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2008-10-26

シモン・ボリバル


 シモン・ボリバル――これまでも何回かお話してきたように、南米の解放に生涯を捧げた真実の革命家の一人である。彼のただ一つの願い――それは祖国の民衆の幸せであった。そのために彼は、自身をなげうって戦った。栄達やを求めず、ひたすら崇高な目的のために生命を賭した。こうした強き信、人格にこそ、人間としての「光」は輝く。

 ボリバルは語る。

「私の剣とはつねにコロンビアのものであろう。そして私の最後のは天にコロンビアの幸福を願うことになろう」(ホセ・ルイス・サルセド=バスタルド『シモン・ボリーバル』水野一監訳、春秋社)

 祖国を愛する彼のが、いかに強く、深いものであったか。

 また彼は、「偉大さとは何か」との質問に答えて言う。

「危険に直面する勇気、これを克服する智恵、祖国に対する愛と専制政治に対する憎しみである」(前掲書)と。

 答えは明快である。そして誠実であり、から納得できる言葉である。私どもも常に、こうした回答ができるようでありたいものだ。

 このボリバルの言葉には、指導者としての要諦が端的に示されている。

 逆境を恐れていては、本当の前進はない。あえてに挑み、乗り越えてこそ指導者といえる。むしろ、逆境の中で知恵を発揮し、敢然と戦い、勝利してこそ戦いの醍醐味もある。

 少々のことで勇気が萎えてしまったり、多少の圧力に臆するような弱々しい生き方では、人間として三流、五流と言わざるを得ない。

 いかなる権威にも、独裁にも屈しない透徹した精神。強靭な闘争力――そこにこそ、偉大なる指導者の「魂」がある。その「魂」を培うところにも、信仰の大きな目的がある。


【第26回本部幹部会 1990-02-07 創価文化会館

「祖国」から考えるアイデンティティ


 数日前に友人と話したことを書いておこう。


 アイデンティティ(自己同一)という言葉は、殆どの場合「自己存在」という味で使われている。つまり、「お前は何者で、どうしてそこにいるのだ?」という質問に対する回答を求められているってわけだ。


 ここで、「俺は俺だよ」という答えは許されない。なぜなら、「俺」の定義が不問に付されているからだ。


 最もわかりやすいアイデンティティを挙げると、「俺は日本人である」ということになる。たとえ茶髪のアンちゃんであったとしてもだ。「じゃあ、日本人ってえのあ、一体何なんだ?」と追求されると、少々困ってしまう。だからこそ、政治家の多くは靖国神社へ参拝に赴き、戦没者とA級戦犯に頭を垂れているのだ。これは、神道がどうのこうのといった次元ではなく、ただ単に日本人であることを確認する作に他ならない。


「祖国」という言葉に対して、私はどうしようもない違和を覚える。これは多分、外国との戦争を体験していないためだろう。国を守ったことのない私は、当然のように国から守られている識も薄い。だから、なるべく税金も払いたくない(笑)。せめて、ヨーロッパ諸国のように教育や医療の負担を、国家が肩代わりしてくれたなら、考え直してもよい。


 私は郷土に対する愛着はあるが、愛国はさほどない。驚くほどないのだ。これは北海道出身ということも影響しているとう。北海道は因習が少ない地域なのだ。であるからして、本来は田舎者であるはずの道産子が上京すると、東京の因習にたじろぎ、東京の田舎ぶりを嘲笑うことになる。ちなみに、三代続けば江戸っ子というのは、東京に住み着く田舎者が少ないことを示したものだ。100年続けば老舗(しにせ)、も同様。


 人間は味に生きる動物だ。だから、自分が無味な存在であるということには耐えられないようにできている。万人が自分自身の固有と尊厳(「かけがえのなさ」ってやつだ)を求め、世界から必要とされていることを証明しようと頑張ってしまう。まったくご労なことだ。


 ここで沈黙考してみよう。「私は日本人である」というアイデンティティは、どうしても「日本から必要とされている私」となる。だから、税金を払い、保険料を納めているのだ。しかし、これが国民の本当の義務と言えるだろうか? 言えない。断じて言えない。国民に課せられた本当の義務は、国を守ることである。そう。兵隊になることなんだよ。それをよしとしないのであれば、アイデンティティを日本人に求めるべきではない。


