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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2010-03-30

公明新聞「皮」殿御返事


◆総合雑誌の9月号は各誌こぞって7月の参院選の結果分析と今後の展望を取り上げていた。そこで「論壇時評」にならって◆共通しているのは自民党の「劣化と衰退」(世界)、「『瓦解』の予兆」(現代)、「生き残れるか」(中央公論)への言及。「自民党が質的にも量的にも大きく転換するときが来た」(「現代」での対談で御厨貴東大教授)。これは自民に限らず93、94年以降の政権獲得を目指した大競争時代にどの政党にも求められていること◆「過渡期がようやく終わりに近づいた」「この2〜3年のうちに本当の政治決戦がやってくる」(「論座」で山口二郎・北大教授)ということを実感できず変われない政党は生き残れない。支持基盤としての業界団体、労組のやせ細りの指摘も多い。政党が目線をどこへ置くべきかの参考になる◆民主党の躍進は「小泉さんへの批判票にすぎない」では大方一致しているが今後については論者の心理的距離によってさまざま。山口氏が民主に期待を寄せて提言している中でも「政治主導による政策形成」への布石などは連立時代の各党が心すべきものではないか◆憲法改正問題で自民と民主の幅で国民に選択を迫るのはどうなのか、との指摘も(「論座」で山口氏、小林良彰慶大教授がそれぞれ)。これは二大政党制論と実態の乖離を示すものだ。(皮)


北斗七星/公明新聞 2004-08-30】


 6年前のコラムである。今になって読むといかに的外れな内容であったかが理解できる。その上、著名人を利用するという浅ましさが目立っている。いつまで経っても我田引水の主張しかできないところに、無党派層を取り込めない原因があるのではないか。聖教新聞や公明新聞がバックナンバーを公開していないのは、こうした検証を嫌うためであろうと私は察している。尚、聖教新聞の縮刷版は東京杉並区にある某宗教団体の図書館で閲覧・コピーが可能だ。

2009-12-22

片目をつぶってはいけない


 聖教新聞創価学会の機関紙である。大辞林によれば「機関」の味は次の通り――


1.種々のエネルギーを、機械的力または運動に変換することによって仕事をする機械・装置。蒸気・電気・水圧・油圧・熱・圧縮空気・原子力などの諸機関がある。原動機。発動機。エンジン。

2.〔organ〕国家・法人・政党その他の団体において、決定やその執行のために設けられた者または組織体。その行為は団体の行為とみなされる。

「議決―」「執行―」

3.特定の目的を達成するために作られた組織や施設。

「報道―」「金融―」「交通―」

4.動くための仕掛けをもっている作り物。からくり。しかけ。〔4が原義〕 ――銃((きかんじゆう))のようにまくし立・てる 相手に口をさしはさむ余地を与えないほど、続けざまに早口でしゃべる。


 また、「機関」は「からくり」とも読む。つまり機関紙というのは、特定のイデオロギーに基づいて発行されており、何らかのや政治信条を知らしめるところに機関紙の目的がある。


 手っ取り早く言ってしまおう。創価学会に対して批判的な人物が聖教新聞に登場することはない。「日曜てい談」(現在は対談になっている)に出ていない著人は何らかの理由で断ったものとわれる。つまり、聖教新聞側と相手側との図や狙い、惑、駆け引きが一致しなかったということになる。本人は希望しても、プロダクションが許さぬ場合だってあるに違いない。


 私が懸するのは逆のケースだ。例えば草野厚教授(慶應義塾大学)の「連立与党の公明党の役割を見るにつけ、第3党の必要じている」という発言が、聖教新聞・公明新聞で何度も何度も引用された。まるで馬鹿の一つ覚え。「草野氏」と「慶應義塾大学」という肩書きに依存し、それを利用しているようにしか見えなかった。


 つまり私が言いたいのは、機関紙というのは機関のために有人を利用することもあれば、有人が自分のために機関紙を利用する場合もあるということだ。


 最近、聖教紙上で小林秀雄前が散見される。小林は近代文学において批評・評論を確立した。いわば、「見る」ことを仕事とした人物である。骨董(こっとう)にも造詣が深かった。その小林は先生のことをどんなふうに見つめていたか――


小林●新聞が公明党と共産党との握手というような事を言っているな。池田大作さんとは面識があるが、あの人には政治家肌という所があるな。天理教の中山正善さんも知っているが、あの人とは違ったじだな。中山みきという人は宗教家として天才だとっているが、その血を受けたじがしたな。


