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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2008-03-06

人事の基本は実力主義


 いかなる人を指導者に選ぶべきか。いかなる人を真のリーダーと呼ぶべきか。ここに、社会であれ団体であれ、その未来を決定する最大のポイントがある。

 決して、や家柄だけで判断してはならない。現実に、力はあるのかどうか。一個の人間としての輝きがあるのか否か。ここに判断の基準がなければならない。

 いい味の実力主義能力主義こそ、民主の時代の基本である。


【神奈川県、青年・学生部代表者会議 1990-01-15 神奈川文化会館


 既に聖教新聞で報じられているように、婦人・男子・女子各部長の新人事が発表された。三井婦人部長の就任は喜ばしい。偉ぶらないし、率直である。労も知っている。何てったって人気がある(笑)。女子部長を経験してない婦人部長は初めてじゃないか? これも望ましいことだ。妙な不文律ができてしまえば、学会もおしまいだ。


 敢えて本質的なことを書いておきたい。学会の人事は「職員主義」である。その味で職員は、現代の二乗であり、21世紀の坊主といってよい。民間人の総県長・勤め人(サラリーマン)の副会長は存在しない。これが、民衆から遊離する最大の原因となっている。


 学会がこれほど大きくなった以上、それは致し方がない側面もある。優秀な人物を職員として採用し、人材育成すること自体が間違っているとは言えないだろう。ただ、その時点でも「実力主義」とはなってないのが現状だ。幹部の子弟や出身大学で優遇されている面が否めない。先生が本部職員となったのは昭和33年(1958年)のことだが、その時点では高卒だったことを忘れてはなるまい。


 どこの企でも優秀な人材を求めるのは当然だが、学会本部は企ではない。個人的には、官僚や公務員も同様だと考えるが、優秀でなくても真面目な人を選ぶべきだとう。頭のいい人間は、必ず利害を求めるようになるからだ。


 今は、先生の出版物があるから利益も出ている。だが、先生がいらっしゃらなくなれば、職員の給与は完全に「財務」から捻出されることになろう。そう考えると、職員は薄給であるべきだ。本当は「托鉢(たくはつ)しろ」と言いたいところ(笑)。


 そこで一つ提案をしておきたい。新卒の職員採用は見合わせ、総区男子部長を職員として採用する。更に学会総体の学歴パーセンテージに合わせて、高卒・中卒の職員も採用する。こうしておけば、かなり「実力主義」に沿ったものとなるだろう。昨今は、「職員だから総区男子部長になる」という本末転倒の状態となっている。


 既に何度も書いている通り、将来的には選挙人事の方が望ましいと考えている。それぞれの役職を輪番制にし、上下関係が生まれないようにした方が、和合僧に相応(ふさわ)しいとう。

2007-08-08

人材抜擢が人事の根本


 さらに、戸田先生の指導者論に触れておきたい。

「たとえ自分には力がなくとも、自分の部下に、自分にはないものを持っている人を用いていけば、自分にはなくとも、あるのと同じになる」

 広宣流布は、「長の一」が重要であるとともに、決して一人だけで成し遂げることはできない。皆の協調と知恵によって、組織を一新させることができる。

 また、こうも言われていた。

「年をとって、だんだん上に上がっていくというようなかたちは悪い。広宣流布は、みんなの手でできるのだから、新人を抜擢していくことが大事である」

 若手に新しい責任を与えることが、人材育成にもなり、組織も生き生きとする。ここに、リーダーの見識が現れるといってもよい。


【徒然草と師の指導を語る 2006-08-11 群馬多宝研修道場


 今時の幹部ときたら、人事を評価と錯覚しているのが多い。


 もっと根本的な問題は、学会人事が非常に不透明な点である。誰が決めているのかわからない。ゆえに、失敗したとしても責任を取る人がいない。何らかの情報公開が必要になってくるとわれる。


 若手を抜擢するのが学会人事の特徴ではあるものの、男子部上がりで壮年幹部となった場合、極端に力を発揮できないケースが目立つ。気づいたことがあっても、言い切ることが出来ない。遠慮がちに接し、世間話に興じるのがやっとという具合である。つまり、リーダーに牽引力がなくなりつつあるのだ。


