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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2006-10-12

踏んだり、蹴られたりしなければ、精神がふやけてしまう


 若き君よ、理の華を散らせてはならぬ。生あるかぎり「もう、これまでだ」などと言うな。少しくらいの労で「人間とは、世間とは、こんなものだ」などと言うな。

 君が純粋であればあるだけ、誤解と攻撃が、山とのしかかることもある。に合わない仕事をしなければならないこともある。

 しかし、のままにならないからこそ、修行なのだ。そこで奮闘してこそ、「を転じて楽となし、敗北を転じて勝利となす」痛快さも味わえるのだ。

 安穏は魂を殺し、順調は魂を殺し、自己満足は魂を殺す。

 から血を流したことのない人間が、どれほど、つまらないか。どん底を見たことのない人生が、どれほど味気ないか。

 つまずき、立ち上がるたびに、本当の人生を学べるのだ。耐えて生きている人のもわかるのだ。

 踏んだり、蹴られたりしなければ、精神がふやけてしまう。

 強い人間は、不幸さえも楽しんでいけるのだ。


【池田誉会長の写真紀行 光は詩う 第23回「桜樹燦爛」/聖教新聞  2000-04-02付】


 執筆されたのは春。進学と就職の季節でもある。新たな舞台へと巣立つ青年に、全魂のエールを送られている。


 淡い夢は、必ず現実にぶつかって打ち砕かれる。その時に、どのような判断を下すか。言いわけをしながら逃げるのか、黙々と忍耐のドラマを貫くのか。20代前半の選択で、人生は大きく分かれる。


 自分の人生なんだから、好きなように選ぶがいい。ただし、自分で責任を取ることを忘れるな。安易な判断をすれば、安易な人生となってゆき、困に挑めば、その分だけ人生は豊かになってゆく。


 他人のために生きてるわけじゃないんだから、自分で選ぶべきだ。


 一体全体、どういう人生を歩みたいんだ? どんな人間になりたいんだ? それを基準にすれば、判断を誤る可能は少ない。


 池田門下を乗り、師の後に続こうとするならば、先生のようにすればいいのだ。簡単な話だ(笑)。自分で自分を誤化そうとするから、話がややこしくなるのだ。

2006-04-05

新時代を開くのは青年の勇気


 彼は土産(みやげ)にバラの花などを採集して帰った。穏やかそのものである。それも当然、この岬が位置するのはカナリア諸島の約240km南。アフリカ全体の大きさから見れば、“航海学校”からでさえ、いかほども離れていなかった。

 ゆえに地理上の発見としては、ほとんど価値もないように見えた。しかし、それまでの「恐怖の岬」という「の境界線」「臆病の壁」を越えた。そこに決定的義があった。(ボジャドール岬に関するエピソードについては、前掲書を参照)

 遠洋航海に従事する「波濤会」の方からも、かつて同様の話をうかがったことがある。


 一人の勇者が壁を越えれば、あとは次々と続く。ついにアフリカ西海岸を踏破。やがてアフリカ南端「喜望峰」の発見(1488年)、インドへの新航路発見(1498年)と続く。

つまり、「大航海時代」とは、あの無の船乗りが、かの小さな岬をい切って越えた、その瞬間に本格的な幕を開けたのである。


 ともあれ、新しい時代を開くのは、常に青年の勇気である。誰を頼るのでもない。若き勇者が一人立つならば、いかなる困な道も切り開いていけるものだ。

 この後、マゼランの一行が世界一周に成功したのは1522年。王子の死から60年後、航海学校設立から100年後であった。えば、学会も創立60周年に過ぎない。戦後の再建からみれば、実質40年である。今、私は、創立100年、200年の確かな未来を目指している。そのための人材をいかに育てるか。広布という壮大な航海における課題もここにある。


第20回本部幹部会 1989-08-17 長野研修道場


 一人を手本として一切衆生平等なること是くの如し(564頁)


 一は万が母といへり(498頁)


