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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2005-07-11

あらゆる場所で、あらゆる機会に、積極的に語れ


 中国革命の英雄・孫文は、社会を変革するために、民衆のを変えていくことを訴えた。あらゆる人々のをつかみ、味方にしていくことを訴えた。

 それには、どうすればよいのか。演説で同志に、こう呼びかけた。

「みなが責任を負い、いたるところで宣伝しさえすれば、前途には必ず希望があるのである」

 宣伝とはすなわち、「語る」ことである。

 皆さんは、皆さんがいるそれぞれの地域、立場における、“広布の全権大使”である。

 皆さんが動いた分だけ、語った分だけ、広布は進む。その「責任」に目覚めれば、大きな力が出る。

 ゆえに、あらゆる場所で、あらゆる機会に、積極的に語ることだ。しゃべることだ。そこから、希望の道が大きく開けていく。

 孫文は、「宣伝上の奮闘は、良からざる社会を改め、民衆を化することである」とも言っている。

 学会もまた、同じ方程式で、民衆の連帯を拡大してきたのである。

 特に青年部の皆さんは、語りに語りまくっていただきたい。

 偏見や、無認識の言葉に出あったら、さらには悪の攻撃に遭遇したならば、きっぱりと言い返していくことだ。

 正義の言論と、確信ので、相手のをつかみ、大きく変えていくことだ。

 学会の青年部は、決して臆病であってはならない。

 広布の本陣で戦う皆さまは、人材中の人材である。“将軍の卵”である。先陣を切って、誰よりも真剣に、懸命に戦うべき重い責任を負っている。

 戦おう!「事を為す」(御書708頁)である。私どもの発する「」が、広宣流布を前進させる。

 今、語らなければ、後々まで後悔を残してしまう。未来の「果」は、現在の「因」にある。

 創価の勝利のため、自身の三世にわたる幸福のために、今こそ勇敢に、しゃべりまくることである。


【5.3記代表協議会 2005-04-26 創価文化会館


 孫文が語る「宣伝」とは、単なるプロパガンダというよりも、世論の形成という味合いが強いとう。


 この指導の前日に、足立区の区議会議員・忍足和雄が斡旋収賄容疑で逮捕された。そして、2週間後には(59日)、“創大迎賓館詐欺”事件が発覚。勝利を阻もうとする逆風が吹き荒れた。


 先生が送って下さる、大いなる激励の風を背に受けて、我々は反転攻勢に打って出た。勇気と確信の言論戦が、多くの人々のに巣食う猜疑(さいぎしん)を打ち破った。


 人間は一度逃げると、逃げることが癖になる。リーダーであれば、臆病と勇気の間を振り子が行ったり来たりするような局面に必ず遭遇するものだ。そこが勝負どころである。一歩下がるか、前に出るか――たった一歩の選択が命運を決する。逃げたら、おしまいだ。自分に対してどんな言いわけをしても無駄だ。他の舞台で頑張っても駄目。既に、ブレーキを踏んだも同然なのだ。どんなにアクセルを踏み込んだところで、結局、空ぶかしで終わる。10年経とうが、20年経とうが、誤化すことはできない。見る人が見れば、瞬時にわかるものだ。


 ここ一番という時に、「を揚(あぐ)るかをくだすか」(1451頁)が問われる。


「広布の全権大使」とは、「池田先生の分身」でなくてはならない。友の生命を地震の如く揺るがす言論戦に挑みたい。


 今日は、男子部結成記日。

2004-10-30

デマと戦え


 民主主義の現代でいえば、“真実を見極められない国主”とは、嘘を容認してしまう社会、デマを傍観してしまう社会の存在に通じるといえます。

 いかなる嘘やデマも、そのまま放置すれば、結局は、人々のの中に沈殿して残ります。ですから、嘘やデマと戦えない社会は、必ず精神が衰退し、歪んでしまう。それ故に、末法広宣流布は、人々の無明をはね返して、人々の精神の奥底(おうてい)を破壊する謗法を責め抜いていく、強く鋭い言論の戦いが絶対に重要となっていく。その戦いがあってこそ、社会に健全な精神を取り戻すことができるからです。


【「開目抄講義」第7回 法華経の行者/『大白蓮華2004-11号】


 狩猟民族は一人で狩りをするので独立に富み、農耕民族は団体戦のため、協調が秀でているといわれる。文明が発達してない時代において、農耕民族における村八分は文字通りの死を味したことだろう。


 協調は美徳だが、これが撥(は)ね返ってくると、「言いたいことも言えない」ような閉ざされたコミュニティになりがちだ。また、依存し合い、もたれ合う関係になりやすい。


「寄らば大樹の陰」「長い物には巻かれろ」などという俚諺(りげん)は、生きていくためには、どうすることもできなかった弱い人々にとって、必要な術(すべ)だったのだろう。こんな社会では、周囲と異なる見を述べる人物は嫌悪される。情報操作もたやすい。徳川時代の統治のスタンスは、「民は依らしむべし、知らしむべからず」(『論語』)というものだった。一人のは必要とされず、周囲の風になびいていればよかった。


 現代にまで残る「お上」という言葉などにも、わざわざ、「お」をつけるほど、権力に隷属させられてきた歴史の残滓(ざんし)が垣間見える。日本に哲学が無かったのも当然である。良や正義に照らしてをあげれば、死が待っているのだから。


 このような民族であるから、噂話や風聞の類いを、何の検証もすることなく鵜呑みにしてしまうのは飯前だ。決して、自分の眼で確かめようとしない。「皆が言ってるから、確かにそうなのだろう」「火のないところに煙は立たない」という程度の判断基準しか持たない。「お上」という言葉に逆らえない象が、メディア情報に対する無防備なまでの信仰を形成する。我が国の「村社会」は「イジメ社会」でもある。


 その日本にあって、創価学会ほど嘘とデマに見舞われた団体もなかった(最近では、『週刊金曜日』、『週刊ダイヤモンド』、アメリカの経済誌『フォーブス』がデマ報道を行った。ダイヤモンド社の高塚猛社長は公式に謝罪を表明)。だが、学会は、全ての嘘とデマをはねのけ、世界190ヶ国にまで広がった。


 その原動力は、嘘に対して黙っていることのできない民衆の言論戦にあった。民主主義はともすると衆愚に陥る危険が常にある。学会員による言動は、民主主義社会に真実を宣言する“衆賢運動”でもあった。先生とも親交の厚いエイルウィン元チリ共和国大統領は、「嘘は暴力にいたる控え室です。『真実が君臨すること』が民主社会の基本です」と述べている。


 嘘は一人歩きする。一人歩きした嘘が多くの人々のを蝕んでゆく。デマを打ち破るには、こちらから打って出るしかない。


 本日、牧口記会館にて、そぼ降る雨の中、北海道総会が行われた。弟と後輩が我が家に泊まる。変わらざる人間の中に、確かな成長の軌跡あり。