Hatena::ブログ(Diary)

斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


WWW を検索 創価王道を検索

2008-04-02

一日の生活は朝が勝負


 社会へ雄飛する諸君の将来にとって、「現実」の課題となる点を語っておきたい。

 それは第一に、会社勤め等にあって「遅刻をしてはならない」という点である。何回も話したことだが、簡単なようでしいことなので、改めて申し上げておきたい。

 私は10年間、戸田先生のもとで働かせていただいたが、先生も出勤に関しては厳しかった。私自身も激務の日々にあって、2〜3回体調を崩して遅刻した以外は、休んだことはなかった。

 一日の生活はが勝負である。遅刻をすれば負けである。毎、元気に出勤して「おはようございます!」という姿が大切である。まず人生、「に勝つ」ことが勝利の基(もとい)である。

 その点、結婚している人にとっては、夫を送り出す夫人の姿勢が大事となる。御書では、「夫」を「矢」に、「妻」を「弓」に譬えられている。弓が弱ければ、矢が遠くへ飛ぶことはできないのが道理である。

 戸田先生は、「寝坊は人生の敗北である。そうさせるのは、夫人が悪い」と厳しく指導されていた。

 また、「廷」(天子が政治をとるところ)という言葉があるが、この語の元々の味も、“に仕事(政務)をする”ということから来たとされている。

 同志を裏切り、退転したり、我々に迷惑をかけた連中のほとんどが、の乱れ、生活の狂いから堕落していっている。勤行をしない、何かと理由をつけて、出勤しない等々――不議と共通した姿である。

 ともあれ、毎日を清々(すがすが)しくスタートし、日々に勝利し、楽しくも晴れ晴れと人生に勝利しゆく一人ひとりであっていただきたい。


【神奈川県、青年・学生部代表者会議 1990-01-15 神奈川文化会館


 札幌でのこと。冬ではあったが地区で早勤行を行うことを決め、地区拠点をお借りした。当時、私は班長(現在のニューリーダー)。主要メンバーは3人で、活動家は10人ほどいた。ところが、実際にやってみると3人揃えばまだいい方で、一人ということも珍しくなかった。しかも、この一人が同じメンバーじゃないときたもんだ(笑)。わざわざ、よそのお宅での勤行をするってえのも、中々辛かったよ(笑)。そして、遂に悪夢の日が訪れた。誰も来なかったのだ。拠点の主から厳しく注された。「ストーブだって、タダじゃないんだよ!」と。い出だ。


 大きな闘争になると男子部はやたらと早勤行を行う。その図は「どうせ、普段やってないんだろう? だったら、皆で一緒にやろうじゃねーか!」という浅はかなものだ(笑)。典型的な暴走族型活動。一人になると全滅(笑)。


 上京してからは、寺でやっていたもんだから、もっと大変だったよ。


 男子部はとにかくが弱い。最大の原因は夜が遅いことにある。当たり前だよね。何となく帰りずらくて遅くなるメンバーや、ダラダラと話して皆を帰さない幹部は、流されやすい傾向がある。夜になればなるほど元気がいいのは、起きてない証拠だ。


 活動で遅くなるから、自宅で題目もあがらないし、勉強もできない。その悪しきリズムが、デタラメな幹部をつくる。


 毎、30分の余裕をつくりたい。例えば、30分散歩したとしよう。それだけで健康という財産を手にすることができよう。読書にいそしめば、ものを深く考える癖がついてくる。たった30分間が人生を大きく左右する。唱題や御書拝読と狭く考えると長続きしない。好きなことに挑戦すれば、持続しやすい。


 今日は戸田先生の命日。二代会長亡き後、池田先生は50年間にわたって、一人学会を支えてこられた。先生は戸田先生から10年間訓練された。先生から50年間も訓練を受けてきた我々の中に、本物の弟子はいるのかいないのか。「に報いる」と口で言うのは簡単だ。

2005-08-04

子供の非行


質問●今年、17歳になる長男に、悪い友達がついて、よそへ泊まって帰ってきません。下山すれば帰っているでしょうか。どういう不良かというと、パチンコ屋へ行っているのです。学校の成績は断然悪く、兄妹二人で、家は建築で、こづかいは自由にさせず、500〜600円から1000円ぐらいにとめております。父親は固い人で、家の教育はやかましく、始めの内は折檻しましたが、今は何も言いません。母親も同じです。


