。


 論文がウェブサイトにアップされたのは2011年9月10日となっているが、いつ書かれたものかは記録されていない。


 創価学会2002年4月1日に会則を改正した。この際、三代会長を「永遠の指導者」と規定した。私は発表された当初から違和感を覚えた。「そんなことは規則で決めるようなものではない」と思った。

 私はこの会則変更は致命的な失敗だったと考えている。大体、三代会長を永遠の指導者としておきながら、教義を変更する権限は会長にあるわけだから、長い歴史の中でこの文言が削除される可能性も否定できない。そもそも「永遠」という概念そのものがキリスト教に由来するというのが私の持論だ。

 存在しない永遠を規定すれば、それは「神」を目指すことになる。つまり神格化といってよい。日興門流における偽書や後加文の類いは、全てが日蓮を神格化(本仏化)する内容となっているのも同じ手口だ。


 永遠と絶対は隣り合わせに位置する価値観である。永遠の指導者に対して「納得できないことがあってもオッケー」というスタンスが認められるのであれば、絶対性からは離れてしまう。


 たまたま信濃町を歩いていたときに、池田から声をかけられ、そのまま若手本部職員対象の御書講義に参加させていただいたことがあった。そのときの教材が『諸法実相抄』であり、たまたま戸田城聖獄中の悟達虚空会の儀式の神秘体験の話題になったとき、池田ははっきりと自分にはそんな体験はないと明言した。私はそれまで、戸田に可能であった体験ならば、自分にも体験可能かもしれないと思い、それなりに長時間の唱題をしたりして努力したこともあったのだが、池田にあっさりとそう言われ、神秘体験は成仏とは関係ないんだと私なりに納得した。(中略)宗教指導者であれば、例えば現在の幸福の科学の大川隆法霊言体験のように一般会員にはない特別な神秘的宗教体験を、自分の宗教的カリスマを飾るために主張することが通例だと思っていた私は、池田のそのような神秘的宗教体験の必要性を認めない、率直な物言いにある種感動を覚えたのも事実である。(中略)戸田城聖に関しては、「肉牙」に関する受け入れい解説などがあり、私の科学に対するそれなりの信頼感とは抵触するものがあるが、池田の公的な発言に関しては大きく違和感を持つことは少ない。


 諸法実相抄講義が聖教新聞で連載されたのは1977年(昭和52年)1月1日であるから、1976年に実際の講義は行われたのだろう。

 確かに教団として見た場合には、神秘体験を重要視しないことは社会に開かれた宗教として節度のある態度といえよう。だが宗教者としてはどうなのか?


 今の法華経の文字は皆生身の仏なり。我等は肉眼なれば文字と見る也。たとえば餓鬼は恒河を火と見る、人は水と見、天人は甘露と見る。水は一なれども果報にしたがて見るところ各々別也。此の法華経の文字は盲目の者は之を見ず。肉眼は黒色と見る。二乗は虚空と見、菩薩は種々の色と見、仏種純熟せる人は仏と見奉る。(真蹟


 ブッダ以前にも「ブッダ」と呼ばれた人々が存在した。つまり宗教体験によって何らかの真理を悟った人々がいたわけだ。荒行や瞑想で空を観じたのだろう。またブッダは「阿羅漢」と呼ばれることを認めていた。十界論でいえば縁覚界だ。


 瞑想で得られる悟りにも段階がある。少なからずブッダ以前に無色界を観ずる人はいたのだろう。


 宮田論文ではこの後、価値論にも触れている。牧口価値論は極めて数学的な原理で有益だが、二つの問題を秘めている。まず一つは真理を斥(しりぞ)けてしまったことである。これによって創価学会は完全に「悟りと無縁」な教団となってしまった。もう一点は「善悪を対立概念」としたことだ。


 牧口先生は「善と正義は異なる」との卓見を示しながらも、善悪を相対的価値として捉えた。悪の反対は正義である。そして悪を規定するのもまた正義なのだ。では正義とは何か? それは集団の経済的尺度によって判断されるものだ。アメリカが掲げる正義はイラクから見れば悪そのものであるし、創価学会の正義は日蓮正宗からすれば謗法となる。


 価値論が創価学会という教団をプラグマティズムへと誘導したように思えてならない。


 この意味で、Libra君の主張する「絶対的正義」は誤っている。


 善に対立概念はない。善は誰が見ても善である。


 話を元に戻そう。既にいくつも紹介しているが、悟りといっても脳内現象である。側頭葉が激しく反応することも科学的に判明している。癲癇患者の発作や、LSDを服用した状態と酷似していることも明らかになっている。


