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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2009-06-03

深き信心の眼を


 戸田城聖第二代会長の生誕90周年を記しての第2回懇談会が、10日午後5時半過ぎから、池田誉会長が出席し、東京・信濃町の学会別館で開かれた。

 その際、誉会長は参加者と厳粛に三座の勤行をするとともに、戸田第二代会長をしのびつつ、師の指導を語り伝えておきたいとし、約1時間にわたり大要、次のように語った。


 1.「『組織の眼』だけではなく、常に『信の眼』で人を見なければならない。特に役職は高くなくても、また役職はなくても、本当に真面目な信の方がおられる。その方々を尊び、からたたえ、励まし、守っていくが、自分自身の信の証であることを忘れてはならない」

 2.「広宣流布のために、常に行動していく人は、まことの大聖人の門下であられる。これこそ学会にあっては私の真の弟子である。広宣流布の行動をしているように見えながら、すべて自分自身の利害のために動いている人は、私の敵である」と厳しかった。

 3.「私がいなくなった後、悪い幹部も出るに違いない。口のうまい人、学会を利用して自分の利害を考える人等々――常に青年は、濁ったそれらの人々を見抜き、戦っていかねばならない。そうでなければ、正法の永遠も、信の正しさも証明できなくなってしまうからである」と指導された。私は青年として、こうした悪しき幹部とも徹底して戦ってきた。

 4.「母親は子供をいくら叱っても配ない。しかし、父親が叱ることは非常に危険な場合がある。鋭敏な子供は、母親の叱り方には愛情をじる。父親から叱られると、重圧をじてひねくれたり、反抗をしたがるものである。この点、子供を育てる場合、よくよく気をつけるように」

 5.「夫の力が社会で『十』のうち『五』くらいの存在であっても、妻が聡明であれば『八』までの力を出し、生かすことができる。反対に、夫が『十』の力のある存在であっても、妻が愚かであると『五』とか『四』とか『三』の存在に引き下げてしまうものである。

 また、夫人が非常識であれば、夫をダメにしてしまう。夫人が聡明で、夫に言うべきことをきちんと言っていけば、夫もどんどん伸びるものだ。

 要するに、“夫に力がある”とか“人より偉い”といって見栄を張ることは、愚かさの象徴である。自惚(うぬぼ)れと非常識は皆から嫌われ、暗い人生の方向に追いやられてしまう場合がある」と、妻の信、聡明さがどれほど重要であるかを厳しく注されていた。

 6.「金銭にだらしのない家は不幸である。決して栄えない。金銭、そして一日一日の生活を大事にしていく家庭は健全である。して家計簿はつけるべきである」と言われていた。我が家は今でもその通り実行している。


 更に誉会長は、「人の格は、中々変わらないものだ。ゆえに『相手が変わる』ことを望むのではなく、自分が力をつけ、成長していくことである。それが、環境を変えゆく原動力となる」「情報化時代である。情報をいかに速く、正確につかむかで、事の成否が決まってしまう場合があまりにも多い」「何事も明快に話し、指導していかねばならない。それがの雲を晴らし、確信の行動を生むのである」など語った。


戸田先生生誕90年記の懇談会/第2回懇談会 1990-02-10 東京・学会別館】


 この手の指導は理由があって箇条書きとなっているのだ。求道心次第で受け止め方には決定的な差が生じる。文字だけ読めば、幾度となく紹介された内容である。


 振り返ると、1989年12の終わりに日経平均株価は3万8957円の天井をつけてから暴落した。翌1990年の101日には1万9781円まで下がった。そして、1991年から「失われた10年」が始まったのだ。


 景気が冷え込み、リストラの嵐が訪れる直前に、先生は信の基本を打ち込まれた。これは今だから理解できることだ。この頃、ある青年実家に教えてもらったのだが、「本部幹部会で先生は、『バブルが弾けた』と明快に仰った」そうだ。私は全く記憶になかった。


 大変なご労をされた方も多かったこととう。それでも我々は、日顕宗に鉄槌を加え、四月会と戦った。失われた10年は、学会にとって激動の10年だった。この間に私は、男子部の部長から総区副青年部長となっていた。あっと言う間に駆け抜けた10年だった。迷っている暇すらなかった。


