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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2006-03-04

婦人部殿御返事


 先生は最近、一貫して「下から上を動かせ」と指導されている。早速、それを実践して参りたい(笑)。


 先日、ある婦人部の最高幹部が語った話を聞いて、私はを疑った。


 先生は今、「婦人部を大切に」とおっしゃっている。折伏も、新聞啓蒙も、財務も、一番、頑張っているのは婦人部です。威張っている壮年はいませんか? 婦人部を大切にするのが当たり前なんです。


 師の言葉を利用して、殊更(ことさら)、差異を強調する指導に、どんな味があるというのだろう? しかも、根っこに隠されているのは、成果主義に他ならない。婦人部は一番、人数が多いのだから、分母を部員数にして算出するなら、まだ理解できる。


 師の激励を、自分達の権威付けに用いる魂胆が浅ましい。


 全国婦人部幹部会が開始された当初も、先生は婦人部を讃嘆されていた。時の婦人部長であった坂口幾代さんは語った。


 先生は今、婦人部を最高に大切にして下さっている。だからこそ、私達婦人部は“いい気”になってはいけない。どこまでも謙虚に進もう。(趣


 指導の受け止め方に天地雲泥の差がある好例である。信弱き人は、必ず何かで自分を飾ろうと企てる。信強き人は、毀誉褒貶一喜一憂せず、淡々と己(おの)が道を歩む。


 女子部・婦人部を大事にするのは当たり前だ。私も人後に落ちないつもりだ。だが、それをもって、増長する人間がいるとすれば、勘違いも甚だしい。

2005-09-17

崩れざる幸福は“積極的な生命の姿勢”に


 では、崩れることのない、ほんとうの幸福の条件とは何か。

 その第一にあげられることは、あくまでも主体的に、積極的に、人生の問題にとりくんでいく、生命自体の姿勢である。客観的状況のみに支配され、受動的に運命を考えるのではなく、どこまでも、主体的に、自分の力を、そうした状況や、運命にぶつけて、少しでも切りひらいていこうとする欲である。

 そうした積極的な生命の姿勢は、およそ生命体なら、すべてのものがもっている質といってよい。とくに植物より動物、動物のなかでも、進化の度の高い動物ほど、この傾向は強い。人間が、万物の霊長であるといううのも、この特質をもっとも強くそなえているからではあるまいか。

 とすれば、人間は、いかに不利な条件に直面しても、つねに主体的に、積極的に、これととりくみ、挑戦していくべきだとう。これが人間生命の、本然的な特質であり、特権だからである。そして、人生において味わうことのできる最高の幸福が、そこにあるからである。

 幸福は、けっして山のかなたにはない。自己自身の内にある。しかし、坐して安閑としている自分ではなく、あくまで、かなたにあるものをめざして、けわしい尾根に挑戦し、障害を一歩一歩、克服してすすんでいる“戦う自分”の生命の躍動の内にあるのだ。


【『女性抄 箴言と随想』(グラフ社):1971-04-29発行】


 有情と非情、また、動物と人間の違いを、「積極的な生命の姿勢」と鋭く指摘されている。この一点だけでも、大いなる論点たり得るが、先生はわずかなワンセンテンス(一節)でさらりと書かれている。しかも、そこから、女に特有の五障三従を破折する展開は圧巻といってよい。更に結論として、本果妙ではなくして、本因妙の生き方を示されている。


 わかりやすい言葉は、万人に納得を与える。小しい理屈は、独りよがりになりがちだ。


 幸福は完成された姿や境涯にあるのではない。不幸に束縛されることのない自由な境涯にある。


 以下に澤瀉久敬(おもだか ひさゆき)氏のテキストも紹介する。索の一助とされたい。


 生物を無生物から区別するものは、生物は自分で動くということ、つまりactivityすなわち発動力をもっているということですが、機械文明はそのactivityを失わせるという格を本質的にもっているのです。しかも、このことは単に身体について言われるだけではなく、特に精神について語られねばなりません。いったい、精神こそ自由なものであり、新たなものを創造するものです。私はこの点を、すなわち精神の自由と創造を、を大にして強調したいのです。人間が動物に優るのは、自由をもっているということと、他から強制されずに動くということ、いや、単に自発的に動くだけではなく、未だかつてなかったものを、自ら創造するということですが、それを人間にゆるすものは精神なのです。ところが、いっさいを機械化することは、人間の精神をも眠らせ、その創造を人間から奪う結果となるのです。