 もしも真理や理法が存在するなら、ブッダの悟りと日蓮の悟りは全く同じものであるはずだ。そこに上下関係を持ち込んでしまえば、真理が複数存在することになる。


 創価学会の宗教的な原点が戸田先生の悟達にあるならば、やはり全会員が悟達を目指すべきだと私は考える。

暴力の様相 4


Memuna Khan, 21


 パキスタン人の女性(21歳)。これまで20回以上の整形手術を受けている。

世界は守られてきた


 こんなふうに、こんなふうにして、せかいは、いつも、まもられてきたのかもしれないね。だれもしらないところで、だれもしらないだれかが、たたかって、だから、いまも、せかいはある。そんなきがする。でも、それは、ほんとうはぼくにはむずかしくて、もう、いまかんがえたことも、ぼくはわすれる。ぼくは、みんなわすれるのだ。ぱぱ、きいちゃんはあくとたたかったんだよ、そして、そのために、ことばをおいてきたんだ。みあちゃんもあくとたたかったんだよ、そして、そのために、かおをおいてきたんだ。それから、まほさんも、あくとたたかったよ、そして、そのために、じぶんをおいてきたんだ。じゃあ、ぼくは? ぼくは、ほんとうに、あくとたたかったんだろうか? ぼくは、なにをおいてきたんだろう? わからない。それから、あくって、なんかかなしいね。それから、なんか、あくって、そんなにわるくないきがするんだよ。あくって、ほんとに、あくなのかな……。


【『「悪」と戦う』高橋源一郎(河出書房新社、2010年)】

「悪」と戦う

2011-11-16

暴力の様相 3


Shahnaz Bibi, 35


 パキスタン人の女性(35歳)。家族間の争いの犠牲者となった。

真に邪悪な人間


 私自身の経験によれば、真に邪悪な人間とはごくありふれた人間であり、通常は、表面的に観察するかぎりでは普通の人間のように見えるものである。


【『平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学M・スコット・ペック/森英明訳(草思社、1996年)】

文庫 平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学 (草思社文庫)

2011-11-15

『サムライと綿 日本とアメリカ 父の思い出』高橋朋子(風詠社、2010年)


サムライと綿 日本とアメリカ―父の思い出


 アメリカ創価大学設立に尽力し、現在副学長を務める著者が、時代に翻弄されながら懸命に生きた先祖・家族の足跡を振り返り、自らの留学体験と父母の愛、家族の暖かさを感動的に描く。

暴力の様相 2


Zainab


Zainab


 硝酸や硫酸を浴びた皮膚が元に戻ることはない。

啓示や悟達は神経回路の出来事


 まずは、想像してみてほしい。あなたは今、大好物のアップルパイを食べている。あなたの複数の感覚器官に入ったアップルパイの情報は、神経インパルスに変換され、それぞれが脳の特定の領域で処理されて知覚が成立する。視覚中枢は金色がかった茶色をしたパイの像を、嗅覚中枢は食欲をそそるリンゴとシナモン香りを、触覚中枢はパイの表面のサクサクした歯ごたえと中身のトロリとした舌触りとの複雑なハーモニーを、味覚領域は甘くて濃厚な味をそれぞれ知覚し、これらが統合されたときに、「アップルパイを食べる」というあなたの経験が生じてくる。

 ここで、あなたの脳で起きている神経活動を、SPECTスキャンで測定してみよう。コンピュータ・スクリーン上に表示された明るい色の斑点は、パイを食べるという経験が、文字通りあなたの「心の中にある」ことを示唆している。けれども、だからといって、パイが現実には存在しないとか、パイのおいしさがリアルではないという意味にはならないことは、皆さんもすぐに同意してくださるだろう。同じように、瞑想中の仏教徒や祈りをささげる尼僧たちの宗教的な神秘体験が、観察可能な神経活動と関連づけられることが分かったからといって、その体験がリアルでないことの証拠にはならないのだ。神はたしかに、概念としてもリアリティーとしても、脳の情報処理能力と心の認知能力を通じて経験され、心の中以外の場所に存在することはできない。けれども、アップルパイを食べるような日常的、形而下的な体験についても、それは同じなのだ。