 世間一般の人々が大変なのは、アイデンティティすら確保できないところにあることが理解できる。アイデンティティってさ、つまるところ帰属識に過ぎないんだよね。どこに所属しているかってだけの話だわな。


 面倒臭くなってきたので、結論を述べておこう。


 我が祖国は「創価」。以上だ。


シモン・ボリーバル 新装版―ラテンアメリカ解放者の人と思想 シモン・ボリーバル―ラテンアメリカ独立の父

2008-04-03

一人ひとりと本末究竟して等しい指導者が新しい指導者


 世に認められ、または世の中に先駆として多大な影響を及ぼしていく指導者は、これまでも多数ある。だが、それを支えていくべき民衆のから離れている。同じ哲学、同じ信、同じ目的をともにもって、一人ひとりの庶民と、本末究竟して等しい指導者が、新しい指導者であるといえる。


【『指導メモ』 1966-06-01発行】


『指導メモ』を続けて配信している。これは、広布第一章を総仕上げする段階で聖教新聞に掲載された折々の指導である。私は10代の頃から何度となく読み続けてきた。広布第二幕がスタートした今、最も大切なことは「信の基本に徹すること」であろう。組織の生命線は指導主義であったが、昨今は力量のない幹部が多く、行政判断がまかり通ってしまっている。少しでも草創の吹きをじてもらえば幸いである。


 革命は常に新たな支配階級を誕生させてきた。権力の六道輪廻といってよい。また、革命は旧勢力を打倒した瞬間に目的を失う。これに対して広宣流布は連続革命であり、永遠にとの闘争である。


 本末を違(たが)えると、民衆は必ず利用される。政治家は本来公僕であるが、「庶民に何がわかる」とっている。庶民は庶民で、政治家に尻尾を振って「先生、先生」と持ち上げる。召し使いの方が偉くなってるんだから、たまったもんじゃないよ(笑)。


 然れば釈迦は我れ等衆生のためには主師親の三徳を備へ給うとひしに、さにては候はず返つてに三徳をかふらせ奉るは凡夫なり(1358頁)


「諸法実相抄」の御文だが、と凡夫のベクトルが逆転している。何だか、凡夫の方が偉いような気になってくる(笑)。


 御書をひもといて時々うことは、大聖人が双方向を重んじていることである。例えば、民衆が仰ぎ奉り、額(ぬか)づくような一方通行のの姿は全く見られない。「我並びに我が弟子」(234頁)という一言に、庶民と同じ地平に立つ大聖人の姿が偲(しの)ばれる。


 草創期の学会は「貧乏人と病人の集まり」と世間から馬鹿にされた。だがこの言葉は「最も悩んでいる民衆を学会が救ってきた」事実を雄弁に物語っている。


 宿命と戦うメンバーと同しなくなった途端、学会幹部の覚は狂ってゆく。過去にどれほどの戦いをしていようが関係ない。しみ喘ぐ後輩がいればこそ、我が胸中の菩薩界が発揮されるのだ。最前線から離れてしまえば、二乗六道輪廻

2008-01-15

和泉副会長の思い出


 話は変わるが、和泉副会長がまだ20代の頃に、牧口先生と一緒に折伏に行った時のい出をうかがったことがある。

 当時、牧口先生は70歳前後であった。和泉青年が約束をとり、ある憲兵隊の将校のところに折伏に出かけた。ところが、せっかく牧口先生に足を運んでもらったにもかかわらず、その将校がいない。約束を破って外出してしまったようだった。

 和泉青年は、“牧口先生に申しわけない”と恐縮した。また、“約束の仕方が悪いからだ”と怒(おこ)られても当然だとった。しかし、牧口先生は何の文句も言われず、一言「向こうは逃げたのだから、こちらは勝ったのだ。それでいいのだ」と言って、励まされたという。