【『「自分で考える」ということ澤瀉久敬(第三文明レグルス文庫)】

2005-03-05

創価の母の頭に 幸福の花の冠を!/雨にも風にも 断じて負けるな


 あるのことである。

 どこかで聴いたように懐かしく、それでいて初めて聴くように新鮮な響きの歌を、妻が口ずさんでいた。


♪野に咲く花のように

      風に吹かれて

 野に咲く花のように

  人をさわやかにして……


「それは、何の歌だい?」

 私は尋ねた。

「あら、有な歌ですよ」

ダ・カーポ」という美しいハーモニーのご夫妻が歌わている「野に咲く花のように」(作詞・杉山政美、作曲・小林亜星)であった。

 妻は、微笑みを浮かべて、続きを歌ってくれた


♪野に咲く花のように

      雨にうたれて

 野に咲く花のように

 人をなごやかにして……


「いい歌だね。いじらしい庶民のが歌われているね」

 私の胸には、様々な連が広がっていった。


「野に咲く花」――歌詞では、具体的な花の前はあげられていない。

 それが、またいいのだろう。

 母子草(ははこぐさ)、春蘭(しゅんらん)、スミレ、菜の花、百合(ゆり)、秋桜(コスモス)……。

 人それぞれに、また住む土地それぞれに「野に咲く花」の多彩なイメージがある。

 北国の野山は、いまだ深雪に覆われている。その雪がようやくとけ出し、山麓にフキノトウや福寿草が顔をのぞかせると、「ああ春が来た!」と躍らせる友も多い。

 越前(えちぜん)スイセンは、日本海の荒波に臨む急斜面にも根を張り、烈風に耐え抜いて、開花の時を待つ。

「原爆で数十年は草木も生えない」といわれた広島、長崎の焦土に、いち早く花を咲かせて、人びとを勇気づけたのは夾竹桃(きょうちくとう)である。

 誰でも、自分のの中に、雨にも負けず、風にも負けず、たくましく朗らかに咲く「野の花」をもっているのではないだろうか。

 人が見ていようが、見ていまいが、「野の花」は、根を下ろしたその場所で、茎を伸ばし、葉を広げ、自分らしく可憐な花をつける。

「よくぞ、こんな所で」とするような、目立たぬ路傍に咲いている花もある。

 こうした花々に、私は幾たびとなく、カメラを向けてきた。その人知れぬ努力に、そっと拍手を送るいで、シャッターを切るのであった。


「野に咲く花――まるで、婦人部の歌だね」

 私が言うと、妻は深く頷いて、こう話してくれた

「ええ、目黒区の婦人部の方が、お手紙で教えてくださったんですよ」

 聞けば、その女は、わが関西創価学園の誉れある第一期生ではないか。

 彼女は、病気のお子さんを抱え、懸命に頑張ってきた。

 祈って祈って、戦って戦って、ほっとつく暇もない日々のなかで、この歌を知り、口ずさんできたのだという。


♪……時にはつらい人生も

 雨のちくもりで また晴れる

 そんな時こそ 野の花の

 けなげなを 知るのです


「けなげな」とは、「勇気」といえようか。人生は、一つ一つが戦いである。途中に何があろうと、必ず、幸福の花を咲かせゆく戦いだ。

 日本中、世界中、あの地でも、この国でも、健気に奮闘されている婦人部、女子部の尊き勝利の栄冠を、妻は、いつも目を潤(うる)ませて讃えながら、私に語り聞かせてくれる。


