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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2009-05-07

「決して恐れるな、獅子として堂々と生き抜け」


 戸田城聖第二代会長生誕90周年を記し、第二代会長をしのぶ第1回懇談会が9日午後5時半から、池田誉会長が出席し、新宿区内で開かれた。

 席上、誉会長は、メンバーの日頃の活躍の労をねぎらいつつ、「戸田先生を知らない世代に、師の残された広宣流布の精神を語り伝えておきたい」と述べ、約1時間にわたり、大要、次のように戸田第二代会長の指導を語った。


 1.戸田先生が晩年、青年によく言われていた指導がある。「決して恐れるな、獅子として堂々と生き抜け」と。

 2.人生には、さまざまなことがある。ゆえに、必ず何でも相談できる人を一人、に置いておくことが大事である。

 3.常に弱者の味方たれ。傲慢とは、どこまでも戦い抜いていかねばならない。

 4.いかなる組織や団体でも、大きくなれば、さまざまな問題や事故はあるものだ。これは必然である。しかし、それらの問題を解決しながら、更に大きく発展させていくのが「妙法」の力であり、価値創造なのである。

 5.「世界の広宣流布を」との日蓮大聖人の御遺命は素晴らしいことである。「理」が大きければ大きいほど、「人生」は大きくなる。また、労なくして真の指導者は育たない。


 更に誉会長は、こうした第二代会長の指導を引きながら、「時とともに成長していかないのは、本当の人生修行ではない」「何事も電光石火のごとく手を打たねばならない。そこに勝敗の分かれ目がある」「強く生きよ。堂々と我が信の道を進んでいくことだ」「一生懸命行動した分だけ、人々との絆を強めることができる。そのの結び合った人たちが、いざという時に諸天善神の働きとなってくれる」「子を守るための戦いを忘れてはならない。『戸田の生命よりも大切な広宣流布の組織』で戦っている人を守れということである」など語った。


戸田先生生誕90年記の懇談会/第1回懇談会 1990-02-09 東京・新宿区内】


 民主主義の代詞である議院内閣制が生れたのは18世紀のこと。古代インドや古代ギリシアには部分的な民主政は存在したが、その後否定されている。民主主義の母体となった市民革命は、1641年にイギリスで清教徒革命が起こり、1789年にはフランス革命が欧州の大地を揺るがした。しかしながら両国はその後、王政復古へと逆戻りしている。歴史はいつだって矛盾に満ちている。そして大衆はいつだって気まぐれだ。


 人類がまだ民主政を発見していなかった頃、政治は君主制だった。王位は自動的に継承された。代々続けば、時には愚かな王様も現れる。そうしたリスクを回避するために幼少時から施されたのが帝王学である。ソクラテスからマキャベリに至るまで帝王学というテーマは継承された(上田惇生著『ドラッカー入門 万人のための帝王学を求めて』ダイヤモンド社、2006年)。


 我が創価学会においては、民衆の指導者を育てるべく戸田先生が青年部に将軍学を叩き込まれた。そして、組織の命運を左右する参謀室・渉外部の責任者に若き池田先生を任命された。人材を抜擢して育てるのが戸田先生の育成法だった。


 将軍学が知識であるうちは、まだダメだ。肚(はら)の底に入っていて、瞬時に行動できるようでなければ。これは、訓練を繰り返す中でしか身につかない。そして、偉大なる将軍の身近にいなければ、将軍たる者の覚を理解し得ない。結局、人が人を育てるのだ。


 短い言葉の中に深遠な教えが込められている。そこに気づき、索し、体得する日々であらねば。

2009-01-27

『人生問答』池田大作、松下幸之助


新しい「」の考え方


池田●教のなかには「」という考え方があります。こうした考えは現在では古い封建道徳の遺物であるとして排斥されていますが、「一切衆生」を説いているように、たんなるタテの主従関係を強いるものではなく、もっと社会への広がりを含めて、他者の存在を受け入れ、それへの信頼を強調した内容をもっております。

