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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2006-02-09

元初の太陽を満々と胸中に昇らせよ


 元初の太陽を

   満々と胸中に昇らせ

  君よ! 君たちよ!

   この三世につながりゆく

    金の大舞台で

     瞳を輝かせ

      黒髪をなびかせながら

    完全なる軌道を

     悠々と進みゆくことを

      深く誓い合いたいものである


【『価値の日々』 1990-02-11発行】


 忙しくなると、全く文章を書く気がしない。ひとほど、ここも放置していた。過去の文章の手直しをするのが精一杯。「創価スピリット」の発行すら、ままならなかった。今日の新聞によれば、先生は『大白蓮華』の3号から「巻頭言」まで書いて下さるという。あな、恐ろし。それにしても、我々は先生に対して、いつまで、おんぶに抱っこを続けるのか? 「『是非、池田先生にご執筆を』との多くの要望があり」なあんて書いてるが、そんな話は鵜呑みにできないよ(笑)。いずれにせよ、先生の怒涛の如き偉大なる生命力を、ただ仰ぐのみ。


 この箴言(しんげん)は、確か私が25歳の時(1988年)の「創価新報」の元日号に掲載されたもの。創価班を中とする我が部の面々は、頭を抱え込んだ。あるメンバーが言った。「これ、厳しいッスよね。あっ、いや、先生が厳しいということじゃなくって……」。そう、我々には「なびかせる黒髪」がなかったのだ(笑)。あの頃はね、どこまで刈り上げて、短く七三に決められるかで勝負していたのよ。私がそれを“参謀室長カット”とづけた。


 そして、別のメンバーが弱々しく漏らした。「この指導を、もなく実践できるのはY君だけです」と。Y君はミュージシャンを目指している10代の青年で、髪を腰のあたりまで伸ばしていた。確かに彼なら、スキップでも髪をなびかせることが可能だろう。そこで、私が答えを出した。「わかったぞ! 少し整髪料の量を減らして、それでも髪がなびくだけのスピードを出せばいいんだ!」。我々はその場で腿(もも)上げを開始した(笑)。


 まあ、冗談とも本気ともつかぬやり取りだったが、この先生の言葉から受けた我々の動は抑えいものがあった。青春の日々を、決また決の連続で過ごすことができたのは、ひとえに師の言葉があったればこそだった。我々は文字通り、燦々(さんさん)と降り注ぐ陽光のような指導を浴びて、革命児と育った。

2005-01-02

胸中の太陽を輝かせよ


 元初の旭日をば

  わが一に持てる人は

   最大に幸せである

  君よ

   この一年をば

    曇天や風雪の日が

     あったとしても

   わが胸中にある太陽を

    燃焼できることを

     決して忘れてはならない


【『価値の日々』 1990-02-11発行】


「元初の旭日」とは久遠の誓願だ。真の希望とは、淡い夢を抱くことではなく、使命に生きる道に徹することと信ずる。妙法を胸に抱(いだ)きながら、理を現実化するのが広宣流布だ。


 今は不安の時代だ。大きく変わりつつある社会の中で、人々は言い知れぬ不安を抱えている。終身雇用が崩壊して将来の見通しが立たない。治安が乱れ、犯罪が横行する。家族すら信じられなくなり、親は子を虐待し、子が親を殺害する。行き場をなくした若者は引きこもり、行き場を探す少女は出会い系サイトに走る。生き延びるためにリストカットをし、死ぬためにネットで仲間を募る。


 全くもって不安だらけの時代だ。こうした不安を取り除き、人間の光で照らしゆくのが創価哲学である。の闇を抱えている人々が多ければ多いほど、本物の人格が光る時代が到来した。


 我々が自分の人生で目指すのは一生成である。自己完成ともいえるが、それは、ある完成された姿がゴールではない。どこまでも向上と成長のカーブを描いてゆく生きざまにある。法が無上道であるならば、人間の可能に限界は存在しないからだ。その味で一生成とは、人間革命し続ける人生といえよう。


 学会員とはいえ、皆、人間革命の途上にいる。問題のない組織などどこにもない。あるとすれば、それはユートピアだ。時には、文句や弱音が出ることもあるだろう。ロボットではないのだから当然だ。


 ここで道は二つに分かれる。の中で組織を批判して、若き日の誓いを見失ってしまうか、それとも、よりよき変革のために一人立ち上がるかである。


 地域活キーワードとして「よそ者と馬鹿者と若者」がいれば、新しい町づくりができるといわれる。よそ者とは客観的な視点であり、馬鹿者とは先入観にとらわれない斬新な発であり、若者とは柔軟さ・多様を示しているとわれる。だが、現実はどうか? 旧習深い地域であればあるほど、こうした人々は毛嫌いされる。組織が人間の集まりである以上、我々も他人事で済ませられない。