 以前、関西の兵庫で、少年時代に読んだ一詩を紹介したことがある。


 踏まれても

 踏まれても

 なお咲く

 タンポポの笑顔かな


 ここには、いかにしき日にあっても、なお明るい笑顔を忘れず、たくましく生き抜く庶民の姿がある。

 タンポポは、なぜ、踏まれても、踏まれても、負けないのだろうか。

 強さの秘密は、地中深くに伸ばした根っこだ。長いものだと、なんと地下1メートル以上にもなるという。

 人間も同じであろう。悪戦闘を耐え抜き、自身の人生の根っこを、何ものにも揺るがぬ深さまで張った人が、まことの勝利者だ。

「おお、勝利はうつくしい花です」

 文豪シラーが、あのジャンヌ・ダルクを描いた『オルレアンの乙女』の一節である。


 去る212日で、小説『新・人間革命』の連載が通算3000回を重ねた。

 この小説のヒロインもまた、庶民の女たちである。

 遠く異国の地で、望郷のにさいなまれ、海を見ては泣き暮らしていた女もいた。

 その女たちが、尊き使命に目覚め、自身の宿命転換に立ち上がって、世界広宣流布の誇り高きパイオニアへと、雄々しく生まれ変わったのである。

 世界で、そして日本で、創価の女たちは、病、事故、経済、家庭不和……たえまない現実の悩を一つ一つ乗り越えながら、「冬は必ず春となる」(1253頁)との御聖訓通り、勝利の劇を示してこられた。

 今、どれほど福徳に満ちあふれて、人生の総仕上げを飾っておられるか。

 反対に、この妙法流布の尊貴な女たちを愚弄し、しめた傲れる勢力が、跡形もなく消え去っていることは、ご存じの通りだ。

「過去現在の末法の法華経の行者を軽賤する 王臣万民始めは 事なきやうにて終(つい)にほろびざるは候はず」(1190頁)

 この峻厳な御金言には、一つの例外もない。

 わが創価の母たちは、地位も財産ももない、いわゆる社会的には全く無の庶民であったといってよい。

 この女たちこそが、今日の偉大な創価学会を築いてくださったのだ!

 この女たちが幸せになるために、法はあるのだ!

 日蓮聖人は、「法華経は女人成を手本として説かれたのである」(1311頁/趣)と仰せになった。

 一番、労してきた女が、一番、幸福な花々に包まれゆくことこそが、法の大法則であり、現実のと戦いゆく女の晴れ晴れとした「勝利の道」なのだ。


「色あせた

  虚像の人々

   見下ろして

  花咲く 我が道

   悔いなく生きゆけ」


 と詠(うた)った人がいる。

 野の花には、「虚栄」も「高慢」もない。「嫉妬」も「卑屈」もない。

桜梅桃李」の使命のままに生き抜いて、他の花を羨んだり、自らを卑下したりなどしないからだ。自分でなければ咲かせることのできない花を、自分らしく咲かせ切っていく誇りがあるからだ。

 どんなに可憐な野の花も決して、ひ弱ではない。

 弱いように見えて強い。

 風にも、雨にも負けない。

 同じように、「何があっても負けない!」というのが、私たちの合言葉だ。

 私の妻も、青春時代より、常に広宣流布の最前線で戦ってきたことを、最高の誇りとし、誉としている。

 昭和26年の7戸田先生のもと、男女青年部が結成された時、私は男子部の班長であり、妻もまた女子部の班長であった。

 その翌、新たに一人の女子部員が誕生した。この時、彼女の家に御本尊を安置するために訪問したのが、私の妻であった。

 妻の方が年下であったが、信では先輩である。親身に相談に乗り、励まし続けたようだ。その女子部員は大成長し、後に女子部長となり、さらに婦人部の最高幹部を立派に務め上げていった。

