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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2008-12-11

吉川英治の書


 9に両親が上京した。その際、時間があったので青梅の吉川英治記念館へ行った。展示室の玄関を入って左手に、宮本武蔵の言葉を記した大ぶりの書が掲げてあった。


 身を浅くひ世を深く


 これは宮本武蔵の遺言ともいうべき「独行道」より。

2008-04-15

賢者は歴史に学ぶ


 愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。


ビスマルク(ドイツの宰相)】


 類い稀な将軍学だとう。「歴史」と訳されているが、実際の言葉は「他人の経験」。

2008-01-16

ガンジー


「私は手におえない楽観主義者である。私の楽観主義は、人間ひとりひとりに非暴力を展開させる無限の可能が備わっているという信によるものである。

 非暴力は、自分の人生において展開させればさせるほど、伝染は強まり、ついには、周囲を圧倒し、次第次第に世界を支配することになろう」(『抵抗するな・屈服するな』《ガンジー語録》K・クリパラーニー編、古賀勝郎訳、日新聞社)


【第24本部幹部会 1989-12-20 創価文化会館


 巨大な魂は、凡人の像を絶する言葉を放つ。索と行動が、ある高みでぶつかり合い、スパークを放つ。これこそが悟りだ。「妙」に、「開、具足・円満、蘇生」の義あり。人類を豊かにし得る言葉には、「妙」と同じ余韻がある。近代において偉人のは多けれども、ある人は権力に毒され、またある人は晩節を汚した。実際は、人生の一時(いっとき)が輝いていただけに過ぎない人も多い。だが、ガンジーは違う。たった一人で、民衆の中に分け入り、糾合し、偉大な連帯を築いた。現代においてすら、欧米の覇権主義に打ち勝った国家はないといっていいだろう。しかし、ガンジーは勝った。一国を動かし、世界を揺さぶった。凶弾に斃(たお)れ、絶える間際になっても尚、メッセージを放った。「その青年を赦(ゆる)せ――」と。


ガンジーの言葉


 友の幸福のために、尽くした分だけ、人は確実に偉大になる。


「眼には眼を」で行けば、しまいには全世界が盲目になってしまう。


 なにかを信じておきながら、それに生きない――それは不誠実というものだ。


 この世界の内に望む変化に、あなた自身が成ってみせなさい。


 はじめに彼等は無視し、次に笑い、そして挑みかかるだろう。そうしてわれわれは勝つのだ。


 すべての人の目から、あらゆる涙を拭い去ることが私の願いである。


 束縛があるからこそ 私は飛べるのだ

 悲しみがあるからこそ 高く舞い上がれるのだ

 逆境があるからこそ 私は走れるのだ

 涙があるからこそ 私は前へ進めるのだ


 ある年の国民会議派総会のことでした。

 出席の委員たちがそれぞれ着席して、いよいよ会議が始まろうとしていた時、ガンディーが急にそわそわしながら何かを探し始めました。

 隣りの席に座っていたカーカー氏が、

「バブー(お父さん)、何かお探しですか」とガンディーに聞くと、

「エンピツをなくしましてね」と答えた。

 カーカー氏は自分のアタッシェケースから一本の新しいエンピツを取り出した。

「これをお使いください」

 するとガンディーは答えた。

「いや、そのエンピツではない、わたしの探しているエンピツが欲しいんだ」

「さしあたり、これをお使いになって、後であなたのエンピツを探せばよいでしょう」

 カーカー氏は時間を気にしながら言った。

 ガンディーは少し強い口調で言った。

「いいかね、カーカー。

 私はあのエンピツをなくしてはならないのです。

 あれはね、先日マドラスに遊説して、私たちの運動に寄付を求めたとき、小さな子どもがいっしょうけんめい駆けてきて、寄付してくれた大切なエンピツなんです。

 その貴重な宝をなくしてよいわけがありましょうか」

 こう言ってガンディーは机の下を探し続けけた。

 二人してやっと見つけたエンピツは、長さ3センチほどの使い古した物だった。

(『ガンディーとタゴール』)

