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2012-03-31

供養の本義


「供養」というのは、インドのことばの「プージャー」や「プージャナ」の漢訳後なのです。

「プージャー」「プージャナ」というのは、動詞「プージュ」から派生した名詞です。「プージュ」というのは、大切な客人にたいして尊敬の念を込めておもてなしすることをいいます。尊敬の念を込めたおもてなし、これが「供養」の本来の意味です。

 インドはたいへん暑い国です。そのため、清涼剤としてお香が提供されたのです。今のインドでは先行を用いますが、お香を線香のかたちにするようになったのは中国においてだったようです。


【『仏教の謎を解く』宮元啓一(鈴木出版、2005年)】

仏教の謎を解く

2012-03-30

日本の官僚は有能で清潔だという共同幻想


 多くの悲惨な結果を招いた、日本の官僚は有能で清潔だというこの共同幻想はいつごろ、そしてどのようにして成立したのであろうか。確信はないが、この幻想は、敗戦のすぐあとだったと思うが、ある裁判官が配給以外の米を食べることを拒否して栄養失調で死亡した事件をきっかけとして成立したのではないかと思われる。家族が闇米を手に入れて食べさせようとしても、闇米と知ると彼は手をつけなかったという。

 国民のあいだに大きな衝撃が走ったことをわたしは憶えている。

 たかが司法官僚が一人餓死したぐらいで、この共同幻想が成立したなどとは考えられないかもしれないが、当時の国民が必死にその種の幻想を求めていたという背景があってのことである。この裁判官は神話的人物となった。


【『歴史を精神分析する』岸田秀〈きしだ・しゅう〉(中公文庫、2007年/新書館、1997年『官僚病の起源』改題)】

歴史を精神分析する (中公文庫)

2012-03-29

戦いは相手次第、生き方は自分次第


 小野田はまた、体験から得た教訓を簡略化した、自分流の格言のようなものをいくつも持っている。例えば──、

「出来てもやってはいけないこと

 出来そうでもやらなければいけないこと

 これで善悪が決ってしまう」

「貧しくたっていいじゃないか

 乏しくたっていいじゃないか

 卑しくなければ」

コンパスは方向を教えてくれる

 でも、川や谷の越え方は教えてくれない」

「地図ばかり見ていると迷子になってしまう」

「火種は下、薪は上

 反対にしては火は点かない」

「今日は食べられなくても

 明日も食べられなくても

 明後日は何とかなる

 死にはしない」

「出来ない理由がわかればしめたもの

 それを解決すればよいのだから」

「何をやるにも三つの“ど”

 努力、度胸、度量」

「強くなければ優しくできない」

「戦いは相手次第

 生き方は自分次第」


【『小野田寛郎の終わらない戦い』戸井十月〈とい・じゅうがつ〉(新潮社、2005年)】

小野田寛郎の終わらない戦い

2012-03-28

下から上を動かせ


異常と正常


【異常な状況においては異常な反応がまさに正常な行動であるのである】。


【『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』V・E・フランクル:霜山徳爾〈しもやま・とくじ〉訳(みすず書房、1956年/新版、1985年/池田香代子訳、2002年)】

夜と霧―ドイツ強制収容所の体験記録 夜と霧 新版

(左は霜山訳、右が池田訳)

2012-03-27

ユークリッド原論「公理とは要請されるもの」


 改めてユークリッド原論を見ると、「公理とは要請されるもの」と書いてあり、「正しいもの」とは一言も書いていません。

 あくまで“要請”であり、「これを正しいと仮定しなさい」ということしか言い表していないのです。


【『苫米地英人、宇宙を語る』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(角川春樹事務所、2009年)】


 これが「機根」の本質である。

苫米地英人、宇宙を語る

2012-03-26

上間綾乃


D


 Sちゃんと面立ちがよく似ていて驚いた。Sちゃんは、もっと目が大きくて、色白で表情が明るい。

唄者(うたしゃ)

自己管理


 国民が自己自身を管理しうる国は特別すばらしい指導力を必要としない。(「転機の書」)


【『ブレヒトの写針詩』岩淵達治編訳(みすず書房、2002年)】

ブレヒトの写針詩 (大人の本棚)

2012-03-25

演技性パーソナリティ障害


 演技性パーソナリティ障害は日常生活の中において役者の演技のような行動をし、その結果自分が注目の的とならなければ大きなストレスを受けるため、自己破壊的な行動や、或いは自己破壊的なまでに挑発的な性行動を取ったりする精神疾患である。(Wikipedia


