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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2008-09-25

学会の発展は「一人ひとりを大切にしてきたから」


 昨年12中日友好協会の青年代表団の方々とお会いした。その際、“なぜ学会は発展したのですか”との質問に、私は「一人ひとりの学会員を大切にしてきたからです」とお答えした。すると中国の若き友人も、「やはり、そうでしょうね」と深く頷いておられた。

 学会員は尊い子である。善知識である。皆さま方は民衆と共に、更に我が同志と共に生き抜いていただきたい。これが、皆さま方が生きゆく大道であるからだ。間違いなき正道だからである。私は、このことを確信をもって訴え、お願いをしておきたい。

 同志を見下したり、利用するなど、とんでもないことだ。同志を軽蔑し、手段として自らの栄えを図ろうとした人間が、いかに哀れな末路の人生となっているかは、皆さま方がよくご存じの通りである。

 子である学会員を尊び、大切にしてこそ、広宣流布の発展があり、私どもの栄光の人生もある。私は会員の皆さまを守り抜くために、誰よりも非、迫害を受け、誰よりも戦ってきた。これが私の「魂の勲章」とっている。私は何ものも恐れない。これからも、大聖人の御遺命のままに、正法正義(しょうぼうしょうぎ)の道を進むのみである。


東京・小金井圏青年会議 1990-01-28 小金井池田文化会館


「一人ひとりの学会員を大切にしてきたからです」――この件(くだり)をにした瞬間、「中国に対する先生の指導だ」と私の下劣な直観が告げていた。中国は大きな国だ。中国政府が人口を掌握できないほどである。多民族、多言語でとても一つの国家とはえない。また、一党独裁のツケとして官吏の汚職がまかり通っている(今年310日の発表によると、過去5年間で21万人が摘発されている)。そして、人の命が軽い国だ。


 今再び読むと、「第2総東京に言われたのかな」ともう。第2総東京は東京を乗っているが、実は東京ではない。東京郡の三多摩地方である。その田舎度において、神奈川県を軽く凌駕している。つきまとって離れない劣等を払拭する目的から、創大・牧口記会館・富士美術館をテコに「今や世界広布の震源地だ」と勘違いしている連中が多い。こうした反応自体が田舎である有力な証拠となっている。ま、多摩ニュータウンの第1回目の入居が1971年だから、新興地域といっていいだろう。その中にあって八王子は古い地域であるため、新住民に対する閉鎖が強い。正真正銘の田舎だ。


 また、「本部長以上の幹部に言われたのかな」ともじる。本部長といえば、それなりに“偉い役職”だと末端会員は見る。本当は偉くも何ともないんだけどね。ただ単に会う機会が少ないから、“偉そーに”見えてるだけの話。でね、“偉そーに”振る舞っているのが多いんだよな。滑稽極まりない。本部長以上の役職で「一人ひとりを大切にしている」幹部は一人もいない。なぜなら、人数が多過ぎるからだ。とてもじゃないが、全員に会うことはしい。となると、“会った人”を大切にするしか手はない。しかし残なことに仕事量が多いため、その場限りのどうでもいい激励に終始しているのが実態だろう。


 このように考えること自体が、“己の外”に指導を置いている証拠であり、「信の評論家」に陥りやすい罠がある。ハイ、「信評論家・小野不一」です。


 人は、自分が大切にされた分しか、他人を大切にできない。「ここまで自分のことをってくれるのか」――その激が勇気に火を点け、猛然たる人間革命の闘争が開始される。子育ても同様であろう。親から蔑(ないがし)ろにされ続けてきた子供が、友達に優しく接することはできない。


「気になるか、ならないか」が境涯の分かれ目である。冴えない顔色、伏し目がちな表情、あやふやな言葉づかい――小さな変化を察知するレーダーを持つ幹部は少ない。だからこそ、自分が育て。理のリーダーに育て。

