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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2008-06-29

会員を守る


 末端の会員は「無告の民」である。いかなる矛盾も飲み込み、どんな理不尽にも耐えている。時々、愚痴を吐いたり弱音を漏らすと、「エッ、どうして今更そんなことを言うの?」と冷ややかな対応が待ち受けている。無告の民はより一層、沈黙を強いられる。


 一人の会員の何気ない発言であっても、その人の信、生活、家庭、年齢など様々な状況を知り尽くした上で、なきをすくい取るがリーダーには求められる。


 ありきたりの正論、とってつけたような激励が、どれほど会員を追い詰めていることだろう。


 組織が弱いと、本当に悲惨な事態が続出する。特に本部幹部・区幹部に力がないと、無責任が横行し、問題があっても見て見ぬふりを決め込んで、平然と頬かむりする。ある中堅幹部は悩みながらも、「ここはそういう組織だから、仕方がない」とただ嘆くのみ。汝をミスター無気力と付けよう。


 かような組織で会員を守るためには、全幹部を敵に回すだけの覚悟が必要だ。つまり、「守るだけの力」がなければ、とばっちりを受けるだけで終わってしまう。


 私はそこそこ複雑な問題や、10年もの(アルコールか!)のトラブルも解決してきた。ある程度のことは何とかする自信がある。問題というのは解決するたびに、新しい方程式が見えてくるのだ。以下に一般的な問題の対処法を記しておこう。


 1.客観的な事実関係の掌握。

 2.誤解や行き違いがないかを確認。

 3.問題を放置しているのは誰か?→嘘を見破る。

 4.本来、責任をとるべき幹部の一段階上の幹部に相談。

 5.この段階で丸め込まれるとアウト。情報が少ないと負ける。

 6.学会トップダウンのため、幹部が動かない場合は、どんどん上に当たる。

 7.方面長でもダメな場合は、別の副会長に当たる。


 大体この程度で大丈夫だ。これでも解決できなかったら、引っ越した方がいいよ(笑)。「会員を守る」という自覚があるなら、これくらいのことはいつでもできるようにしておくべきだ。

2008-01-08

創価学会の誉れの伝統精神


 徹底して現場を傾け、一人ひとりのために真摯に行動し抜く――ここに真実の指導者の姿がある。

 私は、戸田先生の戦いにそのことを学んだ。

 先生はよく質問会をもち、悩みの人のを丁寧に聞いてくださった。当時、本部の会長室にまで、多くの会員が指導を受けに来ていたものである。

 一人ひとりの悩や課題に対し、先生は常に明確であられた。即座にわかりやすい言葉で回答され、温かく包容された。真の励ましで希望と勇気を与えられ、会員はそれまでの悩がウソのように晴れ晴れと、強い確信に満ちて帰路についていった。悩める庶民に対して、どこまでも真剣であり、誠実であられた。ここに創価学会の誉れの伝統精神がある。

 ゆえに会員に対して、いい加減な態度で接したり、傲慢に振る舞うような幹部は、この尊い伝統を破壊する「悪しき人」に他ならない。どうか皆さま方は、しむ同志に対して、ある味でその人以上に悩み、考え抜く、「同」ので誠実に激励していただきたい。


【第24本部幹部会 1989-12-20 創価文化会館


 最前線で戦う学会員は、本当に善良な方々が多い。一方、幹部はといえば、勘違いしている連中が多く、仕事もしてないクセに踏ん反り返っている。まともな幹部は、10人に1人もいないだろう。舎衛の三億に照らしても、せめて3分の1程度がしっかりすれば、組織は牽引できる。


 組織のあちこちに歪(ひず)みが生じているのは、「一人の悩みを解決できない」ことに起因している。自分の手に負えない問題を聞くと、「とにかく祈っていこう!」「とにかく先生に応えていこう!」「とにかく頑張ろう!」という馬鹿げたアドバイスをする幹部が多い。


「とにかく」の一言で、相手の悩みを無視しながら平然としている。まるで、捨閉閣抛(しゃへいかくほう)だよ(笑)。面倒なことは、「捨てよ」「閉じよ」「閣(さしお)け」「抛(なげう)て」。


日本企業を蝕む病」で紹介した西山氏の指摘は鋭い。組織内部に費やされるエネルギーが大きいため、外に目が向かなくなっているのだ。エネルギーというよりは、負荷といった方が適切だろう。「集まる」こと自体が戦いと化し、指示があった時だけ、い腰を上げて友人のところへ向かう――そんな会員ばかりをつくってしまってないか?


