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2008-02-13

「同志の心」が隆盛への熱きエネルギー


 いかなる団体にせよ、志を同じくする「同志の集い」は強い。この「同志の」がみなぎっている限り、それが隆盛への熱きエネルギーとなる。

 反対に、無責任な「雇われ根」や、また出来上がった結果に安住する保身的な「権威主義」が、はびこり始めれば、もはや滅びの坂である。

 そこでは、全体の発展が「目的」ではなく、自分の栄達、利が「目的」となり、団体を「手段」にしているからである。

 それでは獅子の身中に入り、その肉を食らって生きる虫の存在に他ならない。

 獅子である学会にも、断じてこうした悪を許してはならない。戦わねばならない。悪と戦わない人は、自分自身が悪の病原菌に負けてしまう。信を毒し、生命の“病”になってしまう。


東京文京・台東・板橋区代表者会議 1989-12-24 東京上野池田講堂】


 全学会員の志は広宣流布であるはずだ。「必ず幸せになれる!」と聞いて入会を決した人もいれば、生まれた家が学会員というだけで何となくやっている人もいることだろう。だが、ひとたび一生成を目指して功徳を実すれば、我が使命の自覚が急速に深まってくる。


 御義口伝に云く大願とは法華弘通なり(736頁)


 学会員であるならば、広布大願に生きる人でなくてはならない。池田門下生を乗るならば、折伏の達人でなくてはならない。


 最前線で戦う同志の方々は皆純真だ。おしなべて真面目で人がいい。ところが幹部はといえば、地域によってかなりレベルが異なる。現在、私がいる組織は、目を覆いたくなる惨状だ。原因は明らかだが、ここに書くことは控えよう。既に直接、方面長には伝えてある。


「同志の」が脈打っているかどうかは、見る人が見れば一瞬でわかる。一念からにじみ出る“生命の発露”は歴然としている。絶対に誤化せない。「戦っているふり」をしてもムダだ(笑)。


師子身中の虫」は癌と同じだ。切除しなければ死に至るケースもある。問題は、先生がご存命の間に切れるかどうかだ。

2007-10-08

傲慢な幹部が和合僧を乱す


 物事を成し遂げるために大事なのは、人数ではない。役職や立場でもない。を一つに合わせられるかどうかである。を一つにする時、そこに確かな未来の建設への「核」が生まれる。

 物事が成就しないのは、異体同がないからである。

 特に、幹部が“自分は偉い”“私はこうなのだ”とって、他の人とを合わせていこうとしないのは、自分の“わがまま”にとらわれた姿である。それは、自分の利害のために組織を利用するになりかねない。妙法の世界では、そのような生き方は絶対にあってはならない。


【第10回SGI総会 1989-10-04 創価文化会館


「核」というのは凄まじい力で結び合っている。この力の分裂を利用したのが原子爆弾や原子力発電であり、融合する力を放っているのが太陽だ。


 既に何度も書いているが、私がリーダーとして最も労をしたのは男子部の部長時代だった。分区の足を引っ張るほどの部に派遣となった。とにかく、6歳年上の副部長に私自身を知ってもらう努力をした。ひと経った頃だったと記憶している。副部長が、「俺、部長のこと、誤解してたよ」と言った。ここから組織が動き出した。地区幹部のをつかむまでには、9ヶを要した。それ以降、分区でトップレベルの結果を出せるまでになった。


 まず、一人の味方をつくることである。


 汝只正理を以て前とすべし別して人の多きを以て本とすることなかれ(493頁)


 私は、まず御書講義を行った。まだ20代だったから、多分、稚拙な講義だったとう。しかし、その時叫んだ動は今よりもはるかに新鮮な力があった。御書には誰人も逆らえない。正しい叫びは、必ず人のに届く。


