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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2004-05-10

「増上慢」と「我見」が破和合僧の因


 人間社会で、一番、「協調」を壊し、一番、「目的」を破壊していくものは何か。

 それは「増上慢」であり「我見」である。傲り高ぶった慢であり、自分に固執した、いわば自分勝手な考えである。

 この増上慢と我見は、厳格に戒めていかねばならない。

 人の見を聞かず、「異体同」を踏みにじることは、人びとを不快にし、「広宣流布」という目的観を崩してしまう、法上、極悪の行為であるからだ。


【「随筆 人間世紀の光」29 我らが本陣 新宿聖教新聞 2004-05-08付】


 先ほど、婦人部幹部と電話で話し込んでいた。気がつくと2時間ほども経っていた。壮年部の現状を伝えると共に、婦人部の状況を尋ねた。まあ、どっちもどっちってじで、結構大変なようだった。


 今時の婦人部幹部は泥をかぶることを避けるらしい。自分の見も言わないようである。上位役職の幹部であってもハッキリとした見は控え、「上に聞いておきます」と答えのが多いんだってさ。つまり、右も左も腰抜け揃い(笑)。


 闘争の第2期ともいうべき時期に当たり、先生は実に厳しい指導をされている。増上慢とは「自分はこれでいい」という勝手ない上がりであり、我見とは「自分の考えが正しい」というわがままない込みである。


 もう少し具体的に言えば、増上慢とは指導を求めない人であり、皆の見にを傾けない人であろう。我見の人は簡単。勤行唱題が皆と合わない人である。我見の人は自分勝手な判断で、組織の呼吸を軽視する人だ。


 大雑把にいえば、唱題しないのが増上慢、御書やスピーチの研鑚なき者は我見といえよう。


 自分の生命から、増上慢と我見を叩き出す決も新た。


【※指導は、NON氏の投稿より】

2004-01-08

怨嫉が功徳を消す


 信をしていても、指導に反して我見の信をしては、功徳の結果は出ない。組織につかないで、注されると反発しながら、勝手な信をする人は、尺八を逆さに吹いているようなもので、音は絶対に出ない。すなわち功徳はない。


【『牧口先生指導要言』辻武寿編】


 若し復(また)是の経典を受持する者を見て其の過悪を出せば若しは実にもあれ若しは不実にもあれ此の人現世に白癩(びゃくらい)の病を得ん(230頁)


 事実であったとしても、デマ?であったとしても、同志を悪口してはならないとの御指南。破和合の罪の重さを像する。


 妙楽云く「障り未だ除かざる者を怨と為し聞くことを喜ばざる者を嫉とく」等云云(201頁)


 いつの頃からか、「納得できない」という言葉を耳にするようになった。私は常に反論してきた。「広宣流布は納得して、やるものなのか? 気と気がぶつかり合って多くを語らずとも、を一つにしてやってゆくべき革命ではないのか?」と。「納得できないのは、境涯が低いからじゃないのか?」と。


 先輩にしっかりついて訓練を受けている人は、理解できなくとも納得できる瞬間があるものだ。


 また、功徳を実してない時は、この指導をよくよく味わうべきだとう。