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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2008-12-23

ヤング男子部殿御返事


青年は“青年である”というだけで、すでに“生命の王者”である」と先生は指導されている。同時中継から発せられた先生のが私の鼓膜に突き刺さった。「そうだ!」とで叫び、奮い立った。


 鮮やかな記憶が残っているため、ついこの間のようにじるが、何と既に20年が経過しようとしている。私は純真な青年から、地の悪い中年となっていた。開けてびっくり玉手箱。


 男子部の本部長時代はまだよかった。活動家は100前後だから、掌握できる範囲だった。ところが、分区男子部長になると見知らぬメンバーが増えてくる。こうなると直ちに認識できるのは地区リーダークラスまでと限られてくる。


 この頃から私はヤング男子部が嫌いになった。もちろん、今でも嫌いだ。理由はたくさんある。まず、礼儀知らずだ。言葉遣いさえ満足に知らない。次に、少しばかり活動した途端わかったつもりになる。そして、労をしていないが故に考えが浅はかだ。更に、私よりも長い将来があることにも我慢がならない。


 こう書きながら気づいたのだが、私は既に中年を通り越して、老境に入りつつあるようだ。


 であるからして、ヤング男子部に対する私の指導は厳正かつ適確なものとなる。「少しばかり結果を出したからといって図に乗るなよ」「でかい口を叩くのはまだ早過ぎるぞ」「知ったかぶりをして退転するなよ」「地べたを這いつくばって、眠れぬ夜も過ごしていないのに、悩んだふりをするな」「決意だけなら小学生にだってできるぞ」……。


 私は「ヤング男子部」という括(くく)りの中でしか元気になれない連中を憂慮し、群れの中でしか生きてゆけない若者を嫌悪するのだ。だから、総区のヤング男子部の会合に何度か招かれたが、全部断った。「嫌いだから」という理由で。


 若いうちから謙虚になる必要はない。自由奔放な精神こそ青年の特権であるからだ。ただ、そこに自立という魂がなければ、烏合の衆となってしまうことを君等は忘れてはならない。


 ヤング男子部、頑張れ!

2008-08-26

金文字の日記帳に空白のページをつくるな


 一日一日の行動は、日記帳に書く書かないは別として、人生の金文字の日記帳である。同じい出といっても、映画を見たり、快楽のみでは、水泡のように消えてゆく、はかないい出である。

 どうせ同じ一生を過ごすならば、妙法流布という偉大なる行動の数多くのい出を残したい。まして青年は、将来その金文字の日記帳をひもといた時、ただの一ページといえども空白のページをつくるべきではない。


【『指導メモ』 1966-06-01発行】


 この指導を知ったのは十代の時。震えるような激に身を貫かれた。特に最後の一文に至っては、その場で立ち上がって「ハイ!」と返事をしそうになったほどだ。


 私の両親は、支部制(昭和53年、1978年)となった時から支部長・婦人部長をしていた。私は中学2年生だった。物がついた頃から、夜、親が家にいることは少なかった。少な過ぎて覚えていないほどだ(笑)。私が小学校に上がる前から、母が布団を敷いて出かけ、弟二人の服を脱がせて畳み、寝かせるのが私の役目だった。小学5年生あたりまで、就寝は午後8時と決められていた。


 そんな両親のもとで育った私だから、男子部となるやいなや、鉄砲玉みたいに行ったまま返って来ない活動を展開した。初めの頃は空転することも多かったが、ギアが一旦はまり出すと面白いように結果が出た。


 上京して間もない頃、ある先輩から言われた。「小野君、20代でどういう歴史を残したかが大事だぞ」と。「30過ぎて人生の土台をつくろうとしても遅過ぎる」とも。その時、この指導をい出した。


 先生の指導と先輩の言葉が頭から離れなかった。しかし、人間の悲しい(さが)で、それなりの20代にしかならなかったような気がする(涙)。私が20代で成し遂げたのは以下のようなものだ――

  • 8世帯の本尊流布。
  • 御書全編読破2回。
  • 読書1000冊(学会出版物数百冊)。
  • 数十活動家を育成。
  • 数十の未来部員の育成。
  • 出席した座談会は、ほぼ100%盛り上げる。
  • 一通りの会館警備。
  • 本山警備。
  • 本部警備。
  • 対告衆(たいごうしゅ)として気合いを入れられまくる。

 こうして書いてみると、他愛のないことばかりだが、私の脳裏にはさまざまない出が去来する。たくさんの顔が浮かんでくる。


 他人の前で誇るために頑張るのではなくして、後から振り返ってみて、何歳の時に何をやったのかという鮮烈な事実が大切なのだ。その程度の歴史をつくらずして、学会員乗る資格はない。自分の弱さに負けているような者が折伏をしたところで、法を下げるだけだ。

2008-03-01

未来の実像は「青年の胸中」にある


 さて、「未来の社会」「これからの地球」といっても、その実像はどこにあるのか――。それはすべて未来を担いゆく若き君達の胸中にある。法の「一念三千」「因果倶時」の法理では、そのように捉えることができる。