 ある時、一番厄介な地区幹部が私に悩みを打ち明けた。家庭のことだった。「指導を受けたい幹部はいるか?」と尋ねると、「いない」という答えだった。「じゃあ、一緒に学会本部に行くか?」「俺も、そうしてもらえればとってたんだ」。私は嬉しかった。


 本部へ行ったところ、なぜか私が気合いを入れられまくった(笑)。大事な指導になると必ず、「なあ、部長!」と相槌を求められた。私は背筋を正して元気一杯、「ハイっ!」と返事をし続けた(笑)。


 あの頃は今と違って、まだまだ気合いの入った爺さん幹部が多かったんだよね。今は殆どが、ヨレヨレのオジサン・オバサンになってるけど(笑)。


 衆院選を睨んで人事が見送られている模様。動いてない幹部がこれほど多いのだから、方面長以外はあまり関係ないような気もする。相手を動かそうとすると失敗する。一緒に動いて、動を与えることが大切だ。

2007-08-27

人間として心が通じ合うかどうか


 リーダーは、どこまでも同志のことを祈ってゆくのだ。

 具体的に祈り、誠実に尽くしていけば、必ず反応がある。法は「依正不二」なのだから。

 とにかく祈る。

 そして、じよく接してゆくことだ。

 自分の「大きい」ができ上がっていけば、自然と「大きい結果」が現れてくる。

 大事なのは、の奥で本当に信頼し合えるかどうかである。

「あの人は好きだ」「あの人となら一緒にやっていきたい」となっていかなければ、本当の異体同ではない。

 権力でも、権威でも、組織でもない。

 人間としてのが通じ合うかどうかである。

 偉大な御(ごぶっち)のままに、本当の人間の絆を学会の中に築いてきたのが、牧口先生であり、戸田先生であり、その直系の弟子の私である。


埼玉池田研修道場でのスピーチ 2007-05-08】


 牧口先生の価値論では、「好き嫌い」が最も低い価値観である。であればこそ、万人に共通する情といえる。友人から、「学会は素晴らしいとうが、お前は嫌いだ」と言われるよりも、「学会は嫌いだが、お前は好きだ」と言われるのが好ましい。


 昔は副役職の幹部が嫌われ役だった。長が言えば皆のが離れてしまうような厳しい指導をし、団結の要となっていた。


 今はどうだろうね? 「好きでも嫌いでもない」幹部が一番多いね(笑)。ま、「いてもいなくても」いいような連中だ。


 一方、人材育成に当たっては、まず相手を好きになるかどうかが決定的な要素となる。「生気だ」「顔が気に食わない」「なめてんのか、この野郎」なあんてっていたら、そりゃあ絶対にが通わないよ(笑)。っていることは、言葉の端々や、ふとした表情に必ず表れるものだ。


 例えば、訪問すると快く話ができるのだが、一向に活動しないメンバーがいる。よく見られるケースとしては、「貴様、このクソ忙しい時に時間を割いて足を運んでいるのに、どうして会合に出ないんだ?」とを煮やす人が多い。私はそのようにわない。話ができるのであれば、こっちの話次第だろう。会話が可能であれば、絶対に何とかする自信がある。ドアが開くだけでも御(おん)の字だよ(笑)。


「好きになる」とは、相手に興味を抱くことである。すると、自然に「相手を知ろう」と努力するようになる。妙なことだが、相手を知れば知るほど、向こうもこっちを理解するようになるのだ。


 仍(よっ)て法界が法界を礼拝するなり自他不二の礼拝なり、其の故は不軽菩薩の四衆を礼拝すれば上慢の四衆所具の不軽菩薩を礼拝するなり、鏡に向つて礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり云云(769頁)


 全幹部が会員を礼拝すれば、組織は一変する。今時ときたら、上には礼拝して、下には命令ばかりしているのが多い。

2007-08-23

汝の原野に挑め! 時代を開け!


