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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2008-08-30

「広宣流布」は単なる“スローガン”ではない


広宣流布」は、単なる“スローガン”ではない。言葉として、いくら高く掲げても味はない。具体的に一歩一歩、実現していかなければ、大聖人が開かれた無上の幸福の「大道」を後世に広げていくことはできない。それではあまりに、大聖人に申しわけない。このことは戸田先生も、厳しくおっしゃっていた。

 そして広宣流布は、この現実世界を舞台としての、軍との熾烈な闘争の連続である。正法の勢いが弱まれば、それだけの軍勢が勢いづいてしまう。

 ゆえに、現実のあらゆる局面において、「法は勝負」との証を示していかねばならない。闘争に闘争を重ね、勝ち抜いていく以外にない。個人幸福も社会の繁栄も、着実な広宣流布の発展も、その上にしか築かれていかないからだ。

 私どもにとっても本年は、ますます「正」と「邪」が明確になっていくに違いない。大聖人門下の誇りと確信に燃えて、誉れの広布の戦いに勇気凛々と臨み、堂々と勝利の栄冠を勝ち取ってまいりたい。


【第25回本部幹部会 1990-01-18 創価文化会館


 1990年(平成2年)のテーマは「原点・求道の年」だった。電話回線を使った音のみの“同時中継”から、現在の“衛星放映”となったのは前年の824日からのこと。「夢のような時代となった」というのが率直な実であった。


 先生が示した通り、年末の虚を衝くような形で日顕は書類1枚の郵送をもって総講頭を罷免(1990年1227日)。第二次宗門問題が勃発した。


 生物の真価は生存競争の中で発揮される。空間軸では弱肉強食のサバイバルが繰り広げられ、時間軸では淘汰という作用が働く。動物としては貧弱なヒトが淘汰に打ち勝った事実は、力よりも智が大切であることを示唆しているとう。情報化社会ともなれば、頭脳戦の様相を呈する。


「何が広宣流布だ。君に広布を語る資格があるのか!」――26歳の私は先生から叱責されたようないがした。前の年も、その前の年も、部としては総区で1位の成果を出していた。総区ったってその辺の総区じゃないからね。天下の江東区だよ。その驕り、甘え、油断を木っ端微塵にされた指導だった。


 当時の分区男子部長は鬼みたいに恐ろしい人だった。暴走族全盛期にあって、東京下町を席巻したグループの“頭”を張ってた人物だ。拳(こぶし)ひとつで生存競争を勝ち抜くタイプ(笑)。この先輩は私の顔を見るたびに、「小野、この間の先生の指導についてどうった?」と訊(たず)ねた。そして、必ず「俺はこうじた――」と。先輩も後輩も真剣勝負そのものだった。


 あの頃は渇した者が水を欲するが如く、先生の指導を求めた。少しでも手を抜けば、先輩から気合いを入れられた。先生は若き弟子に“哲学の芯”を打ち込まれた。そして我々は日顕宗に勝ったのだ。


 公明党が与党となってからというもの、学会員は“守り”に立たされる局面が増えている。なぜなら、勝利の目的が政権維持となっているからだ。そんな姿勢で広宣流布はできない。保守という姿勢は必ず腐敗する。学会は永久に革命の担い手でなければならない。

2006-09-11

君でなければならない君のイメージを抱け


 時とともに

 革命の厳しき河は流れる

 今日も そして明日も――


 若き君よ

 清新の光を放つ君よ

 君でなければならない

 君のイメージを抱き続け

 山河鮮かに

 強靭な 堤防を築くことだ


 君よ 走れ

 民衆のために 走れ

 君の無辺の限界を探(たず)ねて 走れ


【「革命の河の中で」/1971-09-05】


 詩の冒頭部分。言論問題を乗り越えた生命力が、詩のあちこちに横溢(おういつ)している。前年(昭和45年)に書かれた「青年の譜」とは一線を画す何かをじる。


 理情の融合。先駆者のみが知る悩と、後継者への万の期待。詩を貫いているのは「生命と生命の紐帯(ちゅうたい)」だ。師のに触れて、私の血はたぎる。毛細血管の隅々(すみずみ)まで脈々と血潮が流れ通う。


 理を求め、希望に生きる中で、「清新の光」が放たれる。大人は計算高く、野とエゴで動く。未来を託すことができるのは青年だけだ。見通しが悪い時代であればあるほど、希望に燃える人は光り輝く存在となる。


