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2012-02-29

日蓮はユークリッド幾何学か?


 以前、「日蓮はピタゴラスなのか?」と思索したことがある。

 佐藤優の講演を聴いて「あ!」と気づいたのだが、日蓮がユークリッド幾何学でブッダが非ユークリッド幾何学と位置づければわかりやすい。でも、こう考えると退化したことになるんだよな。最大の原因は密教化であるというのが私の考えだ。

思想なき無神論者の傾向性

  • 金銭に強い執着を示す。
  • 周囲からのアドバイスに耳を傾けない。
  • 根拠のない猜疑心が強い。
  • 自分中心である。
  • 矛盾の原因を外部環境に求める。

和解条件


 今回の和解条件として、矢野氏の既刊本を増刷しないことと、矢野氏が学会の名誉を毀損する新刊本を出さないことが盛り込まれたという。その結果、『乱脈経理』で予告された第2弾は“お蔵入り”となったようだ


【『週刊朝日』2012年3月9日号】


乱脈経理 創価学会VS.国税庁の暗闘ドキュメント 創価学会 もうひとつのニッポン 私が愛した池田大作 「虚飾の王」との五〇年


黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録 「黒い手帖」裁判全記録 (現代プレミアブック) 闇の流れ 矢野絢也メモ (講談社プラスアルファ文庫) 

いずれもが人間だった


ピエートロ・ピネッティ(20歳、工場機械工)


   1945.1.29 ジェーノヴァ


 お母さん

 あなたがこのぼくの最後の文章を読むころには、おそらくしばらく前にぼくの血は身体をめぐるのをやめているでしょう。最後に会ったとき、お母さんは勇気を持つようにおっしゃいました。その言葉を信じて、恐れもなく取り乱しもせずに、死へ向かいます。わかっていただくのはむずかしいかもしれませんが、あなたの血から生まれた子供を、犠牲に捧げた者、そしてそれを裁いた者、いずれもが人間だったのです。ぼくの考えでは、人間は誰でも過ちを犯すものです。したがって、誰にも裁く権利はありません。なぜなら、ただひとり至高の存在だけが、この地上にはかない命を送る卑小な生き者にすぎないぼくたちすべてを、裁きうるからです。ぼくのしたことは理想を追い求める一途な性格によるもので、この理想のためにいまこうして命を犠牲にするのです。


【『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィG・ピレッリ編:河島英昭、他訳(冨山房百科文庫、1983年)】

イタリア抵抗運動の遺書―1943・9・8‐1945・4・25 冨山房百科文庫 (36)

2012-02-28

『仏教の思想 12 永遠のいのち〈日蓮〉』紀野一義、梅原猛(角川ソフィア文庫、1997年)


永遠のいのち「日蓮」―仏教の思想〈12〉 (角川文庫ソフィア)


 混迷する時代の中で、弾圧と迫害をくぐり抜け、新しい価値創造者となった日蓮。その強烈な個性と実践力で打ち立てられた「山川草木悉皆成仏」という思想は、また日蓮を信奉した宮沢賢治の思想でもある。この仏教的自然観は、21世紀における人類の世界観になりうる壮大な思想であり、日蓮がめざす「久遠実成」「永遠のいのち」の生命論である。

ゲーデル『私の哲学的見解』


 ゲーデル自身の哲学的見解については、「ドウソン目録6」の中から興味深い哲学メモが発見された。このメモは、ゲーデルが、自分の哲学的信念を14条に箇条書きにしたもので、『私の哲学的見解』という題が付けられている。ワンの調査によると、このメモは、1960年頃に書かれたものである。


 1.世界は合理的である。

 2.人間の理性は、原則的に、(あるテクニックを介して)より高度に進歩する。

 3.すべての(芸術も含めた)問題に答を見出すために、形式的な方法がある。

 4.〔人間と〕異なり、より高度な理性的存在と、他の世界がある。

 5.人間世界は、人間が過去に生き、未来にも生きるであろう唯一の世界ではない。

 6.現在知られているよりも、比較にならない多くの知識が、ア・プリオリに存在する。

 7.ルネサンス以降の人類の知的発見は、完全に理性的なものである。

 8.人類の理性は、あらゆる方向へ発展する。

 9.正義は、真の科学によって構成されている。

 10.唯物論は、偽である。

 11.より高度な存在は、他者と、言語ではなく、アナロジーによって結びつく。

 12.概念は、客観的実在である。

 13.科学的(厳密な学としての)哲学と神学がある。これらの学問は、最も高度な抽象化概念を扱う。これらが、科学において、最も有益な研究である。

 14.既成宗教の大部分は、悪である。しかし、宗教そのものは、悪ではない。


【『ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論』高橋昌一郎〈たかはし・しょういちろう〉(講談社現代新書、1999年)】