人間共和の理郷・岩手


「わたしたちは一層新しい、一層力に満ちた世界へ、変化した世界のうえに進出するのだ」

 これは、岩手出身の詩人・富田砕花(とみた・さいか)氏が訳された、ホイットマンの詩である。

「岸辺を下り、隘路(あいろ)を越え、山々の険峻をのぼって、

 未知の路をわたしたちは行きながら征服し、占領し、敢行し、危険を冒す、

 開拓者たちよ! おお、開拓者たちよ!」

 私も青春時代、この詩を、高鳴る鼓動をもって、幾度も詠誦したものであった。

 立春を過ぎてもなお、今は、北国の同志にとって、最も厳しく、辛い寒雪の季節だ。

 しかし、大変な時にこそ、「さあ来い!」と、満々たる闘魂を燃やして戦い勝ってきたのが学会魂である。

 これが、わが栄光の岩手の同志の気だ。


岩手岩手らしく、“希望と開拓”をモットーにして進もう!」

 昭和47年の714日――私は、記撮影会のために、盛岡の県営体育館に集った3600人の友に、万いで、こう呼びかけた。

 風雪に耐え抜いた岩手の天地から、21世紀の広宣流布の新しき流れを巻き起こすのだ。私は、この日、愛する大岩手の新出発が本当に嬉しかった。

「希望」は、いずこより来るか。

 それは「必ず勝つ」「必ずこうしてみせる」という強きーから起こる。自分のいこそが未来を創る。「未来の果」は、「現在の因」に納まっているからだ。

 そして「開拓」とは、自分自身への挑戦だ。

 人は、誰でも未踏の原野をもっている。それも、どこか遠い彼方ではなく、ごく身近にあるものだ。

 手だからと、つい避けてきた課題。先入観から「どうせだめだ」と諦(あきら)めてきたり、「いつかやろう」といながら、いつも後回しにして手つかずだった問題……。

 最も手強い壁は、実はの中にある。ゆえに、勇気をもって自分と向き合い、「自己拡大の戦い」「人間革命の戦い」を起こすことだ!

「汝自身の原野」に雄々しく挑め! その人こそ、最も勇敢なる開拓者である。


 わが岩手の同志は、「団結」の二字で、勝利の道を開いてきた。

 岩手には、大いなる「宇宙への窓」がある。

 国立天文台「水沢観測センター」では、電波望遠鏡を使って銀河系の三次元地図を作る「VERA(ベラ)計画」が進んでいる。

 望遠鏡のアンテナの直径(口径)は20メートルと決して大きくはない。だが、これを、小笠原の父島、鹿児島、沖縄の石垣島に同じく設置されたアンテナと組み合わせると、実に直径2000キロのアンテナに匹敵する結果が得られるという。

 その威力は、なんとの上に置いた「1円玉」が見分けられるほどで、これまでの100倍以上の精度で観測できるようになる。

 団結の力も、まさに、このようなものではないだろうか。それは、単なる「足し算」ではない。何倍何十倍にも威光勢力を増す「掛け算」なのである。

 蓮祖は「異体同なれば万事を成し」(1463頁)と仰せだ。

 決然と立ち上がった勇者の強き結合のなかにこそ、不可能を可能にする、驚嘆すべき未曾有の歴史も輝きわたる。

 自らも悩みと格闘しながら、友の悩みをわがとして必死に題目を送り、励まそうと、吹雪のなかに飛び出して行く――これが、岩手の勇者の熱き気であった。この精神こそが、固い固い同志の絆を育んでいったのだ。

 仲の良い、和気あいあいとした団結の姿は、それ自体、人間共和の縮図である。

 この団結のなかにこそ、「境涯革命」がある。利己主義や自分本の我見では、皆とを合わせることができないからだ。ゆえに、団結できるということは、自身のエゴに打ち勝った人間勝利の証なのである。