 牧口先生のお人柄と、指導者としてのおの深さがしのばれる話だとう。一生懸命に戦っている人に、何か不都合なことがあったとしても、決して叱ってはいけない。皆が楽しく張り合いを持てるようにしてゆくのがリーダーの役目である。大きな気持ちで励ましてあげることが大事である。特に幹部の方々は、後輩・同志が「自分は勝った」と言い切れる法戦の歴史を刻んでいけるよう、朗らかに、また毅然と指揮をとっていただきたい。


【第24本部幹部会 1989-12-20 創価文化会館


 適当なタイトルが浮かばなかったので、検索しやすいものにした。


 これも忘れられない指導。憲兵隊の将校は、現代であれば国会議員や上場企の役員クラスに匹敵する立場であろう。約束を取り付けるまでの労を、牧口先生は察したのだろう。


 学会員の悪しき傾向の一つに、「指導を教条主義的に受け止める」ことが挙げられる。この指導についても同様である。「そうか、友人にすっぽかされても注してはいけないんだな」と。底の浅い考は、必ずパターンに人間をはめ込むようになる。


 また学会組織は、成果を出す人は評価するが、真面目に戦う人を見下すところがある。民衆救済の組織でありながら、民衆を蔑視する――これが創価学会一凶であると私はっている。全幹部が会員に奉仕する姿勢に徹した時、師弟不二の血脈が力強く流れ通うことだろう。幹部が偉そうな顔をしている内は本末転倒だ。


 和泉覚さんは、昭和15年の入会。初代小岩支部長である。北条会長の体制になった時、理事長を務めた。入会の経緯や戦地での体験談は、小説『人間革命』第3巻に詳しく描かれている。だみでユーモラスな指導ぶりが落語家を彷彿(ほうふつ)とさせた。会場はいつも爆笑の渦となった。2005年57日、逝去。晩年になっても、夫人が先生につけなかったことを悔やんでいた。

2007-12-14

「慈愛」のリーダーは「知恵」が湧く


 自分がどうなろうとも、「同志」のため、「後輩」のため、そして「悩める人」のために尽くし抜く。また、戦いに臨んでは、常に自ら先頭を切って行動し、活路を開き、同志に「勇気」と「希望」を与えてゆく――。ここに人間としての偉さがある。人格の輝きがある。

 学会でいえば、日々地道に広布の第一線で活躍されるリーダーの方々こそ、その尊(たっと)き実践の姿であると実する。


 学会は、真に人間を錬磨し、変革しゆく「大地」である。そのリーダーである皆さま方は、決して「組織悪の指導者」であってはならない。どこまでも「法と信の指導者」として、自らを鍛え抜いていただきたい。

 組織上の役職でも、社会的地位でもない。一人の人間として、どれほど偉大であるか。どれほど豊かな「慈愛の」の指導者であるか。これこそが肝要であると申し上げたい。

「無慈悲」の人には「知恵」は出ない。「慈悲」の人には、限りない「知恵」が湧く。友の幸福と、社会の平和・安穏のための「知恵」が、生命の奥底からこんこんとあふれ出てくるものだ。今、求められているのは、そうした慈愛と知恵のリーダーである。


【第23回本部幹部会 1989-11-18 創価文化会館


「あ、こうすればいいんだ!」と手を叩くようなアイディアが知恵である。視点や表現を変えてみたり、予外の組み合わせなどによって、同じ景色が全く新しく見える瞬間だ。


 指導者が慮すべきことは、「どうすれば、皆がやりやすくなるか」という一点に尽きる。


 人のものををしふると申すは車のおもけれども油をぬりてまわりふねを水にうかべてゆきやすきやうにをしへ候なり(1574頁)


 悪はなくても、「車にブレーキをかけ」たり、「船を山に運ぶよう」な結果になっている幹部が目立つ。力不足を認めながらも平然としていられるのは、「結局、上からの指示だから仕方がない」という逃げ口上があるためだ。組織官僚主義に毒されてくると、木っ端役人みたいな幹部が増えてくる。


 政治学習会を担当した第2総東京の方面幹部(青年部)に呆れたことがある。公明新聞の職員ということで、政界の裏事情を盛り込みながら、立て板に水を流すようにまくし立てた。私は「何て、愚かな奴だろう」とで罵った。会合の目的を見失い、ただ自分の話に酔っている姿が歴然としていたからだ。背の低い、眼鏡をかけた野郎だ。


