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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2006-09-07

学会の代表という責務に立て


 ここで、戸田先生のご指導を紹介したい。

 先生は言われた。

「外へ出れば、一人であっても学会全体を代表しているのである。個人ではない。学会の代表という責務に立たねばいけない」

 この自覚が大切だ。

 また先生は、「貧相な姿では、立派な外交の仕事はできない」とも言われていた。

 戸田先生は、こういうところにも気をつかわれた。貧相ではバカにされる。それだけで負けてしまう。

 先生は叫ばれた。

「臆病者は学会から去れ! 気地なしは学会から去れ! 学会と生死を共にする者だけが真実の同志だ」

 その通りだ。臆病者の集まりでは広宣流布はできない。世界広布はできない。

 今、私は全生命を賭して世界広布のために戦っている。ただ広宣流布のため ──その責任を担う私の人生には、自分の楽しみなどなかった。

 第三代会長に就任した時に住んでいた小林町(大田区)のわが家は、大変に質素だった。

 私の家を訪ねてきた人が、気づかずに通り過ぎてしまう。それくらいの小さな家だった。

 昭和41年(1966年)に信 濃町に引っ越しをした。その自宅もまた、質素なものである。

 私は、私財をなげうって広布を支えた。血の滲むような努力をして、師の教えのままに、すべてを学会に捧げてきた。これほど尽くしてきた弟子は他にいない。


【本部代表者会議 2006-03-04 創価文化会館


権威を笠に着るのは“魔物”の存在」に続く指導。


 外交戦にあっては、「いい服を着て行け」との指導。これは先日行われた研修会でも紹介されている。


「相手の地位よりも低い紹介者刺を持っていくのは愚かだ」

「人を訪問する時には、良い服を着て行け」


東京・関東・東海道合同研修会 2006-08-18 長野研修道場


 戸田先生は、「人を見る時に、身なりで判断しては絶対にならない」(趣)とも指導されている。しかし、他人が自分を判断する時、当然、第一印象で大きく左右される。そういう人間学を教えて下さっているのだ。


 前にも書いたが、ある支部長がこういう話をした。「昨日と同じネクタイをしていると、婦人部のうるさ方から『あそこの奥さんは、だらしがない』と言われる。たとえ、自分でネクタイを選んでいたとしてもだ。だから、同じネクタイを二日続けて着用しないようにすべきだ」と。


 当時、私は20代だったが、「大事な話だな」と率直にった。「人のは、そういう動き方もするのだな」と初めて知った。実際に、悪口を言う人がいるとか、いないとかは二の次、三の次。


 そういや、こんなこともあったよ。高等部を回っていた時のこと、あるお宅の玄関先でお茶を出された。「どうぞ、お構いなく」と言ったのだが、せっかく出してもらったのでご馳走になった。数日後、そこのお母さんが、「小野さんが来て、私にお茶を出させた」と陰口を吹聴していた。「ギョエーーーッ!」といながら、ネクタイの話をしてくれた支部長にその話をした。


「おう、そうなんだよ。あそこの家じゃ、水を出されたって飲んだらダメだぞ。必ず悪口を言いふらされるから」

「しっかし、同じ学会員なのに信じられない話ですね。空気を吸うのも、嫌になっちゃいますよ」

「そうだ。なるべくもするな」


 と、二人で大笑いした。


 京都じゃ、ご飯を勧められても絶対に鵜呑みにしない方がいいらしいね。オオ、やだやだ。


 先生は昨年から今年にかけて、一貫して若き日の闘と覚悟を教えて下さっている。私には、「21世紀の池田大作よ、出でよ!」との叫びに聞こえてならない。


 イチローや井のような人材は必ずいる。この夏、高校野球で早稲田と駒大苫小牧が話題をさらったが、高校生でも日本中を沸(わ)かせることができることを見事に証明した。


 全幹部に、「成果」よりも「人材育成」の競争を望みたい。

2004-09-27

功徳を受けさせる責任


 晴れやかな5.3「創価学会の日」、本当におめでとう。ともどもに、この記の日を祝賀したい。また、婦人部の皆さまに対し、第1回の「創価学会母の日」を、からお祝い申し上げる(大拍手)。

