Hatena::ブログ(Diary)

斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


WWW を検索 創価王道を検索

2005-10-05

会館が“権威の城”と化せば売却せよ


 御本尊功徳により、私も働き、そして、皆さん方の力により、日本全国に百数十ヶ所の本部・会館を設置することができましたことをご報告申し上げます。これからも、それ以上につくる予定で働いてまいります。

 ここで第四代、第五代会長の時代、すなわち学会の将来のことを考えて申しておきたいことがあります。それは、学会の建物は、皆さん方の学会活動の便宜のために、また、人材を育成するために使っていただく目的で建設するわけであります。しかし、もしこれらの建物の上に、幹部があぐらをかいたり、官庁式になってしまったりして、そのために不幸な人々を救済してゆく精神を忘れ、広宣流布への闘魂がなくなり、前進が止まるようなことになれば、これは重大です。その場合には、もはや立正安国の精神を失い、妙法の革命精神を失い、即創価学会の精神を失ったとして、もう一度、元に戻って御本尊だけを抱きしめて前進していくべきであります。

 その時は、本部・会館の建物は全部売り払って、老人のため、未亡人のため、不幸な人のための資金として、一切なげうち、それで広宣流布に新しい吹きをもって前進していくということを後世に伝えてゆきたいといますけれども、どうでしょうか(大拍手)。この一点において、どの団体、どの宗教団体とも根本的に違うのが創価学会の精神であります。これは全世界にただ一つの純粋無垢な信の精神であり、絶対に忘れてはなりません。

 創価学会が今日の発展を遂げるまでは、陰で地味に働き、戦ってきた人がたくさんおります。10年、15年、20年と戦ってきながら、今でも別に大幹部にはなっておらずに、一班長の場合もあるし、一組長の場合もあり、また、引退した人もたくさんおります。このような陰の功労者に対しては、から尊敬し、守り抜いていただきたいのであります。トントン拍子に役職が上がって大幹部になったという人よりも、私はそうして陰で戦ってきた人の方が、何百倍も何千倍も偉いとっておりますし、尊敬しております。形式にとらわれて役職だけで人を見たりせず、陰で働く人々を、どうか守り抜いて進んでいただきたいことをお願い申し上げます。


【第74回本部幹部会 1966-06-26 両国日本大学講堂】


 寺院の寄進を優先し、やっと、学会の会館が整備されてきたのがこの頃。全国各地に待望の法が出現した。この時に当たり、先生は会館義を打ち込まれている。


 五五百歳堅固の第4番目に「多造寺堅固」がある。ここには、法が文化や様式にまで昇華する側面と共に、形式化・形骸化してゆく側面がある。


 海外においては、会館の有無が時に死活問題となる場合もある。そもそも、伽藍(がらん)がなければ、法人認可の許可が下りない。ガーナでは会員による手造りの会館が20年以上前に誕生した。


 会館が出現し、そこに地涌の菩薩が集う。このリズムの中に確固たる立正安国の実現がある。


 地域によってはデタラメな会館がある。駐車で近隣に迷惑をかけて、実際に“使用禁止”となった会館もある。会館を出るなり、携帯電話で話す者や、おしゃべりに興じる女や、喫煙する男も目立つ。かようなところに限って、創価班がきちんと注事項を徹底してない。また、会合中に放置された子供が騒いだり、お菓子を食べる姿もある。館内は飲食禁止である。


 幹部の油断がを見過ごし、わざわざ近隣に敵をつくっているのだ。「法は道理」であり、「人の振る舞い」であれば、常識のない人間が叫ぶ“世界平和”に説得力はない。


 雨天の場合、会館の玄関には雑巾を出している。ところが、「足が濡れてしまっているので……」と言って、会館に入ることを遠慮する会員の方が時々いる。「皆さん、濡れてるから大丈夫ですよ」とをかけても、頑として入らない。入場券だけそっと置いて帰る方もいる。私は何度かそういう場面に遭遇したが、その度に、こうした人々の健気(けなげ)さに頭(こうべ)を垂れるような地で、後ろ姿を見送ってきた。いずれも、ブロック幹部か役職がないとわれる方々だった。

2005-06-08

研修道場


 私の『随筆 人間革命』でも紹介しているが、戸田先生はある時、青年を次のように励まされた。「革命児は、ただ平穏なゆっくりした生活を夢見るようでは、成長はない。昼間は汗みどろになって働き、戦い、勉強し、ある時は岸辺に立って波と語らい、真夜中まで星を友にしていくような、理情の融合した青年であってもらいたい」と。