ゲーデルの哲学―不完全性定理と神の存在論 (講談社現代新書)

2012-02-27

治療による推論法


「治療による推論法」の他の例をあげると、不安症状をもつ患者が、抗不安薬より抗精神病薬のほうに反応すると、診断が統合失調症に変えられることも実際に起こりうる。また、無価値感、自殺念慮、食欲低下といった典型的なうつ病症状をもつうつ病患者が、抗うつ薬に反応せず、抗精神病薬によって症状が改善された場合、統合失調感情障害に変更されることが多い。統合失調感情障害とされる患者は、うつ病の症状とともに統合失調症的思考障害を有するが、診断の決め手になるのは、患者が抗精神病薬投与で快方に向かうという事実である。うつ病患者の多くも、いくらか思考過程が緩慢になったりするが、抗うつ薬のみに反応する場合、統合失調感情障害ではなく、うつ病と診断される傾向がある。


【『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の化学と虚構』エリオット・S・ヴァレンスタイン:功刀浩〈くぬぎ・ひろし〉監修、中塚公子訳(みすず書房、2008年)】

精神疾患は脳の病気か?―向精神薬の科学と虚構

『カトリックと創価学会 信仰・制度・社会的実践』南山宗教文化研究所編(第三文明社、1996年)


カトリックと創価学会 信仰・制度・社会的実践


 1996年、名古屋の南山大学南山宗教文化研究所と東京創価大学キャンパスにある東洋哲学研究所の所員は、カトリックと創価学会の1年にわたる対話の帰結として、南山大学においてシンポジウムを開催した。本書はこのシンポジウムの記録である。

 本書の核となっているのは、諸宗教対話の本質、宗教における社会的実践の役割、信仰と制度的構造の間の関係である。各発表に対して各セッションの代表者によってレスポンスを行なわれ、さらに長時間の討論が行われた。本書にはこれらの記録の全体が収録されている。

2012-02-26

マツコ・デラックス


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 東京都が出資しているTOKYO MXの番組内で石原都知事についてたびたび批判を行っている。2010年に表現を規制する『東京都青少年健全育成条例改正案』が可決した際に、石原が同性愛者を「遺伝子に異常がある」とする趣旨の発言を行ったため辛辣な批判を述べている。


Wikipedia


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死生観の空洞化


 しかし、たとえば欧米諸国のように、(いくら世俗化が進んでいるとはいえ)なお確固たるキリスト教の死生観が人々の意識や日常生活の中に浸透しているといえる国々とは違って、現在の日本においては、後に改めて考えていくように、死生観そのものがほとんど「空洞化」している、というような状況になっている。そしてこのことは、私自身の世代を含め、特に若い世代になるほど著しい。


【『死生観を問いなおす』広井良典(ちくま新書、2001年)】

死生観を問いなおす (ちくま新書)

2012-02-25

治安当局も「創価学会の異変」に重大関心

 しかも次期会長への昇格がほぼ既成路線となっている谷川新体制で重要な地位を占めるべく、弁護士の八尋頼雄副会長が「原田会長追い落としを画策」(学会幹部)、その実働部隊として暗躍しているのが重川利昭渉外部長と、マスコミ関係者はもちろん、学会内でもほぼ衆目の一致するところとなってきた。

教祖の成立要件


 では、最初にもっともシンプルな教祖の姿を提示します。教祖の成立要件は以下の二要素です。つまり、「なにか言う人」「それを信じる人」。そう、たったふたつだけなのです。この時、「なにか言う人」が教祖となり、「それを信じる人」が信者となるわけです。


【『完全教祖マニュアル』架神恭介〈かがみ・きょうすけ〉、辰巳一世〈たつみ・いっせい〉(ちくま新書、2009年)】

完全教祖マニュアル (ちくま新書)

2012-02-24

聖書の解釈権


 かつてキリスト教における聖書の解釈権は、ローマ法王にしか存在しなかった。プロテスタンティズムは、この解釈権を個人が自由に持つための運動だった。アメリカでは、かつての聖書の解釈権を独占した法王のように、アメリカ民主主義の解釈権をアメリカ大統領が独占しているという構図になっている。聖書の解釈権さえ、大統領が持っているのではないかと感じさせたのがイラク戦争だった。本来、イスラム教やキリスト教は平和な宗教である。それがテロを起こしたり、戦争を起こしたりするのは、十字軍の時代からプリンシプルを具象へ適用する解釈権が、政治権力に集中してきたからである。少なくとも民主主義のもとでは、特定の権力にプリンシプルの解釈権が集中するのは、国民の大半が支持するからである。怖いのは、国民の大半の支持が何らかの洗脳的手法により、その解釈が正しいと思わされている場合である。