2008-01-08

創価学会の誉れの伝統精神


 徹底して現場を傾け、一人ひとりのために真摯に行動し抜く――ここに真実の指導者の姿がある。

 私は、戸田先生の戦いにそのことを学んだ。

 先生はよく質問会をもち、悩みの人のを丁寧に聞いてくださった。当時、本部の会長室にまで、多くの会員が指導を受けに来ていたものである。

 一人ひとりの悩や課題に対し、先生は常に明確であられた。即座にわかりやすい言葉で回答され、温かく包容された。真の励ましで希望と勇気を与えられ、会員はそれまでの悩がウソのように晴れ晴れと、強い確信に満ちて帰路についていった。悩める庶民に対して、どこまでも真剣であり、誠実であられた。ここに創価学会の誉れの伝統精神がある。

 ゆえに会員に対して、いい加減な態度で接したり、傲慢に振る舞うような幹部は、この尊い伝統を破壊する「悪しき人」に他ならない。どうか皆さま方は、しむ同志に対して、ある味でその人以上に悩み、考え抜く、「同」ので誠実に激励していただきたい。


【第24本部幹部会 1989-12-20 創価文化会館


 最前線で戦う学会員は、本当に善良な方々が多い。一方、幹部はといえば、勘違いしている連中が多く、仕事もしてないクセに踏ん反り返っている。まともな幹部は、10人に1人もいないだろう。舎衛の三億に照らしても、せめて3分の1程度がしっかりすれば、組織は牽引できる。


 組織のあちこちに歪(ひず)みが生じているのは、「一人の悩みを解決できない」ことに起因している。自分の手に負えない問題を聞くと、「とにかく祈っていこう!」「とにかく先生に応えていこう!」「とにかく頑張ろう!」という馬鹿げたアドバイスをする幹部が多い。


「とにかく」の一言で、相手の悩みを無視しながら平然としている。まるで、捨閉閣抛(しゃへいかくほう)だよ(笑)。面倒なことは、「捨てよ」「閉じよ」「閣(さしお)け」「抛(なげう)て」。


日本企業を蝕む病」で紹介した西山氏の指摘は鋭い。組織内部に費やされるエネルギーが大きいため、外に目が向かなくなっているのだ。エネルギーというよりは、負荷といった方が適切だろう。「集まる」こと自体が戦いと化し、指示があった時だけ、い腰を上げて友人のところへ向かう――そんな会員ばかりをつくってしまってないか?


 これが、どれほどおかしな事態か理解する人は少ない。歩兵が将軍の方を見つめながら、後ろ向きで敵陣を目指しているのだ。あるいは、大地を割って登場した地涌の菩薩が、たむろしたままどこにも行かないような姿だろう。挙げ句の果てには、地面の中に引っ込むのもいるよ(笑)。


 今はね、まだいいんだよ。先生がいらっしゃるから。問題は、「ポスト三代会長(三代会長後)」だ。やむにやまれぬ責任の上から、今年はこの問題について、い切ったことを書いてゆく予定である。

2007-12-04

九州広布の原点


 牧口初代会長が出席して、初の九州総会が開催されたのは、昭和16年(1941年)の秋11。ちょうど今頃の季節であった。場所は福岡県二日市の武蔵旅館。もちろん、学会会館などなかった時代である。

 その時の参加者は約40人。太平洋戦争勃発(昭和16年128日)の直前であり、社会に暗雲がたれ込めていた中での開催であった。時に牧口先生、70歳。総会には、奥さまとお嬢さまとともに出席されている。

 最晩年に当たるこの時期に、牧口先生は毎年、九州に足を運ばれている――昭和13年夏、鹿児島へ。14年春、福岡の八女へ。15年11には福岡、久留米、八女、長崎の雲仙(うんぜん)、更に島原から荒尾、熊本を経て大分の別府へ――。そして、翌16年11に、この九州総会への出席となるのである。

 東京から九州へ、今なら飛行機で1時間半ぐらいだが、当時は列車を乗り継いでの長旅であった。旅費も大変な中で工面されていた。

 行く先々で、3里(約12km)、4里という交通の不便な田舎道を、折伏の先頭に立って歩かれた牧口先生。ご高齢にもかかわらず、その足取りの勢いたるや、同行の人達も中々ついていけないほどであったという。

 このように牧口先生の行動は、「大聖人の仰せ通りに、必ず広宣流布をしてみせる」との“大情”に貫かれていた。要領や策など微塵もなかった。愚直なまでに、どこまでも「一人」のために尽くされた。これが、私ども学会の創立者である。そして、この初代会長が、まさに五体をぶつけるようにして切り開かれたのが、九州広布の誉れある天地なのである。