 昨年、皆様の祈りに包まれてオープンした、“みちのく記墓地公園”から望む水沢市一帯には、民衆の「団結」の歴史が眠っている。

 時は延暦8年(789年)のこと。豊饒なる東北に支配権を伸ばさんと、都の将軍・紀古佐美の率いる約5万3000人の大軍が集結した。

 この時、民衆の抵抗戦を指揮したのが、胆沢地方の族長アテルイであった。昨年は、彼の「没後1200年」にあたっていた。

 北上川に沿って攻め来る、選り抜きの戦闘部隊を迎え撃ったアテルイ軍は、わずか2000人。しかし、神出鬼没の猛攻で、敵の精鋭を蹴散らし、圧勝したのである。

 史書にを残す「巣伏の戦い」である。その古戦場は、私たちの水沢文化会館にも、ほど近いようだ。

 当然、地の利を活かした優れた作戦もあろうが、根本の勝因は、郷土を愛する勇者たちの「鉄の団結」ではなかったか。

 御書に引かれた、周の武王が800人の団結をもって70万騎の殷軍を破った故事を目の当たりにするような、赫々たる大勝である。都の傲れる貴族たちを、あっと驚かせたにちがいない。


 今や「6分県」に発展した岩手は、いわば「六頭の師子王」が一丸となり、師子奮迅の大力で驀進する。

 頑張れ! 全国の友が皆様の前進を瞠目して見つめ、圧倒的な勝利を祈っている。

 妙法の闘将たる我らの武器――それが正義の言論だ。

日蓮が一門は師子の吼るなり」(1190頁)である。

 悪は断じて責めねばならぬ。悪と知りながら目をつぶることは臆病であり、無慈悲以外の何ものでもない。

「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」(236頁)とは創価の父・牧口先生が常に語られた一節である。

 正義は叫び抜かねばならない。を大にして、も惜しまず、内にも、外にも、堂々と語るのだ。いな、師子吼するのだ!

 御本尊の大功徳を、広布の使命に生きる喜びを、わが同志の敢闘を、そして学会の正義と真実を!

法華経功徳はほむれば弥功徳まさる」(1242頁)と、大聖人は教えてくださっている。

 自分が叫んだ分だけ、幸福の拡大、友情の拡大、栄光の拡大があり、わが身に無量の大功徳が噴き上がるのだ。


 昭和35年、第三代会長に就任し、世界広布の戦いを開始した私と共に、わが岩手の同志たちは、一つに敢然と立ち上がってくれた

 それが「岩手支部」の晴れの出発であった。

 戦う勇気がある限り、不二の磁力で結合した師弟の魂は、常に一体である。広布を誓った共戦の師子の絆は、誰人も切ることはできない。

「諸君よ 更にあらたな正しい時代をつくれ」(「生徒諸君に寄せる」)と、岩手が生んだ宮沢賢治は歌った。

 今、我らの陣列には、「新しき世紀」を創る、偉大なる熱と力が漲(みなぎ)っている。

 今日も、また明日も、同志と勝鬨(かちどき)をあげながら、共々に築こうではないか!

 強き民衆の岩手を!

 世界第一の理郷を!


【「随筆 新・人間革命」308/聖教新聞 2003-02-20】

2007-08-12

破邪顕正の陣列を具体的に整えよ


 使命深きリーダーの皆さまに、懇談的にお話したい。

『三国志』に登場する“五虎”の将軍は、ご存じだろうか?

 蜀の国で劉備玄徳とともに戦った、関羽、張飛、趙雲(ちょううん)、馬超(ばちょう)、黄忠(こうちゅう)の5人。「五虎大将」とも呼ばれる。

 さらに劉備のもとには、希代の軍師・諸葛孔明がいた。

 戦いは一人だけでは勝てない。衆知を集め、を一つにして事に当らなければ、インチキで邪悪な人間たちを打ち砕くことはできない。

 その態勢を具体的に整えることだ。

 これからの学会で大事なことは、全員が「広布の責任者」との自覚に立つことだ。一人ひとりが、しっかりすることである。

 学会の根幹は「師弟」である。「信」である。それさえ忘れなければ、恐れるものなど何もない。

 皆の自覚と団結で、わが地域から世界へ、新しい「勝利の鐘」「希望の鐘」を共々に打ち鳴らそう!


