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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2005-05-12

形骸化した権威と戦え


 彼は「による戦闘の人」といわれたが、こうした書物を通じて彼が目指したのは、“伝統的価値の全面的転換”であった。そして、上の使命として、“形骸化したキリスト教”と戦うとともに、ヨーロッパ近代文明の退廃を指摘し、精神の空白とともに“家畜化した群衆”“卑小化した人間”を鋭く批判しながら、近代超克の道を探った。

 次元は異なるが、鎌倉時代にあって日蓮大聖人も、形骸化し、権威と化した既成宗教と戦われた。そして、人間を抑圧する権力との戦いを止めることはなかった。

 また、我が創価学会も、「形式」と「権威」に堕した宗教と戦い、悪しき旧習を打破してきた。既成勢力と妥協することなく、この“悪との戦い”に挺身してきたがゆえに、今日の発展と前進があり、新しい平和と文化の沃野を開くことができた。

 先覚者に様々な迫害が起こるのは当然であり、それを忘れ、民衆を抑圧するあらゆる「権威」や「権力」との闘争を避けるようなことがあっては、まことの法者とはいえない。


【第2東京支部長会 1987-10-11 立川文化会館


 歴史的な指導。これが、小冊子『今日より明日へ』1の冒頭に収められた指導である。日顕による宗門問題が起こる3年前であり、創価ルネサンスの序章が、この指導によって開始されたといっていいだろう。会長勇退後の本格的な反転攻勢も、ここから始まったといえよう。立川文化で行われたところに、深い味をじてならない。


「彼」とは、ニーチェのこと。ニーチェは、1844年に生まれ、戸田先生が生まれた年(1900年)に死去。39歳から手をつけ、41歳で『ツァラトゥストラ』を完成。「神は死んだ」という衝撃的な言葉が、世界を席巻した。晩年には、『権力への志』を精力的に執筆したが、完成を見ずして発狂。遂に狂気から目覚めることなく、廃人同様の身でこの世を去った。


 や宗教は、時代に応じた柔軟を持ち、を深め、社会の中に脈々とを吹き込んでゆかねば、形骸化を避けられない。五五百歳堅固多造塔寺堅固が、それを示している。


 日蓮正宗なんぞは、他の葬式教と何ら変わらなかったのだ。大聖人お認(したた)めの曼荼羅や御書などがあるというだけで、大聖人に連なる信など、微塵もなかった。今頃になって、学会癖をつけるのは、700年早いってえんだ!


 先生は若い頃から形式を嫌った。「形式を排せ!」とは、一貫した先生の指導である。組織が形式化すると、民衆を形式にはめ込むようになる。その規格から、はみ出る人は弾かれてしまうようになる。形式は、民衆から主体を奪い取り、おのずと無気力にさせる。自由に、ざっくばらんに何でも語り合う雰囲気がない組織は、学会の組織ではないと断言しておこう。権威主義の幹部が組織を牛るような真似をすれば、その人物は日顕宗の眷属といってよし。はたまた、いてもいなくてもいいような幹部がぞろぞろいる(笑)。


 下から変えてゆくのが大乗教の精神だ。これなくして、本当の味での創価ルネサンスはあり得ない。下から上を動かしてゆこう!

2004-04-01

権力の魔性


 わが学会の前進は、第六天の魔王との、権力の“”との、壮絶なる闘争である。

 そして、軍を抑え、権力の“”の鉄鎖を立ち切って、断じて民衆勝利の旗を打ち立てねばならぬ戦いである。


【『新・人間革命』「開花」6 聖教新聞 2004-03-27付】


 日蓮大聖人は、建長5年(1253年)4月28日に立宗宣言され、7年後の文応元年(1260年)7月16日に『立正安国論』をもって北条時頼を諌めた。わずか1ヶ月後の8月27日に松葉ヶ谷の草案を信徒によって襲撃されている。「少少のはかずしらず大事の四度なり」(200頁)という御生涯であられた。


第六天の魔王」は他化自在天のこと。他を化すること自在であるから、民衆をのままに操ろうとする働きとなる。


 権力というのはいつの時代にあっても民衆を利用し、自分達に歯向かえば抹殺することを常套手段としてきた。日本において革命は存在しなかった。実際にあったのは一揆だけだろう。広く社会に浸透した運動は皆無だったといえよう。いまだかつて全民衆が幸福を享受した時代は存在しなかったといってよい。世界では革命が達成された国もあったが、結果的に新たな権力者を生んだだけだった。J・E・アクトンは「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」と喝破した。


 そうであれば、民衆の自由と幸福を実現する広宣流布の大闘争は、権力とぶつからざるを得ない。ある幹部は言った。「先生は、言論問題によって俗衆増上慢を駆り出し、第一次宗門問題によって道門増上慢を駆り出し、日顕問題によって僣聖増上慢を駆り出した」と。


 あの1995年の学会を叩きまくる狂気の沙汰を、私が忘れることはない。当事者が詫びを入れても私は許さない。口頭で謝罪した程度で癒えるような傷ではないからだ。そして、日本の破壊を目論んだ狂った教団が、先生の命を狙ったことも、私は忘れることができないだろう。


 現代の大聖人を自称する僧は、権力と戦ったことが一度でもあるのだろうか? ま、芸者遊びはできてきても、権力と戦おうなんて根はどこにもないだろうね。この一点だけでも、創価学会が大聖人の衣鉢を継ぐ正当であることが知れる。


 公明党が政権与党入りしたぐらいで安してはならぬ。この原理・方程式は変わることがないのだから。


 明日は戸田先生の命日。牢獄で身体を痛めつけられるようなことがなければ、もっと長生きされたことだろう。出獄からわずか13年で75万世帯の創価学会を築かれた。先生が受けた薫陶は実に、たった10年間だった。