 戸田先生ご自身、氷川、また河口湖畔で、私達青年部に浩然(こうぜん)の気を養わせながら、研修の機会を何回となくつくってくださった。

 しかし、バンガローや旅館では勤行・唱題がうようにできない。その折、先生は「将来、う存分に信と人生の鍛錬をする所が必要である」とつぶやいておられた。このことはかつて、新潟の代表者研修でも申し上げた通りであるが、この戸田先生の一言を実現せんとして建設されたのが「研修道場」である。ここに研修道場の淵源があった。


九州代表者会議 1987-10-21 福岡研修道場


 戸田先生の気宇壮大な言葉が、現代人の卑小さを浮かび上がらせる。髪の色を変える程度でしか自分を表現できない若者に、この言葉を教えてやりたい。


 大体だな、髪を染めたり、化粧をしたりってえのあ、オバサンがやることなんだよ。白髪(しらが)を隠すために染め、髪のボリュームが減ってくるからパーマをかけ、色艶(いろつや)の悪くなった肌を誤化すために化粧をするのだ。だから、「化け粧(よそお)う」って書くんだよ。世のオバサン達は、胸の中で囁いていることだろう。「黒髪を茶色に染め、ピチピチの肌を化粧で覆い隠すなんて、どうしてそんなもったいないことをするのだろう?」と。早く大人になりたがる気持ちはわかるが、美的覚の喪失を私は憂う。言葉遣いも、また同様だ。美の価値が顛倒(てんとう)した社会が、善悪の価値をも見失うのは必定。


 東京の場合、氷川研修道場の利用は、各区に一任されている。ある程度の期間が決められているものの、積極的に利用している区は少ないんじゃないか?


 昭和にあって、青年部の最大の訓練の場の一つが、総本山で行われる夏期講習会だった。全国から集った男子部は、「広布の暴走族」と化したがあった。あの世界を知っているかどうかで、かなりの差が出るとう。から晩まで、学会歌のオンパレード。「指揮、希望者!」と司会が言うや否や、半分以上のメンバーで学会歌の指揮を執っていた。私も、一泊二日の間に、40回ほどやった記憶がある。境内にも学会歌が轟き、中坊の石塀に登って指揮を執る者もいて、坊主どもが慌てふためいていた。北海道のメンバーが、まだ、寝静まっている部屋に数で殴り込みをかけ、「東京、元気かぁああーーーっ! それでは、元気一杯、創価班歌を歌おうじゃないかぁああ!」と叫んだ。不撃ちされた東京の連中は、布団の中から寝ぼけ眼のまま正座し、口元によだれをつけたまま、無理矢理、歌わされていた(笑)。各方面を代表するメンバーの気は天を衝くほどの勢いに溢れていた。


 現在、創価班・牙会大学校の大会が牧口記会館で行われているが、あれじゃ、代わりにならないんだよなー。牧口は騒げないからね。


 男子部の場合、競い合わせることが大切。ということで、隣接区と合同の研修を行ってはどうだろう? 全国各地の研修道場を、風化させるようなことがあってはなるまい。

2004-01-24

会館は信心の道場


 我が創価学会会館は、信の道場です。この会館にくる人も、会館を守る人も、全部、信の二字を根本とした活動でなければ学会員とはいえません。会場を使うその資格ある人とはいえません。

 したがって、義務のために集まる、義務のために守るのであったならば、来ない方がよい。最も峻厳な、最も尊い、最も美しいつながりが創価学会であります。御本尊様を根本とした信で会合し、そして戦いに進み、これを永久に繰り返していくのが会館義であります。


【松原会館式 1964-08-29】


 仏勅の団体としての使命を促す指導は、地涌の誓願を揺さぶり、目覚めさせる厳粛さがある。日顕宗の寺なんぞに、この覚悟は微塵もないだろう。慈愛が深ければこそ峻厳となる。信にオマケも割引もない。厳しいまでの自己との格闘があって、初めて宿命転換は可能となる。


 この時、先生、実に37歳の若さである。




 最近、非常に残うことがありました。


 本幹の最中、男子部が、携帯電話の充電をしているのが目に入りました。周りにいた婦人部もじっと見ている。我慢できず、私が注をしました。すぐにやめたものの、本人は納得のいかないような顔つきをしていました。