 逆に、皿の上のアップルパイのように、神が実在し、あなたの前に顕現した場合にも、あなたは、「神経活動が作り出したリアリティーの解釈」以外のかたちで神を経験することはできない。神の顔を見るためには視覚情報処理が必要だし、恍惚状態になったり、畏怖の念に満たされたりするためには情動中枢のはたらきが必要だ。神の声を聞くためには聴覚情報処理が必要だし、メッセージを理解するためには認知情報処理が必要だ。神からのメッセージが、言葉ではなく、何らかの神秘的な方法で伝わってきたとしても、その内容を理解するためにはやはり認知情報処理が必要だ。ゆえに、神経学の立場からは、「神があなたを訪れるとき、その通り道は、あなたの神経経路以外にはあり得ない」と断言できる。


【『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース/茂木健一郎訳(PHP研究所、2003年)】

脳はいかにして“神”を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス

2011-11-14

暴力の様相 1


Acid Survivors Foundation, Bangladesh


 アシッド・アタックと呼ばれる酸による攻撃を受けた男性。多くの場合、女性への理不尽な報復として行われる。

目覚めさせてくれる人


 私たちは、目覚めさせてくれる人がほしいのです。啓発者がほしいのです。導き手がほしいのです。振るまい方を私たちに言ってくれる誰かが、ほしいのです。愛は何であるのか、何を愛するのかを私たちに言ってくれる誰かが、ほしいのです。私たちは自分自身では空っぽです。私たちは自分自身では混乱し、不確実で、悲惨です。ですから、私たちは、助けてもらい、啓発してもらい、導いてもらい、目覚めさせてもらえるよう、乞い求めて巡るのです。どうかこれに付いてきてください。それはあなたの問題です。私の〔問題〕ではありません。それはあなたの問題ですから、あなたはそれに向き合い、それを理解すべきです――来る年も来る年も、〔ついに〕混乱し全く迷って死ぬまで、それを反復すべきではないのです。あなたは、啓発者が不可欠である、または導師(グル)は必要である、と言います。何のためですか。導師(グル)は、あなたが真理と呼ぶもの――実在(the real)と呼ぶもの、神、自己実現――に導かれるために、必要でしょうか。理解できるでしょうか。あなたは導かれたいのです。これには幾つものことが含意されています。(1953年12月13日)


【『智恵からの創造 条件付けの教育を超えて』J・クリシュナムルティ:藤仲孝司〈ふじなか・たかし〉、横山信英、三木治子訳(UNIO、2007年)】


智恵からの創造―条件付けの教育を超えて (クリシュナムルティ著述集)

2011-11-13

命令に従う心理


 実際、人は自分自身が願うことと、他人が自分に期待することとが対立していることを認識している場合が多い。このため、命令されてやった行動は、被験者の観点からすればどんなに非人道的なものであっても、自分に罪はないも同然となる。そして、自分の価値を評価してもらうために被験者が頼るのは、権威なのだ。


【『服従の心理』スタンレー・ミルグラム山形浩生〈やまがた・ひろお〉訳(河出書房新社、2008年/同社岸田秀訳、1975年)】

服従の心理 (河出文庫)

2011-11-12

最低の悪党


 われわれの中には、神が最高に恵み深いことに安心して、最低の悪党になる者が少なくない。


【『蝿の苦しみ 断想』エリアス・カネッティ/青木隆嘉〈あおき・たかよし〉訳(法政大学出版局、1993年)】

蝿の苦しみ 断想

2011-11-11

2011-11-10

2011-11-09

あらゆる因果関係の主張は潜在的に呪術である


 そもそも呪術というのは時代による相対性をもった概念です。厳密な科学的検証を経ていないあらゆる因果関係の主張は潜在的に呪術であるわけですから、科学が確立していない時代においては、何が呪術で何が科学的な知識であるかを判定する基準があるわけではありません。何教といわず、伝統的な宗教聖人や祖師たちの営みは、今から見ればすべてマジカルな思考込みのものだったと見るべきかもしれません。


【「宗教の非合理性の再考を」中村圭志〈なかむら・けいし〉】

人はなぜ「神」を拝むのか? (角川oneテーマ21)

2011-11-07

宗教的精神と宗教を信じる精神は異なる


 宗教的精神と、宗教を信じる精神とは、まったく別のものである。宗教的精神は、その社会の文化から心理的に自由である。すなわち、いかなる形の信仰からも、また経験や自己表現への欲求からも自由である。人間は長い歳月をかけて、信仰することによって神と呼ばれる観念を創造してきた。人間にとって、神と名づけられる観念を信仰することは必要である。なぜなら、光明、美しさ、喜びがときおりきらめくことはあっても、人生は悲しく、絶えざる戦い、矛盾、惨めさに満ちたものだからである。