 試しに、幹部という幹部に個人折伏を何世帯やっているのか訊いてごらんよ。パッと言わないのが殆どだから(笑)。その程度のレベルで幹部面しているんだから、たまったもんじゃないわな。


 折伏も満足にしてなければ、教学もなさ過ぎる。これでは、烏合の衆となることを避けられない。


 その辺をよく見極めた上で登用しなければ、本人にとって役職が負担となる。座談会の話を聞けば、そんなことは瞬時に判断ができよう。壮婦を納得させるだけの話ができていれば問題ない。


 これからは超高齢社会となる。ある程度の重鎮を揃えておかないと、安倍内閣みたいになるよ(笑)。

2006-11-27

ジェネラル・エレクトリック社の経営方法


 それではここで、社員を大切にして素晴らしい成果をあげたジェネラレル・エレクトリック社の例を紹介しよう。まずはこの会社の最高経営責任者(当時)であるジャック・ウェルチが、2000年620日付けのル・モンド紙のインタビューに答えた記事を引用する。なお、ウェルチ氏は、その革新的な経営方法でジェネラル・エレクトリック社を世界でもトップクラスの収益の高い企に導いたことで知られている。《うちの会社では、社員のひとりひとりが自由に発言できるようになっています。私たちは社員を尊重し、その言葉を大切にしているのです。それが私たちの会社の〈価値〉です。また、私たちは candid feedback (率直な反応)をがけています。すなわち、社員の働きぶりを見て、どうったのか、率直なを、社員に対して、直接フィードバックするのです。(中略)人から尊重されて、自分の言葉を大切に扱ってもらいたいとってない人はいません。ですから、管理職の人々には、私はこう言っているのです。「あまりもったいをつけるんじゃないよ。また、自分には権力があるとってはいけない」と……。ジェネラレル・エレクトリック社では、社内の上下関係にかかわらず、どんな地位にいる人でも自由に話をすることができます。その味では、きわめて風通しのいい会社なのです。(中略)また、社員に対してはこう言っています。「もし上司にひどいことを言われたら、負けずに言い返すがいい。それができないようなら、辞めてしまいなさい」と……》。また、ウェルチ氏は、企の効率が悪くなる最大の原因は官僚主義だと考えていて、これに対しては毎日のように戦わなければいけないとしている。《どうしてこれほど官僚主義がはびこるのか? それは〈自分の要求は正しく、相手の要求はまちがっている〉と考える人に都合がよいからです》

 さて、こうしたウェルチ氏の考えをもとに、ジェネラル・エレクトリック社では、社員のひとりひとりに信頼を置く経営管理を推し進める。その結果、たとえば管理職に対する評価なども、従来のように上からの一方的な評価ではなく、上司や部下、同僚など、一緒に働いている人々全員が評価を下す。〈360度評価制度〉が用いられている。また、潜在能力は高いが、まだ若い中間管理職は、もっと経験のある年配の社員の後見を受けながら、担当している部署を率いていく制度も採られている。それだけではない。社内で問題が起こった時には、その問題に関係する人々が全員集まって、相談するというシステムもできている(この会議の進行役は、その問題と関係がなく、またこういった役目をするのに特別な訓練を受けた社員が担当する。また、参加者がより自由な雰囲気で発言できるように、その問題に関係がなければ、上司も出席しない)。

 このように社員の力を信頼した経営方法を採用したからこそ、ジェネラレル・エレクトリック社は素晴らしい績を残してきたのだろう。だが、これは何もジェネラル・エレクトリック社にかぎった話ではない。社員というものは、それぞれの個を大切にしてやれば、潜在的に持っている豊かな能力を開花させるものなのである(これは経営管理に関係したすべての研究の結果が証明している)。能力というものはひとつの基準では測れない。社員ひとりひとりの個に応じた特別な能力があるのだ。ならば、それを活かしたほうがずっと得策ではないか?

