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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2007-08-17

手厳しく声を上げよ


 今日も戸田先生の指導を通して、少々お話をしたい。

 皆さんのおかげで、創価学会は未曽有の大発展を遂げている。

 だからこそ油断できない。油断すると悪い人間が必ず出てくる。これだけは絶対に許してはならない。

 民衆の尊き労で築かれた偉大なる希望と幸福を、断じて荒させてなるものか。

 人の善につけこむ悪人──そこにひそむのは「権力の」である。


 戸田先生は、権力を持つ者にはそれはそれは厳しかった。

「極悪を世に知らしめて、責めて責めて責め抜け! 最後まで!

 これが正法を行ずる者の使命であり役目である」

 忘れ得ぬ指導である。急所は全部、先生から教わった。

「大作が聞いていれば、全部実現されるだろう」。そう先生はわかっておられた。絶対の弟子として信頼してくださった。

 これまでも同志の真を踏みにじる、卑劣な反逆の人間が出た。

 とんでもないことだ。

 民衆が主人なのだ。権力者は“僕(しもべ)”だ。なのに威張って、ふんぞり返っている。今、民衆が覚醒しなかったら大変だ。

 極悪に対して黙っていたら、こちらまで悪になってしまう。手厳しくを上げるのだ。

 気地なしであってはならない。

 ずるい人間であってはならない。

 今こそ、新しい学会をつくる時である。


東京・関東・東海道合同研修会 2006-08-18 長野研修道場


 ちょうど一年前の指導である。しかしながら、実践する人を見たことがないよ(笑)。私以外は。


 私が会館に入ると、ロビーに居合わせた幹部が2〜3人は逃げる(笑)。本当の話だよ。まるで、ゴキブリみたいな連中だ。


 わかりやすいリーダー論を書いておこう。喧嘩の弱い人間は、後輩を守れない。これが原則である。私の先輩は、上の言いなりになる幹部を「商人」と呼んでいた。「『聖人事』の聖人じゃないぞ」とも(笑)。「あの野郎は、ただの御用聞きだ」と手厳しかった。真面目で人柄がいいだけの幹部は、いざという時、全く役に立たない。


「役職が高いほど偉い」とうのは幻である。だらしのない副会長は山ほどいるよ。創価班書記長も見えなくなるのが多い。


 孤高の人物でなければ、我が道を歩み通すことはできない。池田門下生を乗るのであれば、独立不羈(ふき)の人であれ。「ずるい人間」にだけはなるな。

2007-02-19

宿命転換


 幹部に見も言えないような臆病者が、宿命転換できるわけがない。「一丈のほりをこへぬもの十丈二十丈のほりをこうべきか」(912頁)の御聖訓をよくよく噛みしめるべきだ。

2006-12-26

傲慢な幹部には女性が鉄槌を下せ


 私は、牧口先生戸田先生の言論、指導を、できる限り記し残してきた。

 尊き広布の同志が何が起ころうとも微動だにしない。その基盤を今、万代の未来のためにつくっておかねばならない。

 法は厳しい。ゆえに本当のことを言っておきたいのである。

 真実を語る空気がなければ、組織はダメになってしまう。

 リーダーには、「何でも言える雰囲気」「何でも語り合える環境」をつくる責任がある。

 戸田先生は語られた。

「時代遅れの幹部になるな。幹部自ら勉強し、成長し、『人間革命』していくことだ。そして同時に、新しい時代を創っていく、若い幹部を登用し、バトンタッチしていかねばならない」

 リーダーは、硬直した古い考えになってはダメだ。自分自身が変わり続けることだ。

 常に、新鮮味のある生命で、笑顔で、真で、会員の皆さんに接していただきたい。

 また、先生は次のようにおっしゃっていた。

「ずる賢く、威張り散らすのは悪い幹部だ。人と接する誠の真がわからない」

「幹部の地位を利用して、女を叱るのは、野蛮人のすることである。野蛮人は人間ではない。そういう人間は、断じて学会の世界に入れてはならない」

「威張る幹部、礼儀を知らない幹部、誠のわからない幹部、慈愛のない幹部、生気な幹部、すぐに人を軽蔑し叱る幹部。

 そんな幹部には、女が中となり、厳重な措置を求めていただきたい」


【関西・九州・中国・四国合同研修会 2006-08-07 長野研修道場


 立場の弱い人間が、強くなることが革命に通ずる。上からのトップダウンで変わるのは改革であって、革命ではない。


 革命には破壊が伴う。そのため歴史上の革命は、体制の転覆を図り、大勢の犠牲者を生んだ。目的を果たすためなら手段を選ばなかった。そして、暴力を容認した瞬間から、理は現実の前に敗れたのだ。


