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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2009-05-05

人間はどこにいるんだろう


 彼(※スタインベック)は旅立つ前、友人の政治記者からこんな期待を寄せられていた。その記者は、大統領の候補を民間人の中に探し求めていた。

 記者いわく、「今度の旅行で根のある人間に会ったら、場所をおぼえてきてもらいたいね。行って会ってみたいんだ。いまは臆病者とご都合主義者にしかお目にかかれないからね」。

 そして、「人間が必要だからね。人間はどこにいるんだろう」「2〜3人でもいいから探し出してきてもらいたいね」と。

 また、「民衆がどこへいったか、探してきてもらいたい」とも記者は言った。アメリカ独立宣言で言っている「民衆」、リンカーン大統領が言った「民衆」――それらは一体、どこにいるのか、と。

 記者の言葉には、アメリカの理と現状との間の大きなギャップ(へだたり)を前にしたしみが込められていた。

 彼が“根のある”本物の「人間」と呼ぶのは、たとえ多くの反対にあおうとも、自分の見を貫くことを恐れない人間のことであった。

 そして、本物の「民衆」とは、特権的な権威や専制を許さない、“歴史の主役”として戦う民衆のことであったに違いない。


【第26回本部幹部会 1990-02-07 創価文化会館


 ウーム。Googleのサイト内検索の結果が文字化けしてしまう。「創価系サイト検索」も全滅っぽい。を決して書こうとった途端、このザマだ。ま、直しようがないんで放っておこう。きっと、時間が解決してくれることを信じて……。


 さあ書くぞ。2008年10月26日以来だ。実はこの指導で止まっていたのには理由がある。「記者の発言」の出典を確認しようとったのだ。調べたところ、『チャーリーとの旅』は2007年に新訳(竹内真訳)が出ていた(「厳格な牧師」)。だが、私はこの訳が気に入らなかった。そこで今、大前正臣訳を読んでいる最中だ。ひょっとすると、『アメリカとアメリカ人 文明論的エッセイ』(サイマル出版会、1969年/平凡社、2002年)あたりかも知れない。見つからなければ、こちらも読む予定だ。


 実は、スタインベックが愛犬のチャーリー(プードル)とアメリカ大陸を旅していた頃、先生が訪米されていた。文豪と詩人は期せずしていて接近していた。


 それにしても記者の言葉は振るっている。社会というものは分によって成り立っており、ヒエラルキーを構成する。大衆はいつの時代も抑圧され、搾取(さくしゅ)されてきた。ヒエラルキー社会においては、権力者に従うことが得となる。この点ではチンパンジー社会と変わりがない。


 社会的な圧力がのしかかると、大衆の力は弱まってゆく。負荷を掛け続けられたバネが弾を失うように。大衆は時々い出したように怨嗟(えんさ)のを漏らすことはあっても、羊の如く群れに付き従う。


 学会は民衆の団体である。しかし、「たとえ多くの反対にあおうとも、自分の見を貫くことを恐れない人間」がいるだろうか? いないね。だって見たことないもん。「多くの反対」どころか、2〜3人の婦人部幹部から反対されただけで見を引っ込めるようなのが多いね。田舎になると、幹部に見しただけで破和合僧と考える者までいる。組織権威主義はセットになっている。それがいかなる組織であっても。


 我々は先生の指導をそのまま実践できなくなっている。例えば、地域活キーワードとして「よそ者と馬鹿者と若者」がクローズアップされたことがあった。では、この三者があなたの組織で上記の指導を実践したとしよう。一体どうなるであろうか? まず間違いなく村八分にされることだろう(笑)。学会組織の原則は「郷に入っては郷に従え」という雰囲気になっている。で、挙げ句の果てに「を積んではに引きずられる」始末だ。


 会合では本音を言うことも許されない。美辞麗句が飛び交い、皆が皆作り笑顔で相槌を打っている。数字だけが目立つ活動報告、決まり文句を繰り返すだけの幹部指導、師弟という言葉はあっても魂はどこにもない――誰がそんな学会にしてしまったのか?


