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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2006-04-09

「自己満足」に衰亡の因


 ところで、15〜16世紀の大航海時代に、なぜヨーロッパが歴史の主役となり得たのか。

 アラブや中国は当時、ヨーロッパより文化的にも栄えていた。ずっと優れた航海技術を持っていた。それなのになぜ、これらの文明先進国は、後進国のヨーロッパに後(おく)れをとったのか。

 色々な理由が挙げられるが、結論的にいえば、アラブ世界も、中国(当時は明国)も、物質的に満ち足りていた。ゆえに、それ以上、自己の世界を広げようとのいが弱かった。いわば、自己満足していた面があることを否定できない。

 そこに、「飢えたヨーロッパ」が襲いかかった。侵略、略奪である。善悪をいえば、もちろん、ヨーロッパが「悪」である。しかし、そう言って非したところで、奪われた人命も富も返ってはこない。所詮、敗北はどこまでいっても敗北である。

 以後、アジア、アフリカ、南米の民衆は、ヨーロッパの列強のために、長く悩の歳を送ることになってゆく。


 何事も、「自己満足」に陥り、「もう、これでいいだろう」とった時から、後退が始まる。その刹那から、かつての中国・明(みん)の一面のように進取の気を失い、保守化し、自分のカラに閉じこもってしまう。そこには新しい世界へと打って出る“勢い”がなくなる。ゆえに狂暴な力の前に餌食となり、蹂躙(じゅうりん)される結果となる。

 その味で、絶えざる“冒険”“挑戦”の一の姿勢が、鋭く敵を見抜き、敵を破るのである。その気概を失ってしまえば、もはや厳しい現実社会で生き残ることはできない。


第20回本部幹部会 1989-08-17 長野研修道場


 国家が衰退し、歴史の谷間に沈みゆくのも、「自己満足」という油断に起因しているとの指摘。


 日日につより給へすこしもたゆむあらばたよりをうべし(1190頁)


 この御聖訓が、個人にとどまることなく、あらゆる団体、地域、国家にまで及ぶという味になろう。一の変化が歴史の興亡盛衰を織り成す。


 中年期に陥りやすい傾向も全く同じ原因によるものだ(「40代」)。


 では、具体的な「絶えざる挑戦」とは何か? それは、いくつになろうとも新たな出会いを求めることと、日々学び続けることであろう。つまり、自分の生活の中から常に“新しい発見”がある限り、精神は衰えることがない。そして、“発見できた”という事実にこそ、人間革命の実証があるのだ。


 青年部を卒して真っ先にショックを受けるのは、壮年部が“惰の泥沼”と化していることだ(笑)。だがそこで、成長しない人々の間(はざま)に埋没してしまうか、その方々から何かを学んでいけるかは、人によって異なる。


 日本人には冒険が少ないのと同様、発明が少ないといわれる。発明は、現状を打開しようという欲の結晶だ。ところが、日本人の場合、忍耐を美徳とする伝統的価値があるため、必要以上に我慢し続ける羽目となる。そのため、現状に甘んじる結果となり、発明が生まれにくいというのである。


 煩悩即菩提とは、ある面からいえば、不満即成長と私は考える。環境に対して、自分自身に対して不満を持たなくなれば、新しい価値は絶対に生み出せない。なぜなら、“惰を破壊する”作なくして、創造の営みは実現しないからだ。ただし、不満の奴隷となってしまえば本末転倒である。


 冒険とは、いまだかつて自分が到達したことのない高みを目指す行為だ。道往く人々は皆、同じ姿で歩いている。しかし、どこを目指して、いかなる決がその一歩一歩に込められているか。ここで、人生の命運が分かれる。

2006-04-06

衰亡の要因は急激な膨張に


 さて、話は戻るが、ポルトガルはこうして「海の覇者」「時代の勝者」となった。南米(ブラジル)からアジアまで広がる大帝国をつくり上げた。日本にも、いわゆる南蛮文化をもたらしている。

 しかし、その繁栄も長くは続かなかった。それは何が原因であったか。本日、私が申し上げたい焦点もここにある。その要因の一つを要約していえば、自らの国力を超えて、はるかに膨張し、拡大に走り過ぎたためだといわれる。

大航海時代を拡大すればするほど船員が必要となる。船員確保のために農民がどんどん転用され、航海用の食糧をつくる人手が足りなくなる。そのため、外国から食糧を買い入れなければならない。だが、足元を見られたりして、高い値をつけられる。そうした結果、貿易による利益よりも、費用の方が高くつくようになる。

 こうして航海に出れば出るほど赤字が膨(ふく)らむという悪循環に陥ってしまった。植民地の維持のために本国が疲弊するという事態をも招いた。

このことは、スペインも同様であった。ポルトガルとともに世界の海を二分していたスペインも、せっかく手に入れた「富」を蓄積して、自国の資本を育てるだけの基礎体力がなかった。そのため、後進のオランダに、また、イギリスに「海上の覇権」は移り、「富」は奪われていった。