【『小林秀雄全作品 26 信ずることと知ること』(新潮社、2004年)】


 これを読んだ時、私は「さすが小林だな」とった(笑)。実は先生は男子部の隊長をされていた頃、王冥合の捨て石となるべく政治家を目指していた。そんな部分を何とはなしに小林は見抜いたのかなとった。あるいは文学者が、実務家のオルガナイザーに気圧(けお)されただけなのかもしれない。


 昔、先生は石原慎太郎とも対談をしたことがある。アンチの連中が石原の言葉を引用しているのもよく見掛ける。そのいずれもが言葉を額面通りに受け止めていて実に底が浅いレベルだ。多分先生は政治家モードで臨まれたのだろう。ところがどっこい、石原慎太郎という人物は文学者に過ぎなかった。今でもそうだ。政治というのは実務である。石原慎太郎や田中真紀子といった面々は、センセーショナルな言葉で政治状況を掻き回すだけの文学者に過ぎないのだ。そんな人物が先生のことを「悪しき天才、巨大な俗物」と評価したところで、こっちは痛くもかゆくもない。


 賢明になるための信だ。盲目的になってはいけない。ただし、女房殿を見つめる時だけは片目をつぶろう。

小林秀雄全作品〈26〉信ずることと知ること

2009-07-20

柳田國男


 牧口先生に関する記事以外で、柳田國男が紹介されることは極めて珍しい。ひょっとすると初めてかも知れない。牧口先生の十回忌に当たる1953年(昭和28年)、戸田先生を決して『価値論』を復刊した。この時、若き池田先生が柳田國男のもとに『価値論』を届けている。詳細は記さないが、ここにも師弟のドラマがあった。尚、余談となるが、人なのだから「国男」ではなく「國男」と表記すべきだ。日本の組織ではいまだに男尊女卑がまかり通っていて、女の講義は極めて稀(まれ)で、信の実力(信力・行力)よりも差が重んじられている。海外の組織が羨ましいとうのは私一人ではあるまい。


 民俗学者の柳田国男が、「これこそ口誦(こうしょう)文学の最高傑作」と絶賛した『アイヌ神謡(しんよう)集』。著者の知里幸恵(ちり・ゆきえ)は19歳の時、失われつつあったアイヌ語の物語を日本語に翻訳し、不朽の作を完成させた▼現在、英語やロシア語などでも出版され、「アイヌ」の誇りを今に伝える(中井三好著『知里幸恵 十九歳の遺言』彩流社)。民族の文化を絶やすまいとしたいは、現在もアイヌの人々のに生きる。若き一人の女の決の行動の、何と素晴らしきことか▼先日、発表された女子部の「永遠の五指針」。昨年11に「池田華陽会」が結成されたカンボジアでも、早速、女子部がクメール語に翻訳。「華陽会総会」で発表され、大きな波動を広げている▼現地では、座談会の御書講義の担当など、女子部の活躍が目覚しい。青年部長のソチェット・ソクさんも、アメリカ創価大学出身の女リーダー。「指針の一節から“負けない!”を合言葉に、前進を誓い合っています」と。乙女たちの奮闘に、壮年も婦人も、拡大の勢いを増している▼御書に「女子は門をひら(開)く」(1566頁)と。女子部の活躍は、世界広布の“希望の扉”を開く原動力。きょうは「女子部結成記日」。次代を担う勝利の王女たちの健闘を祈りたい。(誼)


【「字の言」/聖教新聞 2009-07-19】

2009-05-02

「誼」殿御返事


 座談会で触れた温かい励ましに、が明るくなった。悩みを語り、共に乗り越えようと決し合う姿に、「自分も」と誓った。向かった先は、かつて自分をいじめた同級生。懸命に信仰の喜びを語ると、友は理解を示してくれた。「最初に一番手な人に話せば、壁が破れるとった」と語る▼日蓮大聖人は、「人を成長させるものは、味方よりもかえって強い敵である」(917ページ、趣)と。誰しも“手だな”とう人はいる。そこを避けることは簡単だ。しかし、どんな相手でも、忍耐強く、誠実に対応しようと挑戦すれば、自身が磨かれる。も通じるものだ▼ゴールデンウイークは、近隣との交流、旧友との再会など、友情を深める機会が多い時期。誠実な語らいで、大きく自己を成長させる「黄金週間」にしたい。(誼)


【「字の言」/聖教新聞 2009-05-01】


確認事項」に書き、その後何度も注をしているのだが、聖教新聞が私の足を引っ張っている。たまったものではない。


「友は理解を示してくれた」だってさ。じゃあ何だい、「同志は理解して欲しいと頼んだ」とでもいうのか?