 それは――あなたと私である。戸田先生池田先生とが命懸けで築いた民衆を、どうでもいいプレハブ小屋にした犯人は我々弟子なのだ。


 今日は「創価学会後継者の日」。嵐が吹き荒れる昭和51年(1976年)のこの日、関西戸田記講堂で行われた鳳雛会・未来部の記勤行会で制定された。私は中学1年生だった。この世代(戸田先生の逝去後に生まれたメンバー)が、真の池田門下生として立ち上がる以外に道はない。

2007-12-21

「折伏」「指導」の本義


 一人の人間の生命を揺さぶり、動かしながら、正しい成への軌道へと導いてゆく――これが「折伏」の道であり、学会の「指導」の本義である。


【第9回全国婦人部幹部会 1989-11-29 創価文化会館


 たったこれだけのことが出来るか出来ないかで、地涌の菩薩かどうかが決まる。


 友の生命を揺さぶるためには、を開かせ、を通わせ、をつかむ必要がある。テクニックではダメだ。所詮、自分の生き方の問題である。


 まともな折伏、きちんとした指導ができる幹部は少ない。


 創価学会広宣流布の団体である。最も広宣流布に貢献した人が幹部になっていくべきだ。ところが現実は、そうなっていない。このまま行けば、本部職員は職坊主と成り果てることだろう。


 問題がありながら、不問に付されている職員が少なからずいる。学会本部は情報漏洩(ろうえい)を恐れているのだろう。これが第二、第三の山友や原島を育てる温床となるに違いない。


 生命の交流にこそ、本物の幸福がある。互いが互いを必要とする関係が真の団結だ。境涯の拡大とは、より多くの友とを通い合わせることに尽きる。組織のために会員を手段にし、選挙のために友人を利用するような姿勢は邪道だ。創価の王道は、この指導が全てである。

2007-12-14

「慈愛」のリーダーは「知恵」が湧く


 自分がどうなろうとも、「同志」のため、「後輩」のため、そして「悩める人」のために尽くし抜く。また、戦いに臨んでは、常に自ら先頭を切って行動し、活路を開き、同志に「勇気」と「希望」を与えてゆく――。ここに人間としての偉さがある。人格の輝きがある。

 学会でいえば、日々地道に広布の第一線で活躍されるリーダーの方々こそ、その尊(たっと)き実践の姿であると実する。


 学会は、真に人間を錬磨し、変革しゆく「大地」である。そのリーダーである皆さま方は、決して「組織悪の指導者」であってはならない。どこまでも「法と信の指導者」として、自らを鍛え抜いていただきたい。

 組織上の役職でも、社会的地位でもない。一人の人間として、どれほど偉大であるか。どれほど豊かな「慈愛の」の指導者であるか。これこそが肝要であると申し上げたい。

「無慈悲」の人には「知恵」は出ない。「慈悲」の人には、限りない「知恵」が湧く。友の幸福と、社会の平和・安穏のための「知恵」が、生命の奥底からこんこんとあふれ出てくるものだ。今、求められているのは、そうした慈愛と知恵のリーダーである。


【第23回本部幹部会 1989-11-18 創価文化会館


「あ、こうすればいいんだ!」と手を叩くようなアイディアが知恵である。視点や表現を変えてみたり、予外の組み合わせなどによって、同じ景色が全く新しく見える瞬間だ。


 指導者が慮すべきことは、「どうすれば、皆がやりやすくなるか」という一点に尽きる。


 人のものををしふると申すは車のおもけれども油をぬりてまわりふねを水にうかべてゆきやすきやうにをしへ候なり(1574頁)


 悪はなくても、「車にブレーキをかけ」たり、「船を山に運ぶよう」な結果になっている幹部が目立つ。力不足を認めながらも平然としていられるのは、「結局、上からの指示だから仕方がない」という逃げ口上があるためだ。組織官僚主義に毒されてくると、木っ端役人みたいな幹部が増えてくる。