 責任がないから知恵も出ない典型である。政治学習会とは、「語り口」を教えないと味がないのだ。参加者の誰もが自信を持って語れるフレーズを具体的に示すことが最大の目的である。


 また、選挙時期に政策のことで質問をすると、「とにかく言い切っていこう」とか、「祈れば何とかなる」みたいな馬鹿げた指導をする連中も多い。お釜に米と水を入れて題目を唱えれば、ご飯が出来上がるとでも言うつもりなのだろうか? あるいは、御本尊法使いとでもっているのだろう。


 更に面倒なのは、政権与党入りした公明党の複雑な立場によって、いよいよ説明しにくい事態が続出していることだ。公明党がリードしてつくられた「年金100年安プラン」(2004年)は、わずか3年で木っ端微塵となった。社会保険庁の実態がわからなかったことを踏まえたとしても、失点は避けようがない。


 ちょっとい出してごらんよ。あなたが、3年前にどれだけ自信満々で言い切っていたかを(笑)。山本リンダじゃなくても「困っちゃうな」。


 これはね、本当にしい局面に達しているのだ。私なんぞは、既に何度も表明している通り、新テロ特措法案には個人的に反対している。だが、公明党は賛成しているのだ。友人に対しても、率直にその旨を語ってゆくつもりだ。「で、ほとほと困り果てているんだよ。本当の友達はお前しかいない」と情に訴える予定である(笑)。私の政治的信条は衆参のようにねじれている。


 これだけ問題が発覚しても社会保険庁は誰一人、処分されていない。国が告訴しただけである。また、渡辺喜美行政改革担当相が、独立行政法人の整理合理化計画で奮闘しているが、各大臣からはゼロ回答という惨憺たる結果となっている。これを見ても官僚支配が明らかだ。戦後、半世紀以上にもわたって官僚支配が続いているのだから、政権交代したぐらいで打破できる問題ではあるまい。


 号令や精神論で乗り切れる状況ではないことを、よくよく自覚してもらいたい。更に、末端幹部の知恵でどうにかできることでもない。総区長・県長、方面長レベルで知恵を発揮しなければ、惨敗は避けられない。

2007-12-13

指導者観の革命=“リーダーは、民衆に奉仕する者”


 ところで大聖人は、指導者が「親」として敬うべきものとして、「民」とともに、あるものを挙げておられる。それは「道理」である。

「国主は理を親とし非を敵(かたき)とすべき人にて・をはすべきか」(1524頁)――国主は「正しき道理」を親として従い、「あやまれる考え」を敵として排する人であるべきではないか――と仰せになっている。

 指導者は、人数の多さとか、時の勢いとか、ましてや自分の利害などを“親”として従ってはならない。それが正しい道理にかなっているかどうか、それを根本として現実を見極め、判断していくべきである。

 誰が何と言おうとも、非は非とし、「敵」として排除すべきである。絶対に従ってはならない、との指導者論である。


 ここには重大な味がある。すなわち、「民を親とする」民主主義の原則も、単なる“数の暴力”や、“権利の乱用”“自由の乱用”に陥っては、衆愚の社会となり、崩壊してゆく。

 社会の根底に、「正しき道理」に従うという大原則がなければ、“民主”を貫くことすらできなくなる。

 例えば、「言論の自由」にしても、その権利を正しき道理に基づいて使っていくのでなければ、人権を無視した「言論の暴力」がまかり通ることになりかねない。

 結局、ある人々の信用を失って、先人の尊(たっと)き血と努力の結晶である「自由」を貶(おとし)め、民衆の「権利」をも狭(せば)める口実を、権力に与えてしまう。

 自分で自分の首を絞(し)めているようなものである。また、親の築いた財産(権利)を守るどころか、それを浪費し、食いつぶしている子供にも例えられるのではないだろうか。