 所詮、「富」も「権力」も無常である。

 ポルトガルもスペインも、繁栄を持続し、拡大する基礎体力を持っていなかった。そのため、世界への行動範囲が広がれば広がるほど、発展への対応をしくした。それが、自らの立場を危うくし、繁栄への歯車を逆回転させることになった。

 このことは、いかなる国、団体、組織にあっても、十分留しなければならないことである。

 学会もこれまでは発展に次ぐ発展であった。組織的にも伸びに伸びてきた。そこで私は、次への大いなる前進のために、今はもう一度、足元を固め、基礎体力を強くしておかねばならないとう。組織を十分に整備し、人材の育成・鍛錬に全力を挙げていかねばならないと深く決している。

 そうでないと、大聖人の御遺命である広宣流布を、どこまでも進め、拡大していく創価学会の使命が果せなくなってしまうからである。

 したがって、今は組織の発展を急ぐ必要はない。焦ってもならない。「人材」を、ともかく「人材」をつくることである。


第20回本部幹部会 1989-08-17 長野研修道場


 これは大事な部分。私は当時、本部高等部長をしていて、高等部員とも学び合ったい出がある。


 ライブドア社の凋落(ちょうらく)にも、相通じる要素があった。体力を上回る運動をすれば、倒れることは必定。


 高血圧などで臓に負荷がかかると、通常よりも強い力が求められ、筋が発達する。これが、心臓肥大


 一気にでき上がったものは、一気に崩れる。令法久住とは、末法永遠にわたる漸進主義だ。上昇志向だけでは必ず行き詰まる。前三後一とは、わずかな油断も許さぬ師子王の構えである。


 弘教と人材育成が相俟(ま)って進むところに、組織の発展がある。人材育成のホシは、教学を打ち込むことにある。これすなわち、行学の二道。広宣流布は横に十方と広がり、令法久住は縦に永遠と深化する。


 日顕問題の一年半前に、先生が「足元を固めよう」と言われた義は計り知れない。


 実は、会長勇退一年半前にも同様の指導がなされていた。第1回創価班総会(昭和52年16日)では、“創価灯”たれ、との指導があり、第208回2本部幹部会昭和52年220日)では、「第二陣、第三陣の人材群を育て、陸続と輩出させゆことを、私ども全幹部の最重要課題として取り組んでゆくことを、互いに銘記してゆきたい」との方針が示された。


 この頃、先生は軒並み、東京男子部の会合に出席されている。


 昭和52年の新年勤行会の指導(「学会の信心に無量の福運が」)をえば、山崎正友と坊主どもの策略は表立ったものとなっていたことだろう。正本堂建立から、わずか4年後のことである。旭日の勢いで発展し続ける創価学会に対して、坊主が嫉妬の炎を燃やしたことは、容易に像できる。


 そして、学会は坊主の前に膝を屈した。最高幹部は傍観し、東京男子部は手も足も出すことができなかった。戸田先生亡き後、全学会員を鼓舞した“七つの鐘”の指針は、会長勇退をもって幕を閉じた。弟子が師匠を裏切った痛恨の歴史である。


 先生は、新しい創価学会をつくるため、衛星中継によって直接、会員に向かって語りかけた。師弟の血脈は最前線にまで脈々と流れ通った。こうして、本物の池田門下生が育成された。正木副会長が言う「広布決着世代」とは、この世代のことだ。日顕は現代における平左衛門尉の役を担うこととなった。創価ルネサンスは、学会にとっての佐前佐後となった。


 更なる新時代となった今、人を育てられない幹部は邪だ。どけろ!

「冒険」とは「自己実現」であり「自己表現」


 歴史上のかつての“航海”は、むしろ多くの悲惨と争いをもたらした。悲しい、残酷な歴史であったといってよい。

 だが、私どもの旅は、反対に「平和」と「文化」を運びゆく大航海である。しかも、今や世界的視野に立って行動すべき段階に入った。

 そこで必要となるのは、若々しき「冒険」の魂である。「冒険」とは「自己実現」であり、「自己表現」である。

 自らの力がフルに発揮されるのも、もはや引き返す術(すべ)なき「冒険」での鍛えによる。そこには、「独創」がわき、「人格」が確立される。「動」が広がる。「団結」も生まれる――。

 これに対し現代日本は、“アンチ冒険”の官僚的発、体質が染みわたっているといわれる。しかし、それでは人生の深き価値が生まれない。

 また、「科学」も、この冒険のから生まれた。否、新しい世界はどこでも、若々しき未知への挑戦から突破口が開かれてきた。

 その味で、「平和の新世界」「広宣流布の新大陸」へと、青年諸君にこそ、私は勇気ある「新航海」の先駆をお願いしたいのである。

 日蓮大聖人は「椎地四郎殿御書」にこう仰せである。

「生死の大海を渡らんことは妙法蓮華経の船にあらずんば・かなふべからず」(1448頁)