 そうしたさまざまな能力を公平に評価する健全なシステムがあれば、社員たちは評価を恐れることもない。人はいずれ、なんらかの形で評価を下されるのである。もしそうなら、その評価のシステムはなるべく公平で健全であるほうがいい。そういったものができれば、それぞれの持ち場もはっきりするだろうし、問題が起こった時に、もっと自信を持って自分の見を言えるようにもなるからだ。


【『モラル・ハラスメントが人も会社もダメにする』マリー=フランス・イルゴイエンヌ(紀伊國屋書店)】


 是非、学会でも導入してもらいたいものだ。三代会長が永遠の指導者であり、会長機能説が明確となった現在(いま)こそ好機だとうがどうだろう?


 創価学会組織では、分区以下の単位には予算がない(支部総会は除く)。ということは、学会組織における“権力”とは人事権に集中している。


 人事しさは、登用してみないとわからないところにある。失敗すると、本人も組織もダメになる。だが、その責任を誰も取らない。例えば青年部の場合、優秀な部長であったとしても、本部長にするとダメになるケースがある。現場で戦うのは得だが、部長を動かすことができないのだ。年齢やキャリアに対する遠慮が、指揮をぎこちなくさせることが多い。


 人事の公正さ、正当を担保するには、「誰が」「どのような形で」「判断し」「決定するのか」が問われる。


 学会の規定によれば、支部長の人事権はB長までにしかない。これは、どう考えてもおかしい。さほど動いてない本部長がいたとしても(山ほどいるよ)、その野郎が地区幹部を決定するのだ。自分の脇士を選べないのは当然だとうが、現行のままでは「支部長は、地区幹部を育てる必要はない」と言っているのも同然だ。


 上だけの判断で行われてきた人事によって、組織の大半は既に滅茶茶になっている。これを正すには、「下からの評価」を加えるしかない。


 ただし、「下からの評価」は、ともすると人気投票になりがちだ。だからこそ、上と下で評価・判断をする必要がある。


 また、人事が失敗した場合、最大の被害者は組織のメンバーである。ゆえに、リコール(解職請求)制も併せて導入するべきである。


 更に抜本的な改革として、本部職員、外郭職員、公明党議員は公募制にする必要がある。人脈だけで決めるやり方は公正さを欠いているし、談合的な要素が生まれかねない。


 余談になるが、GE(ジェネラレル・エレクトリック社)とは、エジソンを騙(だま)してつくった会社である。


【※引用文は、明らかな誤字を2ヶ所訂正した】


モラル・ハラスメントが人も会社もダメにする

2006-11-05

役職と信心


「役職」と「信」について、戸田先生は次のように指導されている。

学会組織は、御本尊を信ずるという点においては、会長もなければ、組長もありません。皆、同じです。ただ広宣流布のため、折伏のための行程としての組織があるのであって、信の上では組長であっても、支部長より信の強い人がいるかもしれません。また、地区部長だといっても、それこそ一組員より信がない人がいるかもしれません。

 功徳は信で論ずるもので、組織の位置をもって論ずるものではない。そのところを、よくよく間違わないようにして下さい」と。

 要するに学会の役職は責任職である。役職に就いた人は、その自覚を強くもつべきであるし、ますます信を強盛にしていかねばならない。しかし組織上の役職というものは、すべての人が就くわけではない。また、役職がないからその人が信がないとは絶対にいえない。役職がなくても信の強盛な人は多くいる。ゆえに役職の上下と信の厚薄を混同してはならないし、妙法の世界は、ただ信によって、その人の偉大さが決まっていくことを忘れてはならない。

 さらに、戸田先生は、「信」と「組織」について、次のように述べられている。

「だからといって組織がいらないとは絶対にいえない。組織は広宣流布のためにある。組織がなければ広宣流布はできない。どこまでも組織組織として、厳存しなくてはならない。そして、どこまでも、異体同の精神がなければ広宣流布ができないと、(大聖人は)おっしゃっている」と。