 革命を支えているのは“怒り”だ。それも、正義の焔(ほのお)が柱となって噴き上げるほどの怒りである。


 今日、愛については誰も語っている。誰が怒(いかり)について真剣に語ろうとするのであるか。怒の味を忘れてただ愛についてのみ語るということは今日の人間が無格であるということのしるしである。

 切に義人をう。義人とは何か、──怒ることを知れるものである。


【『人生論ノート三木清(新潮文庫)】


 我々が目指す革命は無血革命である。体制の転覆でもなければ、制度や階級の破壊でもない。生命尊厳を説いた法は、暴力の立ち入る隙(すき)を許さない。人間革命とは、生命の悪を破壊し、宿命の鉄鎖を断ち切る革命だ。エゴを叩き破り、ぬるま湯につかったような生活を打ち破る大闘争だ。


 若い頃、よく先輩から叱咤された。「貴様、そんなところで負けていて、自分の宿命に勝てるとっているのか!」と。学会で受ける訓練は、一切が宿命転換に備えるものだった。それゆえ厳しかった。


 本当のことを書いておこう。現場から私に寄せられる、Webを通じて私のもとに寄せられるメールの殆どは、の弱い学会員からのものである。革命はおろか、見すら言えないような人々だ。時折、小賢しい内容のメールも来るが、訓練を受けているか受けてないかは、瞬時にわかる。どの程度の重さの荷物を抱えているかも、直ぐわかる。自分を誤化そうとする人ほど、言葉を飾るものだ。


 学会員は甘い。一人じゃ何もできないのが多過ぎる。信弱き学会員の多くは、何だかんだと言いながらも、組織に依存しているのだ。を文句で一杯にしながら、会合だけは皆勤賞という学会員の何と多いことか。傍(はた)から見ていると、「文句をいうために活動している」ようなものだ。これぞ、「法華文句」だよ(笑)。


 味のない活動はやめることだ。ストレスをじているのであれば、少し休めばいい。“活動病”に冒されている人々は、「それじゃ功徳が出なくなる」とうことだろう。だけど、いいんだよ。どうせ文句だらけの信には、最初っから功徳などないんだから(笑)。


 多くの同志が恐れているのは、「組織内での村八分」だろう。見を言えば言うほど、周囲から疎(うと)んじられ、破和合僧のレッテルを貼られ、人事対象から外され、連絡も滞りがちになる。ま、よく見られる光景ですな。


 だから、何なんだ? それが、どうした? そんなことを恐れて引っ込める程度の見であれば、端(はな)っから言わなければいいのだ。所詮、自分の都合で不平不満を並べているから、臆病になるのだ。


 その点、私は強い。私は、それなりに訓練を受けてきている。そして、私が発する見は、会員のを代弁するものだ。個人的な情で、幹部を責めることは決してない。だから、相手が副会長であろうが、会長であろうが、負けることはないよ。そのためとあらば、多少、荒っぽいこともしてみせる。地区のオジサン、オバサンが信しやすくなるためなら、何でもするよ。当たり前だ、そんなことは。


 それが出来ない者は、文句を言わずに引っ込んでろ!

2006-12-17

心の奥の奥が、どうなっているか


 戸田先生は、牧口先生の道を開いた。

 私は戸田先生の道を開いたのである。

「師弟」「師弟」と口では、いくらでも言える。表面を取り繕い、ごまかすこともできる。

 しかし大切なのは、生命の奥底の一だ。の奥の奥が、どうなっているかだ。

戦うしかない!──このの炎が燃えている人は“善”だ。

 反対に、労は人に押しつけ、自分だけいい子になる──それは“悪”であり、“敵”である。


創価教育代表者会議 2006-08-03 長野研修道場


 組織に横行する官僚主義、成果主義を断罪した指導であると私は拝する。


「本物の同志」は、瞬時に見分けることができる。目の輝きと、の響き、颯爽とした振る舞い、泰然自若とした威厳が一体となり、状しい輝きを放っているものだ。反対に、利の人は一生懸命、演技をする。所詮、「見せるための信」に堕している。タレント根の強い連中は、おしなべてスタンドプレーが大好きだ(笑)。一人になれば、電気の切れたネオンサインのようになる。


 例えば、先生の口真似をして、配達員さんを讃える幹部は多い。しかし、実際に配達員さんのもとに足を運んで激励する人は少ない。まして、宮本さんのように、配達に同行して「ヒヤリハット」の確認をするような幹部は、まずいない。また、拠点の主(あるじ)に謝の言葉を並べる幹部も多いが、拠点の大掃除を手伝う幹部はいないよ(笑)。やっているのは支部婦人部長クラスまでだろう。


