Hatena::ブログ(Diary)

斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


WWW を検索 創価王道を検索

2005-10-26

庶民と共に歩む指導者たれ


 革命の法理について一言申し上げておきたい。それは、真実の革命とは全ての虚栄や肩書をかなぐり捨てて、大地、庶民に根差したものでなければならないということであります。一切の草木は、全て大地に根を生やして生育しています。大地とは庶民のことであります。学会の姿は取りも直さず、大地に根差し、庶民に根差したものであります。古今の歴史に照らしても、上から押しつけられたものに、発展し、伸びた例は一つもありません。庶民から、下から勃興する革命こそ、真実の盛り上がる革命なのです。ゆえに、学生部諸君は生涯、決して利の指導者になってはならない。あくまで、決は庶民の一員として、庶民に根差した革命児とし、庶民と共に労してゆく、立派な指導者として進んでいっていただきたい。

 農民や労働者は、仕事をする時には作着を着て物をつくってゆきます。農民が、また労働者が仕事をするのに背広を着て働く必要はありません。私は農民のごとく、労働者のごとく、庶民として何の肩書もなく、誉も振り切って、ひたすら宗教革命の法戦に臨んできました。東西の歴史にを連ねる革命児も全て例外ではないといます。学生部諸君は、現在の無責任な知識階級と同じ轍を踏んではならない。庶民を愚弄したり、エリート識をもつような知識階級にはなってもらいたくない。そんな指導者や知識階級は、二流、三流の人物であり、結局は民衆から馬鹿にされ、いつかは孤独になり、社会から置き去りにされてゆくことになります。庶民と共に生きる指導者が出てこそ、民主主義の真実の姿であると私は言いたい。ゆえに、生涯、庶民と共に歩む革命児として、あくまでも新しい時代の庶民に直結し、慕われ、信頼された知識階級になっていただきたい。


【第10回学生部総会 1967-08-24 両国日本大学講堂】


 退転者・反逆者の多くが「自分は特別だ」と錯覚していた。その代表が、五老僧であり、三位房であり、山崎正友原島嵩福島源次郎・石田次男・藤原行正といった面々である。特別だとい込んでた割には、彼等がいなくなっても、さほど影響がなかったのは、どうしたことか?(笑)


 広布最前線の現場に入らない幹部は信用するな。堕ちた幹部が口先だけの激励をしても、団結が乱れるだけだ。


 誇りと特権識は似て非なるものだ。微妙な一の狂いが、民衆を見下す結果につながる。特に昨今は、創大出身者・本部職員・外郭社員の一部に勘違い野郎がいるのは確か。役職が権威になっているのも多いね(笑)。私は、役立たずの副会長を何人も知ってるよ(ニヤリ)。


 地域柄、私の周囲には創大生が多い。若く純粋な彼等に向かって、私は口喧(やかま)しく叫ぶ。「創大が権威になれば、君等の負けだぞ!」と。「自分の信と人間の輝きをもって、創大を荘厳してゆけ」と。


 広布の舞台にあって、真っ黒になって、民衆と共に汗まみれで進む人が、本物のリーダーである。とはいうものの、本物はあまりいない。今では天然記物となりつつある。在来害獣はたくさんいるのだが(笑)。求道ある者は血眼になって、本物の先輩を探せ。

2004-04-06

学生部結成16周年に寄せて


 ともかく僕は、君達のために生きる。ただ、君達の道を開くために総力を込めて生きる。

 僕の遠征の暦(こよみ)は、二十七星霜。激流のなかで戦う同志(とも)を見るとき、一日一刻たりとも逡巡は許されなかったのだ。

 二十七年は、束の間のようにもえる。広布の激烈な劇には、安逸の幕間はない。ただあるのは、喝采のない舞台で、次のドラマを演ずる孤独な不惜の精神だけであった。


【「民衆凱歌へ不惜の転教」学生部結成16周年に寄せて 聖教新聞 1973-06-30付】


 歴史というのは歳月を経なければ見えてこない側面がある。否、その部分の方が大きいかも知れない。


 学生部にとって最も重要な指導の一つである。学生部が結成された昭和32年(1957)6月30日、先生は夕張の地で炭労問題の対応に奔走されていた。当時、29歳。解決したのが7月2日。翌3日には大阪事件となる。


 不二の弟子が権力と闘争している渦中で学生部は誕生した。


 このメッセージが送られたのは、正本堂が落成した翌年であり、学会顧問弁護士をしていた山崎正友が宗門に深く食い入っていた頃である。先生は45歳。戸田先生が獄中で悟達された時と同じ年齢だった。また、前月の5月8日から27日にわたってヨーロッパ指導がなされた(15日から19日にかけては、2回目となるトインビー対談)。


 獅子身中の虫が蠢(うごめ)く中で、世界広布の楔(くさび)が打たれ、その時に当たって、学生部に対してメッセージを送られたのも偶然ではあるまい。これこそ歴史の刻印であろう。


「全責任を担って立つ」と口で言うことは易しい。だが、本当に責任を担った時の“緊張”と“孤独”を知る人間は少ない。戸田先生亡き後、32歳で会長になられ、一人ひた走って来られた先生の孤独を像する。己(おの)が悩みの何と小さきことよ。