【『洗脳護身術 日常からの覚醒、二十一世紀のサトリ修行と自己解放』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(三才ブックス、2003年)】

洗脳護身術―日常からの覚醒、二十一世紀のサトリ修行と自己解放

2012-02-23

三谷素啓は堅樹派=完器講出身か


 その後、幕末の嘉永2年(1849)4月、堅樹派の在家組織「完器講」の講主・(後藤)増十郎が三宅島へ流されている。彼は明治3年に赦免されて東京へ戻って布教を再開するが、創価学会の前身の創価教育学会を創立した牧口常三郎日蓮正宗へ導いた三谷素啓(みたに・そけい)という人は、一説ではこの堅樹派=完器講の系統から出てきたといわれている。


大石寺の「寺社奉行」的構造 江戸期にみる創価学会破門の源流:菅田正昭(すがた・まさあき=宗教史家・離島文化研究家)/『大石寺の「罪と罰」』玉井禮一郎〈たまい・れいいちろう〉(たまいらぼ出版、1997年)所収】


大石寺の「罪と罰」

2012-02-22

アメリカ人と幽霊、悪魔、宇宙人


 理性的で科学的な考えのもとに築かれていると自負してはばからないアメリカ社会においても、じつに国民の17パーセントは幽霊を見たことがあると言い、10パーセントが悪魔と話したことがあると言い、そしてなんと400万人が宇宙人に誘拐されたことがあると告白しているという。超常現象は今の時代も健在なだけでなく大きなビジネスになっているという事実は、あらゆる雑誌に星占いのコーナーがあること、新聞の心霊相談の広告、地球は七日で創られたとする創造説の人気、大企業がダウジング(訳注 振り子や棒を使って水脈などを探し当てる方法)は風水専門のコンサルタントを雇っていることなどを見れば一目瞭然だ。1986年にフィラデルフィアの陪審員が出したある判決は、疑り深いアメリカ人にとっては本当にショッキングだった。大学の医学部でCTスキャンを受けたときに霊能力にダメージを受けたと主張した女性に、90万ドルを超える損害賠償金が支払われることになったのだ。彼女の主張は、「専門的」な立場から証言を行なった医師に支持されたという。


【『本当にあった嘘のような話 「偶然の一致」のミステリーを探る』マーティン・プリマー、ブライアン・キング:有沢善樹、他訳(アスペクト、2004年)】

本当にあった嘘のような話 (アスペクト文庫)

2012-02-21

マントラ


 呪文と真言との距離を考える。そもそも距離はあるのかないのか。

2012-02-20

創価学会側と矢野元公明委員長が「手打ち」 双方が提訴4件すべて取り下げ

 金でも支払ったのだろうか? ま、後の祭りだ。矢野バッシングを止める人物がいなかった時点で学会本部は終わっているよ。

finalvent の仕事とか人生とかのこと

 finalvent氏はアルファブロガーの代名詞みたいな人物だ。

合目的性


今日の悟り(笑)。プラグマティズムとは合理性ではなくして合目的性である。
Feb 18 via ついっぷる/twipple Favorite Retweet Reply

神秘的体験とは脳の機能


 脳がある体験をすることと、外界にその対応物が存在することは、別なことである。宗教では、ときどきこれを一緒にするから困る。科学と喧嘩になる。こう考えてみよう。数学で世界を解釈すれば、できないことはない。しかし、それでは世界の大部分はこぼれ落ちてしまう。数学に色はあるか、恋はあるか。では数学とはなにか。それは要するに脳の機能である。つまり脳内の過程である。

 では神秘的体験とはなにか。それも脳の機能である。テンカンの患者さんに、しばしば神秘的体験、法悦状態を感じる人がある。だからといって、数学者をとくに馬鹿にしないのと同様、こうした体験を馬鹿にする必要もない。それが「人間」だからである。あるものは、そこにあるものとして認めるしかない。しかし、頭の中にあるものを外にあると言い張るつもりは、私にはない。外にあるものなら自然科学で扱うことができる。頭の中はそうはいかない。こればかりは、それぞれの人に固有のものである。だから個人が生きている。それが個人の価値観である。


【『カミとヒトの解剖学養老孟司〈ようろう・たけし〉(法蔵館、1992年/ちくま学芸文庫、2002年)】

カミとヒトの解剖学 (ちくま学芸文庫)

2012-02-19

人は、なぜカルトに走るのか?


