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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2009-06-09

偉大な使命感が悪条件をはねのける


 人間は、どのような境遇、悪条件の中にあっても、大目的に目覚め、偉大な使命をじて立ち上がった時には、必ず大きく成長できるものである。


【『指導メモ』1966-06-01(聖教新聞社)】


 人は行き詰まると目の前しか見えなくなる。ま、袋小路みたいなものだ。逆に言えば、目の前しか見えていないからこそ行き詰まっているとも考えられる。


 大目的に目覚めるとは、苫米地英人流に言うと「視点を高くする」ことだ。すると、壁を見下ろすことができる。それどころか、壁の向こう側に続く遥かな道も見渡せる。後は、壁を踏みつけるか、乗り越えるかというところに落ち着く。


 使命と聞いてい出すのは井上靖著『蒼き狼』(文芸春秋新社、1960年)だ。主人公のテムジン少年(=ジンギスカン)は自分の出自に疑を抱いていた。「自分は誰の子なのか」――。テムジンは「蒼き狼」の末裔(まつえい)であると自ら決めて、生涯を懸けて証明しようとした。


 10代から教学を学び始めて、まず驚かされたのは自分が地涌の菩薩であるという事実であった。「ゲゲッ、俺は俺じゃなかったんだ! 地涌の菩薩だったんだあー!」ってな具合だ。その時、私はハヤタ隊員ではなくウルトラマンとなった。


 それからというもの、妙な自信が芽生えた。少々の困ったことくらいで動じなくなった。なぜなら、私は地涌の菩薩であるからだ(笑)。


 一文字隼人(いちもんじ・はやと)が悪党を目の前にして悩むだろうか? 悩まないね。だって、仮面ライダー変身すりゃいいだけだもの。だから、私は小さなことで悩んでいるメンバーを見ると、嘆かわしくて仕方がなくなる。変身を忘れた一文字隼人は、歌を忘れたカナリアよりも悲惨だ。


 変身したい人は、今直ぐ自宅の壇の前に集合せよ!

蒼き狼 (新潮文庫)

2006-03-04

黙々と我が使命を果たせ


 仕事でも、活動でも、大事なことは、「今いる場所」で何かを残していくことだ。

「あの部署なら頑張れるのに」「あの地域ならば戦えるのに」とうこともあるかも知れない。

 しかし、現実はそれほど甘くない。自分自身が確立されていなければ、どんなところにいっても、結局、同じ問題で悩むものだ。すべては「自分」で決まるのである。

 戸田先生は、「牢獄が一番、自分を鍛えられる場所だ」ともおっしゃっていた。身勝手な生き方では、人間としての“芯”をつくることはできないのである。

「どこでもいいです」「どんなところでも頑張ります」──こういう人が一番、強い。

 今いる場所で黙々と、我が使命を果たす人が一番、偉大なのである。

「重大な使命をもつ学会のなかで、自分の使命というものが何かということを、忘れてはならない」──これが戸田先生の厳命であった。


【代表幹部協議会 2005-11-25 創価文化会館


 不自由な環境に打ち勝ってこそ力がつく。


 強敵を伏して始て力士をしる(957頁)


 私が一番しかったのは、部長の時だ。27歳で隣の部へ派遣となった。全く結果の出ない、言わば“お荷物的存在”の部だった。クセのある人が多く、当然ではあるが、殆どが年長者。後で聞いて初めて知ったのだが、その上、「小野は本部内で派閥を持っている。気をつけろ」などという噂が流されていた。


 ここの組織はさすがの私も辟易(へきえき)した。新部結成式に集ったのは、私を入れて4。二人の地区幹部は、洗いざらしの髪で、一人は短パンだった。軽く注をすると、「あ、そう。じゃ、俺、帰るわ」「あ、嘘、嘘。待って、待って」とこっちが下手に出る始末(笑)。4地区の内、機能しているのは1地区だけという現状だった。


 唯一の救いは、支部長と婦人部長が大歓迎してくれたことだった。このお二方は個的なことで有な幹部だった。どちらも気が短く、喧嘩っ早いところが、私と瓜二つ(笑)。しかも、がでかいと来ている。この二人から、「とにかく、男子部を何とかして欲しい」と切望された。


 副部長は6歳年長の方で、最初の内は、やたらぎこちなかった。噂話を真に受けていたためだった。私は、まず一人の味方をつくろうと、この副部長と毎日、会うことを掛けた。


 最初の内は、何をやっても結果が出なかった。部長になって間もない頃、総区を代表して、先生から激励の品を頂戴する機会があった。総区男子部長は授与する際、「結果が出ているわけではないが、本当に大変な中で戦っている」と紹介して下さった。顔を合わせる度に、「どうだ?」「大丈夫です!」というやり取りが続いていた。


 私は、とにかく信の楔を打ち込もうと、御書とスピーチの研鑚を中とするリズムをつくった。少しずつ、活動家が増えだした。転入してくる男子部も出てきた。この間、私は3地区を駆け巡り、地区部長・地区婦人部長と連係を欠かさなかった。