 本日、九州総会にお集まりの方々をはじめ、九州各県の同志の福運に満ちあふれた姿を、牧口先生もどれほどお喜びくださっていることであろうか。どうか、このことを強く確信し、最大の誇りとしていっていただきたい。


 人生に偉大な目的をもつ人は強い。偉大な仕事、偉大な道に生き抜いた人は、自らをも偉大にしてゆける。いかなる困も悠々と乗り越え、常に大きく境涯を広げてゆくことができる。

 牧口先生の時代も、戸田先生の時代もの連続であった。その中から何としても活路を開かんとの、初代・二代会長の死闘によって、今日の学会の基礎が築かれたのである。

 その「大」が胸中深く刻まれているがゆえに、私はどのような困にも、またどのような試練にも負けなかった。師匠が偉大だったからこそ、私はひたすら学会に仕えてきた。この信は、これからも絶対に変わることはない。更に更に勢いを増しながら、報の誠を尽くしてゆくのみである。


 さて、牧口先生を迎えての九州総会――この総会それ自体が、いわば波乱の劇でもあった。

 会場に着かれた牧口先生。総会の準備にあたっていた役員が顔色を変えて報告する。「大変なことになりました。特高刑事が3人もきています。総会ができるかどうか……」と。特高とは特別高等警察のこと。戦前の警察制度で、政治関係を担当し、人々に恐れられていた。この頃、既に牧口先生、学会への弾圧の手が伸びていたわけである。

 この報告に牧口先生は、「なに、大丈夫だよ」と悠然と応えられる。

 役員や周囲の人は、“いや、危ないです。行かれない方がいいです”と、牧口先生を止めたいであったかもしれない。だが牧口先生は、何の恐れる風もなく、平然と会場へ入ってゆかれた。

 その時である。会場にいた一人の男が牧口先生に向かって、大で怒鳴るように言った。「国がすすめている天照太神を悪く言うのは、けしからんではないか」。

 いつの時代にも、時流に流される人がいる。何が真実かもわからず、権威に媚び、形勢のいい方につこうとする。こうした信のない臆病な人ほど、哀れな人はいない。

 居丈高(いたけだか)にまくしたてた男は、「どうだ、答えられないだろう」と得気であった。しかし牧口先生は、気迫のこもった目でその男を見つめ返された。男は気圧(けお)されたように沈黙してしまった。

 牧口先生は会員の方に笑顔を向けながら、開口一番「天照太神とは、法華経の行者を昼夜にわたって守護する諸天善神なのです」と。まことに鮮やかな反撃であった。御書に照らして本質を鋭く突いて、パッと切り返す。これが信の戦いである。

 こうして総会は始まり、牧口先生は諄々(じゅんじゅん)と宗教の真実の道について語られた。あの権威を借りた居丈高の男は、いたたまれなくなったのか、いつしか姿を消していた。

 70歳の牧口先生自らが、国家権力を後ろ盾にした妨害の徒との戦いの矢面に立たれ、厳然と会員を守り抜かれたのである。私にはその光景が絵のように浮かんでくる。

 これが広布の「将」の姿であり、代々の会長の精神であった。

 私は、青年部の諸君にこそ、この精神をしっかりと受け継いでもらいたい。いかなる権力、悪の勢力に対しても、厳然と我が身を挺(てい)して立ち向かう学会精神、青年部の魂を忘れないでいただきたい。


 九州総会は、体験発表、質問会と進んだ。「時間だ」とストップをかける特高刑事。牧口先生は2時間、淡々と指導を続けられたのである。

 私も現在、機会あるごとにスピーチをしている。これは後世のために、悪を打ち破り、広布の大道を幾重にも開き、残しておきたいからである。私の命のある限り続けてゆく決でいる。


 ともかく、初の九州総会は終始、牧口先生の勇気ある学会精神に貫かれたものであった。ここに、「創立者」の手づくりによる、信の「原点」が刻み残されている。

 いかなる波乱があっても、毅然と、また悠々と乗り越えていかれた牧口先生。この創価精神さえ忘れなければ、九州は絶対に負けることはない。永遠なる発展を遂げてゆくことができる。否、牧口先生の戦いをえば、九州は負けられない、負けてはいけない法戦の地であると、強く申し上げておきたい。