 人間疎外、エゴの相克する社会の亀裂を埋める潤滑油として、こうした考えに新たなを吹き込んで見つめ直していくことが必要ではないかと考えますが、ということをどういう味にとらえるべきか、またその役割はどうあるべきだとお考えになりますか。


下●おっしゃるとおり、「」ということはきわめて大事なものだといます。実は私どもの会社では、私自身の処世の基本でもあり、また社員の指針ともなるものとして、七つの精神というものを以前から定めておりますが、その一つとして「謝報」ということをあげ、このいこそ、われわれに無限の喜びと活力を与えてくれるものであり、このいが深ければ、いかなる困も克服でき、真の幸福を招来する根源ともなるものだとしております。ですから、ご質問にもあるように、人間生活の潤滑油としての役割を果たすものだといますが、たんなる潤滑油ではなく、いわば高級潤滑油ともいえましょう。

 俗に、犬でも三日飼われればを忘れぬといいますが、まして人間には本来、好を受けたら、それをありがたいと謝し、それに報いたいという情がわいてくるような本がそなわっているのではないでしょうか。という言葉がいつからできたか知りませんが、そういう言葉のない昔から、その内容はあったろうといます。しかし、そういうものを強くじる人と、あまりじないという人とがありましょう。けれども、あるていど適当にというものをじ、それをかみしめ味わう、そして、だんだんそれに報いていくというところから、その人の人生も、また共同生活も非常に情操的に豊かになっていくとうのです。

 の豊かさというものはいろいろありましょうが、やはりを知るということが一番を豊かにするものではないでしょうか。人間といわず天地万物いっさいのものの恵みがみなわかってくるわけです。

 花一つ見ても、今まではただきれいだなというていどだったものが、もっと深い美しさがわかってくるといます。つまり、を知るということは無形の富であって、無限に広がって大きな価値を生むものだといえます。

 猫に小判ということがありますが、せっかくの小判も猫にとっては全く価値なきものにすぎません。けれども、を知ることはいわばその逆であって、鉄をもらってもそれを金ほどにじる。つまり鉄を金にかえるほどのものだとうのです。そして、だから金にふさわしいものを返そうと考える。みんながそのように考えれば、世の中は物ともに非常に豊かなものになっていくでしょう。

 もっとも、このとか返しということは、けっして要求されたり、強制されたりするものであってはならないといます。今日(こんにち)、ということがともすれば排斥されているのは、昔はそれが君臣(くんしん)のを中として強調され、しかも多少強制的に要求されるといった面があったからだといます。

 けれども、本来、というものは、ご質問にもあり、またすでにのべてきましたように幅広いものであり、しかも人間生活を物ともに豊かにしていくきわめて大切なものなのです。ですから、そういうことが、自由な姿においてお互いの間で理解され、浸透していくことが望ましいといます。

 そのためには、それを培養するようなあるていどの教育が必要でしょう。最近は、豊かな情操を育てるうえで、いわゆる音教育というものが重視されているようですが、それ以上に、いわば「教育」というものを、近代的な姿で行なっていくことが大事だとうのです。


【『人生問答』池田大作下幸之助(潮出版社、1975年)】


 法には「」という考え方がある。それはタテ社会の主従関係を強いるものではない。「一切衆生の」が説かれているように、を社会へと広げ、他者の存在を受け入れ、信頼の眼を開いていく哲学ともいえよう。

 山本伸一は、この「」について、下幸之助に見を求めた。

 下は「」を最重要視していた。「謝報」は、自身の「処世の基本」であり、自社の社員の指針の一つでもあるという。

 それは「このいこそ、われわれに無限の喜びと活力を与えてくれるものであり、このいが深ければ、いかなる困も克服でき、真の幸福を招来する根源ともなる」からであり、「を知るということが一番を豊かにする」ものだと記していた。

