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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2006-05-18

宗教革命は、前代未聞の偉大な誇り高い革命


 古来、数千年の人類の歴史における全ての革命は、に耐えつつ、勇断をもって勝ち取ってきたが、との戦いを敢行したものは一つもない。したがって、流血の悲惨を生み、同胞の殺戮(さつりく)を伴い、また、革命が成就した後の社会も、“夢に見た社会”とはならなかった。

 妙法による私達の偉大な宗教革命の実践は、これまでの全ての革命が図して達成できなかったものまでも、達成することができるのであります。それは、所詮、この地上を支配している、宇宙の、法界のとの戦いを根本としているからであります。この味において、私達の革命は本質的には、いかなる過去の革命にも似ていない。すなわち、前代未聞の偉大な誇り高い革命といわなくてはならない。

 ゆえに、己に打ち勝つことなくして、どうして妙法の革命児として誇ることができようか、と申し上げたいのであります。社会のを、厳しくとして見破る眼力なくして、どうして妙法の革命児と自負することができましょうか。

 妙法の利剣を磨きに磨き、現代社会の一切の悩に精通し、恐るべきとの戦いに凱歌をあげるには、着実にして果敢な折伏の怒涛のごとき実践しかないことを知るべきである、と申し上げたいのであります。


【第17回全国男子部総会 1968-11-17 東京・日大講堂】


 古来、革命は民の幸せを勝ち取るために行われてきた。虐(しいた)げられる人々の、生き死にさえ軽んじられた時、圧縮されたエネルギーが爆発する。しかしながら、いずれの革命も、社会制度の改革を目指すにとどまり、結果的に新たな権力者を生み続けてきた。


 革命の序・正・流通が成り立たないのは、「との闘争」がないからだとの指摘である。


 此の世界は第六天の魔王の所領なり一切衆生は無始已来彼の王の眷属なり(1081頁)


 つまり、我々の住む世界は、第六天の魔王=権力者が牛る世界であり、権力者の言いなりになる人々で構成されているということだ。また、権力を手にした途端、人間が狂ってくることまで示唆(しさ)しているのかも知れない。その本質は、人間を“モノ化”し、手段として扱うことである。


 市井(しせい)の庶民は誰一人として戦争を望んでない。しかし、一部の政治家によって戦争が行われてきたのが歴史の常である。そして、戦地に駆り出されるのは、常に庶民であった。敵国に打撃を与えれば、同胞の死は不問に付された。国家という怪物は、まるで石でも投げるようにして国民の生命を弄(もてあそ)ぶ。


「妙法の革命児であれば、己に勝て」との指導は、単なる精神論ではない。己を打ち破らなければ、権力のにたぶらかされてしまう。例えば、学会の尊い役職を担いながら、権威主義官僚主義に堕してしまう幹部がいるのもそのためだ。


「社会のを厳しく見破れ」との指摘も極めて重要。事件や事故を見て、個人の宿命で片づけるのは簡単だ。そこから、もう一歩深く社会の問題を捉えてゆく。民衆を無気力にし、コントロールしようとする働きがの本質だ。


 第六天の魔王十軍のいくさををこして法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土をとられじうばはんとあらそう(1224頁)


 この世界は、の軍勢と軍が熾烈(しれつ)な闘争を繰り広げる世界である。我々が推し進めるのは、人間革命を基本とした宗教革命である。妙法の利剣を引っさげ、快刀乱麻の折伏戦を、今日も明日も。

2004-06-10

革命の担い手は常に青年


 あらゆる時代を通じて、常に進歩と革新の担い手となったのは青年である。理に燃えた新しい青年の台頭なくして、新たなる歴史の回転はない。

 なかんずく、古今未曽有の歴史を開こうとする創価学会の前進のなかで、この方程式は必要不可欠の要件である。草創以来、常に広布の先駆けをし、大法弘通の茨の道を切り拓いてきたものは、青年の力であった。学会青年部の足跡は、そのまま学会の広布史であり、その金字といっても過言ではないであろう。


【『青年の詩』 発刊に寄せて 1984-05-03発行】


 フィリピンから、教育者のラウレアナ・ロサレス女史が来日。池田先生に対し、キャピトル大学第1号の誉博士号を携えて。79歳とはえぬ若々しい顔(かんばせ)。初めての出会いでありながら、先生の激励に涙しながら、決をもって応じるその姿は、青年そのものである。


「私の精神が、博士の手紙によって、一気に『変革』された――そうじたのです」とも。


 そして、瞠目すべきは、次の一言である――


 池田博士には、多くの“分身”がいらっしゃいます。


 よくぞ、言って下さった! その一人が私である! 青年ならば、この程度の自負を持つべきだ。


 68日付の『新・人間革命』では、大学会のメンバーに対して、「師子中の虫が法を破る」との指導。


 参加者は皆、緊張した顔で、伸一の話にを傾けていた。

 しかし、この時、彼の指導を実をもって受け止めることができた人は皆無であった。

 だが、7〜8年後、メンバーは、この折の伸一の指導を、痛することになる。学生部出身の弁護士や幹部であった人間が退転し、宗門の悪僧と結託して、学会の崩壊を企てたのである。


 師のは余りにも深く、弟子の像も及ばない。だが、それでいいのか? そうやっていつまでも甘んじていていいのか? そうではないはずだ。


 今、我々は、「創価1000万」を目指して、日夜、奮闘している。法史において、どれほどの味を持つ運動であるかは、我々には中々理解しい。だからこそ、「私はあの時、戦った! 戦い抜いた!」という事実が重みを増すのだ。


 我々の勝利を、世界が待ち望んでいる。

2004-01-02

革命の実像


 そこで一生懸命、毎日毎日研究し、失敗しては人に笑われても、(ライト)兄弟は努力を重ねた。

 約3年後に、自分達の研究の結果をためす時がきた。わずか5人の観客だったが、ライト兄弟は飛んだ。たった59秒で260数メートル、それが今日の大航空時代の宣言の日になった。

 59秒、200数十メートル、観客は5人。これが革命だ。


【第1回全国未来会 1971-05-03 聖教新聞社】


 革命の実像は小さな変化だ。人々が抱いている「無理だ」「できるはずがない」との先入観を打ち破る瞬間に革命の真実が光る。若き先生が築かれた、文京・蒲田・札幌・大阪・山口での法戦は、革命そのものだった。


 我等の革命は、宗教革命にして人間革命なり。一時的な革命ではなくして、永久革命である。