 その一人となるのか、それとも、誰かの後ろにくっついてゆくのか。


 夜の山道を車で走ると、直ぐにわかることだが、別の車が前を走っていると、非常に楽だ。しかし、自分の車しかないと、見通しが悪いため、神経を集中させて、慎重な運転となる。後続は楽な分だけ、新たな発見が少ない。


 我々の戦いの目的は人間革命にある。だから、成果が目的になってしまうと、必ず行き詰まる。その結果として、人が育たなくなる。何のための目標か。目標を達成する中で、いかなる人材群をつくり上げるのか。長の一にその理があって、初めて強靭な団結が生まれる。「我が生命の新たな地平を開いた!」という一人ひとりの実こそ、本物の勝利だ。

2006-01-02

未来に生きる人こそ青年


「過去」を食べて生きている人は「老人」である。「現在」を食べて生きている人は「中年」である。それに対し、「未来」を食べて生きる人こそ「若人」であり、「青年」である。

 これは年齢の問題ではない。人生を生きゆく一の姿勢の問題であり、の境涯の問題に他ならない。

 ましてや、大聖人の法は本因妙の法であり、現当二世の大法である。現在から未来にわたり、永遠にして絶対の幸福を構築しゆく「法」といってよい。

 ゆえに私は、常に未来を志向し、時代を先取りしながら前進してきた。胸中には既に100年、200年の構が湧き出でている昨今である。また、皆さまの胸中にも、それぞれ大いなる希望が輝いているにちがいない。その味で、21世紀は「既に始まっている」のである。


第20回本部幹部会 1989-08-17 長野研修道場


「青年・躍進の年」明けまして、おめでとうございます。


 それにしても、壮年部になると静かな正ですなあ。任務に明け暮れていた青年部の頃をうと、何だか悪いことでもしているような気にさせられる。


創価ルネサンス」のエポックメーキングとなった指導の冒頭部分。会長勇退から、ちょうど10年後。「遺恨十年」であり、「十年一剣を磨く」期間であった。時を稼ぎ、時を待ち、先生は本格的な反転攻勢に打って出られた。宗門問題が起こるのは、この16ヶ後のこと。


「私と共に、未来を目指して進め!」との烈々たる師の叫びである。先生はこの時点で、“宗門問題後”をも見つめておられたに違いない。180を超える誉学位がそれを物語っている。


 青年とは、向上の坂を上りゆく人の異である。闘争の吹を満々と湛(たた)え、成長また成長を続ける人の謂いである。


 戸田先生は、「牧口門下に第三代会長は譲らない」と仰せになった。「5.3」を読めば、その理由も理解できよう。


 立場と経験だけで話すようになれば、もはや老人だ。老人は組織で政治を行う。若い人を抑えつけ、見にを傾けることなく、問題があっても見て見ぬ振りを決め込む。


 青年の吹をもって、大躍進を勝ち取る一年として参りたい。


 今日は、先生の78歳のお誕生日。八王子は雪。

2005-07-12

青年は沸騰する信心であれ


 かつて『随筆 人間革命』でも紹介し、また先日も少し触れたが、ある年の夏、戸田先生を囲む青年部首脳の会合があった。

 その時、先生は、ある穏健そうな青年に、こう指導されていた。その青年は、戸田先生配通り、後に退転してしまった――。

「閉ざされた青年であってはならない。水の信というけれども、水も、時と条件によっては、沸騰することもあるのだ。革命児は、ただの平穏なゆっくりした生活を夢見るようでは、成長できなくなるだろう」

 を閉めきったなにか陰湿な青年であってはならない。先生はよく、昼は、はつらつと太陽とともに働き、学び、夜は星を友にしていくような、理情の融合した革命児であれと語っておられた。

そして「ともかく、何かで第一人者となるというだけの執をもつことだ」と結論しておられた。

 信した以上、可もなく不可もなくといった中途半端な生き方では、厳しく見れば、結局、不可である。何らかの味で、自分ならではという「第一人者」になろうという志と努力・精進が大切である。その一が信を深め、また信の力を証明していくことを忘れてはならない。