 交通の便もよくない当時、牧口先生高齢をおして、遠く九州まで何度も足を運ばれた。東京から博多まで、途中の地を訪れながら4日目に到着されるということもあった。今のように飛行機もないし、新幹線もない。汽車の硬い座席に長時間、揺られながらの旅である。高齢の先生にとって決して楽なものではなかったはずである。

 しかし、なぜ九州に行くか――牧口先生はその情を一人の婦人に、こう言われている。

「私は、あなたが本物になれば、こうしてはるばる来た甲斐がある」と。

 本物の信の人を育てたい。そのためには、いかなる労もいとわない。これが初代牧口先生の切なるいであった。

 いずこの地にあっても、「本物の信」の人が一人いればよい。広宣流布の命脈は、その「一人」によって厳然と守られ、幾重にも広がっていくからである。

 私も戸田先生のもとで、その「一人」になることを決して、立った。そして今は、皆さま方一人ひとりが、その「一人」となっていただきたいことを願し、日々広布の戦いに挺身している。


【11.18記合同幹部会 1989-11-12 創価文化会館


 今、草創期と同じ労をしているのは海外である。その味で、世界広布はまだ草創期といっていいだろう。その中から必ずや本物の弟子が陸続と現れることを確信する。日本の学会員が、海外の同志に教えを請うようになるのは時間の問題だ。広布を語る資格もなければ、師弟を語る資格もない幹部を一掃しよう。人知れず地道に戦い続ける庶民を、と崇(あが)め称(たた)えよう。

2006-06-13

すべては「一人」に帰着する


「一人」を大切に──ここに、創価学会の原点がある。法の根本精神も、ここにある。

「一人」の人間は、かけがえなく尊い。世界中、どの一人ひとりにも、尊厳なるがある。そう見ていくのが法である。

 一人の尊さを無視し、軽んじて、人間を「集団」で見ていこうとするのは、権力者の発である。それでは、独裁者のヒトラーと同じになってしまう。

 ヒトラーに、一人ひとりの尊厳はわからない。「大勢」「集団」にこそ“価値”があった。

 それはなぜか。

 権力者にとって、人間は「手段」に過ぎないからである。

 権力は人間を、銃弾のように武器にする。金銭のように使いこなす。

 己の欲望のために、大勢の人間をうまく動かし、全体を操作しようとする。

 学会の行き方は、これに真っ向から反対する。

 一人ひとりの幸福こそが、広宣流布の「目的」だからである。

「一人」の人間がもつ計り知れない可能を信じ、その力に目覚めさせ、発揮させ、連帯を広げてきたのが、創価の民衆運動の歴史である。

 まず、一人ひとりの人間があって、強く団結してゆくのである。

 この根本を間違えたら大変なことになる。権力者の発をする人間が現れたら、それは学会を利用する極悪人である。

 すべては「一人」に帰着する。

 私どもは、もう一度、「一人を大切に」との原点を確認し合いたい。

 そして、一段と「一人ひとり」に光をあて、励ましのをかけながら、宝の人材を大切に育ててまいりたい。

 一人ひとりが強くなる。賢くなる。それでこそ、2倍、3倍、10倍の力を発揮していけるのである。


【第56回本部幹部会 2006-01-06 東京牧口記会館


 この5年が「100年に匹敵する」と先生は何度も言われた。その開幕ともいうべき本部幹部会で、「一人を大切に」と指導された味は重要だ。


 男子部の本部長をしていた時、こんなことがあった。


 転職を何度も繰り返す男子部がいた。彼は、男子部の活動に参加すると、どうしても帰宅が遅くなり、に勝てなかった。自分の判断で活動を減らした。しかし、またしても寝坊を繰り返し、職場をクビになった。落ち込んだ彼は「郷里に帰る」と言い出した。それ以降、ドアも開けず、電話にも出なくなった。