 演技性パーソナリティ障害の症状:話し方は、その場で役を演じているように見えるほど、印象的だが、話の内容自体は乏しい。また、自分の演ずる役自体は確固としたものではなく、よそからの影響を受けやすい(演技性パーソナリティ障害の特徴・症状・治療法


 演技性人格障害は大きく4つの性格的特徴を持っています。

1.自己顕示性/自分を実際よりもよく見せたい。

2.情緒不安定性/一見すると他人を振り回して行動しているように思われるが、その真実は実に小さく不完全なもので、危うさ、不安に満ちています。支配的に振る舞うことでかろうじて安定化を図っているのです。

3.被暗示性/情緒不安定と同じく、他人や環境に合わせることで、安定化を図るのです。

4.魅惑性/わざとらしく表面的で挑発的な態度にでるのは、背後に深い罪悪感を抱えていることが多いようです。このことは、患者を魅惑的な行動に走らせる一因となっています。(演技性人格障害

ナポレオン「私は古兵を愛す」


 私は馬具の下で真黒になっとことのない伊達男どもを私の側近に奉仕させることには決して同意しないであろう。……私は私の古兵たちを愛している。それ以外の者に私を護衛するという名誉を与えるわけにはゆかない。〈40歳〉


【『ナポレオン言行録』オクターブ・オブリ編:大塚幸男訳(岩波文庫、1983年)】

ナポレオン言行録 (岩波文庫 青 435-1)

2012-03-24

創造的な不満


 君たちは動きもなく、とても静かに坐ったことがありますか。やってごらんなさい。背筋をまっすぐにして本当に静かに坐り、自分の心がしていることを観察するのです。制御しようとせず、ある考えから他の考え、ある興味から他の興味へと跳んではいけないと言わないで、心がどのように跳んでいるのかにただ気づいていなさい。それについては何もせず、河岸から水が流れていくのを眺めるように眺めなさい。流れる河の中には、とても多くのもの――魚、木の葉、死んだ動物があります。しかし、河はいつも生きて動いています。そして、心もそれに似ています。永久に落ち着かず、チョウのようにあるものから他のものへと飛んでいるのです。

 君たちは歌を聴くとき、どのように聴くのでしょう。君たちは歌っている人が好きかもしれません。その人はすてきな顔をしているかもしれません。君たちは言葉の意味を追っているかのもしれません。しかし、そのすべての裏で歌を聴くときには、調べと、調べの間の静寂を聴いているでしょう。同じようにそわそわせず、手も爪先も動かさず、とても静かに坐って、自分の心をただ眺めてごらんなさい。たいへんに楽しいものなのです。楽しみやおもしろいこととしてやってみるなら、君のほうの制御しようとする努力もなしに、心が落ち着きはじめることに気づくでしょう。そのとき検閲する者、判断する者、評価する者はいないのです。このように心がおのずととても静かで、自然に穏やかであるときには、快活であるとはどういうことかを発見するでしょう。快活さとはどのようなことか、知っていますか。それは、どんなことにも何でもないことにもただ笑って喜ぶことで、生きること、微笑むこと、何の恐怖感もなくまっすぐに人の顔を見つめる喜びを知ることです。

 君たちは本当に誰かの顔を見たことがありますか。先生や親やえらい役人や召使や貧しい人夫(クーリー)の顔を見つめ、どうなるのか見たことがありますか。私たちのほとんどは率直に人の顔を見つめることを恐れています。そして、他の人たちもまた、そのように見つめてほしくはないのです。なぜなら、彼らもまた怯えているからです。誰もが自分をあらわにしたくはありません。みんなが用心し、幾重ものさまざまな悲惨や苦しみ、あこがれ、願いの裏に隠れています。それで、まっすぐに顔を見て微笑んでくれる人がほとんどいないのです。微笑んだり、幸せであることはとても重要です。なぜなら、心に歌がなければ、生はとても冴えないものになるからです。

 君たちは寺院から寺院へ、ある夫や妻から他の人へと移るかもしれません。新しい先生や導師(グル)を見つけるかもしれません。しかし、この内的な喜びがなければ、生にはほとんど意味がありません。そして、この内的な喜びを見つけることは簡単ではないのです。なぜなら、私たちのほとんどはただ表面的にのみ不満を持っているからです。

