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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2007-10-10

「まず 自分が変われ!――勇んで登攀を! 断じて勝利の峯へ」


 私の永遠の師匠は、戸田城聖先生である。

 その弟子として、師匠と共に、三世永劫にわたる人間の極地、そして大宇宙の本源まで説き明かした大法を知った喜びに、私は涙にむせんだものだ。

 ともあれ、大切な人生だ。大切な一生だ。

 長い長い価値ある旅路を、永久不滅の正義と大勝利の金字を打ち立てゆく天地まで、歩み走りゆくのだ。

 嵐が何だ! 怒涛が何だ! 中傷批判が何だ!

 が何だ! 財宝が何だ! 権力が何だ! 偉ぶった、嫉妬深い畜生どもが何だ!

 私には大法という金剛不壊の宝の中の究極の宝がある。

 な夕な、常に語り、常に励ましてくださる師匠が胸に生きている私は、最高の幸福者だ。永遠に幸福者である。

 私は勝利者だ。三世にわたる祝杯を上げながら、光り輝く“不滅の正義”という明(たいまつ)を高く掲げているからだ。


【「随筆 人間世紀の光」/今後、掲載される予定】


 次の闘争の火蓋(ひぶた)を切る指導である。無限の生命力からほとばしる言葉の数々に、ただただ圧倒される。凄まじい勢いだ。


 若き君よ! 青年たちよ!

 君もまた山本伸一となって、私に続いてくれ給え!


【同】

2007-08-21

弟子が師を決める


 真の信なき彼らは

 先生を師とは仰げなかった。

 本有無作なる

 先生の振る舞いを

 軽んじて

 広宣流布の師たる 内証

 知ろうとはしなかった。


【「師弟不二の詩(うた)/ああ 師 戸田城聖 先生」 2007-02-04 創価学会本部・師弟会館


 弟子の一が定まるところ、師弟の血脈は流れ通う。弟子の姿勢を厳しく問い掛けた一文。これが、わかるかわからないかで人生の軌道が変わる。果たして私は、師の内証を知るや否や――。「ソクラテスの指導」をう。

2007-07-26

師弟勝利の7月/真実は勝て! 必ず勝つのが師子!


さあ大攻勢だ! 正義のを轟かせゆけ


 明日、明後日の新聞に掲載される「随筆 人間世紀の光」の一部を――


 アメリカの民衆詩人ホイットマンは高らかに歌った。

「まだまだ

 勝負はこれからだ、

 一つ元気いっぱい頑ばろう、

(闘争と捨身の攻めを喜ぶは 最後まで手放すな)」

 学会精神も、また同じだ。


 有り

  偉大な弟子の

   君たちが

  師弟勝利の

   誓いを歴史に


 真のわが弟子、万歳!


 元の原稿では、サブ見出しが「さあ大攻勢だ! 正義の剣で悪を断ち切れ!」となっていた。ギリギリまで原稿に手を入れて下さる師のに涙――。

2007-07-06

「偉大なるわが師匠に捧げる 我らは弟子の正道を!」


 師匠の目が

 私の目に注がれた

 劇的な瞬間!

 師の

 私の朶(じだ)に響いた

 動の瞬間!


 その喜びと決

 限りなき熱い魂は

 何ものをも超越した

 人間の魂に喜びを与える。

 生きがいを与えてくれる。


【2007-07-05 師弟会館


 8日付に掲載される長編詩である。言葉という言葉が胸に突き刺さって離れない。まるで、私の誕生日を祝福して下さっているかのようだ。組織の上に乗っかった師弟など捨ててしまえ。己(おの)が信で、師の魂に直結することだ。

2007-07-04

「わが人生の栄光を謳う 正義と真実の師弟の道」


 おお 弟子は!

 真実の師弟は!

