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2012-03-24

創造的な不満


 君たちは動きもなく、とても静かに坐ったことがありますか。やってごらんなさい。背筋をまっすぐにして本当に静かに坐り、自分の心がしていることを観察するのです。制御しようとせず、ある考えから他の考え、ある興味から他の興味へと跳んではいけないと言わないで、心がどのように跳んでいるのかにただ気づいていなさい。それについては何もせず、河岸から水が流れていくのを眺めるように眺めなさい。流れる河の中には、とても多くのもの――魚、木の葉、死んだ動物があります。しかし、河はいつも生きて動いています。そして、心もそれに似ています。永久に落ち着かず、チョウのようにあるものから他のものへと飛んでいるのです。

 君たちは歌を聴くとき、どのように聴くのでしょう。君たちは歌っている人が好きかもしれません。その人はすてきな顔をしているかもしれません。君たちは言葉の意味を追っているかのもしれません。しかし、そのすべての裏で歌を聴くときには、調べと、調べの間の静寂を聴いているでしょう。同じようにそわそわせず、手も爪先も動かさず、とても静かに坐って、自分の心をただ眺めてごらんなさい。たいへんに楽しいものなのです。楽しみやおもしろいこととしてやってみるなら、君のほうの制御しようとする努力もなしに、心が落ち着きはじめることに気づくでしょう。そのとき検閲する者、判断する者、評価する者はいないのです。このように心がおのずととても静かで、自然に穏やかであるときには、快活であるとはどういうことかを発見するでしょう。快活さとはどのようなことか、知っていますか。それは、どんなことにも何でもないことにもただ笑って喜ぶことで、生きること、微笑むこと、何の恐怖感もなくまっすぐに人の顔を見つめる喜びを知ることです。

 君たちは本当に誰かの顔を見たことがありますか。先生や親やえらい役人や召使や貧しい人夫(クーリー)の顔を見つめ、どうなるのか見たことがありますか。私たちのほとんどは率直に人の顔を見つめることを恐れています。そして、他の人たちもまた、そのように見つめてほしくはないのです。なぜなら、彼らもまた怯えているからです。誰もが自分をあらわにしたくはありません。みんなが用心し、幾重ものさまざまな悲惨や苦しみ、あこがれ、願いの裏に隠れています。それで、まっすぐに顔を見て微笑んでくれる人がほとんどいないのです。微笑んだり、幸せであることはとても重要です。なぜなら、心に歌がなければ、生はとても冴えないものになるからです。

 君たちは寺院から寺院へ、ある夫や妻から他の人へと移るかもしれません。新しい先生や導師(グル)を見つけるかもしれません。しかし、この内的な喜びがなければ、生にはほとんど意味がありません。そして、この内的な喜びを見つけることは簡単ではないのです。なぜなら、私たちのほとんどはただ表面的にのみ不満を持っているからです。

 不満になるとはどういうことか、知っていますか。不満を理解することはとても困難です。なぜなら、私たちのほとんどは不満をある方向に導いて、それにより不満をなだめてしまうからです。つまり、私たちの唯一の関心は、動揺しないように、既成の利益と威信のある安全な地位に納まることだからです。このことは家でも学校でも起ります。先生たちは動揺したくはないのです。それだから、いつもの課業を続けるわけです。なぜなら、本当に不満になって、質問し探究しはじめたとたんに、そこには必ず動揺があるからです。しかし、ただ本当の不満によってのみ、人は創意を持つのです。

 創意とは何か、知っていますか。促されずに自分で何かを創始し、始めるとき、君は創意を持っています。何も大したことやとてつもないことでなくてもいいのです。それは後のことでしょう。しかし、君自身で木を植えるとき、自然に親切にするとき、重い荷を運んでいる人に微笑みかけるとき、道の石をどけ、道で動物を撫でてやるとき、そこには創意のきらめきがあるのです。それは、この創造性と呼ばれるとてつもないものを知るのであれば、持たなくてはならない膨大な創意の小さな始まりです。創造性は、深い不満があるときにだけ生じてくる創意に根ざしているのです。

 不満を恐れずに、きらめきが炎になり、あらゆるもの――仕事や家庭、伝統的な金銭や地位や権力の追求に対して、永久に不満になるまで、それに糧(かて)を与えなさい。それによって君は本当に考え、発見しはじめるのです。しかし、年をとるにつれ、この不満の精神を維持することはとても困難であると気づくでしょう。扶養すべき子供が生まれ、考慮すべき仕事上の要求もあります。隣の人や社会の意見も迫ってきます。それで、この不満の燃える炎をすぐに失いはじめるのです。不満になると、ラジオをつけたり、導師(グル)のもとに行ったり、礼拝(プージャ)を行ったり、クラブに入ったり、酒を飲んだり、女性を追いかけたり、その炎をなだめるために何でもします。しかし、この不満の炎がなければ、君は創造性の始まりである創意を決して持つことがないでしょう。何が真実かを見出すには、既成の秩序に対して反逆していなくてはなりません。しかし、親はお金を持てば持つほど、先生は仕事が安定すればするほど、君たちに反逆してほしくはないのです。

 創造性とは単に絵を描いたり、詩を書くという問題ではありません。そうしたことをするのは良いけれども、それ自体はとてもささいなことです。重要なのは完全に不満になることです。というのは、そのような完全な不満が創意の始まりであり、それが熟するなかで創造的になるからです。そして、これが、真理とは何かを見出す唯一の道なのです。なぜなら、創造的な状態が神であるからです。

 それで、この完全な不満を持たなくてはなりません。しかし、喜びをもってです。理解できますか。不平を言わず、喜びや快活さや愛をもって、完全に不満でなくてはなりません。不満を持っているほとんどの人たちは、ひどく退屈な人たちです。彼らはいつも、あれやこれやが良くないと不平を言ったり、自分がもっと良い地位にいたなら、もっと環境が違っていたらなと願っています。なぜなら、彼らの不満はきわめて表面的であるからです。そして、まったく不満を持たない人たちはすでに死んでいるのです。

 君たちが若いうちに反逆し、成長するなかで喜びと大いなる愛情の活力をもって不満を活かしていくなら、その不満の炎は築き、創造し、新しいものを出現させるから、とてつもない意義を持つでしょう。そのために、正しい教育を受けなくてはなりません。しかし、それは単に仕事を得たり、出世の階段を昇る準備をしてくれるようなものではなく、君が考えるのを助け、空間を与えてくれる教育です。それは、大きな寝室や高い天井という形の空間ではなく、心が成長するための、どんな信念や恐怖にも束縛されない空間です。


【『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ:藤仲孝司〈ふじなか・たかし〉訳(平河出版社、1992年)】

子供たちとの対話―考えてごらん (mind books)

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