 彼に限らず、会館の使用後も掃除をせず帰る。電気はつけっぱなし、空調もつけっぱなし、ということが目立ちます。いつからこんなことになったのだろうか? ごく一部の人間だとはうのだが、実に嘆かわしいことだ。会館ができたころは、大事に大切に使って行こう、と謝の気持ちでいっぱいだったはずだ。コピーにしても無駄が多すぎる。些細なことかもしれないが、節約も“間接的な財務”だとう私は注ばかりしてる。これも“たゆむ”になるんじゃないかと圏長にも話した。そして再度、会館使用の注も含めて、徹底事項で通達することになりました。


宮本

1995-01-26

「学会が最初に動いた」迅速な救援活動に称賛の声/阪神・淡路大震災


創価学会

『大悪起これば大善きたる』


「すべてを変毒為薬して行こうよ」と


の奉仕活動 海外各紙も報道


 死者・行方不明者が5000人を超える大災害となった兵庫県南部地震で、創価学会(秋谷栄之助会長)では17日の地震発生直後に、関西文化会館(大阪市天王寺区)に「関西災害対策本部」(本部長=西口良三関西長)を設置、また東京創価学会本部にも秋谷会長を本部長、森田一哉理事長らを副本部長とする「災害対策本部」を設け、被災者の救援活動に全力で取り組むとともに、西口関西長ら関西の幹部が被災地へ入り、「大悪起これば大善きたる」との御書の金言をモットーに、すべて変毒為薬としていこうと、激励を続けている。

 兵庫県内では、神戸市の灘文化会館(灘区)、神戸講堂(東灘区)、長田文化会館(長田区)をはじめ西宮市の西宮池田講堂、尼崎市の尼崎池田文化会館など各地の創価学会会館が、被災した近隣住民の避所や救援・医療活動の拠点として提供された。信仰する宗派・教団や、また信仰の有無を問わず、・信條を超えて多くの被災者がこれらの会館に避し、互いに励まし合いながら生活を送っている。

 東京の創価学会本部の「災害対策本部」では18日、森田修平ドクター部長を中とするドクター部(医師)のメンバー約130人、および白樺会・グループ(看護婦)のメンバー約350人からなる「救急医療班」を結成して急きょ被災地へ派遣。関西をはじめ中部、中国、四国など各方面の学会組織からも派遣された「救急医療班」とともに、各会館や小・中学校など兵庫県内の避所を訪問して被災者の手当てや診療に懸命に取り組んでいる。

 また現地では地震発生以来、関西の学会青年部員をはじめ多くの会員が、被災者の救援のため自発的なボランティア活動を展開。神戸へ船で運ばれた救援物資を荷揚げしたり、渋滞が続く車の間を縫うように自転車やオートバイを使って物資の運搬に当たるなど、不眠不休で救援活動を続けている。

 「関西災害対策本部」では19日までに中部、中国、四国など近隣地域の学会組織から寄せられたものを含め、飲料水(ペットボトル)22万本、おにぎり65万個、パン50万個、缶詰め31万個、携帯用カイロ35万個、毛布、7万5000枚、卓上用コンロ3万5000個、紙おむつ4万人分など多数の救援物資を、ヘリコプターのべ4機、トラックのべ1220台、チャーター船のべ30隻、バイクのべ900台、自転車のべ1350台を使用して被災地に届けた。

 また創価学会本部では、全国から寄せられた義援金1億円を、被災者の救援活動等のために兵庫県災害対策本部に寄託することを決定。西口関西長と大西正人兵庫総県長が20日午後、貝原俊民知事に目録を手渡した。貝原知事は「被災者のための真のボランティア活動に尽力していただき、創価学会の皆さんにから御礼申し上げます。このようなご寄付までいただき、救援活動のために有効に使わさせていただきます」と謝の言葉を述べた。

 同日午前には、西口関西長と大西総県長が兵庫県庁と神戸市役所を訪問。貝原知事、笹山幸俊市長に、それぞれ救援活動の現状と今後の方向を確認するとともに、復旧へ向けて今後より一層、密接な連携を取り合いながら救援活動を進めていくことを話し合った。

「いま一番、望まれている物は何か」「一番、早く届ける方法は何か」――創価学会メンバーの真のこもった奉仕活動に被災地からは、

「とにかく“迅速”が光っています。学会は、最も望んでいた水や卓上用コンロ、食料等の手配がどこよりも早い」「学会員の力強い励ましに勇気がわきました。元気づけられました」