 皆、足繁く通った。独り暮らしの彼を配して、弁当や煙草を差し入れる同志もいた。やっと私が会えた。ドアが開き玄関に入ると、私の胸に蹴りを入れてきた。彼は酔っ払っていた。少々手荒な真似をして目を醒ましてやった。詳細は書けない(笑)。閉ざしたは中々開かなかった。


 ある日、副部長が私のところに来た。「本部長、彼を何とかして下さい。お願いします!」。既に30代半ばを超えた副部長が深々と頭を下げた。10年間の退転を経て、他区から転入してきた労人だった。部のメンバーの懸命の努力もかなわなかった。


 再び足を運んだ。一緒に勤行をしてから、じっくりと話をした。「田舎の母親と妹からも借金をしていて、もう東京では暮らしていけない」と彼は言った。「だけど、田舎に帰ったって、その借金がなくなるわけじゃねえだろうよ。帰る、帰らないじゃなくって、もっと自分のことを真剣に考えろ」と私。「帰る! 絶対に帰る!」と彼は言い張った。を煮やした私は馬乗りになって彼の首を絞めた(笑)。「てめえ、こんだけ言ってもわからねーのか!」。口から泡を吐きながらも彼は、「か、か、か・え・る……」と言い続けた。


 翌日の深夜に副部長から電話があった。「本部長、明日、○○を連れていきますので、宜しくお願いします」と。


 副部長に連れられてきた彼の表情は真剣だった。私の眼を見据えて、「もういっぺん、ここで戦わせて下さい。お願いします!」と泣きながら大でハッキリと言った。「そうか、よく決した!」と私は手放しで喜んだ。聞けば、前日に副部長が部のメンバーを10人ほど率いて彼のもとに行き、皆で切々と訴えたという。「皆のに負けました」と。「勝ったり負けたりを繰り返しながらよ、段々強くなっていきゃいいんじゃねえか? 完全に行き詰まった中でお前は決できたんだから、もう強くなっているんだぞ」と私は励ました。副部長が満面の笑みを浮かべていた。


 このメンバーは数年後に副部長となり、逞しい成長を遂げた。


 戦いの中で、一人ひとりの宿命を炙(あぶ)り出す。そして、一つ一つに完璧な決着をつけて、組織が強くなっていった。組織のために皆がいるのではない。皆のために組織があるのだ。


【※指導は、NON氏の投稿によるもの】

2006-06-09

一対一の対話によって血が通う


 組織にせよ、人間関係にせよ、一対一の直接の対話によってはじめて、生き生きと血が通うものだ。


【全国最高協議会 2005-12-24 信濃文化センター】


 短いが、絶対に見逃すことのできない指導。これが、わかるかわからないかである。まあ、わかってない幹部が多いわな(笑)。関係ってのはね、一対一なのよ。で、一対一ということは、平等ってことなの。つまり、一方通行は一対一に非ず。


 頭の悪い単細胞の幹部は、「どうせ、数を出せばいいんだろう」となりがちだ。私が言う“頭の悪い”とは、他者への像力が働かない人物を指す。自分が言われて嫌なことを、平気で後輩に言うような奴。そこここにいるでしょ?(笑)


 昔、傲慢を絵に描いたような幹部がいた。「傲慢」というの教科書があれば、巻頭カラーページで紹介されたことだろう(笑)。何を話しても、低いで「あっ、そう」と応じ、。「ズレている」というのが口癖だった。私はこの幹部の物真似が巧かった(笑)。散々、皆の前で物真似をした後、「ズレてんのは、てめえの方だよ!」と言って、皆を笑わせた。悪い人物ではなかったが、あまりにもがなかった。この幹部に指導を求める後輩は皆無だった。


 若い私達は会合がある度に、物真似のネタを探し続けた(笑)。我先に新ネタを披露すると、「そうそう、あそこなんだよ。俺も気づいてたよ」と呼吸を合わせたものだ(笑)。


 それでも、総区1位の成果を出したんだから、我々の闘争は評価されるべきだね。そんじょそこいらの総区じゃないよ。当時、全国制覇をした総区だったんだから。


 人間として不真面目な幹部は絶対、信用してはならない。例えば私の場合、留守電に「電話を下さい」とメッセージを入れて、電話がかかって来なければ、二度と相手にしない。これは徹底している。最前線では何があるかわからない。私の電話に同様のメッセージがあれば、「すわ、一大事か。はたまた、事故かトラブルか悩みか宿命か」と、あわくったものだ。その程度の緊張もないような幹部は、相手にするだけ時間の無駄だよ。


