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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2010-03-06

1979年(昭和54年)のヒット曲


 冒頭のカーペンターズの曲は別。私が中学3年から高校1年になった年で、いずれの曲も鮮やかに覚えている。


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2009-11-17

2008-07-28

怪文書「1995年9月24日、東京牧口記念会館で開催された牙城会全国大会での長谷川副会長の指導」について


  • 問題とされているのは、「1995年924日、東京牧口記会館で開催された牙会全国大会での長谷川副会長(当時)の指導」と言われるもので、別を「15年後の青年部へ」とされるものである。
  • 長谷川副会長(当時)が、当該会合に出席されたのは事実だが、「その会合でそのような話はしていない」とし、完全な“デマ”であることを明言されている。
  • すなわち、本文のうち「しかし、実は先生と私しか知らない話がある」以下の話は完全にデマである。具体的には、「途中で車を下車」したこともなければ、「土下座」したこともない、「15年後云々」の話も、一切が“デタラメ”である。
  • 長谷川副理事長は、当時も今も、当該発言は一切なさっていないし、当該事実も一切存在しないことを明言されている。
  • 本文書は、当該会合に出席したある地方都市の男子部員(当時)の“創作(デマ)”で、当初は私信のメールとして発信されたものが、その内容が動的なこともあって転送に次ぐ転送を繰り返し、全国の青年部を中とする各種会合で紹介されたものである。
  • 本件については、どの地方都市に住む如何なる人物が、当初どのような目的で“創作”されたかまで掌握されている。
  • 本件がネットを中に出回ったことにつき、当時の青年部最高幹部は、「ネットに踊らされるな(趣)!」と叱責さえ受けている。

 以上


【文責・プリン】

2008-05-05

「正義」の揮毫:昭和54年5月5日


f:id:kon890:20070718153721j:image


 薬王さんの画像にリンクさせてもらった。脇書きには「昭和五十四年五五日 神奈川文化にて われ一人正義の 旗持つ也」と。

2008-04-26

第三代会長の辞任を告げる新聞


 三十余年間、聖教新聞の配達を続けてくださった関西の母が語られていた。この間、最もつらかったことは何か。それは、第三代会長の辞任を告げる新聞を配ったことである。そして、その、涙ながらに誓った。わが地域には三代の師に直結する正義の連帯を大発展させてみせる、と――。こうした母たちのが、創価の大を護り広げてくださったのだ。


【巻頭言/『大白蓮華2008-05号】


 迷った挙げ句に書いておく。この一文を読んで、私の胸はキリキリと痛んだ。弟子に裏切られた師匠が、どうして謝を述べなければならないのか。「母たちの」なんか全然関係ない。会長の座を追いやられた先生ご自身が、末端の会員を激励し抜いて、今の創価学会があるのだ。


 今頃になって、「昭和54年は――」なあんて話している幹部もいるが、そんなものはたわ言だ。所詮、悔しいいをしながら何もできなかった連中だ。自分が残してきた歴史に、「仇討ち」というスパイスをまぶして、我が身を飾っている幹部もいることだろう。


 実際にこうしたが先生のに入ったのは確かだろう。だが、私は敢えて言っておきたい。「関西の母」は先生己の弟子であると。その上で、「東京」ではなかったことを深く受け止める必要がある。

2008-04-24

巡り来る4月24日


 今年もまた424日が巡ってきた。29年前の歴史を知る弟子が少なくなりつつある。上京してからというもの、数多くの先輩に尋ねてきたが、全体像をつかんでいる人は皆無だった。日達上人に直接、インタビューをした経済ジャーナリストから話を聞く機会もあったが、「模刻本尊をつくった池田先生が悪い」と言い出す始末だった。まだ、日顕による宗門問題が起こる前のことだ。私は御書を引用しながら反論を述べた。世間の裏表を知り尽くした50代のジャーナリストは言った。「今までどの幹部の話も聞くに値しないものだったが、君の見には確かな根拠がある。だが、私の考えは変わらないよ」と。25歳の夏、私は地区リーダーになったばかりだった。


 私は祈りじた。「どうしても歴史の真実を知りたい」と。一体全体何が起こったのか? 多くの学会員が知っているのは、「先生が会長の座を追いやられた」という事実だけだった。何も知らなかったに等しい。私が聞き及ぶ限りでは、怒りのすらなかった。多分、呆然としながらも、日々の活動にいそしんでいたのだろう。


 私の祈りがかなったのは1994年のこと。長谷川副会長(当時)、秋山総合婦人部長(当時)が歴史を語り出したのだ。ありとあらゆる人脈を駆使し、情報を集めて書いたのが「聞き書き4.24」である。

 1994年424日の早に書き終えたことを、ありありと覚えている。30歳の私は涙に掻き暮れ、嗚咽を漏らしながらペンを執った。


 尚、このテキストが色々なところで勝手に流用されている。見つけた方がいれば、私の署とURLを明記するよう注してもらえれば幸いである。尾ひれがついて、改竄(かいざん)された情報が出回ると大変なことになってしまう。10年ほど前に、「牙会大会での長谷川副会長指導」なるものがWeb上に出回ったが、デマ情報だった。長谷川副会長が土下座する内容のもの。往々にして、激した情は利用されやすい。

 第二次宗門問題で学会は同じ轍を踏まなかった。日顕との闘争は、創価学会の宿命転換そのものだった。それ以降、創価学会は世界宗教へと本格的な飛躍を遂げることになる。


愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という。されば君よ、三代会長が築いた歴史を、生命に刻む覚悟で学び抜くことだ。

2008-04-20

会長勇退の歴史を風化させるな


 青年部諸君は、以下のページにあるリンクの全てに目を通しておくこと。

 更に、時系列を辿って再読しておくこと。