 あの歴史的な「二闘争」のさなか、青年部が戸田先生の前で、破邪顕正の研究発表会を行った。

 この時、妻は、女子部を代表して登壇した。

 そして、“戦後、特に新興宗教等がよく論じていた「霊魂論」がいかに誤っているか”を問われて、真剣に破折し、打ち破っていった。

「女子部が教学を根幹に、一段と強くなることこそ、広宣流布の希望の花である」と、戸田先生は笑顔で妻たちを見守っておられた。


アフリカ環境の母」ワンガリ・マータイ博士が、この218日、過密な日程のなか、わざわざ聖教新聞社を訪問してくださった。

「グリーンベルト運動」の創始者で、昨年、ノーベル平和賞を受賞された。「緑の闘士」である。

 創価大学のパン・アフリカン友好会の学生が、ケニアの歌「私たちの大地」で歓迎すると、共にリズムを取って歌う快活な博士であった。


♪…‥私たちの大地は

 女たちの大地

 ここに来て

 一緒に種を蒔(ま)き

 木を育てましょう


 かつて、博士の運動は迫害され、ご自身も幾たびとなく投獄された。過酷な拷問も受けている。

 そのなかで、3人のお子さん方を育て上げながら、貧困と環境破壊の悪循環を断ち切るために、勇敢に信を貫き通してこられた。

 博士が最初に植えられた7本の木は、真っ赤な炎のような花を咲かせる「火焔木(かえんぼく)」であったと伺った。

 一人の女に灯された勇気の炎は、この30年で、10万の人びとのに燃え広がっていった。わずか7本の木から始まった運動も、実に3000万本の広がりとなった。

 SGIが協力して制作した環境映画「静かなる革命」のなかで、博士は言われていた。

「人間は、様々な問題を、地球規模の大きな次元でとらえてしまうと、無力を覚えてしまうものです。しかし、身近なところから行動を起こしていくことで、力を発揮していくことができるのです」

 まさしく、わが婦人部・女子部の「草の根の連帯」に通ずる。

 だからこそ博士も、「人間」と「社会」、そして「自然」と「生命」を大切にする創価のと運動に、からの銘を表しておられた。

 博士は、「希望の哲学」を清々(すがすが)しく語っておられる。

「私たちは、自らの小さな行いが、物事を良い方向に変えていることを知っています。もし、この行いを、何百万倍にもすることができたなら、間違いなく世界を変えることができるのです」

 その通りとう。

「野に咲く花」のスクラムを、一輪また一輪、仲良く、朗らかに咲かせ、広げゆくことだ。そこにこそ、「女の世紀」の偉大な「静かなる革命」は、絢爛(けんらん)と成し遂げられていくからである。


 それは、創価学会が、いまだ小さく、わが師・戸田先生の事も行き詰まり、お金もない、人もいない、全く、どん底の時のことである。

 ふと、先生が、側にあった一輪の花を取り、私の胸にさしてださった。まるで“勲章”のように――。

 私がただ一人、死に物狂いで、師に仕え、戦い、お護りしている日々であった。

 先生は言われた。

労をかけて申し訳ない。大作は、本当によくやってくれているな」

 この“花の勲章”を見て、笑っている人もいた。

 だが私は、これは、「広宣流布の師匠」がくださった「広宣流布の勲章」だ、これ以上の栄誉はないとった。

 貧しきアパートに帰ると、私は、その一輪の花を御宝前に供え、謝の祈りを捧げた。

 現在も、私は胸中に、師の“花の勲章”を着け、あの時と同じ青年ので、戦い形けている。

 その“花の勲章”は今、世界各国からの23の光り輝く勲章に変わっていった。

 法では、「師匠は大地であり、弟子は草木である」(900頁/趣)と説かれる。さらにまた――

「弟子が咲かせた勝利の花は、必ず大地に還(かえ)り、師匠の福徳となる。そして、その師弟の大地から、また新たな勝利の花が咲き香る」という「報の道」を教えられている。