 これが、どれほどおかしな事態か理解する人は少ない。歩兵が将軍の方を見つめながら、後ろ向きで敵陣を目指しているのだ。あるいは、大地を割って登場した地涌の菩薩が、たむろしたままどこにも行かないような姿だろう。挙げ句の果てには、地面の中に引っ込むのもいるよ(笑)。


 今はね、まだいいんだよ。先生がいらっしゃるから。問題は、「ポスト三代会長(三代会長後)」だ。やむにやまれぬ責任の上から、今年はこの問題について、い切ったことを書いてゆく予定である。

2006-05-22

会員のためなら死さえ厭わず


 ――私は、たとえ刺されようと、撃たれようと、広布のため、会員の方々のためなら「死」さえ厭(いと)わない決できた。少々の批判などに動ずるはずもない。皆さま方のためには、“屋根”にもなろうと、我がに誓ったままに進んでいくのみである。

 ともあれ私は、皆さま方のためなら、どんな労も厭わない。これまでも書きに書き、話しに話し、数え切れないほどの人と会ってきた。例えば現在、私のもとにいただく手紙だけでも、毎日、かなりの数に上る。しかし、その一通一通に可能な限り、真を込めて対応している。いかに激務が続こうとも、子の幸福じて戦う日々にこそ、信仰者としての最高のい出が刻まれてゆくことを確信しているからである。


【第22回本部幹部会 1989-10-24 創価文化会館


 指導の原文は「うたれようと」となっている。これでは、「打たれようと」とも受け取れる。だが、その後の「『死』さえ厭わない」との文脈で考えれば、「撃たれようと」と表すのが正しいと私は判断した。


 昭和33年(1958年)127日、両国の日大講堂で第7回男子部総会が行われた。戸田先生の逝去から8ヶ――。3万5000人の代表が集い、学会を取り巻く風評をはね返す、怒涛の勢いに満ちた総会だった。この席上で、突如、演壇裏から暴漢が先生を目がけて駆け上がった。瞬時に二人の青年が体当たりを食らわせ、事なきを得た。師を守ったのは、多田省吾さん(元公明党副委員長)と山口康宏さん(初代文京支部長)である。


 こうした現実があって、この指導があるのだ。果たして、弟子の側はどうだろうか? 寸分も違わぬであれば、初めて師弟は不二となる。「どんな労も厭わない」決と実践があるか否かを我が胸に問う。


 師のを、どこまで我がじているか。それが、我が生命の電圧となるのだ。


 師は一通の手紙から、弟子のをあますところなく汲(く)み取って下さる。弟子は、師の指導から何を汲み取るか? 不甲斐なき自己を呪うのは容易だ。決するには、かなりの勇気を必要とする。


 しかし、残された道は一つしかない――。

2005-06-11

同志に尽くさぬ幹部は退転


“広布の指導者”として生きゆく諸君は、どこまでも後輩を、同志を、そして、子を守り抜く人であっていただきたい。

 これまでも、幹部になって退転していった者は、ほとんどが同志のために、骨身に及ぶ労をしない、自分はできるだけ手を汚さない要領の人間であった。

哀れ」「卑怯」「軽薄」な人間であった。

 会員のために我が身を惜しまず、労の泥と汗にまみれながら戦ってきた本当の学会精神に立った人は、決して退転をしていない。


創価班・長会合同総会 1987-11-02 東京会館


 動物の世界にあってすら親は子を守る。時には親が生贄(いけにえ)となることもあるほどだ。本能に支配される動物すら是くの如し。


 学会の尊い役職がありながら後輩を守ってないようなのは、畜生以下といってよし。役職があるから偉いのではない。責任を果たす人が偉いのだ。自分の力不足に歯ぎしりしながらも身体を張って戦い抜く中で、指導者としての資質が培われてゆく。