 役職を笠に着て、後輩を軽んじる幹部は、信利用であり、組織利用になるのだ。さしたる力もないクセに、幹部面するような手合いを私は絶対に許さないよ。


 こうした傾向は、本部職員、大学職員、創大・学園出身者に多い。この辺りの連中が、現代の二乗かもね。

2006-03-09

「仏の同志」を最大に守り、讃えよ!


 晩年の大聖人は身延の山中で、粗衣粗食の生活を貫かれた。

 夏は草深く、冬は雪多く。

 そこに質素な庵室を構え、令法久住のために重要な法門を説き、弟子の薫育に全魂を注いでゆかれた。

 大聖人は訪れた門下を、それはそれは大切にされた。

 門下の求道の姿を喜ばれ、“一緒に食事でもしましょう”“お疲れでしょうから泊まっていきなさい”と、長旅の労をねぎらっていかれたのではないだろうか。

 食事といっても、特別な料理はなにもない。

 また、泊まるといっても、当時は蒲団(ふとん)などないし、薄っぺらなものを寝具として使っておられた。

 それらをご自身も用い、門下にも用してあげながら、“風邪などひかないように”等とを配ってくださったことが察せられるのである。

そこには、“自分は僧侶だから”“聖人だから”という権威ぶった態度など微塵もなかった。

 あくまでも、同じ人間として、同志として、門下を尊ばれた。

」といっても、人間とかけ離れた世界にいるのではない。

 ただ南無妙法蓮華経と唱える人々の胸中の肉団にこそ、“の生命”は涌現する。

 ゆえに、妙法を持った人が最も尊い。その人こそ「」である。

 この「の同志」を最大に守り、讃えよ!──ここに日蓮法の真髄があり、創価学会が進んできた道がある。

 だからこそ学会は、ここまで伸びた。世界に大発展したのである。

 権威主義の宗教は没落しかない。滅びるしかない。その実態は皆さんがご存じの通りである。

 学会は勝った! 大聖人直結で勝った!

創価学会、万歳!」と、高く叫びたいとうが、いかがだろうか。


【第55回本部幹部会 2005-12-08 東京牧口記会館


「あなたが本当に“楽しい活動”をしていた時のい出は?」

「今の自分があるのは、どのような先輩のおかげですか?」

たまには、こんなやり取りをしてはどうだろう? 絶対に盛り上がるから、やってごらんよ。


 時々、座談会の企画が行き詰まっているという話をにする。全く馬鹿げた話だ。企画なんぞ、いくらだってある。私なら、に10回、座談会があったって困らないよ(笑)。一人ひとりの話にを傾ければ、誰が何を求めているのか、どうすれば信の歓喜を引き出せるか、直ぐわかるものだ。また、社会に目を向ければ、ニュースやテレビ番組など、いくらだってヒントはあるだろう。


 大体だな、「座談会を企画で盛り上げよう」という魂胆が気に入らないね(笑)。会合ってえのは、“長の一”で引っ張ってゆくのだ。極端な話、座談会の式次第なんて要らないのだ。担当幹部、あるいは地区部長を中に、皆で自由に語り合うのが本来の姿である。式次第を時間通りにこなして終わるのが座談会だとったら、大間違いだ。


 冒頭に提示したテーマの隠し味を教えて進ぜよう(笑)。これを、その場で言うと、多分、会場が凍り付いてしまうから要注(笑)。オブラートにくるんで、上手くもってくことだ。


「なぜ、今が楽しくないのか?」

「どうして、今、そのような先輩がいないのか?」


 盛り上がってない組織、結果が出ない組織に共通しているのは、一人ひとりが大切にされてないという現実だ。上から押し付けるように打ち出しを落とし、「あれをやれ、これをせよ」と、必ず命令主義に終始しているはずだ。


 戸田先生は、「この世から悲惨の二字をなくしたい」と言われたが、悲惨の二字に覆い尽くされている地区や部はないか?(笑)