 広布の活動も新たな発展への段階を迎えている今日、信組織の基本を示された、この戸田先生の指導をしっかりと汲み取っていくべきである。


【第2回中部総会 1987-09-21 中部池田記講堂】


 役職は、信のレベルを表すものではない。人事で登用されることが、成功の道標(みちしるべ)と考えている愚か者を時々見かける。それこそ、信のない姿を露呈したも同然だ。


 21世紀に入り、青年部の力が格段に落ちた。まず、婦女一体が打ち出され、今年になって遂に壮男も歩調を合わせることとなった。青年部幹部が折伏を決められない。また、年長者からの相談に応えることができないといった窮状を反映したものだと像する。


 学会青年部も既に3世、4世が占めるようになりつつある。きっと、恵まれ過ぎた環境で育ってきたために、求道のカケラも持ち合わせてないのだろう。任務中の創価班を見ても、とにかくだらしがない。ただ、突っ立っているだけだ。役員と何ら変わりがなく、「警備」という識すら見受けられない。


 広宣流布を最大限に価値的に推進するための組織である。そして、民衆を守るための組織である。信強盛な人が責任ある立場となっていけば、皆が安して活動に励める。ところが、中枢にいるのは本部職員と創大出身者のみとなってしまった。ここに組織弱体化の最大の理由がある。このような実態がある中で上昇志向を抱くのは馬鹿げている。


 信とは個人レベルの世界である。どんな組織にいようと関係ない。戸田先生のように、牢獄の中ですら自由な境涯を獲得することができる。そこでまず第一に提案したいことは、「信を深めよう」ということだ。広宣流布は一人立つことから始まる。であれば、まず、組織に依存する精神を捨てろと言いたい。正役職をしているならば、口が裂けても「やりましょう!」と言うな。全部、自分でやれ。


 第二に「力をつけよう」。社会で生きてる以上、力がないと馬鹿にされる。誤解を恐れずにいえば、一番わかりやすい力は腕力である。ところが文明の発達に伴って、武器が作り出されるようになると力関係は一変する。より精巧で破壊力の強い武器を買える人間が力を手中にした。ここにおいて、腕力よりも経済力が勝るのだ。大企をみてごらんよ。みんな、武器を製造しているから(笑)。力の基本は暴力であることが明白だ。


 特に男諸氏に言っておきたいことは、本部職員と比較した時、我々民間人の方が有利なのは、「いくら金儲けをしても構わない」という一点だけである。“金儲けをする自由”が与えられていることを忘れてはならない。


 第三に「個を磨こう」。個とは自分らしく生きる中で自然と現れる輝きである。皆が進む方向に、さしたる理由もなく付いて行くような人に個はない。個のない人は面白みに欠ける。人間革命を通して、強烈な個を発揮すべきだ。


 以上の三点を私は叫んでおきたい。先生がいなくなった後、問題を起こすのは職員か創大出身者と相場は決まっている。多分、公明党からは出ないだろう。そのために今、散々叩いているのだ。私が提言する三点を多くの学会員が実行してゆけば、どのような問題が起きようとも、組織は磐石になるはずだ。