 そして、10年、20年後の自分自身のイメージ(理像)を抱き、更には、学会と社会のイメージを描き、具体的な広宣流布の軌道を、まだ見ぬ地図の上に記すのだ。「堤防」とは、「生命の安全地帯」である「学会の組織」だ。革命の河は岸辺を洗い、大地を肥沃(ひよく)にする。氾濫(はんらん)させてはならない。いかなる暴風雨・増水にも耐える、磐石な堤防が必要だ。


「一身の安堵」(31頁)を願う青年は、革命の担い手たり得ない。マイホームを手に入れて満足する程度の人生しか歩めないだろう。青年であれば、動なき人生を拒絶せよ。ドラマなき日常を断固として拒否すべきだ。もなき人々から絶賛され、「あの人ありて」と口々に謳(うた)われる自分を志向するのだ。


 それにしても、この詩を書かれたのは、43歳の時である。現在(いま)の私の年だよ。わずか数行の中に四菩薩義すら窺える。「嗚呼(ああ)――」とためをつくまい(笑)。


 大を乗り越えて前に進む人間――私はその人をと呼ぼう。


【※指導は、近藤氏の投稿によるもの】

2005-10-19

同信退転の屍を乗り越えて進め


 諸君はこれからも、同信退転の人々の屍(しかばね)を乗り越えて進む時もあるかもしれない。多数の人が様々な戦いや事件によって退転することもあるかもしれない。先輩が疲れて、不純になって前進の障害になることもあるかもしれない。長い長い広宣流布の旅路においては、様々なことがあるとう。しかし、その時にたとえ誰人がいなくなっても、誰人が権力や時代に迎合しても、諸君の一人でも二人でも、5人でも10人でもいい。本当の大聖人法を、創価学会の伝統を、代々の会長の精神を受け継いで、立派に戦い切っていただきたいのであります。

 その人がおれば、因果倶時で、学会も、そしてまた、大聖人の法も、拍車をかけるがごとく発展するのです。どうか、本門の“右手(めて)に血刀、左手(ゆんで)に手綱、馬上ゆたかな美少年”で、高等部員の時代と学生部員の時代、否、一生の広宣流布の時代を生き切っていただきたいことをお祈りし、私の激励といたします。


【夏期講習会/高等・中等・少年部合同部員会 1966-08-11 総本山大石寺・大客殿】


 これが未来部に対する指導である。否、指導というよりは、“創価血脈相承”といってよい。「未来部が大切だ」とは誰もが言う。だが、これほど真剣に高校生と向き合う幹部はいないだろう。我々はどうしても、どこかで子供扱いしてしまう。そのを、先生の言葉は破折する。


 人のの浅ましさや、人生の危うさ、人間の脆(もろ)さを私が知ったのは、20代後半の頃だった。幸か不幸か、この頃から、事件・事故・トラブルに関わらざるを得ないコースに入った。若い私の手に及ばぬ事柄も多く、無力に苛(さいな)まれたことも随分あった。それでも、前へ進んだ。前へ進むしかなかった。その悪戦闘のさなかで、私は信と人間を学んだ。


「一通りのことはやってきた。それなりに訓練も受けてきた」という自負はあった。そして、壮年部となった。甘かった(笑)。新しい地域へ引っ越した途端、今まで放置されてきた問題に直面した。それも、次々に(笑)。その上、10年間も引きずっている内容。「まあ、大したことはない」と高(たか)を括(くく)っていた。双方の誤解を解けば、直ぐに解決できるようなことだった。ところがどっこい、そうは問屋が卸(おろ)さなかった(笑)。


 問題が起こった時に、直接関わっていた幹部の面々は、絶対に自分の非を認めず、その一方で、被害者は組織を恨むばかり。10年間にわたって、もつれにもつれた情は、そう簡単には収まらなかった。いくつかの問題は、裁判沙汰になってもおかしくないほどだった。それでも、完璧とは言えないまでも、一応の決着はつけた。これまで、を閉ざしてきた方々の本音も聞き出した。いずれも、大変なご労をされてきた方々だ。「その時、私がいれば」と何度、拳(こぶし)を握りしめたことか。


「何とかできる人」がいれば、どんな問題も何とかなるのだ。


 釈尊滅後、法は民衆から遊離した(インド仏教滅亡の要因は「民衆からの遊離」に)。そして、インド教は滅亡の道を辿った。創立80周年までに、本物と偽者がふるいにかけられることは間違いない。「師と共にどう生きたか」――この事実が問われる段階となった。