 ジョン・レノン氏は『イマジン』という曲の中で、「宗教のない世界」を歌っている。レノン氏は、宗教の利点より、その弊害(他者への迷惑行為、宗教戦争、排他的な理由による殺人的行為、押し付けがましい布教行為、拝金主義、権力主義、等)の方が遥かに大きいということを理解し熟知していたのだと思う。(正直に言って、私は、宗教というものは、利点より弊害の方が遥かに大きく、本来なら「宗教は無い方がいい」とさえも思っている。)


釈迦仏教の根本思想について


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神智学協会


 神智学協会は世界における比叡山に位置するものと私は考えている。

合理性について


 合理性とは脳が【感じる】感覚であって科学的な絶対値ではない。合理性は推論に依拠している。世界とは認識されるものであって、我々が生きているのは「認識空間」であり「解釈世界」であるといってよい(宮田論文に関する覚え書き 7)。実は驚くべきことだが、「推論の数/推論のステップ数」の比が最も高いものが最適解釈であることが判明している。これが合理性の正体である。

視覚とマンダラ


 マンダラとは「見る」ものである。触るものでもなければ、聞くものでもない。ここで一つの問いが生じる。生まれつき目が不自由な人にとってマンダラはどのように機能するのか? これを解決するためには悟りと視覚野の関係性を明らかにする必要がある。つまり目が不自由であったとしても視覚野は機能していると考えられる。例えば実際にコウモリは「音を視ている」とされる。

祈りには好ましい遺伝子をオンにし、好ましくない遺伝子をオフにする効果がありそうだ


 最近、アメリカン病院で、大変興味ある実験が行われました。

 心臓患者393人による実験で、他人に祈られた患者はそうでない患者より人工呼吸器、抗生物質、透析の使用率が少ないことがわかりました。しかも、西海岸にあるこの病院に近いグループからの祈りも、遠く離れた東海岸側からの祈りも、同様に効果がありました。そして、これらの患者は祈られていることすら知らなかったのです。距離を超えて、他の人のために祈ることも有効だとすると、この祈りは単なるプラシーボ効果では説明できません。これらの研究例は、いずれも統計学的な証明にすぎません。


【『人は何のために「祈る」のか 生命の遺伝子はその声を聴いている』村上和雄、棚次正和〈たなつぐ・まさかず〉(祥伝社、2008年/祥伝社黄金文庫、2010年)以下同】


 この10年ほどの間に盛んになった祈りの研究から見えてきたのは、「祈りには好ましい遺伝子をオンにし、好ましくない遺伝子をオフにする効果がありそうだ」ということなのです。


 呪術性のリトマス試験紙ともいうべき一冊である。読書会などにはうってつけ。

人は何のために「祈る」のか 生命の遺伝子はその声を聴いている (祥伝社黄金文庫)

2012-02-18

三国四師とは


 権実相対が比叡山ルールであれば、三国四師とはゲームのルールが変わったことを意味すると考えられる。日蓮の独創性は、比叡山ルールを設定しながら、鎮護国家の仏教を鎮護民衆へと脱構築したところにあると思う。

日蓮仏法とは


 日蓮仏法とは「日蓮【の】仏法」ではない。これだと所有物になってしまう。釈迦仏法も同様だ。日蓮による表現と考えるべきだろう。

権実相対とは


 権実相対とは「比叡山ルール」と考えればよい。

とりつかれたり、狂ったりするのは3年


 小池が本格的に将棋の勉強をしたというのは高校入学の年からで、このときは猛勉強したというより、将棋に狂っていたと小池は私に語ったことがある。

「どんな分野でもそうだと思うのですがとりつかれたり、狂ったりするのは3年ぐらいがいいところじゃないですか。あとは惰性で勉強して充分だと思うんです」

 といったこともあった。将棋の勉強のさまたげになると感じて学校の教科書は読まないことにした、というのだからたしかに将棋に狂った高校生であった。


【『真剣師 小池重明 “新宿の殺し屋”と呼ばれた将棋ギャンブラーの生涯』団鬼六〈だん・おにろく〉(イースト・プレス、1995年/幻冬舎アウトロー文庫、1997年)】


真剣師小池重明 (幻冬舎アウトロー文庫)

2012-02-17

五百塵点劫と三千塵点劫


 法華経迹門で三千塵点劫が示され、続いて本門で五百塵点劫が説かれる。時間的には五百塵点劫の方が昔だ。それも6倍ではなくして幾何級数的に古いとされる。数学次元で考えるとゼロ塵点劫はおろか、マイナス塵点劫まであり得る話だ。それゆえゼロ地点としての久遠元初を想定することには一定の合理性がある。