【12本部幹部会 1987-12-04 創価文化会館


 当時の青年部であれば、忘れようにも忘れられない指導の一つ。豪放磊落(らいらく)な戸田先生の人間が窺える言葉の数々。


 青年ならば、燃えたぎる何かを持て。青年ならば、熱に浮かされたように何かに打ち込め。青年ならば、理と大義に生きよ。若くして、ちまちました小市民になってはいけない、という戸田先生いが込められていたに違いない。


 失敗を恐れるな。逃避と怠惰を恐れよ。石橋を三度も叩く必要はないぞ(笑)。


 どこにあっても、誰からも必要とされる逞しき笑顔の青年であれ。

2005-07-07

青年は望みが大き過ぎるぐらいで、ちょうどよい


 戸田先生は、よく私ども青年に語ってくださった。

「大事は、20代、30代でやる決が大切だ。40代に入ってから“さあ、やろう”といっても、決してできるものではない」と。

 また、「青年は、望みが大き過ぎるぐらいで、ちょうどよいのだ。この人生で実現できるのは、自分の考えの何分の一かだ。初めから望みが小さいようでは、何もできないで終わる。それでは何のための人生か」とも教えられた。

 20代、30代という青春の日々を、いかに「大いなる理」を抱いて戦いきっていくか。そこにこそ、長いようで短いこの一生を、最大に「満足」と「充実」で飾りゆくための“ホシ”がある。

 青春は再び返らない。40代、50代になって、侘びしい「悔い」をかみしめる人生であっては不幸である。また、不完全燃焼の燃えさしのような、ブスブスとくすぶる愚癡の人生となっては哀れである。

 ゆえに、健康でう存分働ける青春時代にこそ、若き生命を完全燃焼しきっていくべきであろう。それが他ならぬ自分のためである。

 青年よ、高く大いなる理に生きよ、炎となって進め――それが、戸田先生の教えであった。その理の峰が高ければ高いほど、尽きせぬ充実がある。パッション(情熱)が湧き、成長がある。信の無限の力がみなぎってくる。

 そして、「広宣流布」こそ、人類の最高峰にして、最も義深き、偉大なる理である。また、最も現実的にして、時代と世界が求めてやまなぬ理である。

 この広布の大理に青春を、人生を、あますところなく燃やしきっていく。そこにこそ日蓮大聖人の仰せにかなった一生涯があり、不変の学会精神の骨髄がある。


【第1回本部幹部会 1988-01-20 創価文化会館


 壮年となって、一番よく聞く話の一つはこれだ。「定年退職して、う存分、本を読もうとったら、老眼になってしまった。若い時に、本気で読んでおくべきだった」というもの。既に、数十の方から同様の話をにしている。


 私はそれなりに戦ってきたつもりだ。まあ、その辺の区男の10倍はやってきた。その辺の男子部の100倍は叱られてきた。それでも、やはり悔いが残っている。一生懸命とか、必死とか、精一杯とか、真剣などという言葉が当てはまる内は駄目なんでしょうな。「尋常でない」「狂っている」と言われるぐらいでなけりゃ、抜きん出た力を獲得することはできない。平凡な壮年部で終わりたくないので、これから、挑戦することにしよう(笑)。


「若いから何もできない」のか? そうではない。「若いからこそ何でもできる」のだ。20代の内から、小ぢんまりとした人格者になることなかれ。“破天荒”、“型破り”をモットーとせよ。


 人間は、本当にポジティブ(積極的)になると、目覚まし時計がなくても、、目が覚めるものだ。例えば、明日、今勤めている会社の社長になるとしよう。興奮のあまり、中々眠りにつくことができず、それでいて、は自然の内に目が覚めることは間違いない。「今日も、広宣流布のために戦える!」とドキドキ、ワクワクしていれば、そのようなリズムになるのだ。


 私はというと、サプリメントで鉄分を補給し、100円ショップの足指パットを着用し、酒と煙草ののみ過ぎに注しながら、勝ちに挑戦する日々である(笑)。

2005-04-14

青年は“生命の王者”