 不満になるとはどういうことか、知っていますか。不満を理解することはとても困難です。なぜなら、私たちのほとんどは不満をある方向に導いて、それにより不満をなだめてしまうからです。つまり、私たちの唯一の関心は、動揺しないように、既成の利益と威信のある安全な地位に納まることだからです。このことは家でも学校でも起ります。先生たちは動揺したくはないのです。それだから、いつもの課業を続けるわけです。なぜなら、本当に不満になって、質問し探究しはじめたとたんに、そこには必ず動揺があるからです。しかし、ただ本当の不満によってのみ、人は創意を持つのです。

 創意とは何か、知っていますか。促されずに自分で何かを創始し、始めるとき、君は創意を持っています。何も大したことやとてつもないことでなくてもいいのです。それは後のことでしょう。しかし、君自身で木を植えるとき、自然に親切にするとき、重い荷を運んでいる人に微笑みかけるとき、道の石をどけ、道で動物を撫でてやるとき、そこには創意のきらめきがあるのです。それは、この創造性と呼ばれるとてつもないものを知るのであれば、持たなくてはならない膨大な創意の小さな始まりです。創造性は、深い不満があるときにだけ生じてくる創意に根ざしているのです。

 不満を恐れずに、きらめきが炎になり、あらゆるもの――仕事や家庭、伝統的な金銭や地位や権力の追求に対して、永久に不満になるまで、それに糧(かて)を与えなさい。それによって君は本当に考え、発見しはじめるのです。しかし、年をとるにつれ、この不満の精神を維持することはとても困難であると気づくでしょう。扶養すべき子供が生まれ、考慮すべき仕事上の要求もあります。隣の人や社会の意見も迫ってきます。それで、この不満の燃える炎をすぐに失いはじめるのです。不満になると、ラジオをつけたり、導師(グル)のもとに行ったり、礼拝(プージャ)を行ったり、クラブに入ったり、酒を飲んだり、女性を追いかけたり、その炎をなだめるために何でもします。しかし、この不満の炎がなければ、君は創造性の始まりである創意を決して持つことがないでしょう。何が真実かを見出すには、既成の秩序に対して反逆していなくてはなりません。しかし、親はお金を持てば持つほど、先生は仕事が安定すればするほど、君たちに反逆してほしくはないのです。

 創造性とは単に絵を描いたり、詩を書くという問題ではありません。そうしたことをするのは良いけれども、それ自体はとてもささいなことです。重要なのは完全に不満になることです。というのは、そのような完全な不満が創意の始まりであり、それが熟するなかで創造的になるからです。そして、これが、真理とは何かを見出す唯一の道なのです。なぜなら、創造的な状態が神であるからです。

 それで、この完全な不満を持たなくてはなりません。しかし、喜びをもってです。理解できますか。不平を言わず、喜びや快活さや愛をもって、完全に不満でなくてはなりません。不満を持っているほとんどの人たちは、ひどく退屈な人たちです。彼らはいつも、あれやこれやが良くないと不平を言ったり、自分がもっと良い地位にいたなら、もっと環境が違っていたらなと願っています。なぜなら、彼らの不満はきわめて表面的であるからです。そして、まったく不満を持たない人たちはすでに死んでいるのです。

 君たちが若いうちに反逆し、成長するなかで喜びと大いなる愛情の活力をもって不満を活かしていくなら、その不満の炎は築き、創造し、新しいものを出現させるから、とてつもない意義を持つでしょう。そのために、正しい教育を受けなくてはなりません。しかし、それは単に仕事を得たり、出世の階段を昇る準備をしてくれるようなものではなく、君が考えるのを助け、空間を与えてくれる教育です。それは、大きな寝室や高い天井という形の空間ではなく、心が成長するための、どんな信念や恐怖にも束縛されない空間です。


【『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ:藤仲孝司〈ふじなか・たかし〉訳(平河出版社、1992年)】

子供たちとの対話―考えてごらん (mind books)

2012-03-21

呪的儀礼


「呪的儀礼(じゅてきぎれい)を文字として形象化(けいしょうか)したものが漢字である」


【『白川静の世界 漢字のものがたり』別冊太陽(平凡社、2001年)】


 日本仏教の密教化は漢字に由来するのだろう。

白川静の世界―漢字のものがたり (別冊太陽)