 ただし五百と三千との対比から浮かんでくるのは、大乗仏教派による政治的駆け引きに他ならない。資本主義経済との親和性こそ、大乗仏教がもつ最大の問題であろう。ここを解消できない限り、思想的には必ず行き詰まる。

イタリアの民衆は自身の生活のなかで思想の変革を果たした


 1920年代から40年代にかけて、イタリアの民衆はファシズムから反ファシズムへと、激しい思想の変革を遂げた。もちろん、A・グラムシやP・ゴベッティのように、すぐれた思想家知識人たちが果たした指導的役割の重要なことは、言うまでもない。しかし、それに劣らず重要なのは、民衆が彼ら自身の生活のなかで、結果的に思想の変革を果たしたという事実である。その変革は日々のなかでの、個々人の精神の軌跡が、そして彼らの共通の理想を支えた叙事詩的クリフが、本書のなかには読みとれるであろう。(「解題」河島英昭)


【『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィG・ピレッリ編:河島英昭、他訳(冨山房百科文庫、1983年)】

イタリア抵抗運動の遺書―1943・9・8‐1945・4・25 冨山房百科文庫 (36)

2012-02-16

認知科学


 認知科学の視点から「因果の錯覚」を明らかにする必要がある。ここに時間の概念が絡んでくるはずだ。脳の推論システムを支えているのは時間性である。

刑事告訴


 先週、高尾警察署へ告訴状を提出。被害届けではなく告訴状である。

人間の行動には常にふたつの理由がある


 人間の行動には常にふたつの理由がある。

 もっともらしい理由と、真の理由が。

  ――J・P・モーガン


【『耽溺者(ジャンキー)』グレッグ・ルッカ:古沢嘉通〈ふるさわ・よしみち〉訳(講談社文庫、2005年)】


耽溺者 (講談社文庫)

2012-02-15

本尊


 あらゆる本尊は人工物である。

「形はリズム」になる


「形の真髄はリズムである」。そう言ったのは、私ではない。哲学者の中村雄二郎氏であり、亡くなられたが、解剖学者の三木成夫氏である。つまり、視覚対象の抽象化が行き着く果てまで、「形」を徹底的に考える。そこで、だしぬけに「リズムだ」と膝を叩く。悟りが開ける。ここのところがなんとも言えない。名人伝である。

 なぜリズムか。

 一つの考え方は、脳からすれば、これは一種のルール違反だというものである。リズムとは、私の考えでは、聴覚−運動系の基本的な性質である。それを「形はリズムだ」と言うのだから、これは話が場外に出た。つまり、考えすぎたので、大脳皮質の中で話が発展し、その結果、視覚系の話が聴覚系に飛び出した。こちらの部屋で徹底的に考えたら、話がフスマを蹴破って、いつの間にか次の間に移ってしまった、ということである。

 しかし、角度をつけて言うなら、これはきわめて本質を得た解答ではないのか。つまり、形にもっとも欠けていたものこそ、リズムすなわち時間における繰り返しであって、ヒトの意識はまさにそれを「連合」した。その基本的な連合は、まず言語として表れる。つづいて、「形はリズム」になる。


【『唯脳論』養老孟司〈ようろう・たけし〉(青土社、1989年/ちくま学芸文庫、1998年)】

唯脳論 (ちくま学芸文庫)

2012-02-14

一つの集団の歴史は、一人の個人の歴史として説明できる


 一つの集団の歴史は、一人の個人の歴史として説明できるという立場に立って、わたしは幕末から現代に至る日本国民の歴史を一人の神経症ないし精神病の患者の生活史として考察してみようと思う。


【『ものぐさ精神分析』岸田秀〈きしだ・しゅう〉(青土社、1977年/中公文庫、1996年)】

ものぐさ精神分析 (中公文庫) 続 ものぐさ精神分析 (中公文庫)

2012-02-13

現代社会における教義


 現代社会における教義は合理性に基づくプラグマティズムといってよいと思う。戸田先生は第二次世界大戦の結果を「神道がプラグマティズムに敗れたもの」と鋭く喝破した。そして戦後の創価学会は仏教をプラグマティックに展開したわけである。


 合理性・実際性を重んじれば、経済至上主義に至るのは当然である。ところが経済学は人々の経済行為を「合理的なもの」と設定している。この前提が誤っているとして行動経済学が現れた。


 行動経済学は社会心理学と親和性があるが、いずれも説明原理でしかない。最終的には、やはり進化論的アプローチで解明するしかない(例えば進化心理学など)。


 経済を合理的な行為として自由を推し進めた結果、アメリカ経済は行き詰まってしまった。ミルトン・フリードマンを教祖とするシカゴ学派が崖っ淵に誘導したわけだ。合理性の欺瞞が露呈しつつある。