2007-06-07

三原淳雄


 地獄への道は小さな正義の石で敷きつめられている。

2007-02-07

無駄遣いをするな


 行軍守用 勿作尋常費


 平成元年53日に先生が認(したた)められた言葉。「重要な戦や防御のための貯えを、通常の用途で遣(つか)ってはならない」との徳川幕府の戒めだったらしい。中里介山の『大菩薩峠』にも引用されている(「行軍守用 莫作尋常費」という表記も)。「組織は、人事と金で決まる」とは戸田先生の戒め。

2005-04-08

一隅を照らす


「一隅(いちぐう)を照らす」という言葉がある。皆さん一人ひとりが、それぞれの分野にあって、“一隅を照らしゆく”人材に成長されんことをから願し、記のスピーチとさせていただく。


【創価大学第3回滝山友光の集い 1989-01-16 創価大学】


 これは、最澄の言葉。出典は「天台法華宗年分学生式(がくしょうしき)=山家(さんげ)学生式」。学園や創大でスピーチされる際、先生は宗教色を殆ど出さない。きちっと政教分離をされている。宗教学校でありながら、日蓮法の教義を教える時間がないことも同様。こうしたことも知らない人が実に多く、創価大学は、学会幹部の養成をしているという誤謬(ごびゅう)があちこちに見られる。


 伝教大師は、「径寸(けいすん)十枚これ国宝に非ず、一隅を照らすこれ則ち国宝なり」と記した。径寸とは財宝のこと。経済的な価値ではなくして、自分の存在する場所を光り輝かせる人を国宝としている。


 自分自身が光らずして、一隅を照らすことはできない。組織で光って、職場ではくすぶっているようなのも駄目(笑)。


 本門の無作三身を談ず此の無作三身とはの上ばかりにて之を云わず、森羅万法を自受用身の自体顕照と談ずる故に迹門にして不変真如の理円を明かす処を改めずして己が当体無作三身と沙汰するが本門事円三千のなり、是れ即ち桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば是れ即ち量の義なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は無作三身の本主なり云云(784頁)


 これは、無量義経の御義を口伝されたもの。積み重ねてきた身口意の三業を打ち破り、ありのままの自分になることが無作三身であろう。人間革命とは、全くの別人になることではなくして(桜梅桃李の己己の当体を改めずして)、本当の自分になることだ。理とする人格は、今の自分の中にあるのだ。これを内より薫発(くんぱつ)する作が勤行唱題である。


 衆生のけがるれば土もけがれ清ければ土も清しとて浄土と云ひ穢土(えど)と云うも土に二の隔(へだて)なし只我等がの善悪によると見えたり、衆生と云うもと云うも亦(また)此くの如し迷う時は衆生とけ悟る時をばけたり、譬えば闇鏡(あんきょう)も磨きぬれば玉と見ゆるが如し、只今も一無明の迷は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法真如の明鏡と成るべし、深く信を発(おこ)して日夜暮に又懈(おこた)らず磨くべし何様(いかよう)にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり(384頁)


 あれもやらなきゃならない、これもやらなきゃいけない、などと忙しさにかまけて御本尊から遠ざかっている男子部はいやしないか?(笑)


 大聖人は「只南無妙法蓮華経」と仰せだ。しいことがあっても、嬉しいことがあっても、辛いことがあっても、「只南無妙法蓮華経」。只の一字には、真っ直ぐに御本尊につながる清らかさがある。


 祈りによって満々たる生命力がみなぎると、生命は外に向かってぐんぐん開いてゆく。今まで気づかなかったことが気づくようになり、見えなかったものが見えるようになる。


 譬へば人のために火をともせば我がまへ(前)あきらかなるがごとし(1598頁)


 今日一日、何人の人に「火を灯(とも)したか?」。信に火をつけて、東京中を駆け巡りたい。

2004-10-26

「大道の歌」ウォルト・ホイットマン


 さあ、出発しよう! 悪戦闘をつき抜けて!

 決められた決勝点は取り消すことができないのだ。


【『草の葉』富田砕花訳(第三文明レグルス文庫)】


 さあ、行こう! 闘と闘争のなかを乗り越えて!

 すでに指示された目的地は、いまさら取消すことは出来ないのだ。


【『ホイットマン詩集』長沼重隆訳(角川書店)】


 出かけよう、闘争と戦争をくぐりぬけて、

 いったんざした目的地は今さら取り消すわけにはいかないのだ。


【『草の葉』(全3冊)杉木喬、鍋島能弘、酒本雅之訳(岩波文庫)】