 伸一は服した。

 さらに、下は、こう解説する。

 ――を知るということは無形の富であって、無限に広がって大きな価値を生む。猫に小判というが、猫にとっては小判も全く価値はない。しかし、を知ることは、その逆で、鉄をもらっても、金をもらったほどの価値をじる。つまり、を知ることには、鉄を金に変えるほどのものがある。

 そして、じた人は「金にふさわしいものを返そうと考える。みんながそのように考えれば、世の中は物ともに非常に豊かなものになっていく」というのだ。

 もとより、返しは、決して要求されたり、強制されたりするものであってはならない。自由ななかでについて理解を深め、この考えを、浸透させていく必要がある――それが下の主張であった。

 彼は「豊かな情操を育てるうえで、いわゆる音教育というものが重視されているようですが、それ以上に、いわば『教育』というものを、近代的な姿で行なっていくことが大事だとうのです」と結んでいる。

 父母や一切衆生の、報謝の道を教える法を、民衆に弘め、実践する創価学会には、その「教育」の生きた姿がある。


【『新・人間革命』新世紀 51/聖教新聞 200-01-21】


 いずれも富岡氏から寄せられた指導。深謝。


人生問答(上) 人生問答(中) 人生問答(下)

2009-01-22

『人生問答』池田大作、松下幸之助


 富岡氏より以下の内容を送っていただいた。与えられる立場に甘んじる人が多い中で、貴重なテキストをお寄せしてもらい、より謝申し上げる。


闘の体験は


池田●青年に、未来への希望と行動の確信を与えるものは、どんな理論や高邁(こうまい)な教説より、先達の確かな人生体験にすぐれるものはないといえましょう。そうした味で、貴方がこれまでの半生で、最も労し、身を削られたという、闘の人生史の一ページを、お話しいただければ幸いです。いつ、どのような問題で格闘されたのか、また、そのさい、何をよりどころとし、信として打開されたかを、おうかがいしたいといます。


下●これまでの私自身の半生で、一番労したのはどんな時かというご質問ですが、実はこの種のご質問が一番お答え申し上げにくいのです。と申しますのは、正直のところ、自分の歩みを、今静かに振り返ってみて、あの時は非常にしかった、大変な闘であったというじがあまりしないのです。他人からみて闘とわれることはあっても、自分ではそのなかに常に喜びというか希望が輝いており、そのため労というじがなかったのかもしれません。

 ただ、私は幾分神経質なせいもあって、あれこれ考え悩んで一晩眠れないといったことなら、これは何度もあります。たとえば、こんなこともありました。

 私が事を始めてしばらくして、50人ばかり人を使うようになった時、そのなかに一人ちょっと悪いことをする者があったのです。それで、そんな人がいて困ったなとったり、その人をやめさせたものかどうか迷ったりで、一晩気になって寝られません。

 ところが、あれこれ考えているうちに、ハッと気のついたことがあるのです。それは、今、日本に悪いことをする人が何人いるかということです。そうすると、いわゆる法を犯して監獄に入っている人がかりに10万人とします。ところが、法にはふれずに、軽罪、微罪で見逃すという人は、その3倍も5倍もあるでしょう。50万人もいるかもしれない。それではその人びとをどうしているかというと、べつに日本から追放するでもなく、国内にとどめています。

 当時は戦前のことで、天皇陛下は神様のようなものでしたが、その天皇陛下の御徳(おんとく)をもってしてもそういう悪いことをする人を少なくできない。しかも、ごく悪い人は監獄へ隔離するけれど、それほどでもない人はこれを許しておられる。それが現実の日本の姿だとすると、そのなかで仕事をしている自分が、いい人だけを使って仕事をやるというのは虫がよすぎる。天皇陛下の御徳、御力をもってしてもできないことを、一町工場の主人にすぎない自分がしようとってはいけない。そう気がついたのです。そう考えると気分がスーッと楽になりました。そして、その人を許す気になったのです。それから後は、そういう考えにたって大胆に人が使えるようになりました。