 我が同志を不幸から守り、三類の強敵から守り、障から守ることが、幹部としての最重要課題だ。そのための活動であり、教学であり、祈りでなくてはならない。


 こうしたことは一一夕で身につくものではない。10年ほど徹して、少しずつ条件反射のように身に備わってゆく覚である。この領域に入ると、段々と手の届かない問題が現われてくる。それでも手を伸ばし、手を入れる。こうして更に10年ほど経つと、大体の問題は解決できるようになるものだ。計20年なり。


 この過程で一度でも逃げたり、避けたりするような場面があると、それが必ずツケとなって後々しむ羽目になる。ここが肝。そのことをから反省し、皆の前で語れるようになれば、この限りではない。このあたりは実に微妙な世界であり、わかる人にしかわからないであろう。それで構わない。


 会員を大切にできない幹部の本質は、我が身可愛さ故の「哀れ」「卑怯」「軽薄」な境涯にある。


 広宣流布の労を少しでも知れば、同志を軽んずることなどできるはずがないのだ。


「会員のためとあらば、何でもやろう!」というのリーダーは、常に、「何かできることはないか?」と我が身を苛(さいな)むほどの深慮があるものだ。利と無縁の位置で戦っている人々は、自らの闘争を高に主張することはない。人知れず、動き、祈る存在を見落とすな。


 自分が一人になった時、何人の同志が胸に浮かぶか――そこに真の責任が三千羅列となって現われる。

2004-10-09

仏子を犠牲にする存在を許すな


 妙法流布に進む学会員の皆さま方は、お一人お一人が皆、尊き「の使い」である。御本のかけがえなき子であられる。

 何にも増して、その方々を尊敬し、守り、大切にしていくことは法者として当然である。

 仮にも、最も大事な子を利用し、見下し、犠牲にしていく存在があれば、経文と御書に照らし、誰人であろうと私は許さない。また、戦ってきた。ゆえに迫害も大きかった。

 来る日も、来る日も、早から夜半に至るまで、ただただ子の安穏を祈り、を砕き、尽くしきったつもりである。これは御本尊の前で、私は断言できる。

 細かな上にも細かなをつかい、また、大きく安全の屋根をつくり、広布のために労されている皆さま方を守ってきたつもりである。壊れかかった生命の器を直し、元気に蘇生させていく信の指導も、こちらの生命を削るいでの労作であった。

 疲れ果てることもしばしばであった。また、極めて多忙な身でもある。しかし、私にとって「会員を守る」という一点ほど重要なことはない。その一点に血を注いできた。学会員をい、気づかうにおいて、私以上に実践してきた人は絶対にいないと確信している。

 ともあれ、門下の一人ひとりを、どこまでも気づかい守られた御本の御振る舞いを拝しつつ、日々労を尽くしきってきたがゆえに、今日(こんにち)の学会がある。

 決して組織の上の命令や権威によるものではない。そのような形式で人のをつかめるはずがない。学会はどこまでも信の上に、「真」と「人間」で結ばれた“の世界”である。

 戸田先生は、逝去を前にした最後の指揮の中でこう言われていた。

「学会は“雰囲気”を大切にしていきなさい。皆の楽しい、仲の良い“雰囲気”を壊す者は敵である」と。

 人間のを熟知された戸田先生の一つの結論的指導であった。

 この和(なご)やかな麗しいの絆を、絶対に壊されるようなことがあってはならない。どこまでも朗らかに、潤いに満ちた、仲のよい台東、中央両区であっていただきたいと重ねて申し上げておきたい。


【台東・中央区記合同総会 1988-05-11 東京上野池田講堂】


 今日、台風22号が関東に上陸する予定。東日本では過去10年間において最も強い勢力らしい。今年、日本に上陸した台風は、これで九つとなり過去最高。東京は、一切の会合が中止。もう2日早かったら、本部幹部会とぶつかっていた。


 先生ご自身の境を吐露されながら、「会員を守る」姿勢を教えて下さっている。


「会員を守る」とは、会合の運営をすることではない。広布の最前線で、四者の先頭に立って走り、全責任を担って奮闘することである。口先だけなら、どんなことでも言える。だが、現実は壮婦に配されている青年部が殆どであろう。「君がいないと困る」と言われる青年部が果たしてどれぐらい存在するだろうか? 頭数の話じゃないよ(笑)。