 私は部長になるまでというもの、元気と勢いだけで進んできた。また、それが評価され、大切にされてきた。ところが、この部に来た途端、それが全く通用しなくなったのである。そして私は、“自分が変わらざるを得ない現実”に気づいた。


 ポツリポツリと自分の悩みを打ち明けるメンバーも現れた。御書とスピーチが少しずつではあるが、確実に皆の信の姿勢を正した。高校を卒して、新たな男子部員が登場したことも、大きな影響を与えた。


 9ヶ後、3地区の地区リーダーを変えた。ここから、やっと私のペースにできた。面白いように結果が出だした。仕事で多忙だった地区リーダーの教学試験も勝ち取った。共に研鑚する中で、着実に絆を深めることができた。


 2年3ヶを経て、私は本部長となった。それ以降は、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。今、振り返っても最強の本部だったと自負している。大いなる世代交代の局面を迎えて、私は鬼とならざるを得なかった。江東男子部の伝統は、それほど重いものだった。


 一番、大変な組織だったが、一番、勉強になった組織でもあった。


【※指導は、NON氏の投稿によるもの】

2004-05-12

すぐに立て


 なんという不屈さか!

 生きねばならなかった。勝たねばならなかった。人間、なせばならぬことならば、「そのうち始めよう」などと考えること自体、すでに後(おく)れをとっている。すぐに立て! 今、一歩を始めよ!


【「SGI会長の地球紀行 我がふるさとは世界」第21回 関東/育つ力 伸びゆく力 聖教新聞 2004-05-09付】


 師匠の大号令である。この呼びかけに応じることのできる歓喜は計り知れない。やるべきことを明日に延ばすな。今日、できることを無限に開拓せよ、との呼吸だ。


 闘争のゴールと定めた日が、自分の命日だと考えれば、今日の動きは明確に異なってくるはずだ。なさねばならぬことも自ずから見えてくることだろう。誰かのためではなく、組織のためでもなく、自分の人生を光り輝かせるために、懸命に生きることが重要なのだ。


 こうなれば、いかなる無駄も空転も許されない。人生とは価値の異であるならば、無駄や空転が死を早める。


 皆が頑張っていることは、誰よりも先生がご存じであろう。それでも、「立て!」と叫ばれる先生のう。


 自分の100%を出し切って、顔色が変わるような勢いでやっているのか? 誰よりも厳しいところで戦っているといえるのか? 胸を張って「必ず勝ちます!」と言える今日の闘争であったのか?


 まだまだ、どこかに余裕がある。日曜日はあと8回しかない。一を変えて御本尊に向かうのみ。


 ハワイで2000人の大総会(聖教新聞 2004-05-11付)。全活動家の3分の2が集う大結集。5.3までの1ヶ月間で成し遂げた折伏は、目標の300世帯を大きく上回り、実に350世帯を成し遂げたという。私が知る17歳の乙女も厳然と結果を出した。


 世界の同志も真剣だ。また、世界の同志が、「1000万」の闘争に参加できることを羨望の眼差しで見つめているであろう。


 今日は、大聖人が伊豆へ流罪された日。弘長元年5月12日。大聖人は数えで御年、39歳。現在の男子部の最年長のメンバーとほぼ同い年。

2004-04-16

君でなければ 出来ない使命がある


 われには われのみの使命がある

 君にも

 君でなければ 出来ない使命がある


 青春の躍動せる力なくして

 老いたる世代に 何ができるか

 未完成より 完成への構築の坂

 青春の歌

 文化の曲

 革新の銅鑼(どら)を 鳴らしながら

 勇壮に 雨に打たれて働こう


【「青年の譜」 1970-12-05/『青年の譜』1983-08-24発行】


 誰人にも自分の使命がある。使命があればこそ生きている。宿命の大波に翻弄される悲劇を演じるか、人間革命の偉大なる歴史を綴るかはその人の一で決まる。


 人それぞれに固有の人間関係がある。自分の周囲にいる人々の全てを幸福の方向へ、向上の方向へとリードしてゆくのが我等の使命だ。言論のつぶてを放ちながら、友好を深めつつ、相手の生命を揺り動かす作である。


「革新の銅鑼」とは何か? それは破折の精神であろう。誤れる人生観、顛倒(てんとう)する価値観を、満々たる生命力で打ち破ってこそ我等の言論は、社会を覚醒させる警鐘となる。


 願くは我が弟子等は師子王の子となりて群に笑わるる事なかれ、過去遠遠劫より已来(このかた)日蓮がごとく身命をすてて強敵の科(とが)を顕せ師子は値いがたかるべし、国主の責めなををそろしいわうや閻のせめをや、日本国のせめは水のごとしぬるるををそるる事なかれ、閻のせめは火のごとし裸にして入るとをもへ、大涅槃経の文の法を信じて今度生死をはなるる人のすこしのゆるなるをすすめむがために疫病をのあたへ給うはげますなりすすむるなり(1589頁)


「勇壮に 雨に打たれて働こう」とは一頭の師子たれ! との万の期待である。


創価1000万」という最高の舞台が用された。あとは各人がどのような劇を演ずるかである。