 人間主義とは「民が主(あるじ)」であるという発に貫かれている。そうであれば、組織においては、一人ひとりが主体者であらねばならない。せっかく参加しているにも関わらず、発言することもなく、“聞く側”に追いやられている会員が山ほどいる。


 こんな組織にいれば、折伏なんてできるはずもない。「自分が大切にされている」という実がなければ、「学会は凄い!」と言い切ることができないからだ。


 世間においては貧富の差が拡大していると言われるが、学会においては信の地域差が拡大している。これを打開するには、一段飛びの指導体制をしっかりと確立することだ。区長は支部長を、本部長は地区部長を、支部長はブロック長を激励し抜き、ピカピカの人材に磨いてゆく。組織の形態がどのように変わろうとも、信血脈はタテ線に流れ通うことを銘記したい。


【指導は、NON氏の投稿によるもの】

2005-05-17

一人が万人を生む母


 さて、岡崎のある中部の地に、広布の“第一歩”がしるされたのは、昭和27年(1952年)8。13日の夜、戸田先生が出席され、古屋での初の座談会が開かれた。その折、入信したのはただ一人。それが、中部広布の“一粒種”となった東録三郎さんであった。

 戸田先生が大切に育てたこの「一人」から始まって中部は、今日では数十万の地涌の友が活躍する素晴らしき天地となった。いずこの地であれ、広布は「一人」から始まり、興隆していったことを銘記したい。

 御書には「世間のことわざにも一は万が母といへり」(498頁)と仰せである。

「一人」というと、いかにも弱小とうかもしれない。しかし、「一人」が「万人」を生む「母」なのである。「大海の一たい(サンズイ+帝)の水に河の水を納め」(944頁)との御金言もある。真実の大法に出会い、目覚めた「一人」が、勇敢に利他の実践へと躍り出て、「一人」と会い対話する――この「一人」から「一人」へという波動こそ、限りない広布前進への源泉であり、こうした着実な方程式で、永遠に広布の歴史はつづられていくことを絶対に忘れてはならない。

「一人」を大切に――これこそ、脈々と受け継がれてきた学会の伝統精神である。悩める「一人」に光を当て、全魂で対話し、激励し抜いていく。特に若き諸君は、この伝統を決して忘れてはならない。ただ大勢の前で華々しく話をするだけで、地道な「指導」や「激励」に積極的に行動しないリーダーは決して本物ではないし、本物にはなれない。

 もしも、そうした幹部が多くなれば、これは学会精神の退廃に通ずるであろう。

 組織の中に「権威主義」や「要領主義」をはびこらせては断じてならないし、「一人」への全魂の「指導」と「行動」なくして、真の道修行はあり得ないことを、皆さま方は深く銘記されたい。

「一人」から「一人」への無限なる「利他」と「対話」の実践。この絶えざる積み重ねと連動に、永遠に広がりゆく広宣流布の方程式がある。


【第2東京支部長会 1987-10-11 立川文化会館


「万人」を生む「一人」に自分がなれるかどうか――ここに世界広布の進展がかかっている。その使命と責任を痛するリーダーであれば、誰から教えられなくても、周囲の一人ひとりを大切にするはずだ。


 権威主義や要領主義の幹部は、得てして自分の役職や生活にしか関を抱かぬ人だ。かような人物にとって会員は、単なる踏み台にしかならない。自ら嬉々として折伏や家庭指導を実践してない幹部は、おしなべて権威主義といっていい。


 一人を立たせることは大変だ。しかし、一人を立ち上がらせることができれば、その人の家族や知人・友人に至るまで、決定的な影響力を及ぼすことになる。一人を救うことが、相手の眷属をも救うことに通じてゆく。


 今は未来部かも知れない。また、新入会かも知れない。だが、その人が、将来の学会を支えゆく、偉大な幹部となる可能だってあるのだ。


 今の自分があるのは、たくさんの先輩方のおかげだ――そうえるのが普通の学会員である。どれほど多くの先輩から激励を受け、配され、祈られてきたことか。親が子を虐待し、子が親を殺すような時代にありながら、私に期待を寄せ、私を信じて下さった先輩の顔がいくつもいくつも浮かんでくる。