 政治学習会を担当した第2総東京の方面幹部(青年部)に呆れたことがある。公明新聞の職員ということで、政界の裏事情を盛り込みながら、立て板に水を流すようにまくし立てた。私は「何て、愚かな奴だろう」とで罵った。会合の目的を見失い、ただ自分の話に酔っている姿が歴然としていたからだ。背の低い、眼鏡をかけた野郎だ。


 責任がないから知恵も出ない典型である。政治学習会とは、「語り口」を教えないと味がないのだ。参加者の誰もが自信を持って語れるフレーズを具体的に示すことが最大の目的である。


 また、選挙時期に政策のことで質問をすると、「とにかく言い切っていこう」とか、「祈れば何とかなる」みたいな馬鹿げた指導をする連中も多い。お釜に米と水を入れて題目を唱えれば、ご飯が出来上がるとでも言うつもりなのだろうか? あるいは、御本尊法使いとでもっているのだろう。


 更に面倒なのは、政権与党入りした公明党の複雑な立場によって、いよいよ説明しにくい事態が続出していることだ。公明党がリードしてつくられた「年金100年安プラン」(2004年)は、わずか3年で木っ端微塵となった。社会保険庁の実態がわからなかったことを踏まえたとしても、失点は避けようがない。


 ちょっとい出してごらんよ。あなたが、3年前にどれだけ自信満々で言い切っていたかを(笑)。山本リンダじゃなくても「困っちゃうな」。


 これはね、本当にしい局面に達しているのだ。私なんぞは、既に何度も表明している通り、新テロ特措法案には個人的に反対している。だが、公明党は賛成しているのだ。友人に対しても、率直にその旨を語ってゆくつもりだ。「で、ほとほと困り果てているんだよ。本当の友達はお前しかいない」と情に訴える予定である(笑)。私の政治的信条は衆参のようにねじれている。


 これだけ問題が発覚しても社会保険庁は誰一人、処分されていない。国が告訴しただけである。また、渡辺喜美行政改革担当相が、独立行政法人の整理合理化計画で奮闘しているが、各大臣からはゼロ回答という惨憺たる結果となっている。これを見ても官僚支配が明らかだ。戦後、半世紀以上にもわたって官僚支配が続いているのだから、政権交代したぐらいで打破できる問題ではあるまい。


 号令や精神論で乗り切れる状況ではないことを、よくよく自覚してもらいたい。更に、末端幹部の知恵でどうにかできることでもない。総区長・県長、方面長レベルで知恵を発揮しなければ、惨敗は避けられない。

2006-12-31

学会員は「全員平等」


 学会員は、法の眼からみれば、「全員平等」である。

 学会の世界において“偉い人”とは、“役職の高い人”などではない。

 偉いのは、折伏をやった人であり、わが地域に、立派な団結と幸福組織をつくった人だ。

 要するに、信のある人、学会精神を大事にする人が偉いのである。その方々を賛嘆すべきである。それ以外の、どんなごまかしや妥協も、峻厳なる法の前では空しい。

 この一点をリーダーがはき違えると、人のがわからない、冷酷な人間が増えてしまう。

「幹部だから偉い」などと考える人は、が硬直してしまっているのだ。

 創価学会は、学会員のためにある。ゆえに最高幹部は、学会員の“僕(しもべ)”として、全力で動くことだ。


【関西・九州・中国・四国合同研修会 2006-08-07 長野研修道場


 権威主義広宣流布を阻み、官僚が人間主義を破壊する。これが、創価学会一凶だ。


 納得させることが慈悲である。しかし、幹部の稚拙な対話によって、強引に決められた折伏が目立つ。紹介者が疑問を抱くケースさえ珍しくない。そこで、私は提案したい。「題目を唱える人の輪を広げよう」と。