 脳の構造からいえば、理性を司る新皮質や前頭前野はほんの一部に過ぎない。中枢にあるのは情動だ。つまり理屈で人は動かないのだ。宗教は元々感情に根差したものであると思われる。否、感情を支配するのが宗教であると私は考える。


 時々「踊る宗教」が流行するが、同じ理由からであろう。ダンスと歌こそ宗教の原型(モデル)である。


 真の合理性とは、絶対性や確実性から離れることを意味する。特定の信念に束縛されないリベラルな態度こそ合理性であろう。

殉教


 殉教を強いる宗教は邪教である。第六天の魔王の所業に他ならない。鎌倉時代は人の命が軽かったことを踏まえた上で、日蓮が殉教を勧めたかどうかを厳しく吟味する必要があろう。

二重盲検


(「二重盲検」試験では、患者も試験を行う側も、それぞれの被験者に実薬が与えられているのかプラセボが与えられるのかを知らされない)


【『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の化学と虚構』エリオット・S・ヴァレンスタイン:功刀浩〈くぬぎ・ひろし〉監修、中塚公子訳(みすず書房、2008年)】


 大善生活実験証明座談会は科学的なアプローチではあったものの、結果的には功徳と罰というフィルター(≒バイアス)を強化してしまった。信仰体験は二重盲検に耐えられない。厳密にいえば生活は「功徳も罰も感じない」出来事が大半を占めている。プラシーボ効果という点では、高額な薬には100%のプラシーボ効果があるとされている。かような認知バイアスをどのように評価すべきか?

精神疾患は脳の病気か?―向精神薬の科学と虚構

2012-02-12

ユダヤ系資本は世界中のほとんどの映画、新聞、ラジオを所有


 ユダヤ系資本は世界中のほとんどの映画、新聞、ラジオを所有しており、うまく計算された宣伝によって、自分たちがアラブの狂信的ナショナリズム犠牲者だというイメージをふりまいてきた!


【『リウスのパレスチナ問題入門 さまよえるユダヤ人から血まよえるユダヤ人へ』エドワルド・デル・リウス:山崎カヲル訳(第三書館、2001年/旧版、1983年)】

新版 リウスのパレスチナ問題入門

2012-02-11

マントラは意味や文法構造が欠落している


 私たちの範疇では音楽とも言語とも分類できない音声による表現様式を持つ文化もある。もっとも顕著なのはインドの宗教で唱えられるマントラだ。マントラは、長い発話行為で、話しことばに酷似している場合も多いが、意味や文法構造が欠落している。師匠から弟子へと伝授され、正しい発音に加え、正しいリズム、メロディ、姿勢が要求される。そのため、ヒンドゥー教のマントラは、何世紀ものあいだ変わらない一定の表現で成り立っている。言語と音楽の双方の特徴を備えていながら、どちらとも定義できない。


【『歌うネアンデルタール 音楽と言語から見るヒトの進化』スティーヴン・ミズン:熊谷淳子〈くまがい・じゅんこ〉訳(早川書房、2006年)】


歌うネアンデルタール―音楽と言語から見るヒトの進化

2012-02-10

論理体系の正しさは内側からはけっして証明できない


 論理の体系や言語の真理、正しさは、内側からはけっして証明できない。その系の外側に立って、「これは首尾一貫している。つじつまが合う」と言うしかない。一貫性と矛盾のなさは、ある系の内側からはどうにも証明のしようがないのだ。

 これについて、後に数学者のアンドリュー・ホッジズは次のように述べた。「ゲーデルの特異な主張は、証明不能だから、ある意味で正しい、というものだった。だが、『正しい』と断言するには、言ってみれば、その系を外側から眺められる観察者が必要になる。公理の系の内側で努力しても証明することはできない」

 論理は人間なしでは成り立たないのだ。


【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之訳(紀伊國屋書店、2002年)】

ユーザーイリュージョン―意識という幻想

2012-02-09

新聞社は「創価学会」と「幸福の科学」なしに生きてゆけない


 本誌が今年1月と10年前の’02年1月の朝日・毎日・読売各紙に掲載された両宗教団体の広告本数を比較すると、創価学会関連は毎日が7→11、朝日は5→7、読売が5→10に。幸福の科学も10年前は各紙1回だけだったのが、各2、3、3回に増加。つまり、3日に1回以上は両団体関連の広告が目に飛び込んでくる計算になる。(中略)

 なお、冒頭で記したように、今年1月に朝日・毎日・読売に掲載された創価学会と幸福の科学関連広告を、各社の正規料金で換算すると、朝日が約9800万円、毎日が約1億700万円、読売が約1億8000万円という計算になる。


