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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2009-04-25

小説『人間革命』全12巻を3ヶ月間で読む


 前回の「観察者であれ」を書いたところ、数件の情が寄せられた。曰く、「一年で何もつかめなかった私はダメなのでしょうか?」と。返事を出す気にもならないので、ここに書いておこう。ダメだね。ああ、ダメだとも。ダメ×2(「ダメダメ」と読んでね)野郎だな。


 一年間も働いて、仕事ができないサラリーマンが存在するだろうか? いるわけがない。もし、いたとすれば即刻クビになっていることだろう。人件費を初めとするコストが損益分岐点を割ってしまえば、企の存続自体が危うくなる。


 致命的なのは、「ダメなのでしょうか?」と自分の評価を他人の手に委ねている点だ。「自分のレッテルくらい、自分で貼れ」と言っておきたい。私がダメだと言ったところで、「ようし、じゃあ俺が、小野の主張を引っ繰り返してみせる!」という程度の根を見せたらどうなんだ?


 弱い人間は惰弱な行為によって、弱い人間としての(ごう)を強化していることに気づいていない。言っていいことと、悪いことがあるのだ。


 では、「人材育成マニュアル」の第3回目を始める。


 小説『人間革命』全12巻を3ヶ間で読破すること。『新・人間革命』は後回しで構わない。まずは、『人間革命』からだ。


【※余談になるが数年前、一番下の弟から「『人間革命』第2巻の単行本が発行されていないが、何か理由があるのか?」と尋ねられた。私は答えられなかった。そんな事実すら知らなかったのだ。で、今再び調べてみた。何と、『人間革命』の単行本はすべて絶版となっていた。売り上げが問題なのか、宗門に関する記述が問題なのかはわからない。だが、いずれにしても聖教新聞社の姿勢はよくない】


 私が初めて『人間革命』を読んだのは高校3年の時だった。前に紹介した通り、私は自立した暁には別の宗教に鞍替えしようと目論んでいた。しかしながら、学会のことすらよくわかっていなかった。で、創価学会以上の宗教を探すためにも(笑)、まず学会のことを知ろうとったのだ。1巻から2巻までが辛かった。3巻で山本伸一という青年が登場した。私は母(当時、支部婦人部長)に訊いた。「山本伸一って人は今でもいるの?」と。母は高笑いしてから答えた。「馬鹿でないの、お前。池田先生のことに決まっているでしょ」――この時の私の衝撃は、「ゲッ」という文字を2万ポイントにしたようなものであった。私は「小説」だとばかりい込んでいた。先生も「前書き」でそう書いていた。もしも、18歳の私が先生に会う機会があったとすれば、「先生、ずるいよずるいよ〜」と言って先生の脇腹を肘(ひじ)でつついたことだろう。


 そして一気に読了した。私の人生はその時決まった。否、私自身が変わってしまった。私はバレー部の部室で、毎日のように『人間革命』の講義をした。動のあまり、現代国語の先生に文を提出しようとしたほどだった。念の為、母に相談したが、後日「お父さんが、やめておけって言ってたよ」ということで結局出さずじまいに終わった。


 翌年も、翌々年も私は読んだ。というわけで、3年間続けて、小説『人間革命』を読むことを提案しておく。ちなみに私は7回読んでいる。

2009-04-13

観察者であれ


 本テキストは学会2世、3世を対象としている。なぜなら、私が2世であるためだ。つまり、学会員ではない立場を経験したことがない。若くして入会したメンバーについては、同様の先輩に当たった方がいいかもね。


 人材となるべき姿勢を示す。それは、徹して「観察者であれ」ということだ。自己主張は控えよ。君の価値観はまだ形成されてないのだから。自分の判断力を過信してはいけない。むしろ、判断力を欠いている事実を受け容れるべきだ。


 若さとは伸び行く力であり、拙(つたな)さでもある。これが現実だ。若いというだけで可能があるのは確かだ。しかしよく考えてみよう。一枚の紙にだって可能はある。文豪によって作が書かれる可能もあれば、単なるゴミになる可能もある。後者の可能の方が高いとうがどうだろう?