創価学会版「中国文革4人組」が大活躍


 創価学会でも中国の「文革4人組」紛いの“蛮行”が露骨となり、全国的に批判の輪が拡がりをみせている。


 学会版「文革4人組」と指弾されているのは、来秋次期会長に昇格するとみられている谷川佳樹副会長、学会のダーティワークを担ってきたとされる弁護士の、「法匪グループのトップである八尋頼雄副会長、東大グループながら原田稔会長追い落とし劇を黙認するなど八尋氏側に肩入れする元広報室長の萩本直樹壮年部長、それに一連の原田会長追い落としを巡ってマスコミ工作を担ってきた重川利昭渉外部長の4人で、中国の毛沢東国家主席の晩年、老化が著しいことを幸いにして毛主席の威光を借りた妻の江青女史ら4人組が文化大革命の名の下に、優秀な人材を次々と粛清していった如く、学会でも池田大作名誉会長の長期不在により、八尋副会長らが中心に、「紅衛兵」さながら、傘下の葬儀会社H社等を使って改革派の追放に躍起になっているという。

 

 中でも、八尋副会長は、矢野絢也元公明党委員長が昨年10月に出版した『乱脈経理』(講談社)の中で矢野氏を通じて竹下登元首相や国税幹部らによる国税庁の学会への税務調査封じを画策したことを暴露され、訴訟好きの創価学会、就くその仕掛け人の八尋副会長も沈黙を余儀なくされるなど、事実上出版内容を認める結果となり、執行部でも窮地に立たされていたという。


 しかも矢野氏が“二の矢、三の矢”を放つ動きをみせたことで、慌てた八尋副会長は、学会の関連会社のO社長を介して野中広務元官房長官に矢野対策を相談した模様。


中央ジャーナル 2012-03-20

2012-03-16

脅迫状 その二


kesiin


 これが脅迫状の消印である。「京都中央郵便局」となっている。創価系のブログや掲示板などで京都のメンバーを知っている方は是非とも情報をお寄せ願いたい。尚、脅迫状からは既に指紋が採取できている。

2012-03-13

密教と本覚論




時局は「橋下首相」へと動き出した



2012-03-12

人文主義


 ルネサンスの知識人の間で流行した、ギリシア=ローマの古典に学ぼうという思想を「人文主義」というが、彼もまたそんな知識人のひとりだった。


【『世界の「聖人」「魔人」がよくわかる本』一条真也監修、クリエイティブ・スイート編(PHP文庫、2008年)】

世界の「聖人」「魔人」がよくわかる本 (PHP文庫)

2012-03-11

エリート化という六道輪廻


三枝●お釈迦さんはある意味で、比較的簡単で明快なことを説かれたと思います。ところが教団ができて、エリートたちが研究を始めると、どんどん高度の学問にエスカレートしていく。とくに、やがて、多くの部派に分裂して、その諸部派が競い合うと、その傾向は、ますます強まる。そして、高度になればなるほど一般民衆から離れていく。一言で言えば、それが最大の契機となって大乗仏教が起(ママ)こることになります。ところが、大乗仏教が起こって年月がたつと、大乗仏教もまたエリート化していく。そしてどんどん難解なテクストを作り、複雑な理論体系を作ります。


【『仏教と精神分析』三枝充悳〈さいぐさ・みつよし〉、岸田秀〈きしだ・しゅう〉(小学館、1982年/第三文明レグルス文庫、1997年)】

仏教と精神分析 (レグルス文庫)

2012-03-10

本部職員は宗教貴族


 池田氏の専横を批判してきた月光部隊のメンバーの一人がいう。

「信濃町(学会本部)の専従職員はいまや宗教貴族だ。200人以上もいる副会長で退職金は5000万円近く、局長級で4000万円、部長職で3000万円台という。平の職員でも2500万円も得ている。年金も25〜35万円ももらって悠々自適の生活をしている。しかも幹部職員のなかには億単位の使い込みをして懲戒されても、退職金はしっかり貰って次の関連事業を展開している者もいる。関連会社のシナノ企画でも、国税庁が目をつけたら大問題になる案件が挙がっている」


【『THEMIS』2012年3月号】


「月光部隊」なんてのがあるのかね?