 あるいは、自分が努力してつかみ取った「権利」ではなく、いわば“与えられた自由”であるゆえに、大切にしないのであろうか――。


 ちなみに「権利」とは、本来「正しさ」という味に基づく。

 英語では「ライト(right)」、ドイツ語では「レヒト(Recht)」、フランス語では「ドロワ(droit)」が元の言葉であるが、すべて「正しい」ことを味する。

権利」とは、正当、すなわち人間としての「正しき道理」にのっとった資格であるという考えが、こうした背景にあるといえるかもしれない。

 ゆえに日本でも初めは、これらの語を「権理」と訳した。この方が元の味に近い。

 いつしか「権利」としてしまったところに、「正しさ」を無視して、私利をのみ主張する風潮が象徴されているようにもわれてならない。


 ともあれ大聖人の法は、こうした「道理に基づいた民主社会」の基礎を与えるものである。それは民衆を蔑視する「権力の」と真っ向から対立する。ゆえに、常に弾圧されるのである。

「権力の」については、生命論の上から、「他化自在天」「元品の無明」との関係など、いつか論じたいとうが、本日はただ、「人間をバカにし、子をバカにする、利用しようとする、それは権威と権力のに魅入られたである」とのみ言っておきたい。


 日本の卑屈な精神風土。その“根”は何か。どうして、そうなってしまったのか。

 様々な歴史的要因、また議論があろうが、端的に言えばそれは、民衆を自立させるべき「宗教」が、「権力」に取り込まれ、骨抜きにされてきた結果である。

 この一点を、特に青年部諸君は厳しく見つめていただきたい。日本において、宗教は常に権力の僕(しもべ)として、飼い馴らされてしまったのである。

 広宣流布の運動は、この忌まわしき“根”を断ち切り、民衆が厚き大地の殻を打ち破って、続々と立ち上がってゆく革命運動である。ある味で、法華経に説く「地涌」の姿どおりの実践である。

 ここに初めて、兆民の言う「哲学なき社会」を変革する現実の方途もある。一国の精神風土をも変えてゆく哲学とは、現実には民衆に根差した宗教による以外にないからである。


 この「地涌」の革新運動には、「指導者観の革命」を伴う。“リーダーは、民衆に奉仕する者”とのの徹底である。

 この指導者観の「文化革命」「革命」を広げ、定着させねばならない。民衆が賢明になって、決然と立ち上がり、指導者を厳しく監視し、変革させてゆく波また波を起こしていくべきである。

 それでこそ日本も世界も、初めて「民衆の時代」へと扉を開けてゆくことができる。

 また、広布の世界も、大聖人の御にかなった、麗しき「民主」の世界を広げていけるのである。

 戸田先生の「指導者は民衆の小使い」との指導は、こうした味で、文化史的、社会史的にも重大な義をもっていた。

 先の先まで見通した、本当に鋭き、偉大な先生であられた。この先生の遺言を今、私もを限りに叫びきっている。


 私どもでいえば、いわゆる「権威の指導者」であるのか、それとも「信の指導者」であるのか。

 また、組織の力に安住した「組織悪の指導者」なのか、それとも法の力を身に体した「法の指導者」なのか――自分に絶えず問いかけ、謙虚に自身を磨き、成長していかねばならない。

 また、他の世界の指導者も同様である。


 もはや、「権威」で人を引っ張ることはできない。そうした時代は終わった。また、終わらせねばならない。世界の大きな民主化のうねりも、独裁に対する、傲慢な権威に対する反撃であったと多くの識者は見ている。


 それでは何をもって人々を正しい方向にリードしていくのか。それは、「人間」しかない。指導者論も、要するにその人の「人格」に帰着する。

 それでは、「人間」とは何か。

 法の世界においては、その根本は子への「深き祈り」である。

 友に「本当に幸せになってもらいたい」「安穏であっていただきたい」「健康であり、長寿であっていただきたい」と、真から祈りに祈ってゆく。そして、行動してゆく。その「信」が、最高の「人間」であり、指導者の要件となる。また、その「信の深さ」が、自身の「福徳の大きさ」になってゆくのである。