 青年は“青年である”というだけで、すでに“生命の王者”である。総理大臣や代議士より、また、博士やいかなる富豪より、何百、何千倍もの人生の価値と未来を持つ。

 諸君を見ると、私には希望がわく。勇気が出る。未来が洋々と広がり、明るさをじる。

 私も、青春時代、戸田先生のもとに馳せ参じ、20代の日々を懸命に生きた。悔いなき我が法戦の歴史を、存分に綴ったつもりである。30代も、40代も、そして、50代も懸命に生き、戦い、広宣流布の道をひたすらに前進してきた。そこには、何の悔いもない。

 どうか諸君も、悔いなき青春であっていただきたい。取り返しのつかぬ不幸への堕落の青春を絶対に生きてはならない。諸君のみならず、家族、一族の永遠の繁栄のためにも、この点を強く申し上げておきたい。私も日夜、諸君の人生の充実と栄光を祈している。


【第12回全国青年部幹部会 1989-02-14 創価文化会館


 これほどの期待を青年に寄せる指導者がどこにいよう。戦争となれば、最前線へ送り込まれるのは若い兵士だ。企にあっては、新入社員というのもとに、アゴでこき使われるのが若者だ。政治家にとっては、単なる浮動票に過ぎず、年老いた権力者に利用され続けてきたのが青年ではなかったか。


 私はこの指導を同時中継でにした瞬間、自分の身体に力が漲(みなぎ)ってくることを実した。「どんなお金持ちよりも、何も持たない青年が寒風の中を、タッタッタッと走る姿の方が、どれほど尊いことか」とも言われていた。青年のに埋蔵された黄金を、掘削機で掘り出すような勢いで先生は語られた。


 今振り返ると、先生の指導を拝する度に、信の軌道が修正され、前へ前へと進みゆく勇気と確信を与えて頂いたことに気づく。この師なくして、我が人生はあり得ない。


 最近になって痛するのは、“人生は20代をどう過ごしたかで決まる”ということだ。20代を中途半端に終えた人は、40歳になっても50歳になっても役に立たない。幹部の信・力量は、組織で問題が起こった時に発揮される。力のない幹部ほど、狡猾に責任回避をしようとする。人として持つべき“い”すら失っている。こうした連中に共通しているのは、20代を漫然と過ごし、適当な人事でとんとん拍子に上がってきたことだ。


 一方、20代を懸命に戦い抜いてきた人は、問題と聞く度に、信の焔(ほのお)が燃え上がる。「今こそ、自分が必要とされている時だ!」と立ち上がる。いかなる問題であろうとも、「必ず、解決しみせる!」という自負に満ちている。訓練を受けてきた人物は、平穏そうに見える組織の水面下に潜んでいる問題まで探り当てる。戦えば戦うほど、アンテナは鋭敏になってくるものだ。アンテナが反応するや否や、次々と問題解決のための手を打ち、現状を変革する。こういう人が一人でもいれば、皆が救われる。


 組織を知るとは、人のを知ることである。


 法華経の敵を見ながら置いてせめずんば師檀ともに無間地獄は疑いなかるべし、南岳大師の云く「諸の悪人と倶に地獄に堕ちん」云云、謗法を責めずして成を願はば火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべしはかなしはかなし、何に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし、うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し、毒気深入失本故は是なり(1056頁)


 現代の法華経の行者である創価学会員を悩ませる人や問題は、全て「法華経の敵」である。そうであれば、問題を放置して、「見ながら置いてせめずんば」、幹部の無限地獄行きは決定される。


 学会が発展に次ぐ発展を成し遂げてきたのは、「悩んでいる人を、放っておくわけにいかない!」、「困っている人を、見捨てるわけにいかない!」という気があったからだ。


「一人の人を大切に」と口にするのは易しい。真剣勝負で実践する人は少ない。

2005-04-04

青年は革命の闘士たれ


 新しき時代の新しき扉。それを開けるのは常に、燃え盛る青春の情熱である。妥協なく、理に生きる青年の行動である。

 しいたげられた民衆への愛情、金剛のごとき正義、不当な権力への怒り、倦(う)むことを知らぬ不屈のパッション(熱情)……。

 周夫妻をはじめとする青年たちの奮起は、やがて広範な大衆を巻き込んで、かつてない社会変革の潮流を生み出していく。それは、中国はもちろん、世界の命運をも変えていくほどの巨大な歴史の潮であった。