阿部日ケ〜ン(院政)は迷惑な人

 彼については様々な情報が私の元に寄せられている。ま、そのうち思い切り叩いてやるよ(笑)。

2012-03-09

アインシュタイン少年の疑問


 そのはじまりはアインシュタインが16歳のときに抱(いだ)いた次の疑問でした。

「もし自分が光の速さで飛んだら、顔は鏡(かがみ)に映るのだろうか?」

 顔が鏡に映るには、顔から出た光が鏡に達し、反射して自分の眼にもどってくる必要があります。しかし自分が光と同じ速さで動いていたらどうでしょう? 光は前には進めず、鏡に届かないのではないでしょうか? しかしアインシュタインは「止まった光」などありえないのではないかと考え、悩みました。


【『みるみる理解できる相対性理論 改訂版』ニュートン別冊/佐藤勝彦監修、水谷仁編集(ニュートン プレス、2008年)】

みるみる理解できる相対性理論 改訂版―特殊相対論も一般相対論も実はむずかしくなかった! (ニュートンムック Newton別冊サイエンステキストシリーズ)

2012-03-08

統計学的な回帰


 回帰の概念を本当に理解できていないときに人々が直面する二つの問題点のうちのもうひとつは、「回帰の誤謬」として知られている。回帰の誤謬というのは、単なる統計学的な回帰現象にすぎないものに対して、複雑な因果関係を想定したりして余計な「説明」をしてしまうことを言う。素晴らしい成績の後、成績が落ち込むと怠けたせいであるとされたり、反対に、凶悪犯罪が頻発した後で犯罪件数の減少が見られると、新しい法律の施行が効を奏したためと考えられるたりすることである。回帰の誤謬は、偏りの錯誤と似たところがある。どちらも、偶然に生じたできごとに人々が余計な意味づけをしてしまう現象だからである。統計学的な回帰の結果生じたにすぎない現象に、無理な説明づけをしようとするあまり、間違った信念が形成されることにさえなってしまう。


【『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ/守一雄〈もり・かずお〉、守秀子訳(新曜社、1993年)】

人間この信じやすきもの―迷信・誤信はどうして生まれるか (認知科学選書)

2012-03-07

生命の因果ということ


 最近知り合った学会員から実に興味深い話を聞いたので、勝手に紹介させてもらう。


 彼のお母さんのエピソードである。学もなく、夜の仕事をしているというだけの理由で、支部・地区の人々から徹底的にいじめられたことがあったという。しかも、その状態が10年間に及んだ。


 彼が心配をすると、お母さんはこう語ったそうだ。「その人の怒りは、その人のもの。私のものじゃない。でも、その人も私の一心に収まっている。これが『妙』ということ。自分と喧嘩をするわけないじゃない」と。


 お母さんは全く動じることなく、「宿業が出た」などと言うこともなく泰然自若として折伏にいそしんだ。既に50世帯の弘教を成し遂げている。


 他にも面白い話があるのだが、明らかに悟っているような節(ふし)が窺える。


「生命の因果」ということがわかっている人物なのだろう。相手の生命の十界を厳然と見つめている。これが観心だ。

 話は変わる。私は実に多くの先輩方から訓練を受けてきたが、組織における正義の実現という点では、やはり父と男子部時代の先輩からの影響が強い。


 私を含めた3人に共通するのは「絶対に許さない」という一点である。寛容の精神は一かけらもない。純粋さは厳しさに直結する。このため暴力的な言動、行動をためらうことがない。冗談でも何でもないが、いざとなれば我々は人を殺すことができる。真剣さとはそういうものだ。


 ちなみに私の先輩は70世帯の本尊流布をしている。


 で、先ほど紹介したお母さんのケースに戻る。組織や集団には同調圧力が働く。

 そして人間には「同調する」という本能が備わっている。なぜなら集団に同調した方が進化的に有利なためだ。


 私の発想はこうだ。「別の誰かが同じように苦しむかもしれない」。つまり問題や事件は常にモデルケースとして受け止める必要がある。


 私なら、まず組織内の癌ともいうべき人物を探り、そいつを徹底的にやり込める。実際の私を知る者であれば、私が「やる」と言ったら、どこまでやるか見当がつくはずだ。退転するか、引っ越すまでやってやるよ。


 父が死んだ時に私は悟った。学会の組織で純粋に戦い続けてゆくと、純粋に暴力的な人間が出来上がることを(笑)。

宗教的な神秘体験は側頭葉が重要な役割を果たしている


 側頭葉、頭頂葉、後頭葉の接合点に位置する言語概念連合野は、主に、抽象概念を生み出したり、こうした概念を言語と結びつけたりする役割を負っている。複数の概念を営むことの領域は、言語の利用と理解に必要な認知作用のほとんどすべてを担っているということができ、意識の発生と、意識の言語的表現にとって必要不可欠な領域になっている。

