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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2011-09-09

マスードは大の読書家であった


 Facebookに「尊敬する人物」という項目があるが、私はここにクリシュナムルティマスードの名前を書いている。パンジシールの獅子は9.11テロの2日前に暗殺された。アフガン戦争を望むアメリカにとって目障りな存在だったのだろう。マスードによって、いよいよこれからアフガニスタンの民主化が始まろうとしていた矢先のことだった。陰影の濃い複雑な表情に惹かれてやまない。享年48歳。


 大の読書家で、1997年時には、寝る間も惜しみ読書に時間を割いていたため、1日の睡眠時間はおよそ2時間程度だった。1996年のタリバーンの攻勢により、事前に首都から撤退したが、その際マスードは約3000冊の蔵書を持ち出している。持ち出した蔵書は実家のゲストハウスの廊下に山のように積み上げられていた。その読書に対する執着ぶりは、夜間、発電機が止まり、あたりが暗くなっても胸からペンライトを取り出し、何事もなかったかのように読書を続けるほどであったという。(Wikipedia

マスードの戦い (河出文庫) 獅子と呼ばれた男―アフガニスタンからの至急報 マスード―愛しの大地アフガン 写真集 獅子の大地


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Ahmed Massoud r.i.p

2011-03-26

石原慎太郎という人物


 東京都知事選で公明党が支援するのはこういう人物だ。東京の創価学会員が置かれた情況は「権実雑乱」そのものだ。


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2010-12-26

平沢進


 commercial(宣伝)ではなく、commission(手数料)でもなく、command(命令)でもなく、comment(論評)でもなく、commitment(誓約)でもなく、commodity(商品)でもなく、commonweal(社会福祉)でもなく、communication(コミュニケーション)を追求する人物と見た。


 インターネットについてもその可能性に反応しており、「インタラクティブ・ライブ」と題されたスタイルのライブを敢行。会場に仕掛けられた様々なインターフェースによって観客の行動がライブの進行に影響を及ぼす仕組みになっており、それらの現象に応じて演奏される楽曲や展開に変化が起こってゆく、アクトと観客の双方向性を重視した内容となっている。更に、インターネットを通じてライブの進行度や会場の音声をリアルタイムで配信しており、会場に足を運ばなかったリスナーも「在宅オーディエンス」として、単に会場の様子を知るだけの存在ではなく、ライブ用に特設されたWEBサイト上で、ライブの進行に何らかの干渉を可能とするなど様々な試みが行われた。これらが評価され、2001年に「インタラクティブ・ライブ・ショウ 2000 賢者のプロペラ」が、(財)デジタルコンテンツ協会と経済産業省の共催する「デジタルコンテンツグランプリ2001」において、経済産業大臣賞及びエンターテイメント部門最優秀賞を受賞している。


Wikipedia



BLUE LIMBO

2009-11-20

富木常忍


 日蓮と富木常忍は強い絆(きずな)で結ばれた師弟であった。富木氏は元は因幡(いなば)国法美(ほうみ)郡富木郷(現鳥取市)の国府に出仕していた官僚であったのが、千葉氏にスカウトされて下総国にやってきた存在であったことがわかっている。

 このように、日蓮の周辺には国府などで経験を積んだ知識人のネットワークが存在していた模様である。日蓮の該博な知識の源泉の一つが窺えるだろう。

 その他、伝説で日蓮の出自とされる貫(ぬきな)姓を乗る人物が富木氏の周辺にいたことを示すものなど、注目すべき文書もある。紙背文書(※『日蓮遺文紙背文書』、昭和37年中尾堯氏が発見した。中山法華経寺蔵)は、以前はわからなかった日蓮伝の隙間(すきま)を埋める貴重な情報に満ちたものでもある。


【『戦国教 中世社会と日蓮宗』湯浅治久(中公新書、2009年)】

戦国仏教―中世社会と日蓮宗 (中公新書)

2009-08-23

門田隆将=門脇護


 門田隆将はペンネームで、門脇護が本である。元『週刊新潮』の記者である。

3大デマ事件に関与した「ねつ造」記者


『週刊新潮』の記者。90年4から特集班のデスクに就任。「白山氏冤罪報道事件」や「東村山デマ事件」、「信平狂言訴訟」など、創価学会批判の「3大デマ事件」の全てに関わった唯一の記者。