【『週刊現代』2月18日号】

ローマクラブ


 アスペンの弟分にあたるのがローマクラブである。このシンクタンクが展開したゼロ成長運動は、兄を上回って世界中に影響を及ぼした。ロックフェラー・グループがスポンサーとなって68年に設立されたローマクラブは、アスペン研究所より人材が国際的で、しかもアカデミックである。

 イタリアのベロギオにあるロックフェラー一族の私有地で最初の会合が持たれ、本部がローマに置かれたのでこの名称になったが、中心メンバーはアメリカの東部エスタブリッシュメントである。アスペンと異なるのは、メンバーが日本を含む25か国から集まっていること、また70人のメンバーの中には政治家は皆無で大学教授と財界人が多いことである。設立当初、日本からは大来佐武郎(日本経済研究センター理事長)、大島恵一(東大教授)、小林宏治(日本電気社長)、植村甲午郎(経済団体連合会会長)がメンバーとして参加している(肩書はいずれも当時)。


【『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』梅崎義人〈うめざき・よしと〉(成山堂書店、1999年)】

動物保護運動の虚像―その源流と真の狙い

2012-02-08

アパッチ族「われらは宗教組織をもたなかった」


 われらは教会をもたなかった。

 宗教組織をもたなかった。

 安息日も、祭日もない。

 われらには信仰があった。

 ときに部族のみなで集(つど)い、うたい、祈った。

 数人のこともあった。

 わずか2〜3名のこともあった。

 われらの歌に言葉は少ない。

 それは日ごろの言葉ではない。

 ときとして歌い手は、音調を変えて、

 思うままに祈りの言葉をうたった。

 みなで沈黙のまま祈ることもある。

 声高に祈ることもある。

 年老いたものが、ほかのみなのために祈ることもある。

 ときにはひとりが立ち上がり、

 みなが互いのために行なうべきことを

 ウセン(※アパッチ族における創造主。大いなる霊)のために行なうべきことを、語ることもあった。

 われらの礼拝は短かった。


  チリカワ・アパッチ族 酋長

  ジェロニモ(ゴヤスレイ)〈1829-1909〉



【『ネイティヴ・アメリカンの教え』写真=エドワード・S・カーティス:井上篤夫訳(ランダムハウス講談社文庫、2007年)】


ネイティヴ・アメリカンの教え (RHブックス・プラス)

2012-02-07

性的暴行から生まれた子供たち


 私は正直でなければいけません。私は、この子を決して愛してはいません。この子の父親が私にした行為を思い出すたびに、それに対する唯一の復讐は、その息子を殺すことだと感じてきました。でも、私は決してそれを実行に移しませんでした。この子を好きになろうと努力してきましたが、それでもまた好きになれずにいます。(ジョゼット)


【『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク:竹内万里子訳(赤々舎、2010年)】

ルワンダ ジェノサイドから生まれて

2012-02-06

ブッダという言葉は個人を指すものではなかった


 釈尊が活躍する以前から哲学者をブッダと呼んでいました。バラモン教の聖典である『ウパニシャッド』の古いもののなかでは、真理を悟った人(哲学者、あるいは宗教家)をブッダと呼んでいます。

 また、紀元4世紀頃にまとめられたといわれるインドの叙事詩『マハーバーラタ』でも、哲学者をブッダと呼んでいます。(中略)

 このように「ブッダ」という言葉は、ある特定個人の固有の呼び名ではなく、真理にめざめた人ならばだれでもブッダと呼ばれていたことがわかります。


【『人間ブッダ』田上太秀〈たがみ・たいしゅう〉(第三文明レグルス文庫、2000年)】

人間ブッダ

政権のキャスティングボートを握る「公明党」


 前回、2009年の衆院選では公明党は小選挙区で全敗。危機感を強めている公明党と支持母体・創価学会の幹部からは「現行の並立制のままなら自公だが、連用制になれば民主党と協力してもいい」という声まで漏れている。民主党内にも「連用制」を推す声は強まっているのも当然だ。


『リベラルタイム』3月号


 あれ、仏敵じゃなかったのか?

