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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2004-06-30

「誓」


「誓(ちかい)」とは、歴史をつくる「力」である。

「誓」とは、暗闇を照らす「光」である。

「誓」とは、邪悪を破する「剣」である。


 まことの「誓い」の種は、必ず花と咲いてゆく。大事なのは、絶対にあきらめることなき執と、前進への戦闘を続けゆくまけじ魂だ。


【「随筆 人間世紀の光/北陸に勝利の新世紀よ 輝け」 聖教新聞 2004-06-03付】


「誓い」とは宗教情だ。世間では、結婚式の決まり文句ぐらいにしかわれてないことだろう。精神の深き世界を知らない人は、「誓い」を知らない。


「誓い」とは立てるものだ。自らので、自らのの中に厳然と立てるべきものである。当然ではあるが、人から言われて立てるものでなければ、単なる約束事でもない。自分自身の生と死を懸けて、燃え尽きても尚、消えることのない証である。


 人間として生を享(う)けて、誓いを持たない人は、動物的な生とならざるを得ない。どんなにしくても、立派に誓いを果たそうと懸命に生きるところに、人間としての勝利がある。


創価1000万」の誓いは、断じて私が果たす。




 今再び

 最大の勇気を

 奮い起こせ!

師子王は百獣におぢず」

 攻めて攻めて攻め抜け!


【「わが友に贈る」聖教新聞 2004-06-30付】


 先生の一の凄まじき勢いをじてならない。連日にわたって聖教紙上では、御聖訓が紹介されているが、幹部は、今なぜこの御聖訓なのかを、その日の闘争で悟らなければならない。自分の話は後回しでいいから、何はともあれ、その日の御聖訓をしっかりと確認してゆくことだ。


 今、本当に呼吸が合っている人は、玄関先で聖教新聞が配達されるのを待ちわびているはずだ。

2003-02-07

信念と誓い


 ともあれ「信」は貫いてこそ信である。「誓い」は果たしてこそ義がある。

 時の流れとともに、自らの弱さに負けて同志を裏切り、青春時代の信と誓いを汚(けが)すような、惨(みじ)めな生き方だけはしてほしくない。


【第1回本部幹部会 1988-01-20 創価文化会館


 昭和54年(1979年)4月24日に先生が第三代会長を勇退。「七つの鐘」は暗雲の中で鳴り終えた。今では考えられないことだが、先生は指導することを阻まれ、聖教紙面からも姿を消した。


 この状況に風穴を開けたのが、昭和56年(1981年)から2年続いた「青年の年」だった。全国各地で青年部による文化祭が行われた。あの頃はほぼ毎月、どこかで文化祭があったように記憶している。まさに絢爛(けんらん)たる大文化祭運動であったといってよい。


 悪侶どもが何を言おうと、師を求める青年のを抑えることはできなかった。殆どの文化祭に先生は出席して下さった。今、40代となっている方々の大半が、この時の文化祭によって育った。


 そして、昭和63年(1988年)に、学会は新たな潮流へと向かう。それまで行われていた本部幹部会や全国男子部幹部会を、学会本部で行うようになったのだ。勇退以来、先生が再び本格的な指揮を執って下さることになったのである。それまで分散していた力を再び結集し、本部直結の流れが敷かれた。この年は「青年世紀の年第一年」と命された。


 日顕による宗門問題が勃発するのは平成2年(1990年)12月29日。今えば、絶妙なるタイミングを計って、創価ルネサンスの布石を打たれていたことに気づく。そして電話回線による同時中継が行われるようになり、遂に衛星中継で先生の勇姿を直接、拝見することができるようになった。


 また、長らく中断されていた小説『人間革命』第11巻の連載が再び開始されるなど、激動に次ぐ激動の時期であった。


 この千載一遇の時に、青年部として訓練を受け抜いたことは我が人生最大の誇りである。


 第1回本部幹部会での指導は、有吉佐和子さんから勧められたという漫画『あしたのジョー』を通してのものだった。


 私が北海道から上京して、まだ一年に満たない頃だ。当時、24歳。この年、の底から本気で決。一年間で5世帯の本尊流布となってそれなりの結果を示すことができた。先生の会長勇退以降、江東男子部は折伏全国制覇9連覇を成し遂げているが、昭和63年(1988年)が、ちょうど9連覇目だった。


 勇退の日から今年は25年目を迎える。この間の先生の指揮をい、その像せずにはいられない。菩薩じて行動を起こす。されば、個人にあっても学会にあっても、年を経るごとに大いなる行動を起こすのは当然である。


 途中で信を捨ててしまえば畜生同然だ。信に生き、信に殉ずるところに人間としての崇高な生きざまがある。