「ちょっと困ったことが起きたので、題目をあげさせてくれ」と友人がやって来るようになれば、これこそ広宣流布ではないか。御安置されたのはいいが、法味を失って干(ひ)からびている御本尊が多過ぎる。ニベアを塗ってあげたいぐらいだ。


 私はを大にして叫びたい。「全てを拒否せよ。しかる後、全てを肯定せよ」と。イエスとノーもはっきり言えない人は、単なるロボットだ。燃え上がる主体がなければ、もはや信仰に値しない。


 ダラダラとうだつの上がらぬ活動を、いつまでやり続けるんだ? そんな人間に明るい未来など存在しない。一生、今のままだよ。年齢を重ねても、役職が上がっても、何一つ変化するものはないだろう。


 私が最も恐れる言葉――それは「酔生夢死」。学会に入れば、酔いから醒めたといえるのだろうか? そんなことはない。今この瞬間の生命が、いかなる律動を奏でているかが問題だ。今だ、今しかない。今、が燃えているのか、くすぶっているのか。前を向いているのか、後ろを振り返っているのか。師のと一致しているのか、離反しているのか――それが問題だ。


 私のは――まだ書いてない年賀状と、手をつけてない大掃除に向けられている(笑)。キーボードを叩いている場合ではないのだ。


 それでは皆さん、この一年、お世話になりました。何が何でも、よいお年を。師弟共戦の黄金の歴史を。2006年よ、さらば――。

2005-08-11

学会は「人間を尊敬する」世界


 学会は、この法の精神のままに、徹底して互いに「人間を尊敬する」世界である。また、「人間を尊敬する」生き方を広めている団体である。

 更に、そうした実践の中で、本物の「人間」をつくる世界である。

 社会には様々なモノをつくる世界もある。経済的価値や、芸術的価値をつくる世界もある。また、戦争を準備するような世界もある。

 そうした中にあって、学会は真実の法を根底に、一切の基本となる「人間」を立派につくり、鍛え、他とは根本的に次元が異なっているといえよう。

 ともあれ、人間という高貴なる存在に、どこまでも気高く会釈(えしゃく)しゆく、豊かな人生でありたい。

 そして、私どもは、民衆を愚弄し、人間の尊厳を冒してゆく動きに対しては、絶対に反対する。


【第6回本部幹部会 1988-06-21 創価文化会館


 日顕は、学会の“人間主義”に唾を吐きかけ、“創価の師弟”を土足で踏みにじり、「坊主が上で、信徒は下」と宣言した。一切衆生の成の道を開いた大聖人の精神に違背したが故に、我々は坊主どもと手を切ったのだ。


 経を読誦し書持すること有らん者を見て軽賎(きょうせん)憎嫉して結恨を懐(いだ)かん(201/291/448/465/969/1001/1039/1042/1589頁)


 自ら真の道(どう)を行ずと謂いて人間を軽賎する者有らん(6/21/539/622頁)


 大聖人は一貫して、“人間を軽(かろ)しめ、賎(いや)しめる”行為をこのように糾弾されている。御書根本で大聖人に直結する学会が発展し続けているのは、当たり前田のクラッカーなのだ。


 そもそも、法華講なんぞが学会に癖をつけるのは、おこがましいと言う他ない。学会からの落伍者を集めて、手を叩いて喜ぶのが関の山であろう。堕落僧をありがたがって伏せ拝をするのが、奴等(やつら)にはお似合いだ。


 学会は平等である。上も下もない。その証拠が、この私だ(笑)。私は相手が副会長であろうとも、言いたいことは言ってのける。何の遠慮もない。時々幹部に対して暴言を吐くのが趣味になっているほどだ(笑)。とはいうものの、地域によっては、傲慢な幹部によってしめられている人々がいるのも事実だ。しかし、本気になって喧嘩をすれば、必ず“下の人”が勝つのだ。そんなのは、自明のことである。