【第23回本部幹部会 1989-11-18 創価文化会館


 薬害肝炎訴訟を見ていると、つくづく官僚主義の恐ろしさをじる。死人を出しても自分達の責任を回避する姿は、もはや人間ではない。組織の利益を守るロボットと化している。


 米国では1977年12にフィブリノゲン製剤が製造承認を取り消されていながら、どうして日本では1994年まで使用されていたのかという批判がある。1978年1の時点で、ミドリ十字には承認取り消しの事実が伝えられていたのだ。この点を究明しなければ、またぞろ薬害の犠牲者を出す羽目となるだろう。


 資本主義は経済効率を目指す。善悪を無視しながら。例えば、BSE(狂牛病)が発生したイギリスは、原因が肉骨粉にあることを知りながら、自国では規制した後も隣国へは輸出をし続けていた(『もう牛を食べても安心か』)。


 また、1999年のNATO軍(90%は米軍)によるコソボ空爆は、古くなった爆弾の在庫処分が目的だったという指摘もある。


 官僚主義は、人間から魂を奪う。


 学会の草創期は清流の時代だった。それでも官僚は存在した。参謀室の足を引っ張り続けた理事室である。『若き日の日記』をひもとけば、その一端が窺える。


 だが戸田先生は、若き先生を甘やかさなかった。


 午後2時より、輸送会議。最高首脳(理事)たちは、その実態を知らず、現場の青年のやりにくきことを配する。


 先生のおられぬ間の責任は、理事長であり、理事だ。怒りたいい、激し。


 夕刻、先生とお目にかかる。


「やりづらくとも、君たちが、学会を支えてゆくのだ」と、厳しき指導あり。先生の胸中……。


昭和33年118日】


 富士美術館や創価高校・大学をつくる際にも、最高幹部は反対した。挙げ句の果てには、坊主から言われるがままに師匠の首を斬ったのだ。


 そこで、私は敢えて官僚部門を設けることを提案したい(笑)。ブロックから方面に至る各組織に事務方のポストを用する。ブロック事務長とかね。この連中に、報告全般と打ち出し伝達を任せる。折伏も家庭指導もしなくていいよ。その方が、はるかにスッキリするとうんだけどねえ(笑)。本部職員で構成すれば、もっとスッキリするわな(笑)。給料が出ているんだから、文句も出ないだろうよ。


 そして、ラインにおいては「役職番付制」を導入する。これで完璧だ(笑)。

2007-12-12

権威への崇拝と盲従、現状容認と独立心のなさが日本の精神風土


「リーダーは、民衆の小使いである」との戸田先生の指導者論は、実は日本において革命的なものであった。

“お上には逆らえない”“長いものには巻かれろ”“寄らば大樹の陰”――。権威への崇拝と盲従、現状容認と独立のなさが、長き伝統に培われた、日本の精神風土だったからである。

 かつて、その卑屈な精神を撃ち、変革しようとしたのは、明治の啓蒙家達であった。いわゆる「官」(政府権力)と、「民」(民衆の権利)の争いである。

 福沢諭吉は言う。「官を慕い官を頼み、官を恐れ官に諂(へつら)い、毫(ごう/みじん)も独立の丹(たんしん/偽りのない)を発露する者なくして」「日本には唯政府ありて未(いま)だ国民あらずと云うも可なり(言うこともできる)」(『学問のすゝめ』)と。

 また、歴史についても、「日本国の歴史はなくして日本政府の歴史あるのみ」(『文明論之概略』)と断じている。

 明治日本を代表する啓蒙家・福沢諭吉。さすがに的を射た言葉とう。

 また、大学を創立する際など、彼が「私立」の語に込めたいは、「官」に対する「私」の独立――すなわち「独立した個人」の育成であった。

 それなくして、“一人の時には弱く、集団になると強い”精神風土を引きずっていては、「徳川の世」、封建時代と同じではないか、と。

「独立した個人」を育むことの弱かった日本。それは、世界へ向かう姿にも色濃く反映していた。

 かつて述べたこともあるが、戦前は軍事が先に走り、その後を人間がついていった。戦後は経済の後を人間がついていった。いずれも、「集団」や「力」が先行しての進出であり、「個人」、つまり「人間」は“二の次”にされていた。

 これに比べてヨーロッパの人々などは、是非はともあれ、まず「個人」である。「個人」が世界に飛び込み、道を開く。自らの信に従い、「個人」としての責任をとり、行動する。