 師の指導を軽々しく受け止め、浅はかに考えていたメンバーは皆、落伍していった。我々はどんなに頑張っても、自分の境涯の範疇(はんちゅう)でしか判断できない。しかし、広布最前線で闘争し抜く時、自分の境涯を打破せざるを得なくなる。その時に指導の本質が少しわかるようになる。理が事になる瞬間といえよう。


「わかったつもり」になっている幹部が一番危ない。

2009-05-07

「決して恐れるな、獅子として堂々と生き抜け」


 戸田城聖第二代会長生誕90周年を記し、第二代会長をしのぶ第1回懇談会が9日午後5時半から、池田誉会長が出席し、新宿区内で開かれた。

 席上、誉会長は、メンバーの日頃の活躍の労をねぎらいつつ、「戸田先生を知らない世代に、師の残された広宣流布の精神を語り伝えておきたい」と述べ、約1時間にわたり、大要、次のように戸田第二代会長の指導を語った。


 1.戸田先生が晩年、青年によく言われていた指導がある。「決して恐れるな、獅子として堂々と生き抜け」と。

 2.人生には、さまざまなことがある。ゆえに、必ず何でも相談できる人を一人、に置いておくことが大事である。

 3.常に弱者の味方たれ。傲慢とは、どこまでも戦い抜いていかねばならない。

 4.いかなる組織や団体でも、大きくなれば、さまざまな問題や事故はあるものだ。これは必然である。しかし、それらの問題を解決しながら、更に大きく発展させていくのが「妙法」の力であり、価値創造なのである。

 5.「世界の広宣流布を」との日蓮大聖人の御遺命は素晴らしいことである。「理」が大きければ大きいほど、「人生」は大きくなる。また、労なくして真の指導者は育たない。


 更に誉会長は、こうした第二代会長の指導を引きながら、「時とともに成長していかないのは、本当の人生修行ではない」「何事も電光石火のごとく手を打たねばならない。そこに勝敗の分かれ目がある」「強く生きよ。堂々と我が信の道を進んでいくことだ」「一生懸命行動した分だけ、人々との絆を強めることができる。そのの結び合った人たちが、いざという時に諸天善神の働きとなってくれる」「子を守るための戦いを忘れてはならない。『戸田の生命よりも大切な広宣流布の組織』で戦っている人を守れということである」など語った。


戸田先生生誕90年記の懇談会/第1回懇談会 1990-02-09 東京・新宿区内】


 民主主義の代詞である議院内閣制が生れたのは18世紀のこと。古代インドや古代ギリシアには部分的な民主政は存在したが、その後否定されている。民主主義の母体となった市民革命は、1641年にイギリスで清教徒革命が起こり、1789年にはフランス革命が欧州の大地を揺るがした。しかしながら両国はその後、王政復古へと逆戻りしている。歴史はいつだって矛盾に満ちている。そして大衆はいつだって気まぐれだ。


 人類がまだ民主政を発見していなかった頃、政治は君主制だった。王位は自動的に継承された。代々続けば、時には愚かな王様も現れる。そうしたリスクを回避するために幼少時から施されたのが帝王学である。ソクラテスからマキャベリに至るまで帝王学というテーマは継承された(上田惇生著『ドラッカー入門 万人のための帝王学を求めて』ダイヤモンド社、2006年)。


 我が創価学会においては、民衆の指導者を育てるべく戸田先生が青年部に将軍学を叩き込まれた。そして、組織の命運を左右する参謀室・渉外部の責任者に若き池田先生を任命された。人材を抜擢して育てるのが戸田先生の育成法だった。


 将軍学が知識であるうちは、まだダメだ。肚(はら)の底に入っていて、瞬時に行動できるようでなければ。これは、訓練を繰り返す中でしか身につかない。そして、偉大なる将軍の身近にいなければ、将軍たる者の覚を理解し得ない。結局、人が人を育てるのだ。