 といった称賛のが寄せられている。

 メンバーの懸命な活動ぶりは被災者にも力強い励ましとなり、「学会の皆さんも被災者であるのに不眠不休で作をされている。ただ休んでいるだけでは申し訳ない。僕も手伝います」と、青年部員と一緒に救援物資の搬入を手伝う若者もいた。

 こうした創価学会の救援活動は、国内の新聞・ラジオはもとより、イギリス・フランスなど海外の新聞でも報じられている。イギリスの夕刊紙『イブニング・スタンダード』は、創価学会会館が被災した人々の避所として使用されていることを18日付で報道。フランスの刊紙は19日付で、「創価学会の方々が、見事な救援活動を組織していました」という被災者のを伝えた。

 献身的な救援活動を続けるメンバーの姿は、復旧へ向けて立ち上がった被災者のに、確かな“勇気”と“希望”の炎を灯し始めたようだ。


青年部数万がボランティアへ


最高協議会で 池田誉会長が謝辞


 創価学会では21日夕、池田大作誉会長、秋谷会長をはじめ森田理事長、各副会長、婦人部・青年部の代表の出席のもと、最高協議会を東京都内で開催し、席上、池田誉会長は次のように述べた。

 1.改めて兵庫県南部地震で亡くなられた方々に、からお悔やみを申し上げたい。被災された方々に、衷よりお見舞い申し上げたい。

 2.支援して下さった関西をはじめ全国の同志の皆さま、また災害対策本部の方々に深く謝申し上げたい。

 3.学会員の迅速で懸命な行動に、多くの人々から絶賛のが寄せられている。「本当にご労さまです。本当にありがとう」と重ねて申し上げたい。

 4.特に数万人の青年部が寝食を忘れてボランティア活動に尽くされている。海外のマスコミをはじめ内外ともに瞠目するその活躍に、から称賛を送りたい。

 5.なお兵庫の全会館は什器や備品に多少の被害はあったものの、すべて無事である。

 6.幹部の皆さまにはこれからも、被災された方々に対し温かな、できる限りの援助をお願いしたい。


各国SGI、識者から励ましのメッセージ


 戦後最大の被害をもたらした兵庫県南部地震は、各国でもトップニュースとして大きく報道されている。

 創価学会本部には、世界各国のSGI創価学会インタナショナル)から励ましのメッセージが続々と届けられた。

「昨年、SGI研修で関西を訪れたイタリアの多くのメンバーが『常勝関西』の皆さまの真からの歓迎を受けました。それはメンバーの“生涯の宝”となっています。一日も早く再建され、再び不死鳥のごとく『常勝関西』が輝くことをから祈っています」(イタリアSGI

「昨年のロサンゼルス地震からちょうど一年。アメリカの同志はを痛めています。一日も早い復興を祈っています」(アメリカSGI

「決して負けない“関西魂”を遺憾なく発揮し、変毒為薬されんことを確信しています」(韓国SGI

 また同本部には連日、世界の識者から多数のお見舞いと励ましが寄せられている。

「今回の関西方面の地震災害に対して、皆さまによりお見舞い申し上げます」(ゴルバチョフソ連大統領)

「私どもは被災された方々が、強靭さと信仰で必ずやこの厳しい災を乗り越えられますことを確信しております」(ブラジルの音楽家、アマラウ・ビエイラ夫妻)

「目的に対する真摯さと勤勉、そして細部まで行き届いた計画――こうした日本人の皆さまの特質で、必ずや元通りの状態を早急に取り戻されることと確信します」(インドのソニア・ガンジー女史=故ラジブ・ガンジー元首相夫人)

「日本国民を襲いましたこの惨事にあたりまして、ジブチ共和国政府ならびに同国民は、遺族の方々に衷よりお悔やみ申し上げます。あわせて遺族の方々が、一日も早く悲しみから立ち直られることをお祈りいたしますとともに、亡くなられた方々のご冥福を衷よりお祈り申し上げます」(ジブチ共和国のアプティドン大統領)

「民主音楽協会主催による『ナイジェリア国立舞踊団』の大阪公演の際に大阪、神戸のSGIの皆さまの絶大なご支援をいただいたことが、誇りと謝とともに胸に蘇ってまいります。私と家族は深い哀悼のを表し、悲劇の痛みを共に分かち合わせていただきます」(ナイジェリア共和国のドゴン=ヤロ前駐日大使)