 こうした精神が太く骨格をなしている。まことに残なことだが、日本にあっては、そうした志、人格、独立精神が深く根づくことはなかった。


 それではどうして「独立した個人」が出てこないのか。指導者の「悪」に従順な人間が多くなってしまったか。

“東洋のルソー”と呼ばれた中江兆民は言う。

「我日本古(いにしえ)より今に至る迄哲学無し」「其(その)浮躁(ふそう/浮かれ騒ぎ)軽薄の大病根(大きな病気の原因)も、亦(また)正に此(ここ)に在り(哲学がないところにある)」「一種小怜悧(しょうれいり/小利口)、小巧知(しょうこうち/小才子)にして、而して偉を建立するに不適当なる所以也(偉の建設に向いてない理由である)」

 また、「我(わが)邦人(ほうじん)は利害に明(あきらか)にして理義(道理)に暗(く)らし、事に従うことを好みて考うることを好まず」(『一年有半』)と。

「哲学」がなく、軽薄で目先のことのみを考え、「考えることが嫌い」なため、愚かな指導者におとなしく従ってきたのだ、というのである。

「哲学」なき人生は不幸である。「考えること」なき人は惨めである。私が現在、様々な角度から長時間のスピーチを行っているのも、一つには皆さま方に、この「考えること」の尊さを知っていただきたいからである。

 ともあれ、こうした文化人の努力も、それなりの義はあった。しかし、抜本的に日本の精神風土を変えるには至らなかった。――その一例が、“大東亜戦争”で権力の前に次々に転向していった文化人といわれる人々の姿であり、権力に迎合したマスコミであった。

 そして今尚、「地位」「人気」「富」にとらわれ、「利害に明るく、道理に暗し」という無原則な生き方をしている人があまりに多い。“あの人には地位がある、お金がある、がある”。だから“を惹かれる”。だから“ついていこう”等――と。しかし、地位や富があることと、人間的偉さとは全く別である。この点を一人ひとりがの眼を開いて、よくよく見極めていかねばならない。そうでなければ、日本自体が国際社会でも決して尊敬されないであろう。


【第23回本部幹部会 1989-11-18 創価文化会館


 哲学とは、物事の善悪を自分で判断する力のことだ。日本漢字能力検定協会が毎年暮れに発表している「今年の漢字」には「偽」の字が選ばれた。本年1の不二家に始まり、政治家の事務所費に至るまで、偽装のオンパレードだった。


 そこに見え隠れしているのは、「皆がやっているから大丈夫だろう」という甘え、「消費者にバレなきゃ構わない」という身勝手、そして、「上からの指示だから仕方がない」という無責任であろう。


 農耕民族は団体戦である。皆で協力しなければ生きてゆけない。波風を起こす行為が毛嫌いされるのは当然だ。こうして「村の掟」が出来上がる。それに従わない者は村八分となる。


 日本に「個人」という言葉が登場したのは、明治17年頃といわれる。それまでは、「個人」という概すらなかったに違いない。


「赤信号、みんなで渡れば怖くない」――これが日本人の精神風土である。「赤信号は危険だ!」と言う人物がいれば、「余計なことは言わないで、皆に従え」というのが世間のルールなのだ。


 大聖人鎌倉時代にありながら、国主諌暁を断行された。この一事だけでも革命のに値する偉だ。例えば、100人以上従員がいる企で、社長を折伏できる青年部が果たして何人いるだろうか? その上、社長の誤りを指摘するのだ。


 日本の悪しき精神風土は、学会組織にも蔓延している。本来であれば、善悪の基準は御書であるはずなのに、いつの間にやら「組織の論理」がまかり通っている。


 悪いことに対して「悪い」とも言えず、おかしなやり方に対して「おかしい」と叫ぶこともできない人が殆どだ。判断力を失った人々は義務の虜(とりこ)となり、知らず知らずの内に生命力を失ってゆく。「動けば動くほど疲れる。ストレスが溜まる一方だ」――そんなあなたは退転というの崖っ淵に立っているのだ(笑)。