 話が横道にそれたが、学会が平等であるのは、不軽菩薩の衣鉢(いはつ)を継ぐ人々の集いであるからだ。


 地獄界乃至界各各界を法(のっと)る間・不軽菩薩不軽菩薩の界に法り上慢の四衆は四衆の界に法るなり、仍(よつ)て法界が法界を礼拝するなり自他不二の礼拝なり、其の故は不軽菩薩の四衆を礼拝すれば上慢の四衆所具の不軽菩薩を礼拝するなり、鏡に向つて礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり云云(769頁)


 礼拝の読みは「らいはい」。「れいはい」と読むのはキリスト教の場合。


 法界が法界を礼拝し、小宇宙と小宇宙とが共鳴する。不軽菩薩は、自分に対して石を投げ、杖を振るう人々の中にを見出し、そこに向かって掌(たなごころ)を合わせた。暴力が荒れ狂う世界にあっても尚、相手の可能を信じ抜く精神の強靭さが、人間の進むべき道を照らし出す。


 相手を尊敬し抜く。誠実な対話はここから始まる。相手を馬鹿にすれば、相手のを否定することになり、それが跳ね返って、自分のをも否定することに通じる。“人を信じられない”時代と社会の中で、“人間信頼”の回復を実現するのが、“創価の言論戦”である。


 日曜日は、あと3回しかない。既に、第3コーナーを回った地点にいることを自覚しよう。


 昭和22年(1947年)の今日、戸田先生池田先生が出会う。蒲田の三宅宅で行なわれた座談会にて。昭和58年(1983年)には、第3回世界平和文化祭が札幌で開催された。

2005-03-06

イズムの功罪


 そこで、最も留すべきは、“イズムの功罪”ということであります。

 およそ(広義の)イデオロギーというものは、“イズム”としての属を有しており、人々の考えや行動を一定の方向へと導く規範としてのはたらきをもつ。つまり、“功”の側面を否定することはできない。

 と同時に、それは、知らず知らずのうちに、人間の自由な考、判断をひとつことに縛りつける拘束の側面を有しており、それが高ずると、“イズム”が人間に君臨するという逆倒を招いてしまう。“罪”の側面であり、“イズム”はこの方向に傾きがちな慣を内蔵しています。

 過激主義、教条主義とは、この側面が著しくバランスを欠いて肥大化したものといってよく、その結果、自殺、他殺を問わず死が美化、正当化されたり、人間の命など、まさに“鴻毛(こうもう)の軽き”にまで貶(おとし)められてしまう。イデオロギーの世紀であった前世紀が、空前の殺戮の世紀でもあった所以(ゆえん)であります。

 それに対し、私の強調する人間主義とは、主義という言葉はつきますが、“イズム”の慣とは、ほとんど対蹠(たいしょ)的であります。人間主義の最大の特徴は、“イズム”のような規範、それも外的規範としてはたらくのではなく、あくまで、人間精神の自由で内発的な発動、主体的な判断を第一義とする点にあります。


【「世紀の空へ 人間主義の旗」第30回SGIの日記提言/聖教新聞 2005-01-26付】


“イズムの功罪”とは夏目漱石の言葉。この平和提言が発表されたのは、イラク暫定国民議会選挙の直前だった。先生の言葉は、大義のためとあらば武力の行使を辞さない全ての国家・グループ・人々に向けられている。


 あらゆるイデオロギーにイズムの功罪がつきまとう。“人間を従”とした瞬間から、主義やは変貌する。大義の美の下(もと)に人々は抑圧され、イデオロギーは足枷(あしかせ)となる。


 日顕宗は“宗教のための人間”を法華講員に強(し)いて、今、滅びつつある。一方、“人間のための宗教”を標榜した創価学会は世界から称賛され、隆々と発展している。


 日蓮法を人間の手に取り戻した我々に問われるのは、「社会から必要とされる宗教のあり方」だ。


 根ふかければ枝さかへ源遠ければ流長し(1180頁)