2005-08-09

広宣流布に 闘う人かな


 世界一

  偉大な目的

   この人生

  広宣流布

    闘う人かな


聖教新聞 2005-08-09付】

2005-01-14

目標


 第五に「目標」について申し上げたい。あなたにはあなたの目標がある。私には私の目標がある。それはそれでよい。

 しかし、あなたと私の共同目標、いや御本日蓮聖人との共同目標がある。そしてまた、人類全員との共同目標がある。あとの二つは自覚の問題であり、強制されて納得できる問題ではありません。

 この大きな共同目標、それは真の自由に基づいたところの各人個々の自受用身の判断権行使上にのみ輝いているのであります。人間相互の純然たる「規則(ルール)承認の約束事(エンゲージメント)」の自主的実践のうえに実現していく崇高なるものであります。

 ゆえに、目標なくして価値ある人生の展開はありません。あくまでも目標あっての使命である、と得ていただきたい。

 人生の目的は、自発して立てた目標によってのみ決まるものであります。後輩の養成も大事な目標であります。お互い同士の尊重も大事な目標であります。能動の人間革命、新文明の建設は、さらに大事な目標であります。

 親愛なる同志諸君、みんな仲良く共通の広宣流布という大目標を堅持して、いかなる批判にも耐え、開き、午前8時の太陽のごとく、雄々しく進んでまいろうではありませんか(大拍手)。


【第21回男子部総会 1973-02-18 東京・日大講堂】


 宮本さんの「旭日大学校」で紹介された指導を読み、探し当てた指導。


 目標なき闘争は、バーのない走り高跳びと同じだ。自分の実力を知り、それを少しでも上回るところに人生の大いなる喜びがある。


 目標は欲求に支えられている側面がある。自分が何をしたいのか、何に対して幸福を抱くか、どうなりたいのか……。電車に乗る際、切符を買わない人はいない。必ず目的地が決まっている。だが、人生行路にあって、行き先が決まってない人々は大勢いる。


 自分がどこに向かって進んでいるのかわからない。どこを目指すべきなのかもわからない。社会の安全や機構などが大きく変化する時、これらの不安が噴き出してくる。


 我々学会員の目的は一生成と広宣流布である。それは、一つの形に人間を押し込めるものではなくして、一人ひとりの生命を開花しきって、社会全体が花園のように形成される世界だ。個人幸福と、社会の繁栄が完全に一致し、他人の不幸の上に、自分の幸福を築くこともない。


 翻って妙法を知らぬ人々の幸福とは、どういった種類のものであろうか? 若者であれば、カッコイイ車と彼女がいれば幸福だ、というのが大半か(笑)。少し、年を取れば、恵まれた結婚(家つき、カーつき、ババなし→チト、古過ぎるか?)、仕事のキャリアアップ、スキルアップなどが考えられる。その後は、職場での地位、財産、我が子の学歴〜自慢できる就職口。以上、終わり。こんな人生が大半ではないのか?


 私は高校の時から地下鉄通学を始めた。混雑する車内を見渡しても、ギラギラと野に燃えている男もいなければ、キラキラと輝きを放つ女もいなかった。無表情な大人どもの顔を見て、私は密かな確信を抱いた。「この連中は、人生の大半を会社との往復に費やし、土日に遊びに行く場所すら、あらかじめ決まっているのだろう。これじゃ、長い鎖につながれた飼い犬同然だ」と。


 当時、マイホーム主義なる言葉が出回っていて、男子の出世の本懐は、一軒家を持つことなんて話があった。「それじゃあ、まるで、金持ちの家の飼い犬になるのと同じだ」と私は直した。批判精神旺盛な高校生の目に映る大人達は、座敷犬のように見えた。


 好き勝手なことをして、楽をするのが幸福だと勘違いしているのも多い。かような面々は、コタツで丸くなっている猫が理だとでも言うのだろうか?


 そんな、半分死んだような生き方に輝きはない。生きてるだけなら、ミミズだって、オケラだって、アメンボだって、みんなみんな生きているんだ♪(笑)


 アメリカの理学者マズローが、自己実現理論を説いている。


 1.生理的欲求

 2.安全の欲求

 3.所属愛の欲求

 4.承認欲求

 5.自己実現の欲求


 詳細は、「マズローの自己実現心理学」を参照されたい。


 欲求を階層化したマズローは、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きものである」と仮定した。極めて楽観的なアウトラインだが、いかんせん、実現するための具体的な方途が示されてない。まさか、エスカレーターのように自動で5段階を上昇してゆくわけではあるまい。