「白山氏冤罪報道事件」で完敗した逆恨みからか、図的な「誤報」や「やらせ事件」を繰り返す。「信平狂言訴訟事件」では信平夫婦の作り話をわざわざ大きな騒動にするため、「民事裁判を起こす」「記者会見を開く」など、やらせ指南をしていたことが暴露されている。


「3大デマ」主要な人物・事柄

2009-03-30

斎藤秀三郎「天国に行ってからも勉強するよ」


 チェリストを経て指揮者となり、その後音楽教育に人生を捧げた斎藤秀雄の評伝。文句なしの傑作。私が読んできた伝記・評伝の中では頂点に位置する。「池田大作の評伝を書いてもらいたい」と本気でったほど。既に絶版となっているので、潮出版社あたりが版権を買い取るべきだ。斎藤氏は民音とも浅からぬ縁があり、本書でも数ヶ所にわたってそのことが記されている。また、父・秀三郎氏については、先生もスピーチで引用されたことがある。


 秀三郎は『和英大辞典』の原稿の執筆に昼夜を分かたず没頭しているところだった。大震災は正則英語学校も印刷所も焼失させた。『和英大辞典』の原稿の大半は灰燼に帰していた。辞書を著す場合、編者がいて複数の執筆者によって書かれるのが通例であるが、秀三郎の辞書は徹頭徹尾、全編彼の手によっていた。一人の助手にも手伝わせず、例文も彼自身により収集され、漢詩、和歌、諺、流行歌まで載せた類を見ないものである。

「天国に行ってからも勉強するよ」

「人間がこの世で成し遂げることのできる仕事などたかがしれたもの」

 秀三郎のうちには、教会的な信仰と違った形での信が生まれていた。

「人間は天職を全うするまでは決して死ぬるものではない」――そのいが灰の中から甦り、ふたたび秀三郎は気の遠くなるような作を開始していた。


【『嬉遊曲、鳴りやまず 斎藤秀雄の生涯』中丸美繪〈なかまる・よしえ〉(新潮社、1996年/新潮文庫、2002年)】

嬉遊曲、鳴りやまず―斎藤秀雄の生涯 嬉遊曲、鳴りやまず―斎藤秀雄の生涯 (新潮文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

2009-03-12

晩年のガンジーは若い女性に同衾(どうきん)を命じた


 晩年になって、彼の禁欲の誓いの守り方に、非が寄せられた。周知の通り、彼は、絶えず献身的な若い女に取り巻かれていた。彼は、彼女らを自分のベッドで寝させるのが習慣となり、彼を暖めるために、服を脱いで彼の裸体に身体をぴったり寄せて寝るよう要求した。ニルマル・クマル・ボーズという弟子が、この変わった習慣を暴露した。問いつめられたガンジーは、最初は、裸の女を横にして眠るということを昂然と否定し、その後、それはブラフマーチャリヤの実験であると言った。ボーズは、なんら精神のない実験のために女の身体を利用するのは、女の軽蔑であると反論した。

 ガンジーは、若い女に自分の身体を洗ってもらい、マッサージをしてもらった。正統ヒンドゥー教徒も、厳しい禁欲を課されていた弟子たちも、これにショックを受け、ガンジーのブラフマーチャリヤの解釈を嘲笑した。ガンジーの姪アバ・ガンジーは、ボーズの暴露を確認し、結婚してからもガンジーと寝ることを習慣にしていることを認めた。もう一人の姪マヌも、1962年から1967年にかけて厚生大臣をつとめた女医スシラ・ナヤルも、ガンジーを暖めた女であった。スシラ・ナヤルは、最初はブラフマーチャリヤはいっさい問題にされなかったと断言した。ガンジーがそれを言い出したのは、人がこの習慣を聞きつけ、許しがたいとうようになってからである。彼の傍らに生活していた若い女は、彼とはかなり曖昧な関係を持っていたようである。


【『ガンジーの実像』ロベール・ドリエージュ/今枝由郎訳(白水社文庫クセジュ、2002年)】

ガンジーの実像 (文庫クセジュ)