 その通りの人生を歩んできたことが、私と妻の誉れである。

 私ども夫婦の切なる願い。それは、“あまりにも健気(けなげ)な創価の女の皆様方の頭(こうべ)にいかなる宝冠の輝きも及ばぬ「幸福博士の花の冠」を被(かぶ)せて差し上げたい。さらにまた、「絶対勝利の花の冠」を、そして「常楽我浄の花の冠」を贈りたい”という一点である。


“野の花”の歌に始まったの語らい――

「今日もまた、新しい戦いですね」

「そうだ! 一番、大切な庶民の幸福と勝利のために!」

 妻の顔に、にっこり微笑みの花が咲いた。


 野の花も

   春だ 春だと

     立ち上がる


【「随筆 人間世紀の光」70/聖教新聞 2005-03-05】


※尚、S氏より5ヶ所にわたる誤字の指摘をして頂いた。より謝申し上げる。

2004-12-01

女の一生


 ヴィヴィアン・リーという女優をご存じだろうか? 映画『風と共に去りぬ』のデビューで一世を風靡した大女優だ。彼女に関する興味深い記事を読んだ。


 ヴィヴィアン・リーは美しいだけではなかった。

 生き生きとしてユーモアに富み、立ち居振る舞いの優雅さは類がないほどだった。大変な読書家でインテリ、友人たちには細やかな遣いを常に忘れず手紙を書き、それに情熱的だった。


【「美しく強く」田中弘子/公明新聞 2003-05-11】


 これを読み、女房殿に冷たい一瞥(いちべつ)を投げかけ、歯ぎしりしている壮年・男子部の方も多いことだろう。せめて、爪の垢(あか)を通信販売してはもらえないだろうか、とかなわぬ夢を抱いているやも知れぬ。『風と共に去りぬ』に挑んだのは25歳の時。ウエストは43cmだったという。奥方の胴回りを見て、奈落の底へ落ちることなかれ(笑)。


 同記事によると「『才能を必要としないほど美しく、あんなに美しい必要がないほど才能が際立ち……』とニューヨーク・タイムズを嘆せしめた」というのだから凄い。


 1940年、ローレンス・オリヴィエと結ばれたヴィヴィアン・リーは女が望む全てを手中にしたかに見えた。しかし、彼女の不遇はここから始まる。夫との才能の落差に悩み、発作を起こすようになる。その後、「肺結核にも冒され、その治療が症状を更に悪くした。発作が始まると卑猥(ひわい)な言葉を口走り、色情狂のごとく荒れ狂う別人となる」(同記事)。


 やはり、人生は長い目で見なければわからないものだ。人は一生を通してみなければ幸不幸も計りい。


『女の一生』と題した文学作品がいくつかあるが、洋の東西を問わず女の不遇を描いたものが多い。モーパッサンの作品は夫に裏切られ、没落してゆく女の話だし、山本有三のは未婚の母物語。共通するのは社会における男女不平等と、恋愛情に身を任せた挙げ句の誤算といったところか。


 典でも女五障三従の身と説かれている。五障とは、女は梵天王、帝釈天、王、転輪聖王、になれないという。三従とは、幼い時は親に従い、嫁(か)しては夫に従い、夫亡き後は子に従うというもので、ともすると主体に欠ける女の傾向を説いたものと考えられる。


 戦後、強くなったものはストッキングと女だなんて言われてから久しいが、それは表面的な話に過ぎない。


 こうした女像を革命すべく出現したのが我が創価の婦人部・女子部の皆さんである。表面的な美しさや、移ろい易い世評などに動かされることなく、日夜、悩める人々のために尊い汗を流す生き方こそが美しい。


 我が婦人部が多忙を極めると、食卓を冷凍食品が飾り、家がホコリっぽくなり、家族に向けられる言葉遣いも荒々しくなることもあるだろう。だが、妻帯者諸氏よ、そんな夫人を“創価のヴィヴィアン”と称えてゆこうではないか。


