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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2011-12-28

業の本質


 業(ごう)の本質は認知バイアスを始めとする「脳のバイアス」である。

五逆罪に潜む生命の不平等性


 五逆罪は、父・母・阿羅漢以外の殺害を容認していることにならないか?

日蓮の反証可能性について


「智者に我義やぶられずば用いじとなり」を反証可能性とした場合、三証との位置づけはどうなるのか?


 不軽菩薩は所見の人に於て仏身を見る。悉達太子は人界より仏身を成ず。此れ等の現証を以て之を信ずべきなり。


 先づ唯真言法中の肝心の文あやまりなり。其の故は文証現証ある法華経即身成仏をばなきにして、文証も現証もあとかたもなき真言の経に即身成仏を立て候。


 日蓮仏法をこゝろみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず。


 此れ等の文証と現証をもつてかんがへて候に、此の人は天に生ぜるか、はた又法華経の名号を臨終に二反となうと云云。

本源的な問い


 宗教者に欠けているのは「本源的な問い」である。教団が最も毛嫌いするのは懐疑や不信で、教義が「考える力を奪う」機能として働くためだ。それゆえ教義は信者を奴隷化する。教義の方にはそんなつもりはないんだろうけどね。


 そこで「テーマ」というカテゴリーを設けることにした。研鑚の一助になれば幸いである。留意すべきことは、「知識を欠くと驚くこともできない」という事実である。


 例えば、「智者に我義やぶられずば用いじとなり」を反証可能性に結びつけたのは、私にとって悟りに近いのだが、これが理解できる人は一人か二人しかいないという悲しい現実がある。

 五十近くなって、やっと知識が結びついてくるようになった。これがまた実にスリリングなんだ。