指導●これは一番重大な問題です。お山に来ている内に帰ってきます。この後は三段の教えがあります。外道の方から、法の方まで話してみましょう。

 子供をよく育てる方法として、一番大事な家庭教育があります。子供と喧嘩するくらいに母親が口やかましいことが理です。父親は甘やかし放題甘やかす。男の子は年頃になると、父親を何となく煙たく、何となく嫌になるのです。その本能を知って、子供の人格を尊重してやる育て方をする。母親はうんとやかましくしなければなりません。子供の畜生道に負ける母親は、子供を育てられません。子供が不良になったら、殺して死ぬという覚悟がなくてはいけません。世の中に、慈悲ほど怖いものはありません。情ほど怖いものはありません。母親の愛情は、父親と段違いです。

 信の問題に入ります。一番やさしく、ご利益のあることは、肺病が治ることと、貧乏人が金持ちになることです。面倒なのは精神病を治すこと。それにも増して面倒なのは、死ぬべき寿命を延ばすことです。不良を直すことも面倒です。不良が直った例はいくらでもあります。深い深い信が必要です。子供に信させることです。

 法上の問題は、そういう子供を生んだ両親の宿命です。その子を、じっと見た時、この子を立派にしなければいけない、この子こそ自らをにするのかと、拝むようになる境こそ大切です。


【『戸田城聖全集』第2巻 質問会編 1982-01-26発行】


 中学1年、高校1年の夏休みは要注。玉手箱を開けた後の浦島太郎みたいに、髪の毛の色が変わっていることがある。浮き沈みの激しい季節は、ちょっとしたことで良くもなれば、悪くもなる。とはいうものの、この世界は第六天の魔王の所領だから、数多くの悪縁が未来部を取り巻いている。


 男であれば経験があるとうが、喫煙や万引きなどは、“肝試し”的な覚で行われる。「こんなこともできないのか?」「何言ってやがる。そんなこと、わけねーよ」なあんて、やり取りになりがち。また、先輩から強制される場合も多い。いずれにせよ、最初の内は後味が悪いのだが、段々とが麻痺してゆく。悪に対して鈍となってしまえば、親や先生の注なんぞには貸さない。


 基本的なことだが、まず担当者は、「未来部を見守っている」というメッセージを常に具体的に発信することだ。自分を見つめる眼差しをじれば、それだけでも励みになる。観客は多ければ多いほどいい。多くの青年部や壮年・婦人も一緒になってを注げば、多少、道を踏み外すことがあっても、直ぐに戻ってくる。


「子供の畜生道に負ける母親は、子供を育てられません」との指摘は重要だ。母親が甘やかせば甘やかすほど、子供はわがままになる。ひ弱な人格は、イジメの現場を見ても傍観を決め込むようになる。自分さえイジメられなければよしとする子供が、まともな大人になる見込みはない。


 荒れ放題の子供や、引きこもりの子供を持つ親は、必ずこう言いわけをする。「どうしていいのか、わからなかった」と。この無責任さが、子供の人生を歪めたことにすら気づいてない。やるべきことは、いくらでもある。出来ることは無限にある。


 昼間は庖丁を振り回し、夜は母親の胸で眠る小学校4年生の不登校児童がいた。母親が我が身を振り返り、次のように述べている。


 1. 子どもの前で他人の批判を平気でしていた。

 2. 世間体を大切にして人前でいい子を演じる八方美人だった。

 3. 自分の好きでパートに出ていたのに「お母さんがどれだけしんどいとってんの!」とカッカしながら子育てや家事をやっていた。

 4. 「ローンを早く返せない、働きが悪い」と子どもの前で父親をけなしていた。

 5. 自分はさんざん叱るのに、わが子が父親や他人から叱られるのがとても嫌だった。

 6. 悪いことをしたから叱ったのに、直ぐさま後悔したり食事の世話を焼いたりして、ご機嫌を取っていた。

 7. 全てにおいて中途半端だった。

 8. 我が子に代わって友だちに取られたおもちゃを取り返しにいったり、言えないことを伝えにいったりしていた。

 9. 何事に対しても遅くて下手な我が子にイラつき、ほとんど母親が手を出して代行していた。

 10. テストの点が悪いとか、あの時になぜ友達を許したのかとか、叱ってはいけないところでさんざん叱り、人に迷惑をかけたり父親に悪い態度を取った時など、肝なところで適当な叱り方しかできず、甘かった。