 自分のは、わかっているようでわからないものだ。だからこそ我々は、明鏡である御本尊に向かって南無し、我が一を照らし出す作をしているのだ。「悟り」とは「気づく」ことである。宿命と悩の味を悟った時、悩みは本因の次元で既に解決しているのだ。


 衆生と云うもと云うも亦此くの如し迷う時は衆生とけ悟る時をばけたり、譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し、只今も一無明の迷は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法真如の明鏡と成るべし、深く信を発して日夜暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり(384頁)


の奥の奥が、どうなっているか」――そこに、慢や我見、利や惰、迷いや逡巡、中途半端な命が必ずある。これを叩き伏せるのが信の戦いだ。


 先生は、「利の幹部は“敵”だ」と明確に言われた。敵であれば、戦わなければいけない。真面目な会員に負担ばかり押しつける幹部は全員、敵である。敵と戦わない者は謗法与同だ。

2006-10-08

もっともっと「下」が強くなって、「上」を動かしていくのだ


 誰にでも平等に、最高に尊い「の生命」がある。それを法は教えている。

 民衆が強くなり、賢くなり、幸福になっていく──それが、全人類の幸福のために立たれた大聖人の願いであった。

 21世紀こそ「民衆が主役」の時代にしたい。

 もっともっと「下」が強くなって、「上」を動かしていくのだ。これは牧口先生が言われていた方程式である。

 もちろん学会においては、役職は「責任職」であり、上も下もない。広宣流布のための組織であり、尊き使命は、皆、全く同じである。

「地涌の菩薩」の誇りに燃えて、むしろ第一線の同志が幹部以上に、広宣流布の拡大に尽くしてくださっている。

 そうであるのに、幹部だからと威張るような人間がいたならば、皆がどんどん見を言っていくべきである。

 いわんや、学会のおかげで社会的に偉くなりながら、信を忘れて広布のために戦わない。増上慢になって学会を見下す。そういう忘の人間は、容赦なく責めるべきである。それが本人を救うことにもなる。

 同志の間に余計な遠慮などいらない。また、あってもならない。

 大事なことは、皆が喜び勇んで、広布のために進んでゆくことである。


【第58回本部幹部会 2006-03-09 東京牧口記会館


 関西と東京下町に共通するのは「熱い言葉」だ。いを言葉に託す術(すべ)を得ているようにじる。見栄や惑が少なく、あけすけである。貧しいゆえに、人々が助け合わないと生きてゆけなかった歴史が、言葉を生き生きとさせたのだろう。


 15年ほど前にこんなことがあった。総区の支部長会で一人の支部婦人部長が、学会本部から来た古参の副会長を、泣きながら怒鳴りつけた。副会長の顔はみるみる青ざめ、直ちに謝罪した。


 副会長が本部に戻ると、第一庶務から電話が入った。「江東区は、どうでしたか?」と。副会長は包み隠さず全てを報告した。電話は1時間に及んだという。


 その日の内に、この報告が先生に伝わった。「江東は、何でも言い合える雰囲気があるんだ。それは私がつくったんだ。その支部婦人部長は私が直接、激励してあげよう」(主)と先生は言われた。


 深夜12時過ぎ、先生の言葉が支部婦人部長に伝えられた。涙が止まらなかった。


 この支部婦人部長は、当時、私が男子部の部長で組んでいた方である。よく、晩飯をご馳走になったものだ(笑)。喧嘩もたくさんした。二人でぐるになって支部長をいじめたこともあったな(笑)。


 とにかく青年部を応援してくれた。また、婦人部長の手に負えない婦人部のメンバーは、私が面倒をみた。互いに守り合って進んでいった。支部長もいい方だった。


 私が部長を外れて本部長になる旨を告げた時、支部長も婦人部長も「おめでとう」とは言わなかった。これが、私の自慢だ。

2006-10-07

邪悪な幹部を責め抜け


 師匠といっても、正義の師匠もいれば、邪悪の師匠もいる。

 正義の師を求めよ!

 邪悪の師を避けよ!