 短い言葉の中に深遠な教えが込められている。そこに気づき、索し、体得する日々であらねば。

2008-12-09

所帯を持った池田青年に対する戸田先生の指導/『池田大作 行動と軌跡』前原政之


 遅ればせながら『池田大作 行動と軌跡』を読んだ。労作である。何にも増して文章がいい。先生の著作を一通り読んだ者であれば、二番煎じ的な印象を受けるかも知れない。だが、それは底の浅い読み方である。著者の図は、飽くまでも池田大作という人物の全体像を描くことに力点が置かれ、妙な粉飾を斥(しりぞ)けていることがわかる。つまり、著者が定しているのは創価学会員ではない。先生を知らない人、または先生を誤解している人にこそ向けられた書籍といってよい。


 そして、私ほど先生の著作に親しんできた者であれば(←自慢だよ♪)、時代の変遷(へんせん)と、学会における歴史的義の変化までもが読み取れる。抑制された文章の上辺に捉われるとそこが理解できない。我々学会員は、せめて著者と同じ程度に先生の著作をひもとくべきだろう。


 池田先生が結婚された時の以下の指導を、私は初めて知った――


 昭和27年(1952年)53日、池田が白木香峯子と結婚すると、戸田は「これからは鉄ではなく金を鍛えるぞ」と宣言し、私生活の上でも口やかましく指導し始めた。池田が粗悪品を買ってくると「みっともないことをするな」と睨(にら)みつけた。礼を尽くすべき相手への贈り物も一流品を買わせ、「高い安いではない。真を届けるのだ」と自ら店を指定した。池田の結婚披露宴でも花嫁の香峯子にむかって「ダイちゃんが悪くなったら、みんなあなたの責任ですぞ」と断言し、池田に「どんなに偉くなっても中流生活、どんなにおちぶれても中流生活を守れ」と厳命した。さらに、男子のたしなみとして、座布団一枚のうえで舞を舞う足運びさえ池田に伝授した。


【『池田大作 行動と軌跡』前原政之(中央公論新社、2006年)】


 カテゴリを「将軍学」としたが、実際は「帝王学」ともいうべき内容である。形式だけの儀礼を嫌い、中流生活を勧める戸田先生の発言が、釈尊の初期経典で説かれる「バラモン」をい起こさせる。豊かな暮らしが、庶民の姿を見えなくする。また、贅沢(ぜいたく)は人のから謝を奪い去る。そして、欲望は確実に肥大してゆき、傲慢な人間が醸成されるのだ。


「人の振舞」(1174頁)と口にすることは易(やさ)しい。だが、そこに具体がなければ、人のには刺さらない。戸田先生の言葉は、宝石の如き至言であり、襟を正さざるを得ない響きをじる。


池田大作 行動と軌跡

2007-08-16

孫子に学ぶ将軍学


 世界の哲人の言葉には、法に通じる智が光っている。

 それらは、法を深く知り、広々と展開していくための「序文」「流通分」であるとも言えよう。

 戸田先生はいつも私に、文学や歴史をはじめ、社会万般のさまざまなことを教えてくださった。

 先生にお供して移動する際も、飛行機の中でも、車の中でも、あらゆるところが「戸田大学」の校舎となった。

 戸田先生は、中国の孫子の兵法についても語っておられた。

 先生は、漢文を好んで引かれた。さまざまな書物を、よく白文(=句読点や訓点のない漢文)で読んでおられた。

孫子』には、こう綴られている。

「戦闘に巧みな人は、その敵を攻撃する時の勢いははげしく、その攻撃する適切な時期は瞬時である」(天野鎮夫釈『孫子・呉子』明治書院

 時を逃さぬスピードと力。これは、あらゆる戦いの原則である。

 学会も、これをやってきたから勝った。

 また、『孫子』にはこうある。

「まず手柄を立てた兵士を表彰することを忘れてはならない」

「勝ってますます強くなるというのは、このことである」(村山孚訳『孫子・呉子』徳間書店

 功績を立てた人を、リーダーが顕彰する。皆で讃え合う。そうした組織は、生き生きと伸びていく。


 さらに、『孫子』には記されている。

「勝利は積極的につくることができる」(前掲・天野釈)

 安閑としていては、勝利は得られない。

「ふざけ」や「遊び」は敗北の原因である。

 戦いは、まず自分自身が「必ず勝つ」と決めることだ。祈ることだ。動くことだ。

 そして皆が「楽しく」「喜んで」進むところに勝利はある。

 勢いある前進をしていくことだ。


東京・関東・東海道合同研修会 2006-08-17 長野研修道場


孫子』とは紀元前4〜5世紀頃に書かれた兵法書である。かのナポレオンも座右に置いた。


 訓練が行き届き、首脳が同じ目標に向かって戦う態勢となっていれば、電光石火の陣列となる。具体的には迅速な離合集散であり、連絡系統が生命線となる。特にスタートで後(おく)れてしまえば致命的である。