 ――迷(めいく)に満ちた人生の大海を渡るには、“妙法”の船でなければ不可能である――と。

 私達こそ、“妙法”の船に乗り、進む勇者である。その確信も深く、広布の航海者としての誉れある人生を、堂々と生き切ってゆきたい。


第20回本部幹部会 1989-08-17 長野研修道場


 冒険とは、「危険を冒(おか)す」ことの謂い。つまり、今までやったことがない、計算できない、リスクが高い、失敗する可能がある、等々の要素がある。


 日本人は農耕民族で、団体戦によって生き抜いてきた歴史がある。このため、皆と同じ平均が好まれ、「出る杭(くい)は打たれる」結果となる。右にならえで、「寄らば大樹の陰」、「長い物には巻かれろ」と強者に媚びる。ま、ジャイアンにくっついているスネ夫みたいなもんだな(笑)。


 村社会では余計な真似をすると嫌われる。優先されるのは正義ではなく、“村のしきたり”だ。閉ざされたコミュニティで、掟(おきて)に従わなければ村八分となる。火事と葬式の場合は村で面倒をみるので“八分”となっている。完全に除外しないところから、理ではなく情による判断であることが明白だ。


 こんな話がある。昔、ある山国に、並外れた跳躍力を持つ男がいた。高い塀でもひとっ跳び。現代に生まれていれば、オリンピック選手になったことだろう。村中の評判となり、大にも届く。やがては、将軍の知るところとなった。将軍は男を呼び寄せて、「やらせてみよ」と命ずる。用された柵の反対側には、たくさんの竹槍(たけやり)が埋め込まれていた。権力者にとって利用価値がなければ、高跳びでさえも危険視された。【『冒険と日本人』本多勝一(日文庫)による】


 村社会では新しいことをしようとすると、必ず反対される。若き先生が、軍楽隊(現在の音楽隊)や体育大会(後の文化祭)を提案した時、最高幹部である理事室は強く反対した。民音をつくる時も、ソ連を訪問する時も、反対した幹部がいた。いつの時代も、頭の古い抵抗勢力が存在した。


 学会の組織も、中者次第で“村”みたいになってるところがあるね(笑)。後輩に見を求めない組織や、反対見を嫌う組織は、完璧な村ですぜ(ニヤリ)。


 そんな組織悪に負けてはならない。生命力を満々とたぎらせて、冒険に挑もう。青年ならば、岡本太郎の言葉を、よくよく噛みしめて欲しい。「可もなく不可もないのは不可」とされた牧口先生の精神を見失うな。

2006-03-20

歴史を知る者は未来をも知る


 現実の激しい変動とともに、人々の識、世界観が揺れ、生まれ変わる。そうした歴史の転換期は、これまでも人類史に何度か訪れた。

 その一つが、約500年前、15世紀末に始まる「大航海時代」である。アメリカ大陸発見(1492年)、インド航路発見(1498年)、世界一周の達成(1522年)、そして、ヨーロッパ人の世界進出――人々の「世界観」が年ごとに変わり、「新世界」が次々と開け、猛烈な勢いで世界の勢力地図が塗り替わっていった。

 大航海時代、それは新鮮な「冒険」と「発見」の時代である。ヨーロッパ人は、沸騰するような勢いで、東へ東へ、西へ西へと新天地を求めた。

 新しい「物」が、新しい「情報」が、また、新しい「技術」、新しい「チャンス」が、更に、新しい「課題」、新しい「」が現れた。何より、新しい「人間」「個」が誕生し、続々と押し寄せてきた。

 凄まじいスピードの変化の中で、無数のドラマが生まれた。

 21世紀もまた、新たな「大航海時代」となるにちがいない。いわば「精神の大航海時代」「生命の大航海時代」である。絶えざる変化、変動。世界観の転換。個の創造。限りない盛衰と新生のドラマ。躍る「冒険」と「発見」の時代が目前に迫っている。

 その激動期を、どのように乗り越え、勝ち進んでゆくか。それは、歴史に学ぶ以外にない。歴史を知る者は、未来をも知る――これが戸田先生の教えであり、一貫した信でもあった。

500年前の大変革期に誰が勝ったか。なぜ勝ったのか。他はなぜ勝てなかったか。未来への歴史の教訓を得るためにも、それらの点について少々論じておきたい。


第20回本部幹部会 1989-08-17 長野研修道場


 過去の枠組みや常識が通用しなくなると、時代は激しく揺れ動く。行き詰まりによって圧迫された不満が噴出する。それまでは、“当たり前”だったことが通用しなくなり、次々と否定される。過去にしがみつく人や団体は、アッという間に取り残される。


 時代の流れ、人々の機根を正確に洞察しながら、それらをリードしゆくことは至(わざ)だ。しかし、確かな未来を堅持しなければ、たちどころに淘汰される。


 日顕宗は、江戸時代の論理にしがみついてたが故に、凋落(ちょうらく)の一途を辿った。子を軽んじ、衣の権威をかざして、供養集めに狂奔した。とっくの昔に大聖人から見捨てられた存在だった。それでも学会は、僧俗和合の道を選択した。ここに学会の慈悲がある。


 この指導の時点で、先生は宗門問題後を睨(にら)んでいたことと像する。