 今、諸君のにどのような未来が、どのような希望が描かれているのか――ここに、すべてがかかっているといってよい。

 その味で21世紀は、もう始まっている。諸君の胸の中で刻々と育まれ、胎動している。

 ゆえに私は、広宣流布の大いなる「明日(あした)」を開くために、全魂を込め、諸君の胸中の“21世紀”に向かって語りかけたいのである。


 21世紀はどんな時代になるのか。それは、若き諸君自身が決めていく以外にない。「どうなるか」ではなく、「どうするか」である。


【第19回全国青年部幹部会 1990-01-08 創価文化会館


「決めて、祈って、動く」のが信のリズムである。を定めない祈りは、淡い期待に過ぎない。また、祈りなき行動は必ず空転する。


 未来といっても、断絶した時の彼方(かなた)にあるわけではない。「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(231頁)。


 学会の将来は、現在の青年部・未来部によって決まる。ゆえに、壮年・婦人部は全力で応援し、育成する必要がある。しかし、私の周囲には育てるべき青年部が存在しない(笑)。男子部も女子部もいないのだ。で、持て余した力を、こうしてキーボードに叩きつけてるわけだ(笑)。


 会社においても同様だ。若い社員をどれだけ大切にしているかで、会社の命運は決定される。若い連中をアゴで使っているような会社は、いつの日か滅んでゆくことだろう。


 キーワードは「希望」。若いメンバーのに希望を描く日々の行動でありたい。会長就任から数年を経た頃、先生がよく「20年後を目指しなさい」と青年部に指導されていたことがい出される。


 青年は爆発する力を持っている。おとなしい青年は、ただ発揮できないだけだ。昔の文化祭や夏期講習会のように、青年が絶叫し、狂喜乱舞する舞台が必要だ。ラインの活動だけだと、どうしても小ぢんまりとなってしまう。

2008-01-21

「知の戦国時代」を勝ち抜け


 さて、今日も少々スピーチをさせていただき、大切な集いの義を刻んでおきたい。

 諸君は若い。今、頭脳に刻み、覚えたことは、生涯の血肉となり、生きた知識となる。

 しかも時代は、「知の戦国時代」の様相をますます深めつつある。知力なき人に勝利はない。

 その味からも、私は論じておきたい。ありとあらゆる歴史やを。

 そして諸君に呼び掛けたい。「頭脳」を鍛え、「知」を磨き抜けと――。

 そうした訴えが必ずや、後世への確かな光明となり、楔となることを私は確信する。


【東京、文京・台東・板橋区代表者会議 1989-12-24 東京上野池田講堂】


「何ためのスピーチ」か――全て、後継者である青年部のためだ。それにしちゃあ、求道に燃えてるのが少ないね。見たことないよ。ひょっとしたら、絶滅危惧種になったのかも(笑)。


 1980年1120日以来中断していた『人間革命』第11巻の連載が聖教紙上で再開されたのは、1991年53日のことだった。僧・日顕による総講頭罷免から、わずか4ヶ後であった。その発表をにした時の震えるような動は今も尚、私の体内に脈打っている。「いよいよ、遺恨十年の恨みを晴らす時が来たのだ!」と拳を握り締めた。


 全学会員が貪るように読んだ。切り抜きを持ち合って学んだ。部長会や人事面接では、章のタイトルとナンバーが質問され、答えられないと大変な目に遭った(笑)。


 渇して水を求めるが如く、師の指導を吸収した。知らず知らずの内に、広布のリーダーとなっていた。無の庶民が将軍学を学び、次々と闘士に変貌した。


 革命には志と理が不可欠である。我々の志を高め、理を深めて下さるスピーチの数々は、むしろ革命そのものだった。昭和54年と同じ轍を踏むことは断じて許されなかった。


「我が青春に悔いなし」と言えば嘘になる(笑)。そりゃあ、悔いはあるよ。でもね、「先生と共に闘い抜いた」という歓びの方がはるかに大きい。

2007-11-29

中途半端は、青年の大敵である


 現代にあっては、トルストイの言う「青春の力」の喪失の傾向は、あまりにも強くなってしまった、と言えるかもしれない。

 自分の殻(から)に小ぢんまりと閉じこもることが、利口な生き方にさえ見える世相になってしまった。しかし、それは自分で自分の首に軛(くびき)をはめ、これでいいんだと自己満足している姿に他ならない。それではわびしい。自分が哀れである。

 青年の無気力を嘆くは、いよいよ強い。そこには様々な背景もあるとう。だが私は、あえて言っておきたい。

「中途半端は、青年の大敵である」と。

 ぼんやりと過ごした「不完全燃焼」の青春は、大きな悔いを人生に残すに違いない。

 何より、それでは「新しい自分」への扉、「新しい世界」への扉を、みすみす閉ざしてしまうようなものである。

 ゆえに、ある味で何でもよい、全力で打ち込める「自分の道」を見つけ、「自分の使命」「自分の理」を見つけることだ。それに向かって、持てる「青春の力」をい切り発揮し、爆発させてゆくことである。