東京・関東・東海道合同研修会 2006-08-16 長野研修道場


 皆が皆、同じタイプであれば薄気味悪い(笑)。それじゃあ、軍隊みたいになっちまうよ。多彩な人材なくして、万人に開かれた宗教とはなり得ない。法華講員を見てごらんよ。まず、個がないから(笑)。


 組織に勢いがある時は、ワッと人材が現れる。そして、新たな一人ひとりが組織に新しい風を運んでくれる。


 青年部時代のこと。担当していた部の活動者会に友人が参加したことがあった。一緒に勤行唱題をしてから、懇談した。友人と私とのやり取りに、居合わせたメンバーは爆笑し続けた。


 会合を終えようとした時、副部長が「小野さん、内の弟に会いますか?」言ってきた。この副部長、普段は未活動の弟に男子部を会わせることを避けてきた。しかし、異様な盛り上がりが、彼のに変化を与えたのだろう。部長すら、まともに会ったことのないメンバーと対話できたことは、大きな収穫だった。


 形式や嘘がまかり通る組織ほど不幸なものはない。

2006-07-29

「世を恐て之を言わずんば仏敵と為らんか」


 どのような組織、団体でも、“太陽”が一つ昇れば、大きく発展する。

 太陽のように生命を燃やして進む「一人」が重要なのである。

 また先生は、「まず、全部、自分たちで責任をもって考えよ」とよく言っておられた。

 師弟の道に生きる。これが根本である。

 その上で、一から十まで師匠がやるのではない。それでは弟子は育たない。

 師のをわがとして、まず弟子たちが自ら、真剣に広布の未来を考えよ  ──戸田先生の厳しき薫陶であった。

 弟子が団結して進む。そのために同志がいて、組織がある。

 牧口先生は、組織は上からではなく、下から変革していくのだ、と訴えておられた。

 広布を阻む動きに対しては、勇気をもってをあげることだ。

「おかしい」とったら、どんな人間に対しても、厳然と言っていくのである。

 おとなしくする必要はない。言わないのは臆病であり、場合によっては、悪につながってしまうからだ。

 日蓮大聖人は、法華経を破壊する者を、勇気をもって破折する重要を訴えられ、「世を恐て之を言わずんば敵と為らんか」(1003頁)と仰せである。

 特に青年部の諸君は、「広宣流布は、私たちが責任をもって進める」との気概で団結し、戦っていただきたい。


 リーダーに対して戸田先生は言われた。

「人を引っ張っていくには、誉欲とか金欲をかなぐり捨てることだ」

 幹部だからと威張る。もっと偉くなろうとか、自分のことしか考えない。その醜いが、信を破壊し、人間を堕落させる。

 学会の幹部は、に少しの「保身」があっても絶対に務まらない。本当の勢いが出ない。

 先生は「信の上で呼吸が合わない人は、必ず落後していく」とも言われた。

 勝利は「信の団結」から!──これが先生の結論であった。


【全国代表協議会 2006-01-27 創価文化会館


 創価学会は広宣流布のための組織である。ゆえに、学会の生命線は折伏に尽きる。初代、二代、三代会長は、末法大折伏の棟梁として、地涌の菩薩の先頭に立って死身弘法の闘争を貫かれた。偉大なる法戦は三類の強敵を現し、真っ向から法勝負を決した。そしてその度ごとに、厳然たる民衆勝利の歴史を示し、悩に喘ぐ民衆を救ってきたのだ。


 学会で一番偉い人は、折伏をする人である。


 一、身軽法重の行者に於ては下劣の法師為りと雖も当如敬の道理に任せて信敬を致す可き事。

 一、弘通の法師に於ては下輩為りと雖も老僧のを為す可き事。(1618頁)