 個人にあっては信の深化が、組織にあっては幹部の成長が不可欠だ。そこに澱(よど)みが生じると、イズムの悪しき面が台頭する。


 人間は千差万別の顔を持つ。一人ひとりの違いを無視して、イデオロギーをもって矯正するような姿勢があれば、それは、纏足(てんそく)みたいなものだろう。更に、纏足の手法と目的を知れば、問題は一層、鮮明になる。


 昔の訓練は、大リーグボール養成ギプス型だった(笑)。針金をグルグル巻きにされた盆栽さながらだった。それでも、育ち、伸びゆく力があった。しかし、バブルの崩壊と、日顕による宗門問題によって時代は変わった。その先取りとして、創価ルネサンスという一大宗教運動が興ったのだ。


 我々が学んだことは、悪しき権威に対しては厳然と「ノー!」を突きつけ、徹底して一人を守る人間主義だった。我が組織に、自由な随自意の連帯をどこまで築くことができるか――これが今後、最大の課題となろう。


 西武グループの堤氏が連日、さらし者にされている。世界一の大富豪を嫉んだ情が、そのまま攻撃に転じたようながある。こうした村八分、あるいは女狩りさながらの視線は、更なる獲物を求めて、犯罪歴のある人間を冷たく見つめている。そして、今尚、家に帰ることのできないハンセン氏病患者が多数、存在する。


「創は易く、守成はし」――今更ながら、歴代会長への謝のを強くする。

2004-11-15

違いを生かせ


 学会においても同じである。“自分は幹部だから”“高い役職だから”後輩の言うことを聞く必要はない、などというのは本末転倒である。どこまでも「信」が根本である。組織上の立場をすべての基準とするいき方は、正しき信の姿勢ではない。

 人間の織りなす世界には、年齢や立場など様々な違いがある。問題は、その違いを生かしながら絶妙な調和の世界とするか、反対に、複雑で情的な葛藤の世界としてしまうか、である。

 その分かれ目は、やはり一人ひとりの「」「一」の姿勢にある。常に多くの人々から学び、成長していこうとの瑞々(みずみず)しい「求道の」を持っているかどうかにある。


【第6回本部幹部会 1988-06-21 創価文化会館


 30歳前後の頃、壮年・婦人の方から相談を受けるようになった。様々な支部や地区へ入った際、ちょっと配なことがあると、私は直ぐさま壮婦の幹部と連係をとった。そうした日常的な行動が信頼へとつながっていたのかも知れない。「こういう悩みを持っている人がいるんだけど……」と打ち明けられる機会が増えた。


 もちろん、若輩者の私がどうこうできるような問題は少なかった。ただ、相談を受けた以上は、何とかするしかない。で、私は次々と幹部の手配をした。私が絡んでいることを全く知られてないこともあったし、同席して一緒に指導を受ける機会も多かった。連れて行っただけの私が厳しく注をされたことも何度かあったが、全身で指導を受け切った。


 ここで私は多くのことを学んだ。昭和20年代から戦い続ける草創の大先輩が、悩の闇に一閃(いっせん)の光を放つ瞬間を何度となく目の当たりにした。その度に私は、戦った気になっていた自分を恥じ、の底から反省した。


 ある時、何気なく後輩の区幹部にこう語ったことがある。「ここに“創価学会”という饅頭(まんじゅう)があったとするわな。お前の知っている創価学会は、まあ、饅頭を包んでいるセロファンだな(笑)。で、俺の知っている創価学会は、さしずめ、饅頭の皮ってところだろう。そして、俺がいつも指導を受けにゆく、神田さんや、長峰さんが、アンコなんだよ。俺達、まだまだ修行が足らんな。いい気になってやってる内は、全然わかってないんだ」。


 神田さんという大先輩は指導をする際、必ずメモを取る。ある時、隣の区の会館でばったり会った。私の顔を見るや否や、「あの彼はどうしてる?」と訊ねられた。種々報告をすると、「ずっと気になってたんだよ」と一言。指導を受けたのは、半年前だった。「この年になっても、記憶力だけは衰えないんだ。アッハッハッハッ」と大きなで笑っておられた。既に80の坂を越えた方である。草創の蒲田支部にあっては、班長・班担で先生の奥様と組んでたそうだ。それからというもの、この方に指導を受けた場合は、何か変化がある度に必ず報告を入れるようになった。