 次に、いかなる組織であれ、厳しき信賞必が実行されている限り、不平不満は出ない。降格人事という“”がなければ組織は腐る。


 そして、「長の一」である。どのようなマイナス要因があろうとも、「断じて勝つ! 勝ってみせる!」というが燃えているかどうかである。指導者の情熱が全軍に波動を与える。「冷めた分析」ばかりしていれば、皆のは離れる。


 若い内は中々しくじるかも知れないが、要は「人のを知る」ということに尽きる。

2007-01-03

牧口先生、戸田先生の教え《抜粋》


「愚か者に広宣流布の指揮は執れぬ!」

「打てば響くような人間になれ!」

「末法の道修行とは、人々が一緒に並んで、一緒に手を組んで、一緒にかけをかけながら、勝ち進んでいくのだ!」

「信を根本として、団結してやっていけば、失敗はない」

「戦えば戦うほど、そして強くなればなるほど、法勝負の実証は、早く出てくる」(牧口先生

「大人というのは、人が成功した後を追っていく。保守的だ。

 青年は革新的でなければならない。時代に生き、新しいものを求めていくところに若さがあるのだ」

「戦いというのは、最後は『本当に楽しかった』と言えるまでやらなければならない。そうでなければ、本当の戦いとはいえない」

「男が怯(ひる)めば男ではない。覚悟の信に立て! 覚悟の人生を生きよ!」


《※牧口先生と注記したもの以外は戸田先生の指導》


【関西・九州・中国・四国合同研修会 2006-08-07 長野研修道場


 大聖人は「法と申すは道理なり」(1169頁)と仰せだ。私は今まで、「法は道理にかなっている」と読んできたが、最近になって変わった。「法は道理そのものである」という風に読めるようになった。つまり、「法≧道理」ではなくして、「法=道理」ということである。


 大聖人は続けて「道理と申すは主に勝つ物なり」(同頁)と指南し、四条金吾に対して具体的で細やかなアドバイスをされている。「道理は権力(主)に勝つ」とされているが、現実はどうだろう。「無理が通れば道理が引っ込む」傾向の方が強い気もする。


 我々はともすると御消文に書かれた一文を、教条主義的に捉えがちだ。植木雅俊氏の『釈尊と日蓮の女性観』(論創社)を読むと、そのような教条主義的な読み方が、いかに皮相的なものであるかがよくわかる。


 そう考えるとこの御聖訓は、四条金吾が仕えていた江間氏が「道理を弁(わきま)える人物だった」という前提のもとで書かれたのかも知れない。


 大聖人は道理を尽くし、三度にわたって国家権力を諌(いさ)めたものの、聞き入れられることはなかった。では果たして、大聖人は「主に勝てなかった」のだろうか。


 そうではあるまい。大聖人には民衆からの支持があった。そして今、世界190ヶ国の民衆が日蓮法を渇望し、日本においては代表メンバーが政権与党の一員となっている。


 万人が納得するのが道理である。理だけでもなく、道だけでもない。理と道とが一体となった智そのものである。そして、道理を貫いているのは、人間平等の精神だ。


 先師、師の教えは、厳しいようでありながらも、道理にかなっている。誰もが頷(うなづ)ける内容だ。


 道理を踏みにじるリーダーは、会員を犠牲にしている。そんな輩は断じて許してはならない。昂然(こうぜん)と叫びを上げよう。「先生の指導と違うではないか!」と。


 前は創価学会でも、実体が創価学会じゃない組織があるよ。

2006-10-08

“ホシ”を外すな


 先生は何かといえば、よく“ホシ”ということを強調しておいででありました。

“ホシ”というのは、スターという味ではありません。あらゆる問題について、何が“焦点”“急所”であるか。また、何が“肝要”か、何が“核”であるか、どこをどうすれば値打ちが出てくるか。その“勘所(かんどころ)”をしっかり抑えろ、ということであります。「広・略・要」の内、“要”をきちんと握りしめよ、というご見であったかとうのであります。