 11. 子どもの顔色を窺いながら子どもに最高の環境を常に先回りして整えてしまい、自らので親に要求してくる機会を完全に奪っていた。

 12. 子どもの進路については決して譲らないくせに、我が子の要求に直ぐさま応じて、子育て(信)を譲りまくっていた。

 13. 学校から帰ってきた我が子の野次馬になり、根掘り葉掘り聞き出しては干渉し、クラスメートや担任の批判を親子でしていた。

 14. おなかが痛い、頭がボ―ッとする、歩く気になれないと子どもが訴えると配になって大げさに反応し、熱も計らずに簡単に学校を休ませていた。


 親の身勝手な期待や欲望を満たすために子供がいるわけではない。


 親となり、子となった以上は、“宿命共同体”である。親が変われば子は変わるし、子が変われば親も変わる。

2005-07-14

「妻の言うことは聞くな。妻の言うことは聞け」


 戸田前会長は「妻の言うことは聞くな。妻の言うことは聞け」と指導された。すなわち、学会という公のことでは、絶対に妻の言うことを聞いてはならぬ。大事な学会活動の問題・人事・王冥合の戦いについては、幹部の相談の上に立った自覚と責任において決断し、運営すべきだ。相談相手は、支部長でいえば、脇士となって戦っている地区部長であるべきだ。部隊長であれば、中核の隊長を選ぶのが正しい。



 支部長は支部内のことについて、妻が婦人部長だからといって左右されてはならない。そうであっては、婦人部長が支部を動かしてゆくことになってしまう。幹部はあくまでも公平で、公私の区別を峻厳にしなければ、人々はから慕ってこない。それが指導者であり、師子王の行き方なのである。学会組織の強さは、公私を峻別してゆくところにある。



 また、「聞け」ということは、自分個人の問題や、身の回りについては、妻の見を聞くのが当然の理である。

 夫のことを配する妻の忠言にはを傾ける。他人のことを中傷したり、噂の報告などにはを貸してはならない。


【『指導メモ』 1966-06-01発行】


 これを中道と申す。絶妙なバランス覚に、ただただ嘆のを抱かずにはいられない。


 夫婦は夫婦、組織組織だ。ところが往々にして、夫の役職が高いと、ふんぞり返っている妻が多い(笑)。かような奥方連中を私は、“亭主の威を借る女”と呼んでいる。


 逆に、妻の役職が高いと、一家は悲惨な結果となりやすい(笑)。亭主は顎(あご)でこき使われ、子供は放置されたまま大きくなってゆく。


 女は客観的なものの見方が不得手。自分との関係で物事を判断するケースが多い。例えば組織で問題がある人物がいたとしよう。この人と仲のよい婦人部幹部は、あまり問題視しない。


 ま、いずれにせよ、明るい“かかあ天下”が理である。亭主関白の家は子供が可哀だ。父親が厳し過ぎると、子供は嘘をつく傾向が強まる。


 また、退転し、叛逆するに至った大幹部の殆どの原因が、その女房連中にあったことも見逃せない。


 家でくつろいでいれば、誰もが油断をする。そこにがつけ入り、公私の覚を失わせるのだ。信組織のことについては、絶対に、互いの軽口を許してはならない。


 私の両親は、派遣の支部長・支部婦人部長をしていた。物がついた時から、夜は毎日いなかった。まあ、兄弟が多かったんで、いない方が嬉しかったんだけどね(笑)。私が男子部となって、母に質問をすると必ずこう言われた。「お前達は、こちらの組織に預けてあるんだから、組織で指導を受けなさい」と。その手法は恐ろしいほど徹底したもので、日程すら教えてもらえなかった。だが、そのおかげで、私は日々先輩に指導を求める癖が身についた。そんな一家であるから、家で組織批判をしようものなら、父の拳の固さを確認する羽目となった。空手経験者の父親を持つことは、あまりお勧めできない(笑)。


 私と一緒に戦った同志がこんな話をしていた。「僕は学校を卒して数年間は、全然、活動してなかったんです。男子部が家を訪れると、『おふくろ、今日だけは“いない”って言ってくれ!』と叫んで、家の奥に避してました(笑)。ところが、内のおふくろはいつも、『あ、子ですか? いますよ、どうぞ!』と男子部を家に上げるんですよ。それで、とうとう逃げられなくなってしまいました(笑)」。これぞ、下町の母。


 余談になるが、訪れた人を家に上げない家庭も配だ。必ず、風通しが悪くなっている。多くの人々が出入りしている家は、福運に満ちている。

2005-01-18

子は親の似姿


 ある婦人部幹部からの手紙を紹介したい。そこには大要、次のように記されていた。

 信歴は長いが、子供が後継者に育っていない家庭がある。特に、社会的地位の高い人や、学会の役職をカサに会員につらく当ったりする親の家庭に多い。そうした家では、両親が、自分の家は特別だとって、子供に厳しく信を教えていない。それが子供を駄目にしている――と。そして、こうしたことが、これからの学会の大切な課題だとうと、最後に結んであった。私は胸を突かれるいであった。