 それでこそ青春である。それでこそ悔いなき人生となる。二度と返らぬ青春を完全燃焼で飾れ、と重ねて申し上げておきたい。


【第2回創価栄光の集い 1989-11-03 創価大学中央体育館】


 青春時代は、人間としての核を築く季節である。長年にわたる私の研究によれば、17〜23歳までの期間を指す。俗に「三つ子の魂百まで」と言われるが、3歳の子が環境の影響を受けやすいのに対して、青春時代は人生の進むべき方向を、自分で選択している側面が強い。


 これは、信仰を持っているか否かは全く関係ない。「どう生きたか」だけが問われる。ロクでもない大人が掃いて捨てるほど存在しているが、周囲に流され、さしたる努力もしてない青春時代を過ごしたことが明らかだ。


 トルストイの言う「青春の力」とは以下――


 トルストイの若き日の作『コサック』に、“青春”を論じた忘れ得ぬ一節がある。

 トルストイによれば、人間は一生にただ一度だけ、「青春の力」をもつことができる。

「青春の力」――それは、自分という人間を、自らのうままに創りあげてゆく力である。

 更に、全世界をも自分のうままにしてゆけるとさえ確信する力である。

 この「青春の力」は、爆発的なエネルギーを秘めている。しかし、それを発揮するチャンスは、若き日にしかない。ひとたび手放してしまえば、チャンスは二度と戻ってこない。


 何と親切なブログだろう! 我ながら驚いている。不勉強な青年部に手を貸してやるのが私の趣味だ(ニヤリ)。


 便利な生活は、人間から“生きる力”を奪い取った。我々の鼻や舌は、既に毒物を選別することができなくなっている。どんなにクンクンと鼻を嗅がせてみても、食品表示の偽装も見抜けない。まあ、腹を痛めなければよしとしよう。


 動物園で飼い馴らされた動物たちは、餌の配が要らない。にも関わらず、檻(おり)の中が快適そうに見えないのはどうしたことか。食べるだけなら、彼等は幸せなはずだ。だが実際は、“与えられる餌”と交換に“野”を失う羽目となる。


 野生の動物は絶えず闘っている。食べることに始まり、天敵からの攻撃や縄張り争いもある。戦いに敗れることは死を味する。


 その味で、「満たされない飢餓」こそ青春のエネルギーであると断言しておこう。以下は、吉川英治氏が裕福な青年に語った言葉である――


 君は不幸だ。早くから、おいしいものを食べすぎ、美しいものを見すぎているということは、こんな不幸はない。喜びを喜びとしてじるが薄れていくということは、青年として気の毒なことだ。


【『吉川英治とわたし 復刻版吉川英治全集報』(講談社:絶版)】


 徒手空拳で理に向かって突き進むことが、青春の特権である。

2007-08-12

自分一人で組織を育ててきた人は少ない


 戸田先生は常に青年に期待されていた。

学会も中核の青年がいれば、否、一人の本物の弟子がいれば、広宣流布は断じてできる」とよくおっしゃっていた。

 創立80周年へ、また創立100周年へ向けて青年が立ち上がる時だ。

 私はその時を待ち、時をつくっている。

 新たな広布拡大のリーダーが各地で誕生している。戸田先生は、組織の責任者に対して実に厳しかった。

「人のつくった地盤で幹部になり、その椅子にでんと座っている人が多い。自分一人で組織を育ててきた人は少ない」

 このように指摘されることもあった。

 また常々「指導者は、人を引き付ける力を持たなくてならない」と話しておられた。

 新たな役職は新たな成長のチャンスである。自身の壁を破り、拡大の歴史を見事に残していただきたい。それが私の喜びでもある。


【徒然草と師の指導を語る 2006-08-11 群馬多宝研修道場


 現在の地域に移り住んで、もう4年になる。この間、数の担当幹部が地区に入っていたが、地区部長・B長と一緒に家庭指導をした人は一人もいない。そもそも、回ってないよ(笑)。会合に顔を出すだけである。町内の寄り合いとあまり変わりがない状況だ。


 そろそろ、「悪しき成果主義」と決別するべきだ。先に行われた参院選からも、つくづくそうう。今、成果主義から育成主義への転換が求められている。


 成果主義は、どうしても短期決戦となる。そのため、折伏成果は上がっていても、一向に人材が増えていない組織が多い。水かさを増すどころか、よくてプラスマイナス0(笑)。ちょっと油断すると、減ってるところの方が多いんじゃないか?


 ただ、私がいくら叫んだところで、学会本部がこれを採用することはあり得ない(笑)。既に学会の組織が実力主義ではなくなっていることを考慮すれば、道は更に険しい。


 結局、だらしのない上の幹部を当てにすることなく、自分で組織をつくり上げてゆくしかない。ブロックや地区という小さい単位であっても、それが出来る人は本物だ。

2007-06-19

20代の青年部諸君へ


 吉田松陰は25歳で下村塾を設立し、29歳で斬首された。たった4年間で、明治維新の原動力となった志士を育てた。橋本左内は15歳で『啓発録』を著し、26歳の時に安政の大獄で斬首された。


 青年ならば、歴史をつくれ!