口幅ったいようでありますが、戦後の学会の再建の初期において、不肖私を事実上の総責任者として、この関西、大阪に派遣なさったのも、そういう“ホシ”の手の打ち方であったと私は信じております。


【戸田前会長19回忌法要 1976-04-02 大阪・関西戸田記講堂】


 昭和51年だから、会長勇退の3年前に行われた法要である。


 夏季研修での「徒然草」の指導とも共鳴する内容だ。戦いのホシ、対話のホシ、会合のホシ、人材育成のホシ、そして、祈りのホシをしっかりと見極めたい。ホシを外せば空転せざるを得ないからだ。

2006-08-28

一日一日が改革


 一日一日が、勉強である。

 一日一日が、改革である。

 一日一日が、人間革命である。

 一日一日が、真剣勝負である。

 リーダーは常に情報を共有し、見を交換しながら、良き智を出し合い、的確な改革の布石を打ってまいりたい。

 イギリスの歴史学者・トインビー博士は語っている。

「変革の必然に対処する建設的な方法は、変革がぬきさしならなくなってくる以前に、自発的に変革を行うことである。われわれが行動を起すのが早ければ早いほど、われわれの選択の範囲は広くなるだろう」(『中央公論』1962年7号)

 大事なことは、「先手」を打つことだ。

 手を打つべき時に、手を打たないことを「後手」という。

「後手は敗北」「先手は必勝」である。

 特に現代社会は、変化のスピードがどんどん早まっている。ゆえに指導者が安閑としていては、時代に取り残されてしまう。

 インドの大詩人タゴールは言った。

「頭を働かせない者は、わずかな変化をも受けつけない固定化した習慣になじんでしまうものである」(森本達雄訳「自治への願い」/『タゴール著作集 第8巻』所収、第三文明社)

 常に頭脳を回転させて、斬新な発をしながら進むことだ。

硬直した慣習は一つ一つ見直して、柔軟に変化させ、日々、生き生きと脱皮させていくことだ。


【第2総東京代表協議会 2006-02-20 東京牧口記会館


 トインビー博士とタゴールの指摘は実に鋭い。西洋と東洋を代表する二人のが見事に響き合っている。


 変革は、ダムが決壊するようなやり方よりも、高きから低きへ滑らかに流れる川のような姿が理的だ。先生が常に言われる「漸進主義」の元もここにあるのだろう。そう考えれば、人間革命は漸進主義そのものである。


 一人の不平不満、一つの負担が、全体に通じる場合がある。幹部がいかに何も知らないかを教えて進ぜよう(笑)。各地区でビデオを購入しているのは、殆どの場合、同じ人物である。しかも、買い続けている人のことを地区部長も地区婦人部長も知らない。


 ある老夫婦のお宅にお邪していた時のことである。奥さんが言いにくそうにして、「実は今まで○○さんに頼まれて毎、ビデオを買ってきたんですが、置き場所にも困っているんで、来からお断りしてもいいでしょうか?」と尋ねてきた。私はすかさず、「ああ、そうだったんですか。長い間、どうもありがとうございました。担当者には私から伝えておきますよ。気がつかなくって、すみませんでしたね」と答えた。この方、未活動の婦人である。


 翌年、ビデオの担当者が新しい人に代わった。この方は、厳しい生活闘争の真っ只中にあって、自分でビデオを買えるだけの余裕がなかった。それを聞いた私のかみさんが毎、購入するようになった。これも誰一人、知らない。


 あるいは、民音のチケットや公明党の党費においても、同様のケースがあるかも知れない。


 組織は、また幹部は、末端の人々のを軽くするために存在しているのだ。にも関わらず、負担を強いる結果となっている。こうした事実を知らない幹部は皆が皆、官僚主義に毒された面々であると断言しておく。


 問題が起きてから手を入れるのでは遅い。問題が起こりそうな時に、先手を打って未然に防ぐ。これが上将である。自分のことは差し置いても「皆のために!」と神経を擦り減らすほどのいがあれば、おのずと見えてくるものである。


 上になればなるほど幹部は、“聞く”と“動く足”を持って欲しい。それすら持ってないのが多過ぎるよ。