 ですから、そういう悩みから、いわば一つの悟りをえたわけで、今となってみれば闘でもなんでもなく、あれもいいことだったなという慨が残っているのです。

 結局、私の場合、その日その日を精いっぱいに努力してきたということに尽きるようにわれます。そして、その過程のなかには、常に希望があって、それが労とか闘をじさせなかったのではないかとっております。


【『人生問答』池田大作下幸之助(潮出版社、1975年)】


 下政経塾出身の政治家は、創立者である下氏の魂を知れ。下幸之助は偉大な実家であった。とするならば、政治が虚であっていいわけがない。与野党が衆院選の駆け引きに終始している。国民を愚弄するにも程がある。

『新・人間革命』


 下幸之助と山本伸一が、互いの質問に対する回答を、ほぼ終えたころ、『週刊日』の編集者から、これを公開してはどうかとの話があった。下も、伸一も、もともと公表を図して始めたものではなかった。

 しかし、編集者の熱な勧めに従い、二人は了承した。

 編集者は、300の問いと答えのなかから、時局にふさわしいテーマを選び、1974年(昭和49年)1011日号から連載を開始した。そして、往復書簡は、75年(同50年)の627日号まで計35回、8カ半にわたって連載された。それでも、掲載された分は、交わした書簡の3分の1ほどであった。

 6の下旬、連載の終了にあたって、下と伸一は会談した。その折、『週刊日』には掲載されなかった、人生や人間などについて論じ合ったものなど、すべてを収めて本として残してはどうかということになった。

 そして、この年の10に、『人生問答』のタイトルで、上下2巻の単行本として、潮出版社から発刊されたのである。各質問と回答は、「人間について」「豊かな人生」「宇宙と生命と死」「繁栄への道」「宗教・・道徳」「政治に望むこと」「社会を見る目」「何のための教育か」「現代文明への反省」「日本の進路」「世界平和のために」の11章に分類された。いかに多岐にわたる書簡が交わされたかが、よくわかろう。

『人生問答』は、伸一にとって、財界人との初の往復書簡集となった。これを読んだ学会員は、下の見が、法の考え方に極めて近く、多くの点で、伸一の主張と見事に共鳴し合っていることに嘆した。

 天台大師は「一切世間の治生産は皆実相と相違背せず」と述べている。治生産とは、社会生活や生産活動など、世間における人びとのさまざまな営みである。それは、法と決して別のものではないというのだ。

 ゆえに、社会の一流の人物の生き方、考え方は、法と響き合うのである。


【新世紀 52/聖教新聞 2009-01-22】


人生問答(上) 人生問答(中) 人生問答(下)

2008-08-26

金文字の日記帳に空白のページをつくるな


 一日一日の行動は、日記帳に書く書かないは別として、人生の金文字の日記帳である。同じい出といっても、映画を見たり、快楽のみでは、水泡のように消えてゆく、はかないい出である。

 どうせ同じ一生を過ごすならば、妙法流布という偉大なる行動の数多くのい出を残したい。まして青年は、将来その金文字の日記帳をひもといた時、ただの一ページといえども空白のページをつくるべきではない。


【『指導メモ』 1966-06-01発行】


 この指導を知ったのは十代の時。震えるような激に身を貫かれた。特に最後の一文に至っては、その場で立ち上がって「ハイ!」と返事をしそうになったほどだ。


 私の両親は、支部制(昭和53年、1978年)となった時から支部長・婦人部長をしていた。私は中学2年生だった。物がついた頃から、夜、親が家にいることは少なかった。少な過ぎて覚えていないほどだ(笑)。私が小学校に上がる前から、母が布団を敷いて出かけ、弟二人の服を脱がせて畳み、寝かせるのが私の役目だった。小学5年生あたりまで、就寝は午後8時と決められていた。