 組織の上に乗っかるな。自らが組織をつくれ。「組織する」という発をもて。

2006-07-03

必勝の鍵は、有能な人材が登用され、無能な人間が退けられること


 まず初めに、三国志の英雄・諸葛孔明の勝負の哲学に学びたい。

 戸田先生は、よく孔明を通してリーダーのあり方を話してくださった。

 私は、そうした戸田先生の教えを克明に、日記などに記録していった。その作が、深夜に及ぶことも度々だった。そのことは、私の妻がよく知っている。

 それほど「真剣」だった。真剣だったからこそ、今日の学会ができ上がった。

 真剣でなくして、本物ができるわけがない。いいものができるわけがない。個人の人生においてであれ団体であれ、それは同じである。

 さて孔明は、勝利と敗北の分かれ目をどう見ていたか──。

 まず、「必ず勝つための鍵」の一つとして「有能な人材が登用され、無能な人間が退けられる」ことを挙げている。

 当然、この反対をやれば必ず敗北する。

 適材適所になるよう、いかに人材を配置するか。いかに人を生かしていくか。リーダーは私的な情に左右されず、公平に人を見ていかなければならない。

 この一点に、私は最大にを砕いてきた。これからの学会を担いゆくリーダーは、その責任の重さを自覚していただきたい。


【全国代表協議会 2006-01-27 創価文化会館


 今日は、7.3――。


 官僚は、有能な人材を求めない。便利な人材を求める。官僚とは、自分を殺しながら、自分の利益しか考えない人物のことである。


 今、自分への評価を求める人々は必ず堕ちてゆく。今は力を溜める時だ。弟子の本領を発揮するのは、師匠がいなくなった時である。


 悲しいことに、学会の人事は既に崩れている。電車賃をかけて中央の面接にゆき、副会長から「宜しくお願いします」という一言だけを聞かされているのが現状なのだ。人事面接が、単なる形式的な手続きに終始している。


 官僚主義に毒された組織で、評価される必要は全くない。御本尊様から評価されれば、それでいいのだ。組織の位よりも、信の位を上げよう。


【※指導は、NON氏の投稿によるもの】

2006-05-21

サプライズ人事


 ブックオフコーポレーションの社長人事が注目を浴びている。就任したのは橋本真由美常務(57歳)。タレント・清水國明氏の姉である。


 短大卒後3年間、栄養士として病院に勤め、その後は17年間、専主婦をしていた橋本さん。平成2年、一発起し神奈川県にオープンしたブックオフ1号店にパートとして入った。当時の時給は600円。「娘2人の学費の足しにでもなれば」がきっかけだった。

 面倒見のよさから店のリーダー的存在に。同3年に正社員となり、人材育成面で実力を発揮し始めた。2号店の店長などとして活躍し、6年に取締役、15年には常務に昇進した。事を拡大する同社の創者、坂本孝社長(66歳)の右腕として活躍してきた。


【サンケイ・スポーツ 2006-05-17】


 パートで勤務した店ってえのが神奈川県相模原店で、内の近所なんだ(笑)。16年間でパートから社長にまで上りつめた同社の実力主義と、女を差別しない平等が、こちらの気持ちまで明るくしてくれる。


 ブックオフのCMに清水國明氏を起用したのも橋本氏ということだから、タレントの威光を利用するような真似は全くなかったといってよい。また、「本を買います」とのキャッチコピーを、「本をお売りください」と現場から提案したのも橋本氏だというから、実力者であることは疑う余地がない。本を持ち込む人が、どことなく肩身の狭いいをしていることに気づいて進言したそうだ。


「地道に努力して最強の現場集団をつくりたい」との新任豊富も爽やかだ。取締役になってからもに何度かレジに立つ人ならではの言葉だ。


 最近、「サプライズ人事」という言葉をよくにするようになった。大手企でも十何人抜きなんて人事がありましたな。多くの人々が望んでいるのは、平等主義に裏打ちされたなのだろう。


 果たして、学会人事はどうか?

2006-05-13

番付制の導入


 人事に番付制を導入してはどうだろう? 上半期と下半期の実績をみて、審議の上で決定する。年2回発行される番付表で、どの幹部が戦っているかが一目瞭然。賭け事が始まったりして(笑)。


 現在、基本的に降格人事はない。多分、降格すると退転してしまうのが、その理由だとう。慎重さは理解できるつもりだが、如何(いかん)せん、堕落の温床となっているのも確かだ。


 これを打開するのが番付制だ。人事自体を流動的なものとして受け止めるようになれば、上下するのは当たり前だと皆が考えるようになる。下がる幹部は、どんどん下がるから、降格人事よりも厳しい。「角番(かどばん)幹部」が続出しそう(笑)。


 総区長から地区部長にまで降格して、その後、再び総区長に返り咲いた人は「地獄を見た男」と称される。琴風みたいに(笑)。


 最大の特長は、誤った人事がなされても、直ぐに修正できるところ。また、純粋な実力主義によって、組織不信が一掃されることだろう。更に、人材不足のため10年も20年も同じ役職をすることはなくなるはずだ。


 考えれば考えるほど案だとうが、いかが?