 当然、言語概念連合野が精神機能一般に果たす役割も大きく、宗教体験に関与していたとしても何ら不思議はない。ほとんどすべての宗教体験には認知的・概念的要素があって、それについて考えたり、理解したりできるからである。カリフォルニア大学ロサンゼルス分校のV・S・ラマチャンドランは、側頭葉てんかん患者が、宗教用語や、宗教的な事柄を連想させる言葉などに強く反応すると報告している。この発見は、宗教的な神秘体験の際に、側頭葉が非常に重要な役割を果たしていることを示唆している。さらに、この領域には、因果的思考などの重要な機能も備わっている。因果的思考とは、われわれが神話を作ったり、儀式の中で神話を表現したりするのに欠かせない機能であり、この点については後の章で詳しく議論することになる。


【『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース:茂木健一郎訳(PHP研究所、2003年)】

脳はいかにして“神”を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス

2012-03-06

2012-03-05

原発問題のすべてを小出さんに聞く


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原発のウソ (扶桑社新書) 隠される原子力・核の真実―原子力の専門家が原発に反対するわけ 原発はいらない (幻冬舎ルネッサンス新書 こ-3-?) 図解 原発のウソ


細野豪志原発相インタビュー「原発の再稼働は必要」 初めて明言

 細野豪志環境相兼原発事故担当相は、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から1年となるのを前に産経新聞のインタビューに応じ、全国の原発が5月にも全停止する可能性について、安全性を確保した上で「再稼働は必要だ」との意向を示した。細野氏が立場を明確にするのは初めて。


産経ニュース 2012-03-04

宗教に関する仮説


 まったく異なる次の五つの仮説を考えてみよう。


 一、【啓蒙思想はもう昔のことだ。2世紀もの間期待されていた近代社会のゆっくりとした「世俗化〔脱宗教化〕」は、私たちの眼前で消えつつある。】(中略)


 二、【宗教は、断末魔の苦しみの中にある。今日の熱狂と狂信の爆発は、宗教がせいぜい儀礼的な役割しか演じることのない真の現代社会への、短期的なぎこちない移行状態を表しているに過ぎない。】(中略)


 三、【宗教は、この惑星上で以前見られたのとは違った制度へと、変化する。つまり、基本的には教義のない団体になる。その団体は、自助自立を促進し、道徳的協力関係が生まれるようにし、団体内の関係性を強化し「ファンの長期的な支持」を得るために、儀礼と店頭使う。】(中略)


 四、【宗教は、喫煙とかなり似たような形で、評判が悪くなり、視界から消えていく。それなしには生きていけないと言う人々がいる以上、黙認される可能性はあるが、思い留まるように説得される。感化されやすい子供に宗教を教えることは、ほとんどの社会では好意的には受け止められず、実際非合法化される社会もある。】(中略)


 五、【最後の審判の日がやって来る。反キリスト者は打ち負かされ、祝福されし者たちは体ごと天国へ昇り、他の者たちは取り残され地獄の亡者として苦悶する。】(中略)


【『解明される宗教 進化論的アプローチ』ダニエル・C・デネット:阿部文彦訳(青土社、2010年)】

解明される宗教 進化論的アプローチ

2012-03-04

「同志の歌」について


「人を恋うる歌」ボニージャックスの記事に関してご教示いただいたので紹介する。


◎同志の歌は作詞が戸田城聖、作曲者の表記は「原曲」となっており「三高寮歌」となっています。

◎この動画の説明文に、【「同志の歌」は旧三高寮歌「行春哀歌」が元です】

との表記があります。そこで「行春哀歌」と検索しますと、以下の動画が見つかりました。


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◎コメント欄に詳しい解説があります。


 この歌は有名な旧制第三高等学校の寮歌「行春哀歌」(こうしゅん­あいか、又は、ぎょうしゅんあいか とも読まれます)として大正三年に発表されました。作詞は三高生­の矢野 峰人(ほうじん) で作曲は雅楽師で作曲家の奥 好義(よしいさ)です。