2012-02-05

資料批判


錯誤の例

  1. 感覚的な錯誤(個人体験を過大に報告している場合)
  2. 総合判断の際の先入観や感情による錯誤
  3. 記憶を再現する際に感情的要素が働いて誇大美化(もしくは、その逆の場合)が起きるような例
  4. 言語表現が不適切で証言がそのまま他人に理解されない例(もしくは、同じ言葉を使っていても違う意味で使っている場合)

 直接の観察者でも、錯誤が入ることはよくある。ましてや証言者がその事件を伝聞した人である場合、誤解・補足・独自の解釈等によって、さらに錯誤が入る機会は多い。ことに噂話のように非常に多数の人を経由する証言は、その間にさらに群集心理が働いて、感情的になり、錯誤はますます増える。


虚偽の例

  1. 自分あるいは自分の団体の利害に基づく虚偽
  2. 憎悪心・嫉妬心・虚栄心・好奇心から出る虚偽
  3. 公然あるいは暗黙の強制に屈服したための虚偽
  4. 倫理的・美的感情から、事実を教訓的にまたは芸術的に述べる虚偽
  5. 病的変態的な虚偽
  6. 沈黙が一種の虚偽であることもある

Wikipedia

秩序→無秩序、無秩序→秩序


 つまり、エントロピー増大則という普遍的な自然法則によれば、

  秩序→無秩序

 という変化から何物も逃れることができないはずであるのに、生きている系では、

  無秩序→秩序

 という逆の変化が普遍的におきているのです。


【『生命を捉えなおす 生きている状態とは何か』清水博(中公新書、1978年)】

生命を捉えなおす―生きている状態とは何か (中公新書)

2012-02-04

アインシュタインの「生涯で最も幸福な思いつき」


 彼はのちに1922年の京都講演で、この重要な瞬間をつぎのように回想している。

「突然、ある考えが浮かびました。もし自由落下する人がいたとしたら、彼は自分の重さを感じないはずだ。私はびっくりしました。こんなに簡単な考えが、じつに深い印象を与えたのです。それが私を重力論へ押しやったのでした」やはりスイス特許局で働いていた親友のミケーレ・アンジェロ・ベッソに向かって、彼はこの啓示は「生涯で最も幸福な思いつき」だったと述べている。


【『相対論がもたらした時空の奇妙な幾何学 アインシュタインと膨張する宇宙』アミール・D・アクゼル:林一訳(早川書房、2002年/ハヤカワ文庫、2007年)】

相対論がもたらした時空の奇妙な幾何学―アインシュタインと膨張する宇宙 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)

2012-02-03

自己責任拡張論


 ところが、世間には、感染リスクの評価や日常の暮らしぶりといった「生き方」の部分を超えて、病気や事故という結果にまですべて自己責任の範囲を拡大して考える人々がいる。


 彼らの中では、病人や貧乏人や交通事故被害者や、いずれであれ不運や厄災に見舞われた人が増えれば増えるほど、自らの立場の正しさが証明されることになる。なぜなら、弱者が弱いのも病人が病気なのも自己責任で、そこから逆算して、健康な自分の正しさは、自分の健康が証明しているという理屈が成立するからだ。


【「風邪で会社を休めますか?小田嶋隆

「郷村」社会


 ここでは戦国仏教のひろまる基盤としての社会を、“「郷村」社会”なる言葉で表しておきたい。15世紀に村や町が自立してゆくことは確かだが、しかしそれがそのまますぐ、社会の基盤となるわけではない。もちろん村が史料上に確認される場合もあるが、いくつかの村を含みこんだ領域や人間の結合を基盤に持つ“郷”が多くの場合、地域社会の核として存在していた。市場や宿(しゅく)といった町も、ほとんどはこうした郷のなかに包摂される存在であった。ここではこうした存在を、史料上多く確認される用語である「郷村」として捉え、「郷村」によって構成されている社会を、“「郷村」社会”と呼んでおきたい。


【『反骨の導師 日親・日奥寺尾英智〈てらお・えいち〉、北村行遠〈きたむら・ぎょうえん〉(吉川弘文館、2004年)】

反骨の導師 日親・日奥 (日本の名僧)

2012-02-02

定見のなさ


 昨日まで「一億玉砕」を叫んでいたのに、一朝にして「一億総懺悔」を訴えたり、ごく最近まで中国の国連加入阻止に血道をあげていたのに、いつの間にやら国交回復のお先棒を担ごうとする精神は、これとはほど遠いだろう。


【『パラドックス 論理分析への招待』中村秀吉〈なかむら・ひできち〉(中公新書、1972年)】


「僧俗和合」から「打倒日顕」、「東(祥三)支援」から「東は敵」も似たようなものだろう。

パラドックス―論理分析への招待 (中公新書 (297))

2012-02-01

脅迫状


 数日前に脅迫状が届いた。あまりの恐ろしさに夜も眠ることができず、何度も自殺を試みたほどだ。というわけで刑事告訴の準備。詳細は後日公開する。容疑者を特定できた段階で民事訴訟も行う予定だ。