 ある時、先輩がこう語ったことがある。


「全国制覇9連覇の時、俺達男子部が、現実の結果をもって四者の牽引力となった。婦人部に文句を言わせたことなど、ただの一度もなかった。今はどうだ? 婦人部の後から男子部がついていくような戦いじゃ情けないとわないか?」


 折伏戦の中で学んできたことは、後輩を守り、友を救うということだった。腫(は)れ物に触るような存在が一人でもいれば、そこから組織が破られていく。


 先入観とあきらめが瞳を曇らせ、行動を阻む。


 青年部時代のこと。ある部を担当することになり、簿を見ながら、部長に現状を訊ねた。あるメンバーのことを訊くと、誰も会ったことがないと言う。部長は延々と言いわけを並べ、高に自分達の努力を主張し正当化しようとした。簿には電話番号が書いてあった。「電話をしたことはあるのか?」「いえ……」。その場で私は受話器を取った。直ぐに相手が出て、私は電話での非礼を詫びてから、自己紹介をし、少しばかり話をした。間もなく引っ越すとのことだった。電話を切った後の様子はご像にお任せしよう(笑)。


 そういや、こんなこともあった。新体制となったある本部でのこと。一人の副本部長が全く出てこない。本部長に訊いてみると、「いやあ、誰が行っても会えないんですよ。居留守みたいです。メモも毎回入れてます」。ゴチャゴチャと色んなことを言ってたが、結局、既成事実を挙げて誤化してるだけだった。悩んでいる風もなかった。そのことで指導を受けようとすらしてなかった。「じゃあ、こっちでやるよ」と言っておいた。この副本部長は、本部長よりもキャリアがあり、年下ではあったが先輩格だった。昔、うての悪として地元で悪をはびこらせていたこともあって、誰もが一目置く存在だった。私は、本部長とやり取りした翌日の昼、会社に電話をした。その日の夜に会う約束をし、足を運んだ。「オウ、しばらくだな!」とを掛けると、でかい図体を小さくして「はい」と笑いしてた。一緒に勤行をした。私は静かに語りかけた。


「やる気があるのか、ないのか聞かせてもらおうか?」

「いえ、やる気がないわけじゃ……」

「ハッキリしろ! ないんだったら、壮年部にしてやるよ」

「やる気はあります。ただ、ちょっと出なくなったら、タイミングを失ってしまって……」

「そうか。じゃあ、俺がタイミングを作ってやるよ。明日、部長会があるから、それに出ろ」

「エッ、明日ですか……」

「来なかったら、お前は壮年部送りだ。多くの後輩の邪になるからな」

「わ、わかりました。必ず行きます」


 何とのないやり取りであろうか!(笑) ただ、一緒に勤行をした時、私は彼のの響きからそれなりの信があることをじ、そこに賭けた。翌日の部長会では、後輩からを掛けられ、恥ずかしそうに笑いながら、後輩の肩に手を回す彼の姿があった。


 組織に出てこない幹部がいるとすれば、出てこないことを容認している周囲の責任だ。自分が全力を尽くしても駄目だったら、どんどん先輩に入ってもらえばいいのだ。先輩も全滅したら、秋谷会長にまで当たるぐらいの責任があって当然だとう。そのための幹部だろう。


 どんな人であろうとも、守ってあげる人が一人いれば救われる。何とかする人間がいるから、何とかなるのだ。


 第42回本部幹部会。先生より、創価グロリア吹奏楽団に「今後は、流行歌も演奏してはどうか」との提案が。先生はその場で、最前列にいた女子部に「何が聴きたい?」とリクエストを促された。女子部はためらいながら「『世界に一つだけの花』です」と答えた。先生が「できる?」と指揮者に問うと、「できます!」と元気一杯の返事。絶妙の呼吸で、幹部会は期せずして一気に盛り上がった。女子部が違う曲をリクエストしても実現してなかっただろうし、先生が「できる?」と尋ねてなかったらでき得なかった。何気ないやり取りのようでありながら、実は先生の一から生まれたドラマである。