 引っ越しや人事などで、所属する組織が変わると戸惑うことが多い。どうしても前にいた地域と比較してしまうのが人の常である。だが、もしも、今いる組織が前の組織よりも劣っているならば、自分が新風となって変革の旗を振ってゆけばいいだけの話である。


 先生は若き日に、文京・蒲田・札幌・大阪・山口と転戦された。どこにあろうとも最強の団結を築き、全国一の堂々たる結果を示した。しかも、その一つ一つが学会全体の新たな歴史となったのである。命を捨てる覚悟の若武者が一人いれば、広宣流布は成ることを現実の姿で証明された。


 この一年、我が胸中の太陽を限りなく輝かせながら、黄金の歴史を綴って参りたい。


 今日は、先生のお誕生日。喜寿(77歳)を迎えられた。弟子一同にとって、これに勝る喜びなし。東京は快晴。

2004-04-29

苦難に耐えてこそ本物の希望


 の中にも希望はある。いなに鍛えられてこそ、はじめて希望はその真実の強さを発揮する。“鍛え”なき希望は、単なる夢に過ぎぬ場合があまりにも多い。

 近年の嵐も、私は一人すべてを耐え、ことごとく打ち勝った。私はを喜んでいた。むしろ自ら望んでいたといってよい。

 それは何より、これによって若き諸君の信が鍛えられ、成長することを期待したからである。

 そして、風雨をしのぎ、時をかせぎながら、一つまた一つ、青年のに靭(つよ)き不屈の「希望」をはぐくんでいった。その営々たる陰の作に気づいた人は少ない。世間の浅薄な眼にも全く映らなかったかもしれない。


【第1回全国青年部幹部会 1988-01-09 創価文化会館


 信仰とは、希望をつくり、希望に生き、希望を実現することだ。淡い願望や、安易な夢とは異なる。更に、大乗の精神に則る我等は、より多くの人々の幸福が人生の目的となる。全人類の幸福の実現――これが広宣流布だ。


 昭和24年(1949年)から25年(1950年)まで、学会にとって厳しい冬の時代があった。若き先生は、一身を投げ打って戸田先生のために尽くした。学会活動もうようにできず、戸田先生を守るために、一切の事の攻防に身を呈した。


 この時に、戸田先生は創価大学の構を先生に告げられた。西神田の会社の近くにあった食堂でのことである。


「大作、大学をつくろうな。創価大学だ」


 昭和25年1116日のことである。


 それは、戸田が経営していた東光建設信用組合が、経営不振から営停止となり、彼が学会の第5回総会で、正式に理事長を退いて4日後の、まさに窮地のさなかのことであった。

【『新・人間革命』「創価大学」1】


 後継の弟子は、21年後の昭和461971年)42日に果たす。


 戸田先生は、また、聖教新聞の構も同じ時期に語られている。


「新聞をつくろう。機関紙をつくろうよ。これからは言論の時代だ」

 戸田先生は、私に、力強く言われた。

 師の事が、嵐の渦中にあった、1950年(昭和25年)の師走。東京・新橋駅近くの、とある食堂でのことである。

 一身に非の集中砲火を浴びていたなかで、先生は、悠然と、広宣流布の遥かな未来を展望されていたのだ。

【「随筆 新・人間革命」20 聖教新聞 1998-04-15付】


 これは翌昭和26年(1951年)420日、戸田先生の会長就任の直前に実現されている。


 牧口先生は、軍部政府からの弾圧が迫る中で叫んだ。「今こそ、国家諌暁の秋(とき)である!」と。


 獄中にまでお供をされた戸田先生は、独房で悟達の境涯を得された(「戸田先生の獄中の悟達」)。


 創価学会の歴史は常に、最悪の状況の中で、光を掲げて立ち上がった歴代会長の大闘争によって築かれてきた。その胸中にあったのは、「何が何でも人類を救ってみせる」という勇猛なまでの慈愛であり、我立てば、全眷属が後に続くとの大希望であったことだろう。


 闇が深ければ深いほど暁は近い。今が境であれば、それは、溶鉱炉の中で本物の希望となるべく、鍛え直していることを確信して。

2003-12-31

希望なき人生は生ける屍


 希望なき人生、未来を持たぬ青年は、生ける屍(しかばね)に等しかろう。さらに、人生で最も優れた人とは、青年期にもった理、青年時代に築いた夢をば、一生涯貫き通してゆける人だ。


【『私はこうう』(毎日新聞社)1969-05-03発行】


 水滸会の教材でもあった『モンテ=クリスト伯』について先生は、「若き日の誓いを生涯にわたって果たそうとしたこと」に注目されていた。


 希望を抱くことは、今の自分の中に希望を実現できる可能を自覚することだ。目標のない人生は、バーのない走り高跳びのようなものだ。一生涯の理、10年後の希望、今年の目標、今日の課題をにらみながら、今を計画しよう。