 こうして、人生にはほとんど意味がないために、ひとつの考え、信条、観念を信じることが必要となった。会社勤務、家族、セックス、孤独、さまざまな自己負担、自己表現のための格闘といった毎日の決まりきったこと、この全部がほとんど無意味であり、しかも、そのすべての終点にはつねに死が待ち構えている。このような状況で、人間は逃れようのない必要から、何かを信じざるを得ないのである。


【『いかにして神と出会うか』J・クリシュナムルティ/中川正生訳(めるくまーる、2007年)】


いかにして神と出会うか

2011-11-06

より原理主義的なのは、組織の上層部ではなく、むしろ下の者や若手である


 組織について興味深いことがある。組織の「掟」にこだわりより原理主義的なのは、組織の上層部ではなく、むしろ下の者や若手である。またエリートではなく傍流の人々の方がより原理主義的であることが多い。このことは色々な組織で見られる。


経済コラムマガジン


 組織への依存度に比例する。

泣き叫ぶ若者


palestine People in Palestine gal_gaza_bombing_11


 彼の父親であろうか。2008年12月27日、ガザ。

原爆への怒り


 一行は(※原爆)資料館に入った。約1時間かかったというから、長い方である。(同館の平均の見学時間は30〜40分)

 チェは、館内のさまざまな原爆による被害の陳列品を見るうちに、見口氏(※広島県の外事担当)に英語でいった。

「きみたち日本人は、アメリカにこれほど残虐な目にあわされて、腹が立たないのか」

 それまで、見口氏はもっぱら大使と話すだけで、チェやフェルナンデスとは、ほとんど口をきいていなかった。それまで無口だったチェがこのとき不意に語りかけ、原爆の惨禍の凄じさに同情と怒りをみせたのである。見口氏はいう。

「眼がじつに澄んでいる人だったことが印象的です。そのことをいわれたときも、ぎくっとしたことを覚えています。のちに新聞でかれが工業相になったのを知ったとき、あの人物はなるべき人だったな、と思い、その後カストロと分かれてボリビアで死んだと聞いたときも、なるほどと思ったことがあります。わたしの気持としては、ゆっくり話せば、たとえば短歌などを話題にして話せる男ではないか、といったふうな感じでした」


【『チェ・ゲバラ伝』三好徹〈みよし・とおる〉(文藝春秋、1971年)】

チェ・ゲバラ伝

2011-11-05

民主と自民が最も注目する公明・井上幹事長の発言力


 この臨時国会でも、法案の成否のキャスティングボートを握る公明党を民主、自民両党が引っ張り合う構図が続いている。公明党の動向に神経をとがらす二大政党が、特に細心の注意を払ってウオッチしているのが井上義久幹事長だ。


「党の方針を決めているのは山口那津男代表ではなく、創価学会と太いパイプを持つナンバー2の井上氏」(公明党関係者)とみているからだ。


 それを象徴するかのように、環太平洋経済連携協定(TPP)への交渉参加問題で一騒動が起きた。政府・与党内の推進、慎重両派の対立が熱を帯びてきた十月二十六日、「公明が反対方針を決めた」との情報が永田町を駆け巡ったのだ。


 この日は公明党の意思決定機関である役員会や中央幹事会は開かれていない。にもかかわらず、そうした情報が広がったのは、JA主催のTPP反対集会に井上氏が出席して「反対を無視して交渉参加の決断をすれば、総理として認めるわけにはいかない。参加阻止に向けて頑張っていきたい」と演説をぶったからだ。


 同日、別の集会で自民党の大島理森副総裁も「絶対反対」と声をあげたが、対照的に、さして注目もされなかった。


 井上氏の発言は本人が戸惑うほど大きな反響を呼び、「個人的見解を言ったにすぎない。『慎重にしっかり議論すべきだ』という党の方針に変わりはない」と火消しに追われることになった。それでも「井上氏の見解は往々にしていずれ党方針になる」(自民党関係者)と、額面通りに受け取る向きは少ない。


 政界入り前に学会職員を務め、学会中枢からの覚えがめでたい井上氏の意向には逆らえないという空気が公明党内では支配的だ。衆院選挙制度改革問題でも、党政治改革本部長の東順治副代表はいったん小選挙区比例代表連用制で意見集約を図ろうとしたが、井上氏が併用制が望ましいと主張したため、結論は「連用、併用、中選挙区」の三案併記となった。


 国会対策でも井上氏の発言力が目立つ。次期衆院選での選挙協力を念頭に「当面は自公連携を維持すべきだ」と主張する漆原良夫国対委員長をよそに、井上氏は自民党が主張する「復興債の償還期間延長とたばこ増税反対」に公然と異論を唱え、「自公連携を崩したくないなら自民が譲歩すべきだ」という強気の姿勢を見せている。


週刊文春 2011-11-02

少年の遺体を運ぶ人


Gaza غزه Ghaza 27 Dec 2008> Israel kills.