 そんな両親のもとで育った私だから、男子部となるやいなや、鉄砲玉みたいに行ったまま返って来ない活動を展開した。初めの頃は空転することも多かったが、ギアが一旦はまり出すと面白いように結果が出た。


 上京して間もない頃、ある先輩から言われた。「小野君、20代でどういう歴史を残したかが大事だぞ」と。「30過ぎて人生の土台をつくろうとしても遅過ぎる」とも。その時、この指導をい出した。


 先生の指導と先輩の言葉が頭から離れなかった。しかし、人間の悲しい(さが)で、それなりの20代にしかならなかったような気がする(涙)。私が20代で成し遂げたのは以下のようなものだ――

  • 8世帯の本尊流布。
  • 御書全編読破2回。
  • 読書1000冊(学会出版物数百冊)。
  • 数十の活動家を育成。
  • 数十の未来部員の育成。
  • 出席した座談会は、ほぼ100%盛り上げる。
  • 一通りの会館警備。
  • 本山警備。
  • 本部警備。
  • 対告衆(たいごうしゅ)として気合いを入れられまくる。

 こうして書いてみると、他愛のないことばかりだが、私の脳裏にはさまざまない出が去来する。たくさんの顔が浮かんでくる。


 他人の前で誇るために頑張るのではなくして、後から振り返ってみて、何歳の時に何をやったのかという鮮烈な事実が大切なのだ。その程度の歴史をつくらずして、学会員を乗る資格はない。自分の弱さに負けているような者が折伏をしたところで、法を下げるだけだ。

2008-08-23

20年先を目指し、獅子のごとく生きぬこう


 いつもいつも冴えゆく

  光と語りながらの

   雄々しき挑戦ありがとう

  二十年先を目指し

   獅子の如く

   太陽の如く

    共に生きぬこう


【『友へ贈る』 1978-05発行】


「20年先を目指しなさい」とは、昭和40年代の青年部に対する基本的な指針であった。信といっても、人物といっても20年見なければわからない。20年持続すれば本物である。赤ん坊だって、20年経てば立派な大人へと成長する。


 今、メディアで持てはやされている有人が、果たして20年後も同じ主張をしているかどうかはわからない。時に、全く正反対の立場となっていることも珍しくはない。時の本質――それは淘汰である。


 私は二十歳(はたち)を過ぎた頃、この指針を何となくノートに記した。当時はとてもじゃないが、光を見つめる余裕などなかった。ひたすら次の家を目指して家庭指導に明け暮れた。毎日が戦闘モードになっていて、戦うことに努力を要する段階は卒していた。


 先生の「ありがとう」という言葉が胸に染みるようになってきたのは、リーダーとしての孤独を知るようになってからのこと。ま、孤独といったって、寂しさなんぞとは無縁の質のものだ。大体、私には「寂しい」という情がないのだ。私は“広布のオズマ”だ(笑)。


 組織うように動かない時、リーダーは岐路に立たされる。「今までできなかったんだから、できなくったって仕方がないよな」という妥協の道と、「少々の反発があっても戦い抜く」という挑戦の道に分かれる。「少々の反発」と書いたが、実際には結構大変なんだよ(笑)。少々どころじゃない。だが、このハードルにつまずいているようだと、まともなリーダーにはなれない。


 結局、尻込みしたくなるような場面を、いくつ乗り越えたかで人の成長は決まる。へっぴり腰は何人いたところで役に立たない。斬り込んでゆく時、踏み込みが浅いと返り討ちに遭う可能が高い(笑)。


 20年先を目指して決するのは生やさしいことではない。3日分の決なら誰にでもできるけどね(笑)。20年間努力すれば、それが自分の(ごう)となる。20年後の本因を積んでいるとえば、どんな労にも耐えられよう。