 このほかチリのエイルウィン前大統領、中国人民対外友好協会の斉懐遠会長、中日友好協会の孫平化会長、インド国際文化開発協会(ICDO)のバルマ事務局長、ペルー・サンマルコス大学のゲバラ誉教授、アルゼンチン・ローマス・サモーラ大学のトマ法学部長ら法学部教職員一同、フランス写真博物館のファージュ館長、アメリカのサイモン・ウィーゼンタール・センターのクーパー副館長、トルコの国民的歌手バリス・マンチョ氏、アメリカのジョージ・ブラウン・ジュニア連邦議会議員、ロシアの世界的作家アイトマートフ氏など、各国の識者・文化人からメッセージが届けられている。


「学会が最初に動いた」


迅速な救援活動に称賛の


 創価学会では17日の地震発生後、大阪にいち早く「災害対策本部」を設置。大阪のメンバーらはその日に高速艇で被災地の淡路島へ駆けつけると共に、オートバイや自転車で続々と神戸方面の被災地へ入った。また各地で「救急医療班」が結成され、東京からも森田ドクター部長らが現地入りした。

 東京からの救急医療班が到着したとき、すでに関西を中に各地のドクター部、白樺会・グループのメンバーが被災現場や避所で懸命の治療活動を行なっていた。

 西宮池田講堂(西宮市)に入った森田ドクター部長は、「大変でしたね。万全を尽くしますから」と、すぐさま怪我をした人々の治療に当たる。「大丈夫です。元気を出してください」。ドクター部長の励ましで被災者の顔に笑顔が戻った。森田ドクター部長は、創価学会の医療班の手当てを受けた人からは、「学会の方の応援はどこよりも早かった。また真剣でした。不安がいっぱいの中で本当にありがたかった。から謝します」といったが相次いで聞かれたという。

「一刻も早く、一人でも多くの人に救助の手を」とのいが、メンバー一人々々の胸に刻み込まれているからだろう。果敢、迅速、有効は学会の災害救援活動の数十年来の伝統であり、そのノウハウの蓄積が、いざというときものをいう。

 約600人の住民が避している西宮池田講堂。大阪、東京など各地から駆けつけた青年部メンバーらによる“ボランティア隊”が、続々と到着する救援物資を手際よく館内に運び入れる。

 同講堂で20日夕、避者に温かい豚汁が振る舞われた。冷たい食べ物が続いて体調を崩した被災者から、“温かい食べ物を”とのが上がったのを受け、古屋のメンバーが材料を携えて同講堂へ急行、さっそく調理したものだ。豚汁は近隣の小・中学校などの避所にも配られ、「おいしい」と箸をすすめる子供たちの頬が緩んだ。

 創価学会の目を見張るような救援活動に国内外から称賛のが寄せられる一方、指摘されているのが政府の対応の遅さで、巷間では「最初に動いたのが創価学会。次に海外からの救助隊、最後に政府」とのも聞かれるほど。

 また地震発生後、3日目にしてようやく現地を視察した村山富市首相は、後ろ手を組んで被災者を見舞うなど、一国の首相にあるまじき無神経極まりない態度に国民から非があがっている。


【中外日報 1995-01-26】

1995-01-20

学会は「政府よりも見事な救援」/阪神・淡路大震災


 1995年に起きた阪神・淡路大震災の折、学会会館はいち早く市民に門戸を開いた。当時の模様は以下――


兵庫県南部大地震で活躍の創価学会


長田文化会館地域のの拠り所に


【神戸市長田区若町1・2丁目自治会副会長 大本鶴男】


 私の住む神戸市長田区若町は、震災直後に発生した火災などもあいまって、甚大な被害を出した地域です。私も震災から約4ヶ間、避所生活を余儀なくされました。火災が迫るなか、取るものもとりあえずを逃れた先が、町内に建つ「創価学会長田文化会館」だったのです。

 私どもの町会の約200人が避させていただいたでしょうか。創価学会の方々は、日ごろから“地域のための会館ですから何かあったら使ってください”と、おっしゃっていた通り、私たちを快く会館に受け入れてくださいました。あの時の謝のいは今もって、忘れられません。不安が交錯するなか、救援物資をはじめ献身的にお世話してくださり、のよりどころとなりました。