 これがガザの日常だ。世界は既に60年以上もパレスチナを無視し続けている。

報酬系


 そこに電気を流して神経を活発化させるとものすごく気持ちいい場所、というのがある。

 それを知ったネズミは、自分でレバーを押して電流を流せるようになるから、自分の快感をコントロールできる。そうすると、もう水も飲まない、餌も食べない、ずっとレバーを押し続ける。気持ちいいんだろうね。それで結果的にどうなるか? レバーを押し続けて死んじゃうんだ。そのくらい快感に感じる場所があるというのは驚きでしょ。それで、その場所を〈報酬系〉と呼ぶようになったんだ。


【『進化しすぎた脳 中高生と語る〔大脳生理学〕の最前線』池谷裕二〈いけがや・ゆうじ〉(日出版社、2004年/講談社ブルーバックス、2007年)】

進化しすぎた脳 (ブルーバックス)

2011-11-04

「100万の微笑み」


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 いい歌だ。でも、ヒットしなかった。詳しいことは忘れてしまったが、発表直後に本隊からクレームがついたため。学会歌でフェードアウトってのはあり得ない。単なる編曲ミスだろう。

小さな遺体の服装をととのえる人


GAZA HOLOCAUST


AK0001_GAZA_


AK0001_Gaza_


 イスラエルの罪を糾弾しない者は、本物の平和主義者とはいえない。

中年女のような少女たち


 コンビニエンス・ストアーの前で立話をしている少女たちを見かける。20〜30分後に用事を済ませて戻ってくるとまだ話し込んでいる。向い合って話してはいるが、眼差は相手の肩越しへ擦れ違ったままだ。塾帰りか腕組みした腕(かいな)に鞄の手を通し、足を少し開いて腰を落とした姿は十分に中年女だと感じ入った。


【『樹の花にて 装幀家の余白』菊地信義(白水社、1993年/白水Uブックス、2000年)】


樹の花にて―装幀家の余白 (白水Uブックス―エッセイの小径)

2011-11-03

R-18指定


 本日より、このブログは18歳未満の閲覧を禁止する。閲覧注意の画像についてはサイズを縮小して紹介する。安全な位置に我が身を置いて世界平和を叫ぶことはたやすい。願わくは世界の現実をしっかりと凝視してもらいたい。プロパガンダとしての平和はもういい。

一発で二人殺せ


1 shot 2 kills t-shirt hq


No doubt that Israel will find an excuse for killing this baby.  He must have been a terrorist hiding in his mother’s womb!!


 イスラエル軍のTシャツである。どうやら忠実に実行しているようだ。

比丘尼の戒律


 比丘尼戒に対する条目が多い(※五百戒)のは、主として女性としての着衣、坐法、沐浴など細部にわたる規定が多いからで比丘戒よりも厳しいわけではない。


【『仏教とはなにか その思想を検証する』大正大学仏教学科編(大法輪閣、1999年)】


 と書いているのは明らかに男性だろう。


仏教とはなにか―その思想を検証する

2011-11-02

13世紀頃、仏教はインドから消滅した


 インド仏教は紀元前5世紀あるいは紀元前4世紀に生まれて、13世紀頃にはインド亜大陸から消滅したのであるが、この千数百年の歴史は初期、中期、後期の3期に分けることができよう。

 まず、初期とは仏教誕生から紀元1世紀頃まで、中期は紀元1世紀頃から600年頃までの時期を指す。後期とは紀元600年頃以降、インド大乗仏教滅亡までである。


【『空の思想史 原始仏教から日本近代へ』立川武蔵〈たちかわ・むさし〉(講談社学術文庫、2003年)】


 日蓮の出現と符号している。意外と見落としがちであるが、教法流布の先後という視点からインド仏教滅亡をどう説明するのか?

空の思想史―原始仏教から日本近代へ (講談社学術文庫)