2007-12-31

戸田先生「人生も信心も強気でいけ」


 私どもの前途には、権力の迫害もあれば、様々な妨害もある。しかし、決して驚くことではないし、恐れる必要もない。信仰ゆえのであれば、それはむしろ信仰者の誉れであり、大いなる喜びである。少なくとも私は、戸田先生の弟子として、そうしたいで今日まで生きてきたつもりである。

 戸田先生は晩年、「人生は強気でいけ。信も強気でいけ」と指導された。いかなる事態にも、いささかも動ぜぬ強さ、大きさがなければ、広宣の荒波を乗り切っていくことはできない。弱々しい自分ではも破れない。敵も倒せない。結局、人生の戦いに敗れ、不満の人生で終わる。

 ゆえに、この戸田先生の指導を改めてに刻み、明年へ「強き」で前進していきたい。


【第24本部幹部会 1989-12-20 創価文化会館


 先ほど、こんな話をにした。近隣に引っ越して来た方から、「以前、お宅に公明党のポスターを貼ってあったのを見たのですが、学会の方ですか?」とを掛けられた。「はい、そうですよ」と答えると、「引っ越して来てから数ヶが経って、やっと統監のカードを回してもらえることになりました。内は、主人が信に猛反対で本当に大変なんです。何とか信の話を聞かせてもらえないでしょうか?」とのこと。取り敢えず、携帯電話の番号を教えてもらったという。相手の方は、既に70代だそうだ。


 いつ、入会したのか知らないが、こんな話を私は鵜呑みにしない。所詮、自分の弱さを亭主のせいにしているだけだろう。厳しい状況に置かれた人ほど、自分に都合のいい修飾を施す傾向がある。ま、信の粉飾決算といってよい。


 こんな人物が、三類の強敵に勝てるわけがない。大体、俗衆増上慢(=亭主)に負けているじゃないか(笑)。


 家族が未入会だったり、未活動だったりすると、必ず何だかんだと言いわけをする人が多い。明らかな証拠を示していないだけだとうのは、私一人であろうか?


 ある調査によると、自尊の強い人ほど詐欺に引っ掛からないという結果が出ている。弱気の人ほど騙(だま)される可能が高い。


 信とは、我が内なるを信ずることである。弱々しい信であっては、爪楊枝や割り箸で釣り鐘を叩く程度の功徳しか出ない。反動をつけて、撞木(しゅもく)を打ち込む強気の姿勢が大事だ。


 ただ注したい点は、戸田先生の指導は人生と信に関してであって、人間関係にあって妙な強気は発揮しない方がいいだろう。亀田兄弟みたいになりかねないからね(笑)。


 青年部時代、「命懸けで――」なあんて決発表するメンバーを時折見かけたが、信頼に足る人物は一人もいなかったよ(笑)。


 師弟共戦の2007年が幕を閉じる――。

2007-12-29

登山は、敢えて「困難に挑もう」とする文明人の行為


 単に「生きている」だけなら、わざわざしい山登りなどする必要はない。登山は、敢えて「困に挑もう」とする文明人の行為であり、「不可能を征服すること」(フランスの登山家ヤニック・セニュール)である。いわゆる原始人は、「狩り」はしても「登山」はしない。言い換えるなら、登山は自己の可能を探る冒険といってもよい。

 宗教もまた、単に「生存している」だけなら必要ないかもしれない。しかし、「よりよく生きよう!」「より高い境涯に登ろう!」とした時、正しい宗教が必要となる。登山が文明人の行為であるごとく、宗教も文化人・文明人の証なのである。


 アルプスのあるガイドは書いている。

「まずなによりも、わたしたちは生命が、真の生命が好きなのだ。そして4000メートルの空気には、特別の味わいがある」「真の人間は、自分に対して、きびしい者でなければならない。彼のをしずめ、その運命に満足させるには、テレビでは事足りない。志があれば、道は通じる。彼は生存しているだけでは満足できない。彼は自ら生きたいのだ。彼には肉体と魂があるのだ。高嶺は、彼に、行動と瞑を与えてくれることだろう」(ガストン・レビュファ『星と嵐』近藤等訳、白水社刊から)