 この曲は奥 好義作曲の軍歌「海城の逆撃」が元となって生まれました。その後­、旧制一高の第9回紀念祭南寮寮歌「思えば遠し神の御代」に流用­され、更に、与謝野鉄幹の「人を恋うる歌(妻をめとらば才たけて­)」の曲に転訛し、その後、島崎藤村の『若菜集』収録の「酔歌」­に流用され、遂にこの旧制三高寮歌の「行春哀歌」に取り入れられ­たとのことです。私の最も好きな寮歌の一つです。


 というわけで、ご教示いただいたR氏に深く感謝申し上げる。

加速度と特異点


 1950年代、伝説的な情報理論研究者のジョン・フォン・ノイマンがこう言ったとされている。「たえず加速度的な進歩をとげているテクノロジーは……人類の歴史において、ある非常に重大な特異点に到達しつつあるように思われる。この点を超えると、今日ある人間の営為は存続するすることができなくなるだろう」ノイマンはここで、【加速度】と【特異点】という二つの重要な概念に触れている。加速度の意味するところは、人類の進歩は指数関数的なものであり(定数を【掛ける】ことで繰り返し拡大する)、線形的(定数を【足す】ことにより繰り返し増大する)なものではない、ということだ。


【『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル:井上健監訳、小野木明恵、野中香方子〈のなか・きょうこ〉、福田実訳(NHK出版、2007年)】

ポスト・ヒューマン誕生―コンピュータが人類の知性を超えるとき

2012-03-03

インドにゼロが伝わる


 紀元前4世紀にアレクサンドロス大王がペルシア軍を率いてバビロニアからインドに進軍した。インドの数学者がバビロニアの数体系について――そして、ゼロについて――はじめて知ったのは、このときだ。紀元前323年、アレクサンドロスが死ぬと、相争う将軍たちは帝国をバラバラにしてしまった。紀元前2世紀にローマが台頭し、ギリシアを飲み込んだが、ローマの勢力はアレクサンドロスの帝国ほどは東に拡がらなかった。その結果、はるかかなたのインドは、紀元4〜5世紀におけるキリスト教の勃興とローマの没落の影響を受けなかった。


【『異端の数ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』チャールズ・サイフェ:林大〈はやし・まさる〉訳(早川書房、2003年/ハヤカワ文庫、2009年)】


 ブッダの死去から57年後のこと。

異端の数ゼロ――数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)

2012-03-02

過去の「哲学的問題」は「言語的問題」にすぎない(ウィトゲンシュタイン)


哲学史家●それはですね、簡単に言うと、私たちが古代ギリシャ時代以来、哲学的問題だと思ってきた内容が、実は「言語」から生じる問題にすぎないとみなすことによって可能になるのです。要するに、ウィトゲンシュタインは、過去の「哲学的問題」は「言語的問題」にすぎないと、一刀両断のもとに切り捨てたわけですな。


【『知性の限界 不可測性・不確実性・不可知性』高橋昌一郎〈たかはし・しょういちろう〉(講談社現代新書、2010年)】

知性の限界――不可測性・不確実性・不可知性 (講談社現代新書)

2012-03-01

仏教の時間観


 仏教の時間理解は基本的に現在指向である。それは前世も来世も説かなかったブッダの現世指向に起因するものらしい。転生説を容れるとしても、それは円環時間観の存在を示すことにならない。転生が、計測される同一の時間軸の上に起こるものとされていないからである。 物事はすべて移ろい行くものであり、不変な存在などない(諸行無常)というのが仏教の根本的な認識である。アビダルマではこれを「すべての存在は極分化された一瞬にのみ存在し、瞬間毎に消滅する」(刹那滅)という思想として展開した。従って、計測される時間の外にある。 龍樹に代表される空思想においても時間は、計測の外で現在意識を軸に考察されている。


Wikipedia

社会的チキンゲーム


国際政治学者●チキンゲームでは、どちらかが避けなければ二人とも死んでしまうわけですが、これが多人数になったものを「社会的チキンゲーム」と呼びます。

 社会的チキンゲームでは、誰か一人が全員の利益になるような犠牲にならなければなりません。もし誰も犠牲にならなければ、全員が被害を受けるのです。


司会者●具体例で説明していただけますか?


国際政治学者●有名なのは、誰か一人が犠牲にならなければ沈んでしまう救命ボートの状況ですね。もし全員がボートにしがみついていたらボートは沈んで全員が溺れてしまう。


【『理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性』高橋昌一郎〈たかはし・しょういちろう〉(講談社現代新書、2008年)】

理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)