 君は学会のことを知らなければ、信のこともよくわかっていない。一番肝なことは、「よりよい人生を獲得するために、学会が使えるかどうか」である。君はたまたま学会員の家に生まれただけであって、自ら信仰を選択したわけではない。何を隠そうこの私も自立した暁(あかつき)には、「もっと楽な宗教」に鞍(くら)替えしようとたくらんだこともあった。本当の話だ。少なからず功徳があることは少年時代から確信していたが、五座三座の勤行(当時)が面倒で仕方がなかったのだ。


 学生部や男子部の先輩は温かく君を迎えてくれることだろう。だが実際の君は戦力ですらない。結集の頭数に入っている程度の存在だ。その立場を逆手にとって客観的に観察するのだ。最初のうちは傍観者であっても構わない。


 一人ひとりの先輩を、一回一回の会合を観察する。いい人もいれば、ろくでもない奴もいるだろう。歓喜に満ちた会合もあれば、参加したことを悔やむような退屈な会合もあるに違いない。その時々に自分がじた理由を見極める作が不可欠なのだ。もう少し具体的に言えば、「自分だったら、こうするのにな」というアイディアを練る作だ。


 観察する期間は一年だ。ま、もっと短くても構わない。一年で何もつかめないような者は、何年経ってもダメだろう。


 また、勇んで観察しなければならない。遠慮なくどんどん先輩の懐(ふところ)に飛び込んで、信と学会の何たるかを学ぶべきだ。物理学の世界において温度は粒子の平均エネルギー――すなわち速さ――に変換される。遅い行動は熱を失ってゆく。


 十界論から展開すれば、論理(聞)→直観(縁覚)→行動(菩薩)という軌跡を辿るのが理だとう。

2009-04-09

人材の定義


 それでは、「人材育成マニュアル」を始めよう。尚、ここでいうところの人材育成とは、“自分が育つ”という味であり、“後輩を育てる”ためのものではないことを明言しておく。そして、対象は23歳までの青年とする。24歳以上のメンバーについては、自分で何とかしろ。


 鯖君からの提案があったので、まず人材を定義しておこう。


 人材とは、「自分を変えたいと切望する人」である。有り体(てい)にいえば、「戦う人であり、勝つ人である」と規定できる。で、何と戦うのか? 「変わらない自分自身」と戦うのである。これを、「(自分が)人間革命できる人であり、(他人を)人間革命させられる人」とも言い換えることが可能だ。


 理由は至って簡単だ。釈尊は王子という立場を捨てて、生老病死を解決しようとい立って出家した(四門遊観)。つまり、社会(あるいは世界)を変革するために、まず自分自身を革命しようとしたのだ。


 一方、日蓮大聖人は「幼少の時より虚空蔵菩薩に願を立てて云く日本第一の智者となし給へと」(888頁)じた。日本というのは社会であり世界である。なぜ日本一の知恵者となる必要があったのか? それは日本を変革するためであった。だからこそ、「現在の自分」を「日本第一の智者」と変える必要があったのだ。


 正義の味方は必ず「変身」している。悪を討つためには「自分が変わらなければ」ならないのだ。


 人材となるべき要件は、「現在の自分を嫌悪する」ことである。今の自分に満足できない人こそ人材である。

2009-04-08

人材育成マニュアルの作成


 このブログに書く気が中々起こらない。理由は簡単だ。古本屋のブログにせっせと書評らしきものを書いているため、こちらにまで手が回らないのだ。そうかといって別段困っているわけでもない。


 私もいつの間にか40代半ばとなった。ま、その辺の男子部幹部と比べてもパワーが劣るとはえないが、明らかに成長しなくなっている。詳しいことは、「40代」の指導を読んでくれ給え。


 最近読んだ宮本省三の言葉に私は衝撃を受けた(「思想ではなく理論が方法を規定する」)。私がモヤモヤと考えてきたことと、それよりも一歩進んだ具体が示されていたからだ。


 踏み込んだことを書いておこう。学会の基礎教学では、法華経迹門で理の一念三千が説かれ、その後本門において事の一念三千が説かれたと教わる。つまり、内容と時系列という二面から本門が勝(すぐ)れていることになっている。だが実際は違う。釈尊自身が説いたとされる片言隻語を、後世の弟子が総体的な理論として構築したのだ。


 簡単に言えば、事とは行為であり、理とは言葉であろう。釈尊は悟りを得た。すると、今度はそれを言葉にする必要が生じる。この時点においても、事→理という時系列となることが明らかだ。


 池田門下生にとって最大の課題は、日蓮法の完璧な体系化と、日蓮法を師弟という一点から捉え直した池田(=創価法)の理論化であると私は考えている。それには、100年単位の時間を要するかも知れない。


 で、間違いなくそれは私の仕事ではない(笑)。それほどの研鑚もしていないし、知識もない。ってなわけで、自分にできることを考えてみた。そこで、「人材育成マニュアル」を作ることをいついた。たとえ拙いものであったとしても、作っておけば後々誰かが直してくれることだろう。


 中年期となり記憶力も落ちてきている。若き日の闘争をい起こしながら、二十歳(はたち)前後の青年に向かって、「人材と育つ」具体的な手引を書き残しておこうとう。


 明日か、来週か、来から始める予定(笑)。