 つまり、彼は言うのだ――真の生命を戦い取るために山に登る。私は、テレビを眺めるだけの“受動的な人生”“生きながらの死”を拒否する。労の道を進んだ方が自身のためになる――と。

 この「困への愛」に「真の人間」の証明がある。

 烈風に吹かれながら、ナイフのように鋭き山稜を進む。絶壁に足掛かりを刻み、一歩一歩、更に次の一歩と踏み出す――。

 山との格闘は、そのまま自分との格闘である。


【第19回全国青年部幹部会 1990-01-08 創価文化会館


 本日付の聖教新聞に掲載された「随筆 人間世紀の光」を読んで、予定が変わった(笑)。呼吸は合っているのだが、書くタイミングが少し遅れてしまった。


 人間の種類を大きく分けると山派と海派になるらしい。私は札幌の地で、手稲山を見つめながら育ったので完全な山派である。上京してからというもの、関東平野には目印となる山がないため、今でも方角がわからなくなることが多い。


 ガストン・レビュファの『星と嵐』は最も好きな本の一つ。山好きでなくとも手にした人は多い。フランスのクライマーが紡ぎ出す言葉がこの上なく詩的で美しい。


 天に近い場所は、人間を斥(しりぞ)けようと険の峰で立ちはだかる。そこを制覇した者にしかわからない世界が確かにある。

星と嵐―6つの北壁登行 (集英社文庫)

永遠に朽ちぬ生命の日記を綴れ


 ペトラルカは、先人の書から、「自己自身を知れ」という呼びかけを聞き取った。

 時代や社会は様々に変化する。だが、幸福も不幸も結局は、「自分自身」に帰着する。

 御書に「八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり」(563頁)と。つまり、「八万四千」とも形容される膨大な経典も、すべてことごとく「一人」の生命について記した「日記」の文書である、と仰せになっているわけである。

 自分を取り巻く現実の世界で日々、刻々と起こり、展開されてゆく出来事は、すべて自分自身の生命が綴っている「日記」ととらえることもできる。

 宇宙より広大な我が内なる「の世界」に、どのような“日記”を記していくか。三世永遠に続いてゆく、この我が生命を、どのような人生の“文字”で綴ってゆくか。喜び、あるいは悲しみの色の文字となるか。幸福、あるいは不幸のページとなるか。それは、時代や社会がどうかで決まるものではない。すべて「自分自身」に帰着するのである。

 青年部の諸君は、今は悩み多き時かもしれない。試練の人生の季節かもしれない。しかし、その闘の時代に、自分自身の偉大なる広布の日記を綴っていただきたい。永遠にして不朽の生命の日記を記していただきたいと強く願する。


【第18回全国青年部幹部会 1989-12-09 創価文化会館


 人生とは、何かを探し続ける旅路のようなものだ。「何を」「どのように探すか」で幸不幸は決まるのだろう。


 間もなく2007年も終わろうとしている。今年の決はどの程度達成できたであろうか。学会員は振り返ることを知らぬタイプが多いが(笑)、静かにこの一年を顧みることも大切だ。


 人生の折々に様々な目標がある。それに向かって怒涛の如く進んでゆくと、知らぬ間に人間革命が進んでいる。これを化城即宝処という。


 化城とは、同行者を奮い立たせるための詐欺的神通力とっていたのだが、人生を欲的に過ごすための目標と捉えれば腑に落ちる。それが単なる欲望によるものであれば、化城のままで終わってしまうだろうし、智を発揮できれば人間革命が伴う。


 ということは、目標は何でもいいのだ。問題は「歩き方」だ。


 闘のさなかにいる同志は、起承転結の“転”に向かっていることを確信せよ。偉大なる劇の主人公として、不屈の魂を燃やせ。