 子は、親の姿を冷静に見ている。その味で、子供の信は、親の信の一つの表れともいえる。幹部の皆さまは、よくよくこの点を銘記されたい。


【第8回本部幹部会 1988-08-19 創価文化会館


 こういう指導を読んで、「あ、あそこの家のことだな」などと他人事にしてはいけない。「ホラ、見たことか」なんてね(笑)。


 子供も夫も、婦人で決まる。一家の動向を決し、世界の命運を担っているのは女だ。


 や(矢)のはしる事は弓のちからくも(雲)のゆくことはりう(竜)のちから、をとこ(男)のしわざはめ(女)のちからなり(975頁)


 昔の婦人部の指導は厳しかった。旦那に問題があっても、全て妻の責任とされた。一方、女房殿に問題があっても、旦那の責任が問われることはあまりない(笑)。


子育てしい」、「我が子に信を教えるのはしい」という人がいる。一概には言い切れないが、親の考えで子供をコントロールしようとするとしくなるようにう。また、「しい」という一が、「しい子育て」にしてしまっていることも見逃せない。


 婦人部の中堅幹部以上になると、我が子を活動家にすることが“見栄”になってる場合も目につく。子供は、親のアクセサリーではあるまい。


 親が楽しい信をしていれば、子供は黙っていても広布後継の道を歩む。父と母が真剣に祈っている姿を日常的に見ていれば、それだけでも、子供は深い尊敬のを抱くものだ。私がそうだったのだから間違いない。


 私が小学校4年の時の少年部員会で、担当者の男子部が語った。「池田先生のご健康を祈ろう!」と。それ以来私は、「先生が元気で長生きしますように」と祈り始めた。そして、中学1年になった頃のことである。「そうだ。ついでに、親のことも祈ってやるか」という軽い気持ちで、「お父さんとお母さん」を付け加えた。その瞬間である。両親が私のことを祈っていることを直した。直達正観(じきたつしょうかん)とは、このことだと今でもっている(笑)。


 我が子が後継者と育たなければ、信の確信にヒビが入る。「祈りとしてかなわざるなしよ!」(でも、我が子に対する、私の祈りはかなわない)、「頑張りましょう!」(内の子は頑張らないけど)とならざるを得ない。


 子供がやらないのは、親の信即生活に嘘があるからだ。かといって、途中経過で物事を決めつけるのも早計。

2004-11-29

子供の弟子になる母親は鬼子母神


 婦人は、子供の弟子にならないように、注しなければならない。子供にを奪われて、信もしっかりできない母親は、自分も女として向上しないばかりか、子供も立派に成長させられない。そうした姿は、主人に影響を与えて、主人も働けなくなってしまう。一家は、母親がしっかりしなければならない。

 子供に引きずられている女は、経文にある鬼子母神と同じ場合がある。子供の自主を結局は奪い、子供の成長を止めてしまう。そして、子供を取って食らう鬼神のごとく、やせこけた、人相の悪い女となってしまうのだ。


【『指導メモ』 1966-06-01発行】


 パブリック(公)の精神が稀薄な時代である。ファミリーレストラン内で騒ぎ放題の子供達や、電車やバスでの中高生のけたたましい喋りに、頭を抱えたことは誰だってあるだろう。他人への眼差しを失った子供達は、エゴイズムという坂をまっしぐらに走ってゆく。


 学会にあっても、会館内でお菓子を食べている幼児や、幹部指導になると必ず騒ぎ出す子供を見受けることがある。甘やかされて育った子供達の将来に、暗い予を覚えてならない。


 もっと酷(ひど)いのは、未来部の会合の連絡へ行くと、親が現れて居留守を決め込むケース(笑)。家族がになって、子供の足を懸命に引っ張っている。前にも書いたが、親が幹部であっても、こうしたケースがままある。


 女五障三従の身であると説かれる。五障とは、女がなることのできない位を指し、三従とは、「幼くしては親に従い、嫁(か)しては夫に従い、老いては子に従う」というもの。社会的に弱い立場で、主体のない生き方を味する。この考え方は、洋の東西を問わないようで、『女の一生』と題した小説は、必ず不幸な結末を迎えている。


 幼い子供にとっては、親が最大の環境となる。子供の言いなりになって、ただ歓を買っているだけでは、親の使命を果たすことができない。幼児教育を、昔は躾(しつけ)と言った。躾によって子供は、社会と人間の中で、「身」を「美」しく保つことができた。


 現代社会においては、我が子への過剰な期待が、理的虐待になっているケースも多い。先日も、立て続けに両親を殺害するという痛ましい事件が起こった。


 父母を打(うつ)子あり阿闍世王なり(958頁)


 子供は、親の所有物ではない。未来からの使者である。いずれにせよ、親の生き方がそのまま子供に反映する。「学会をよろしくお願いします」と頭を下げる先生の姿を、我々はもっともっと真剣に受け止めてゆかねばなるまい。