 この神田さんの後輩に当たる長峰さんにも随分とお世話になった。神田さんが、牧口先生わせる謹厳実直なタイプだとすると、長峰さんは、ざっくばらんな下町のオヤジさんだった。このお二方、蒲田支部から一緒に戦っていて、実は長峰さんの方が役職は上だが、神田さんには絶対に頭が上がらない(笑)。「小野君、今の俺があるのは、神田さんのお陰なんだよ。テーブルの下に頭を突っ込みたくなるほど、厳しくやられたからなあ」と言っていつも笑っておられた。年は二つ三つしか違わないのだが、長峰さんの折り目正しさは、傍(はた)から見ていても、微笑ましくなるほどだった。


 長峰さんは、指導を受けにゆくと私に向かって必ずこう言われた。「小野君、いつも多くの同志の面倒をみてくれて、ありがとう!」と。「とんでもありません!」と応じても、頭を下げて、「君がいてくれるお陰で、組織が守られているんだよ」と言うのである。私は恐縮しながらも、大先輩の謙虚さに恐れを抱くようないがした。


 古谷さんが脳腫瘍の再発で倒れた時も、直ちに長峰さんに引き合わせた。本人と長峰さんが向かい合い、横に私と後輩のお母さんが座った。長峰さんの顔はいつもと異なり、にこやかさのかけらもなかった。


「御書に、『南無妙法蓮華経は師子吼の如しいかなる病さはりをなすべきや(1124頁)』とある。君、この御文を知っているか? 知っているなら、この御文で大聖人は何と言われているとう?」。後輩が通解のような所を述べた。長峰さんはじっとを傾けて、「長い! 長過ぎるぞ! どうして、大聖人は今の自分に対して、こう言われているといますと、スパッと言えないんだ!」。裂帛(れっぱく)の気合いだった。それからというもの、叱咤に次ぐ叱咤である。「池田先生が、青年部にこれだけの期待をされている時に、今の君の姿で応えられるのか!」、「本当に病気と闘い、病気に勝つ気があるのか!」――。


 そのあまりにも厳しい言葉の底には、「何としても彼を救うのだ!」という凄まじい一が込められていた。途中から、お母さんと私は、ただ黙って涙を流しながら、指導を拝した。「返事が小さい!」、「が小さいぞ!」と何度も何度も叱責が飛んだ。


 まるで襟首でもつかんで話しているような勢いで一時間ほど指導は続いた。と、後輩がテーブルから後ずさり、膝を正して大で叫んだ。「必ず勝ちます!」。「そうだ!」と言うなり長峰さんはテーブルに身を乗り出して手を差し出した。固い握手を見たまま、お母さんと私は、ただ泣き濡れていた。


 後日、手術不可能であることが判明した。彼は、戦って、戦って、戦い抜いて、半年後に37歳で今世の使命を全うして霊山へと旅立った。この時、不議にも私は長峰さんと一緒にいた。彼が逝ったのは、「小野君、彼を頼むぞ!」と言われた、まさにその時だった。


 通夜にて、長峰さんを棺(ひつぎ)にご案内した。横たわる彼の安らかな顔を見て、長峰さんは語りかけた。「よく、頑張ったなあ。立派だ。おめでとう!」。そして、深々と頭を下げられた。早過ぎた彼の死を悼(いた)むよりも、彼の勝利を喜んで下さっているようだった。長峰さんはこうも語った。「色んな人に指導したり、激励したりしているけど、本当はこっちが教わっているんだよ」と。


 こうして、キーを打ちながらも、涙が溢れ出て仕方がない。何はともあれ、多くの先輩から学んできた学会魂を後輩に伝えてゆくのみ。