 この文章は滅茶茶だ。何の説明もなしで、「強い敵」=「手な人」と決めつけ、「忍耐強い挑戦」を勧めた上でゴールデンウイークの交流に結び付けている。忍耐強さは日常にこそ求められるべき質のものだ。記者子の格破綻ぶりがモロに現れている。


 こんな文章を読ませられる学会員が気の毒でならない。こんな文章で動する学会員がいたとすれば、信仰は盲信を味することになる。


 組織の打ち出しを自己の内面で消化しきれないまま後輩をコントロールしようとすれば、その言動は必ず政治的な匂いを放つ。結果的に論理が破綻し、情に訴えようとする。その典型がこの文章だ。

2009-02-23

杏殿御返事


 アンベードカル前を聖教新聞に載せた功績は大きい。気づいている人が少ないとわれるので私が顕彰しておく。


▼「この世には四つのタイプの人がいる」と釈尊は言った▼1.自分のためにも他人のためにも奮闘しない人、2.人のために奮闘するが自分のためにはしない人、3.自分のためには奮闘するが他人のためにはしない人、4.自分のためにも他人のためにも奮闘する人――もちろん、最後の自他のために戦う人こそ、「最高にして至高の人である」(アンベードカル著『ブッダとそのダンマ』山際素男訳)▼任用試験に合格した女子高等部員。当初は学校も遅刻、休みがちだったが、勉強会への参加で変わった。毎御本尊に向かい元気に登校。「何を祈っているの?」との母親の問いに「学校に行けない子のこと」と▼女子部の先輩の温かさに触れ、深遠な法を学ぶ中、努力の大切さや深き使命、そして何より人へのいやりのを胸に刻んだ▼“自分なんか……”という卑屈さをはねのけ、“自分こそは!”と向上に燃える姿も尊い。だが、法を求める人は、そこにとどまらない。“あの人、この人のために”と他者に尽くす生き方を志す▼御書には「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(1174ページ)と。人格を磨き、人としての最高の「振る舞い」を通し、自他共の幸福へ“奮闘”していきたい。(杏)


【「字の言」/聖教新聞 2005-11-28】

2008-12-15

13日付の「名字の言」


 先ほど、13日付の「字の言」を読んだ。同じ日に私もガリレオ・ガリレイについて書いているが、これは決してパクリではない。私が「字の言」を読むことは殆どないからだ。で、気になる箇所があったので指摘しておこう。


 冬の星天は、ひときわ美しい。またたく光は、はるか彼方から長遠な時間を経て、私たちに降り注ぐ。宇宙は壮大だ。その探究の旅は約400年前、イタリアのガリレオ・ガリレイが“筒眼鏡”を夜空に向けた時から加速した(リチャード・パネク著『望遠鏡が宇宙を変えた東京書籍)▼面の山や谷、無数の星の集合だった天の川――当時の天文学の常識を覆す発見。しかし、周囲の眼は冷たかった。“彼が筒眼鏡に惑星を張り付けたのだ”と癖をつける者もいた。その後も、天文学者たちが示す宇宙の実像は、にわかには受け入れられなかった▼“あり得ない”という世の人々の固定観。しかし、ガリレイら学者たちは自身の信を貫いた。彼らの真理探究への執が、新たな発見を生み出す原動力となった▼広宣流布という大も、未聞ゆえに社会からの批判にさらされてきた。しかし今や、創価の法哲理は、世界192カ国・地域に。それを推し進めてきた力こそ、目の前の“一人”を救わずにはおくものか、との創価の同志の情熱である▼ 自分と環境は一体との「依正不二」とは、法の根本原理。自身の挑戦の吹、勇気の行動が、周囲を変革する。既成の壁を打ち破る力は、私たちの一念に備わっている。(馨)


聖教新聞 2008-12-13】


 問題箇所は「しかし、ガリレイら学者たちは自身の信を貫いた」の部分。一体全体どういう信があったというのか? そもそも、地動説は半世紀以上も前にコペルニクスが明らかにしている。コペルニクスの死後、『天球の回転について』が発行されたのが1543年(迫害を恐れたコペルニクスは生前の出版を拒んだ)。で、ガリレオ・ガリレイの第1回異端審問が1616年である(これによって『天球の回転について』が禁書扱いとなる/望遠鏡を自作したのは1609年)。しかも、だ。この裁判で彼は地動説を唱えないことを誓約している。更にガリレオは「天動説が誤ったものである」とは考えておらず、座標軸をどちらに置くかという相違に過ぎないことも理解していたのだ。


 一冊の書籍を鵜呑みにしてコラムを書く危険性は、公明新聞の「北斗七星」が実証済みである。サラリーマン記者が多いから、こんなデタラメなコラムを見過ごしてしまうのだろう。歴史を皮相的に捉え、組織のプロパガンダのために利用する態度は浅ましい限りで、実にみっともない。