 その違いを鋭く見抜け! 決して、だまされるな! ──これが、蓮祖の峻厳なる戒めである。

 邪悪な師には従ってはならない。従えば、皆が悪に染まってしまうからだ。

 日顕がそうである。

 宗門があれほど腐敗し、堕落したのも、誤った指導者に従ったゆえである。

 邪悪な人間はたとえ師であっても、それを遠ざけ、叩き出していかねばならない。

 どこの世界でも同じことである。

 我が学会も、断じて油断してはいけない。

 役職や立場を利用してインチキをしたり、同志をしめる人間が出たならば、絶対に許してはならない。

「あなたは間違っている!」「おかしいではないか!」と厳しく責め抜いて、 その悪を暴いていくのだ。

 そうでなければ学会を破壊し、同志を不幸にしてしまうからだ。

 その点を厳しく見極めていかねばならない。

 これが大聖人の厳命であり、私の遺言であると申し上げておきたい。


【第58回本部幹部会 2006-03-09 東京牧口記会館


 だからといって、早まった行動をしてはいけない(笑)。「よし、今度の活動者会で、部長襲撃を決行だ」とかね。間違いなく返り討ちに遭(あう)うから、やめておきなさいよ(笑)。


 今はその時ではない。悪い幹部って言ったって、高(たか)が知れている。無責任な官僚は多いが、そんな連中は放って置いてよろしい。


 もちろん、後輩が犠牲になってる場合は、直ちに行動を起こすべきだ。それ以外はダメ(笑)。今は力を貯(た)める時だ。


 真剣を抜いて立ち上がるのは――師、亡き後だ。


 昭和33年118日、若き先生は日記にこう書かれている。


 午後2時より、輸送会議。最高首脳(理事)たちは、その実態を知らず、現場の青年のやりにくきことを配する。


 先生のおられぬ間の責任は、理事長であり、理事だ。怒りたいい、激し。


 夕刻、先生とお目にかかる。

「やりづらくとも、君たちが、学会を支えてゆくのだ」と、厳しき指導あり。先生の胸中……。


 戸田先生が逝去される3ヶ前のことである。


『大白蓮華』の特集でも、この頃の貴重な証言が数多くなされているが、理事室がどれほど先生の足を引っ張ったことか。戸田先生亡き後、彼等が五老僧にならないで済んだのは、ひとえに先生の慈悲の為せる(わざ)ではなかったか。


 人間理は実に複雑微妙である。正しい理屈を叫べば変わるという単純なものではないのだ。時に情が入り乱れ、惑が交錯し、立場や経験が邪をする。


 一番大事なことは、「現実を変革する」ことだ。それができる人なら、行動を起こすことも、やぶさかではない。


 青年部は今の内に、しっかりと喧嘩をできるだけの胆力をつけておくことだ。

2006-09-03

魚は頭から腐り、組織は上からダメになる


 今日は、全国の方面長、方面婦人部長の皆さんが集ってくださった。大事な会議である。

 永遠の創価の構築のために、戸田先生の遺言ともいうべきご指導に学んでまいりたい。

 戸田先生は言われた。

「幹部だ。幹部で決まる。指導者が自分を変えるしかない」

権力を持つと、人間はに毒される。

 魚も頭から腐る。

 組織も、ダメになるのは「上」からだ。

 幹部は、常に常に「慢」を排し、自身を変革していくしかない。

 戸田先生は、こうも指導された。

「今こそ、最高幹部が目の色を変えて働く時だ。そして同志を守り、新たな突破口を開いていけ」

 最高幹都ならば、結果を出すことだ。「さすがだ」「立派だ」といわれる模範を示すことだ。そして、第一線の同志を守っていくのである。

座談会にせよ、講義の席上にせよ、指導者は、学会精神の鼓舞をはかれ」  ──これも戸田先生の指針である。

 歓喜も決もなく、連絡事項を伝えて終わり──それでは、せっかく来てくれた皆さんに申しわけない。

 集った友が「やろうじゃないか」「戦おうじゃないか」と燃え上がって帰っていくような会合にしていく。それが幹部の使命である。

 また先生は、「指導者が大局を見ていることが大事なのだ」「動きを見て、どこへ手を打つか考えよ」「いつも四手先、五手先まで考えていけ」と指導された。

 皆が楽しんでやっていけるように手を打つのが指揮である。同志をしめるのは下の下である。いわんや、威張る幹部など論外である。それが先生の教えであった。

 さらに戸田先生は厳しくおっしゃった。

「今日の学会は、昨日の学会ではない。今年の学会は、去年の学会であってはなるまい。一日また一日、一年また一年の充実をがけよ!」

 日々、前進!

 日々、挑戦!

 日々、成長!

 日々、動!