 あの未曽有の局のなかで、だれが懸命になって手を差し伸べてくれたか。私たちが一番よく知っています。一部の週刊誌で“創価学会はオウムと同じ”などと書きたてているようですが、とんでもない。この地域には、そんなことをっている人は一人もいません。身近に学会の方々の姿を見てきた私たちが、真実の姿を見て知っています。

 大震災から一年を経ましたが、現在までにこの町内に戻ってこられた人はまだ、15%程度でしょうか。わが家は幸いにも火災は免れ、大きく傾いた家屋の補修で住むことができるようになりました。住み慣れた地域に戻りたい、というのが皆の願いです。一刻も早く以前のように皆が戻ってこられるよう、そして今後も「創価学会長田文化会館」と私たちの地域が“共存共栄”していけるよう、願っています。


「人情」厚い学会員


関西中から救援に集まる/まさに「地涌の菩薩


【愛媛大学教授 村尾行一】


 現代人が失いかけている「人情」を今なお脈打たせている関西人の精鋭が関西創価学会員です。

 多くの学会員も被災しました。自分自身も被災者であるのに他の被災者の救援に大活躍していることは私も知っています。助けられる立場にとどまることなく、自他ともに助けるものとなっています。

 まして無事であった会員は関西中から救援に馳せ参じています。こうした人々が、まるでわき出るように出現したことに私は激しました。これこそが「地涌の菩薩」ではありませんか。

 なぜ兵庫県南部地震のことを話すかというと、ここに「今後の宗教の義」が具体的に示されているとうからであります。

 現代社会の代表的な病理を「大衆社会化」と申します。そして関西人は、それとは正反対の精神態度を見せてくれたからです。

 大衆社会的状態の特徴は人々が無動・無関状態に陥り、他人との連帯が切断された「砂のごとき群衆」になってしまい、さらに倫理等の価値観が解体することです。この状態を克服する「もう一つの」価値観のもと、連帯と規範を構築し、将来展望を示すことが宗教の最重要課題だといます。


政府よりも見事な救援


「事実」称賛した海外紙


 震災では創価学会が迅速、懸命、大規模な救援活動を展開し、被災地からは大きな謝のが上がった。国内の“偏向”マスコミは、学会の救援活動の事実をほとんど黙殺したばかりか、一部マスコミは学会に「反社会的」などというレッテルを貼って、相変わらず中傷報道を続けている。この事実は、学会に対してこれまでに兵庫県、神戸市、西宮市、尼崎市から謝状が寄せられていることや、海外各国の新聞報道から明らかである。以下、海外各紙の報道の一部を紹介したい。

「救援? 私が手にいれることができたものはすべて創価学会からのものですよ。政府より創価学会の人たちがテキパキとやってくれてます」(フランスのラ・トゥリビューヌ発行のサラリーマン紙。被災者の

「私が母のためにしてあげられたことは、創価学会の方々に救援をお願いすることしかありませんでした。政府よりも見事な救援活動を組織していたのです」(フランスの『アンフォ・マタン紙』。被災者の

「赤十字や創価学会など民間団体は迅速で効果的な救援体制を組織」(オーストラリアの『シドニー・モーニング・ヘラルド』紙)

創価学会会館を避所に開放、翌日には緊急医療班を組み、五百人もの医者・看護婦を現地に派遣した。道路が遮断されるなか、救援物資をいち早く届けたのも創価学会のバイク隊であった」(香港の日刊紙『信報』)

「今回の震災で、一番よく組織された救援努力を行なった私的機関は教徒の創価学会であろう」(シンガポールの『ザ・ストレイツ・タイムズ』紙)


学会の救援活動に謝状


兵庫県、神戸市、西宮市、尼崎市から


「避者の保護と自立に尽力」「市民生活の安定に多大の貢献」


 阪神大震災における創価学会の救援活動に対し、これまで、兵庫県、神戸市、西宮市、尼崎市から謝状が贈られている。

 いずれも学会の迅速な救援活動、義援金、避者の会館での保護、ボランティア活動に対して改めて謝を述べたもの。

 このうち神戸講堂への謝状には「被災した多数の市民に避所として施設を提供されるとともに長期間にわたり避者の保護と自立支援に尽力され 市民生活の安定に多大の貢献をされました」等と記されている。

 地域の友は語る。「あの時、真っ先に手を差し伸べてくれたのは、創価学会です。生涯忘れません」と――。


【「中外日報」1995-01-20付】