 命を賭(と)して

 命を懸けて

 深き師匠

 断固として護りゆくのだ。

 死力を尽くして護るのだ。

 あらゆるものを

 犠牲にして護るのだ。

 そこにこそ

 師弟の不二があるからだ。


【2007-07-03 師弟会館


 73日に、先生が師弟会館にて書かれた長編詩の一節である(6日付に掲載される予定)。「奴婢(ぬび)」となって師匠に仕(つか)えることを決す。

2006-12-25

牧口先生「現在が栄えていればこそ、先人が偉大になる」


 牧口先生は、言われていた。

「現在が栄えていればこそ、先人が偉大になるのである。

 今が栄えていなければ、先人の偉大さも光彩がなくなるのである」

 すべてが弟子で決まる。

 弟子の勝利が、師匠の勝利である。


【盂蘭盆の義を語る 2006-08-06 長野研修道場


 人類の歴史において、偉大な人物は多数存在した。だが、そのは形骸化し、志は失われていった。淘汰(とうた)――これが歴史の厳しき実相である。(「偉人の後に後継者なし」)


 戒律とはシステムのことである。釈尊亡き後、弟子達は教団のシステムを強化することによって令法久住を試みた。しかし“組織の論理”が、法本来の自由と寛容を奪い去った。それに、抵抗する形で誕生したのが大乗教だった。また、五五百歳堅固そのものが、法が形式化してゆく様相を示している。


 創価学会が隆々たる発展を続けているのは、池田先生が健在だからだ。それ以外の理由は一つもない。


 ボーーーッとしていたらダメだ。像してごらんよ、先生の登場しない聖教新聞を。先生のいらっしゃらない本幹を。「先生に呼吸を合わせる」という言葉が死語になる時代を。


「大聖人亡き後、日興上人が」「牧口先生亡き後、戸田先生が」「戸田先生亡き後、池田先生が」立ち上がったと我々は口にする。だが、そんな簡単なものじゃないよ。自らの絶望を乗り越え、悲嘆に暮れる同志を励ます作が、生易しい決で出来るわけがないのだ。


 大いなる不安に駆られながらも私は、を決して「自立の道」を歩む。

2006-12-17

心の奥の奥が、どうなっているか


 戸田先生は、牧口先生の道を開いた。

 私は戸田先生の道を開いたのである。

「師弟」「師弟」と口では、いくらでも言える。表面を取り繕い、ごまかすこともできる。

 しかし大切なのは、生命の奥底の一だ。の奥の奥が、どうなっているかだ。

戦うしかない!──このの炎が燃えている人は“善”だ。

 反対に、労は人に押しつけ、自分だけいい子になる──それは“悪”であり、“敵”である。


創価教育代表者会議 2006-08-03 長野研修道場


 組織に横行する官僚主義、成果主義を断罪した指導であると私は拝する。


「本物の同志」は、瞬時に見分けることができる。目の輝きと、の響き、颯爽とした振る舞い、泰然自若とした威厳が一体となり、状しい輝きを放っているものだ。反対に、利の人は一生懸命、演技をする。所詮、「見せるための信」に堕している。タレント根の強い連中は、おしなべてスタンドプレーが大好きだ(笑)。一人になれば、電気の切れたネオンサインのようになる。


 例えば、先生の口真似をして、配達員さんを讃える幹部は多い。しかし、実際に配達員さんのもとに足を運んで激励する人は少ない。まして、宮本さんのように、配達に同行して「ヒヤリハット」の確認をするような幹部は、まずいない。また、拠点の主(あるじ)に謝の言葉を並べる幹部も多いが、拠点の大掃除を手伝う幹部はいないよ(笑)。やっているのは支部婦人部長クラスまでだろう。


 自分のは、わかっているようでわからないものだ。だからこそ我々は、明鏡である御本尊に向かって南無し、我が一を照らし出す作をしているのだ。「悟り」とは「気づく」ことである。宿命と悩の味を悟った時、悩みは本因の次元で既に解決しているのだ。


 衆生と云うもと云うも亦此くの如し迷う時は衆生とけ悟る時をばけたり、譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し、只今も一無明の迷は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法真如の明鏡と成るべし、深く信を発して日夜暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり(384頁)


の奥の奥が、どうなっているか」――そこに、慢や我見、利や惰、迷いや逡巡、中途半端な命が必ずある。これを叩き伏せるのが信の戦いだ。


 先生は、「利の幹部は“敵”だ」と明確に言われた。敵であれば、戦わなければいけない。真面目な会員に負担ばかり押しつける幹部は全員、敵である。敵と戦わない者は謗法与同だ。