 折伏の闘士は、いかなる役職にも過ぎて立派な人なのだ。会長よりも上だよ(笑)。最大に大聖人からお褒めいただけることは間違いない。


 本来なら、上の幹部になればなるほど、折伏をしていて当然だし、折伏の達人であるべきだ。だが、現実はそうなってない。ここに組織が行き詰まる根本原因がある。折伏のできない幹部に限って、人にやらせようとする。棚ぼた成果に期待する。欲しいのは数字だけで、考えていることは自分の対面だけ(笑)。


 私が一番憂えていることは、幹部の力不足によって多くの人々が「功徳の出ない信」をしていることと、「人間革命できない活動」をさせられていることだ。


 今、何も考えてない人が一番危ない。

2006-07-19

ロマン・ロラン「熱のない仲間たちこそ最悪の敵だ」


 人道主義者として、平和運動の先頭に立って戦ったことでも知られるフランスの文豪ロマン・ロラン。

 その戯曲「狼」に次のようなセリフがある。

「熱のない仲間たちこそ最悪の敵だ」

 熱のない仲間たち──つまり、戦いにあって仲間が困っていても、知らん顔。

 いたずらに批判ばかりで、敵と戦う気概もなければ、情熱もない。

 それでは、仲間とは言えない。

 それどころか、敵よりも質(たち)が悪い。“最悪の敵”であると言うのである。

 傍観は「悪」である。

 悪を見て見ぬふりをして、それを増長させるならば、結果的に悪と同じになってしまう──それが牧口先生の叫びであった。

 広宣流布とは言論戦であり、戦である。

 ゆえに、人間を不幸にする誤ったや虚偽とは、断じて戦わねばならない。

 私たちの“武器”は言論である。である。

 正義の言論で、勇気の対話で、悪を悪と言い切り、人々を真実へと目覚めさせていく。

 そして、共に幸福の大道を歩んでいく。

 それが我々の折伏の戦いに他ならない。


【全国代表協議会 2006-01-27 創価文化会館


「熱のない仲間たちこそ最悪の敵だ」――何と辛辣(しんらつ)な言葉か。上辺だけの行動なら誰にでもできる。だが、の中はどうか? 燃えているのか、いないのかが問題だ。


 会合に出ても、伏し目がちで、自分の見を言うこともなく、適当に相槌を打ち、適当に拍手をし、適当に返事をする。こんなのじゃ味がないよ(笑)。どうも最近は、余計なことを言わないのが“団結”だと勘違いしている人が多過ぎる。見をぶつけ合い、戦わせなければ、団結など生まれるはずがないのだ。


 皆が自由にものを言える雰囲気がなければ、権威主義であり、組織主義であり、打ち出し主義であり、事務主義であり、形式主義である証拠だ。その原因は、会員が弱い立場に甘んじているところにある。傍観者がイジメを支え、沈黙が権威主義を支えている。


 熱をもった空気は上に向かう。冷たい空気は下に溜まる。だから、暖房は下に向け、冷房は上に向けるのだ。これが自然の摂理。人間も同様だ。であれば、広布の情熱に燃えた人物に近づくことが大切になる。熱い人に近寄れ。熱い人を求めよ。新しき世紀をつくるのは、青年の熱と力だ。


 あらゆる物質は沸点に至ると気化する。これは物質の世界における革命といってよい。分子となって自由に拡散する姿が、人間革命を彷彿(ほうふつ)とさせる。液体が低温にさらされると固体となる。不自由極まりない(笑)。いるよね、そんな幹部が(笑)。頑固ジジイみたいのがさ。人間は固まったらアウト。それは進歩・向上・成長を失った姿だ。


 熱のない幹部、熱のない会合は避けるべきだ。緊急措置として、嘘をついても構わないよ(笑)。その方が功徳がある。