 これが我らの「広宣流布の人生」である。


【方面長会議 2006-02-25 創価文化会館


 学会の組織はパーソナル(個人)に支えられている側面が非常に強い。このため、ろくでもない幹部に当たってしまうと、組織はアッと言う間に停滞する。その上、信仰を基としているので、見が言いにくい土壌がある。


 本当はそうじゃないよ。しかしながら、最前線で黙々と戦う人々は、「団結」「異体同」「中者に呼吸を合わす」といった目の下(もと)で自分を殺している。


 特に婦人部で問題のある幹部がいると、その下で戦う人々の多くが口にする科白(せりふ)がある――「仕方がない」。


 この諦(あきら)めが、功徳を出にくくしている最大の元凶だ。


 パーソナルに支えられている最大の問題。それは、活動のリズムが変わってしまうこと。


 例えば、仕事が忙しい人物が支部長になったとする。支部の会合は殆ど開かれることがなく、伝達事項は婦人部経由で落ちてくるようになる。


 また、家庭指導をしない、あるいは手な人物が本部長になったとしよう。この人は絶対に、支部長や地区部長に対して「家庭指導の重要」を教えることはない。活動のリズムは当然、会合型になる。


 婦人部幹部で目立つのは「唱題会型信」。強制的に人を集めて、無理にでも結果を出そうと頑張る。目標は、“成果”というの手柄だけ。だから、人が育たない。悩みに手が入らない。人間革命も進まなければ、功徳も出ない。


 10年後、20年後に振り返って、い出の一つも残ってないような活動なら、やめた方がいいよ。身体に毒だから(笑)。


 自主的な活動のリズムがないと、打ち出ししか存在しなくなる。本来、打ち出しとは最低限の目安に過ぎないのだが、打ち出し主義の場合、やり取りが教条主義的な雰囲気になる。打ち出しには、理由・動機・必要じないものだ。幹部がどれほど言葉を巧みに飾っても、結局「やれ」という押し付けになってしまう。こうして、多くの無気力な奴隷がつくられる。


 今、大切なことは、真の同志をつくること。真の同志とは、弟子としての覚悟を分かち合い、共できる人。組織の中でも外でも構わないとう。縛られる必要はない。まず、一人。そして、もう一人。更に、もう一人――。


 そのネットワークが後々、創価学会の底力となることを確信して。

堕落した幹部を厳しく責め抜け!


 大聖人は、厳格に戒めておられる。

「我が一門の中でも、信を貫き通せない人々は、(初めから信じないよりも)かえって罪があるのです。(地獄に堕ちて、その時)日蓮をうらんではなりませんよ。

 少輔房(しょううぼう)、能登房(のとぼう)ら(退転した門下の末路)を、よくごらんなさい」(1168頁、通解)と。

 幹部でありながら、信を失い退転する。学会に反逆する。これ以上の哀れな末路はない。

 だからこそ、威張って同志をしめる幹部、学会利用の堕落した幹部が現れたならば、厳しく責め抜いていくことだ。それが慈悲である。

 戸田先生は、「臆病者は大聖人の弟子たる資格はない」と叱咤された。

 たとえ相手が上位の幹部であっても、下から上へ言っていくのである。

 婦人部、女子部の皆さんも、悪に対しては、断固として、正義のをあげ、糾弾していただきたい。

 19世紀ペルーの女作家カベヨ・デ・カルボネラは叫んだ。

「裏切り、醜行(しゅうこう)、反逆は、狂気の沙汰というよりも、人間の弱さが起こすのです」

 この通りである。

 女の皆さん、よろしく頼みます!


【方面長会議 2006-02-25 創価文化会館


 退転は、最後に0を掛けたも同然だ。しかし、周囲に対する悪影響があるから、大いなるマイナスとなる。まして、反逆したとなれば、マイナス何桁になるか像もつかない。


 先日、「処分を厳しくすべきだ」と書いた(「悪人は容赦なく責め抜け!」)が、それは組織論の上から論じたものだ。現場においては、「後輩が嫌ないをさせられる姿」となって現れる。「あれっ、おかしいな?」という類いのことは山ほどあるよね。


 そこで叩き潰しておけ、というのが先生の指導。だけど、実際は中々そうは問屋が卸さない。上の幹部がまともであれば、正しい方が勝つのだが、最近はまともなのが少ないからねえ(笑)。


 学会の組織といえども、所詮は人の集まりだから、これには、ある程度の力量とテクニカルな根回しが必要だ。やり方を間違えると、自分の方が大変な目に遭うことは火を見るよりも明らか(笑)。


 負担や被害に最も敏なのは、最前線で戦う婦人部だ。幹部は除く。この人達は、見事なまでに正しい評価を下し、密かに悪口を言い合っている(笑)。しかしそれが、上の幹部に伝わることはない。


 民衆は賢者である。上手く根拠や理由は説明できなくとも、ちゃあんと鼻で嗅ぎ分けてる。この鼻に、全幹部は教えを請うことだ。そうすれば、少しはまともな幹部になれるだろう。