 我が地区、我がブロックに、大善の哲学を打ち込め。役職の権威を叩き伏せよ。

2007-12-11

幹部は“会員の小使い”


 今、世界を「民主」の風が嵐のごとく吹き巡っている。先日も「ベルリンの壁」の崩壊という象徴的な出来事があった。民衆を抑圧する権威や権力を打ち破り、“我らの民主の時代を”との潮流が渦巻き始めている。

「民主」とは何か。それを考えさせるこんなエピソードがある。

 アメリカの開拓時代のこと。ある蒸気船が出発しようとしていた。乗船のため多くの人が列をなして並んでいる。その時、一人の男が列を無視して船に飛び乗った。自分が先に乗るのが当然という素振りである。それは、ある州の議員であった。“何てやつだ”と多くの乗客が怒(おこ)った。男は威張った。「俺は議員だ! 『人民の代表』だぞ!」。人々は言い返した。「何を! 俺たちは『人民』だぞ!」(笑い)。

 議員は言葉に詰まって、並び直さざるを得なくなった――という話である。

「民主」主義である以上、民衆のために指導者がいるのである。指導者のために民衆がいるのではない。

 だが、この道理がいつの間にか転倒されてしまう。

 夏目漱石は『吾輩は猫である』の中で、猫にこんなことを言わせている。

「役人は人民の召使である。用事を弁じさせるために、ある権限を委託した代理人のようなものだ。

 ところが委任された権力を笠に来て毎日事務を処理していると、これは自分が所有している権力で、人民などはこれについてなんらの嘴(くちばし)を容(い)るる理由がないものだと狂ってくる」と。

 漱石は、こうした社会に充満する“狂った人”のことを「泥棒根」と呼んでいる。

「公僕」の自覚をなくし、本来、自分のものでもない権力(立場)を、私用、つまり自分のために使うのだから、「泥棒」と言ったのである。


 戸田先生は、こうした転倒の指導者に厳しかった。昭和29年3度の本部幹部会では、このように語られている。

「幹部は絶対にいばってはならない。抑えてはならない。支部長がどれほど偉いか。会長がどれほど偉いか。みな凡夫である」

「(ただ会長は)絶対の確信にたって、大臣がなにものぞ、天なにものぞという、天波旬も恐れない確信をもっているが、なにも偉くない。もし偉いというならば、それは力をもっているからである」

 そして、「会長は会員の小使いであり、支部長は支部員の小使いである」と。漱石の言う「役人は人民の召使」と同様の“民主の”である。

「小使い」「召使」という言葉は、時代を反映した表現であるが、その本は、人間は一切平等であるとの主張にあったことは言うまでもない。

 学会の幹部も、あくまでも「会員のための幹部」である。会員に奉仕し、献身する存在でなければならない。私も徹底して、この精神でやってきた。これこそ、どんな立場になっても、絶対に忘れてはならない学会の根本精神であると強く言っておきたい。


【第23回本部幹部会 1989-11-18 創価文化会館


 どんぴしゃりの呼吸。小野不一、1ポイント獲得!


 役人も学会幹部も勘違いしているのは、皆さんご存じの通り。


 政治家も官僚も世論には勝てない。世論が最も強いのだ。


 今日存在する最も強い政治力は、機関銃でもなく、銃剣でもなく、世論である。


【『クーデンホーフ・カレルギー全集 5』(鹿島研究所出版会)鹿島守之助訳】


 これは米国においても同様で、戦争を開始する際には、世論を誘導する大掛かりな情報操作を行っているのが歴史的事実である。9.11テロですら、そう見る識者が多い(米国の自作自演)。愛国を煽るためなら、自国の犠牲者も厭(いと)わないところに特徴がある。


 今求められているのは、「民主」から「衆賢(衆愚の反語)」へのステップアップである。一人ひとりが聡明になり、一方的に垂れ流されるメディア情報を賢明に読み解く作(情報リテラシー)が必要だ。そろそろ、義務教育から導入すべきであると私は考える。


 学会幹部は、おしなべて「広布の御用聞き」であれ。しっかりと掃除をして、どんな話でも真剣にを傾けよ。それだけで、人は育つ。