 哲学は説のみあって修行法がない。本物の宗教のみが如説修行を説き明かす。真の自己実現とは自体顕照のことである。


 そのための目標を明確に。先生との誓いを具体的に。

2004-06-13

妙法の眼


 断絶は 断絶をよび

 暴力は 帰趨(きすう)を知らず

 核は 大きな目をあけて

 眠ったふりをしている

 ああ 呪われた この世紀

 渋に充ちた この世紀

 憎悪に狂う この世紀

 しかし 私たちは

 この世紀を愛さねばならぬ


 から 地球を見るように

 妙法の眼(まなこ) ひとたび開けば

 静かなる 宇宙にうかぶ

 緑したたる この球体――

 妙法の眼 ふたたび開けば

 万象すべて 網膜に焼きついて離れぬ

 蟻が 地面を見るように

 妙法の眼 みたび開けば

 闇黒の 世紀に沈む

 煉獄(れんごく)の阿鼻叫喚

 妙法の眼 よたび開けば

 彼方に 巨大な悩の車輪が廻る


 私は断じて たじろぐまい

 堅忍不抜の 剛勇をもって

 煉獄の 黒い雨のなかに跳び入ろう

 陸続とつづけ! 使命の徒よ

 混沌と 破壊の 真っ只中に

 創造の躍動を 切りひらきゆくのだ


【『青年の詩』/「世紀の朝(あした)」1970-01発行】


 1965年にベトナム戦争が勃発。1969年になると米国は最大となる55万人を派兵した。それでも米軍はベトナムを制圧できず、2万5000トンもの枯葉剤を使用。1975年に至るまで銃火が途絶えることはなかった。


 1962年、キューバ危機によって米ソは、核兵器がダモクレスの剣であることを初めて自覚した。1963年には「部分的核実験停止条約」が成立し、1968年には「核兵器拡散防止条約」が調印された。米ソの冷戦構造はデタント(緊張緩和)に向けて大きく舵を切ったものの、世界を覆う黒い雲の存在は誰もが実していた。


 ベトナム戦争がいよいよ泥沼化する時に書かれた詩である。私は当時、小学校へ上がったばかりだったが、ベトナム戦争は永久に終わることがないとい込んでいた。まだ、大学紛争が激しかった頃だが、世論が高まることはなく、経済が急速に発展する中で、平和に対する無力が時代にへばりついていた。


 核の前では、余りにも人間は無力だった。革新系の市民運動は、子供ながらに悪ふざけをしているようにしか見えなかった。


 このような状況の中で、先生は、具体的な提案として、1968年98日、日中国交回復の提言を発表。1970年(昭和45)221日には、学会世帯が遂に750万世帯となる。そして、同年、言論問題が起こる。


 この詩を拝すると、先生の烈々たる決三障四魔を呼び現したものとじてならない。世界の状況がどのように悪化しようとも、断じて平和にしてみせる! との赫々(かっかく)たる情熱がほとばしっている。


 先生、この時、42歳――。


「堅忍不抜の 剛勇をもって」自分の戦野を切り開いてゆくことを決

2004-04-18

われらの指標は広宣流布


 われらの指標は何か

 それは 広宣流布

 これには幾重(いくえ)の障害を越えねばならぬ

 この執と 転教の遠征が

 われらの生涯の旅路だ


 われらには止(とど)まることがない

 大河の流れの如くに

 ある人は

 暖かな夢を見て ひき還(かえ)すかも知れぬ

 ある人は

 険の峯(みね)を避けて

 明るい街の灯(ひ)に

 易々(いい)として帰るかも知れない


 しかし

 われらは勇壮に嵐に向かって征(ゆ)く

 久遠真如の都を築くために

 勇敢に大密林を切り開いて動く


【「青年の譜」 1970-12-05/『青年の譜』1983-08-24発行】


 我が身一身の安穏を望むようでは革命児とはいえない。我々、池田門下生は、己の幸せよりも、他人の幸福を強く望む菩薩の集いだ。


 一切の菩薩必ず四弘誓願を発(おこ)す可し其の中の衆生無辺誓願度の願之を満せざれば無上菩提誓願証の願又成じし(424頁)


「衆生無辺誓願度の願」とは一切衆生の幸福が実現するまで、自分は幸せにならないという誓いである。


 自分さえよければそれでいいとするちっぽけなが微塵でもあれば、既に広宣流布を見失った哀れな境涯と自覚すべきだ。慳貪(けんどん)の罪によって餓鬼界に落ちることは間違いない。


 傷つくことを恐れず、捨て身で戦う同志のみが、真の学会っ子だ。