扉を開いたひと―美しいほど強情に自分を生きた51人

2004-08-21

我が子を特別扱いするな


 婦人の子育てについてもじていることを申し上げておきたい。ご婦人の中には、自分の子供が可愛いあまりに、極端に“特別扱い”したり、溺愛し、また自慢する人がいる。傍(はた)から見ていて、他の人に嫌悪をじさせる場合が多い。

 こうした“溺愛”や“甘やかし”や“盲従”は、子供をダメにし、ひいては親をもダメにしてしまうものである。

母親は、時には子供の成長のために厳しく叱ることを忘れてはならない。情に走ったり、親のエゴからの“叱り”は逆効果であるが、親が言うべきことをきちんと言い、物事の道理を教えていくことによって、子供はその根を矯正され、立派な大人に育ってゆく。特に子育ての時期にある婦人部の方々は、この点を賢明に判断していただきたい。


【第3回本部幹部会 1988-04-01 創価文化会館


 子供の信については、100%母親の責任である。幼児期から春期に至るまで、子供と一番接しているのは母親だからだ。


 時折、本部長や支部婦人部長であっても子供の信を立たせることができない家がある。物事を単純に考えるのは危険だが、やはり、お母さんに問題のあるケースが多い。


 私が高等部を担当していた頃、こんなことがあった。高等部の部長・副部長が連絡に回っていた。ある高等部員を訪ねたところ、婦人部幹部の母親が出てきて「今、いないのよ」と言った。その直後、私の家に来て、「あれは、絶対に居留守です。小野さん、すみませんが、電話をしてもらえませんか?」と頼まれた。私がよく知っている親子だった。電話をかけると、直ぐに子が出た。「元気か? まあ、たまには俺んところに遊びに来いよ」と言って私は受話器を置いた。間髪を入れずに3の高校生は言った。「ホラ、やっぱり居留守だ!」「お母さんは、幹部のクセにこんなことをやってていいんですか?」「全く信じられないよなあ」……。


 私は、「お前等、何を生気言ってやがるんだ。色々あるから広宣流布ってえのあ、面白いんじゃねえか。ちょっと回ったぐらいで調子に乗るんじゃねえ!」と言い切り、である所以(ゆえん)を説いた。


 自分の子供がきちんと信してないと、同じような家庭と出くわしたした時に、その幹部は果たして言い切ることができるだろうか? 言い切れる幹部は立派な幹部だ。きちんと自分の悩みと真正面から向き合っている人だ。だが、殆どの場合、「内もそうなのよ〜」以上である。


 子供が抱く最大の不信は、裏表のある親の姿と、子供である自分のことをしっかりと見つめていないという2点に集約される。母親がいつも家にいない。時折、いるとったら、途切れることなく電話がかかってくる。「相談したくても、相談できない」という子供のは予以上に多い。


 私は6人兄弟の長男だが、6人全員が組織につき、創価の庭で訓練を受けている。次男が〈県〉主任部長、三男が〈県〉副青年部長、長女が副本部長、四男が本部長、次女が地区リーダーとして戦っている。母の信もさることながら、父の鉄拳によって育てられた筋金入りだ(笑)。


 全国のお母さん、頑張れ!

2004-01-15

平凡のなかに美しい物語がある


 あの人は 実に平凡のなかに

  優れた何かがある――

   美しい物語があると

    いわれるような女

     一生を送りたい


【『わが友へ』 1973-04発行】


 中学生の頃と記憶するが、好きな女の子へ宛てた年賀状にこの一文を書いたことがある(笑)。


 女子部は虚栄と戦え。人生の虚像に惑わされるな。


清ければ天女であり、悪しければ女である」との指導もある。


 底の浅い水溜(たま)りのような人格では笑われるだけだ。他人を羨んでいる暇があったら、学会活動にいそしもう。御書根本の清らかな信の人が、真の幸福者だ。