 まして、妙法を持(たも)った青年部の諸君は、誰よりも不幸な民衆の見方となり、民衆勢力を迫害する存在とは生命を賭して戦う革命の闘士であってほしい。

 私も戦った。「革命は死なり」の覚悟で。自己一身の功徳とか幸福とか、もとより眼中になかった。ただ「広宣流布」を目指した。人類の嘆きの宿命を転換する、この壮大な革命運動に敢然と生き、戦い、死んでいくことのみが私の願いであり、祈りであった。

 そして、師・戸田先生の遺志を継いで、どう尊き子を守り、どう広布の使命を果たしていくか。今日に至るまで、ただ、それのみを時々刻々にじ、い巡らしてきた。私のには他の何ものもない。


【1.15合同記幹部会 1989-01-15 創価文化会館


 この少し後に、以下の指導あり。


「覚悟の青年」が革命の成否を決する。この方程式は、現在も、また未来も不変である。


 戸田先生は、「三代会長は、牧口門下には渡さない(趣)」と言われた。その理由は、“老人であるから”というものだった。


 新時代を開拓するのは青年である。41歳の私じゃ駄目なんだよ(笑)。大人になると妥協を強いられる場面が増える。人は妥協した分だけ腐ってゆく。が鈍になってゆき、要領を覚えて老獪(ろうかい)な生き方を身につける人物も多い。どう頑張っても考え方が保守的になってゆく。


 青年には社会的な力がない。さしたる経験もなければ、知識もない。だが、理を求めてやまない純粋がある。一言の激励でガラリと変わる可能も秘めている。ちょっとしたキッカケを与えれば、ぐんぐんと伸びてゆくのが青年だ。壮年は、そうはいかない(笑)。


 失敗を恐れるあまり消極的になるような青年に、大いなる仕事はできない。若い内は失敗が許される。だから、どんどん失敗すべきなのだ。若くして謙虚になる必要はない。小ぢんまりとした青年を、私は青年として認めない。


 青年であれば、求道の炎を燃やせ。具体的には、先輩にどんどん質問してゆくことである。じっと黙って、一方的にものを教えてもらう受け身の姿勢であってはならない。


 私が男子部となった頃の部活動者会は、勤行が終わるや否や、私の質問から始まった。私は何か言われたからといって、「はい」と素直に返事をするような青年ではなかった(笑)。自分で疑問にったこと、友人から尋ねられて答えられなかったことが殆どだった。活動者会の半分は、私と部長のやり取りだった。4年ほど続いたと記憶している。


 ある時、同じ地区で戦う先輩から、「お前がいると誰もしゃべれないよ」と言われた。少し遠慮をすることにした。すると、部長から「体調でも悪いのか?」と詰(なじ)られた。この瞬間、遠慮という文字は、私の辞書から消え去った。


 上京してからというもの、求道の炎は更に燃え上がった。私はありとあらゆる学会員に質問をしまくった。「先生と会ったことはありますか?」、「会長勇退の頃の話を教えて下さい」、「タテ線時代のことを教えて下さい」等々。元々、学会の歴史に詳しいこともあって、話は常に弾んだ。『前進』を読んでいたおかげで、昔の幹部の前は一通り知っていた。


 こうしたことを通して私は、今の学会があるのは、草創の茨の道を切り拓いてきた民衆王者の闘争によるものだと知った。そして私は、このような人々と同じ道を歩みたいと、の底から熱望した。その先頭を歩んでいるのが池田先生だった。


 学会の歴史を語る先輩の話にを傾ける時、いつであっても、「ああ、きっと自分は、この人の後に続いて、地涌の儀式に参加してたんだろうな」という興奮に襲われる(笑)。