 この一年、私は、皆さまのご健康とご長寿、そして「弘教の道」「人生の道」が事故なく、無限に開いてゆくよう、御本尊に真剣に祈してきた。それは、昭和35年の会長就任以来、少しも変わることがない。いな、近年、いやまして深く、強く、お一人お一人の「栄光」と「幸福」を祈させていただいている。

 広布のため、日夜、弘教に奔走されている皆さま方こそ、無量の功徳を満喫しゆく“幸の王者”であってほしい。胸を張って闊歩(かっぽ)しゆく“人生の勝者”であってほしい。これが、御本日蓮大聖人の御であられると、私は確信する。また、牧口初代会長、戸田第二代会長の悲願であったし、私の切なる願でもある。

 もしも、皆さま方が不幸になれば、それは、広布の指導者である私達の罪となってしまう。それほど、指導者の責任は重い。だからこそ私は、つねに真剣である。

 一瞬たりとも、時間を無駄にはできない。私にとって最も大切なのは、いかなる有人、権勢の人よりも、広宣流布へとひた走る皆さま方にほかならない。


【5.3「創価学会の日」記式典 1988-05-03 創価大学中央体育館】


 法指導者の責任は、かくも重いものか――。


 しかしながら、現実に目を向けると、面倒な人や、煩わしい人は無視する風潮がある。「あの人は放っておいた方がいい」なんてね。


 私が男子部に上がって間もない頃、同じようなを婦人部から聞いたことがある。私は帰宅してから、派遣で隣の支部婦人部長をしていた母にこれを訊ねた。「放っておいて構わないんだったら、組織は必要ない」との答えが間髪入れず返ってきた。


 そりゃそうだ。部分的に無責任になってもいいよ、という指導はにしたことがない(笑)。嫌いな人は避けよ、というのもないわな。


 面倒な人と関わり合うからこそ、自分の人間革命が進む。皆、子である。皆、先生の弟子である。大切でない会員など一人もいない。面倒な人を避けるところに、幹部の弱さがあり、組織の甘さがある。雨漏りしている家は、いつしか柱が腐り、倒壊してゆく。蟻の一穴(いっけつ)が畷(なわて)を破壊してゆく。

2004-02-08

リーダーの責任


 われわれはいかなる時でも

 講義

 指導

 演説

 企画

 文をもって

 人々をリードしていくべきだ


【『日々の指針』 1974-12-16発行】


 強烈な指導だ。初めて読んだのは22歳の時。


『日々の指針』は、先生が毎朝、本部で黒板に書かれていた指導。現在、聖教新聞に掲載されている「わが友に贈る」と同じ方程式。


」の字に込められているのは、権威主義・形式主義に対する破折だ。人々に歓喜と動を与えることが、リーダーに課せられた責任だ。


 若い頃は理と現実の波間に揺れ、多くの葛藤があるものだ。ある時は希望に燃え、ある場合には不平を充満させる季節でもある。座談会での研究発表にしても、一朝一夕に上手くゆくものではない。悪戦闘する中で、「こうありたい」という切実な願望にしがみつきながら挑戦してゆく内に、自分らしい花を咲かせることができる。


 上手にやってのけようとっている内は駄目だ(笑)。それは単なるパフォーマンスだ。踊りだ、そんなものは。


 リーダーの眼目はただ一つ。それは、人のを知る労を惜しまないことに尽きる。そのために祈り、そのために行動し抜き、そのために対話を重ねてゆくのだ。時には身悶(もだ)えするようなこともある。浅い同志から誤解される場合もある。落胆の憂き目に喘ぐ日もある。そののハードルを超えた分だけ、本物のリーダーに近づいてゆく。


 刀剣は、元々10kg以上ある鉄を火に入れ、叩きに叩いて1kg余りになるという。


 きたはぬかねはさかんなる火に入るればとくとけ候、冰(こおり)をゆ(湯)に入るがごとし、剣なんどは大火に入るれども暫くはとけず是きたへる故なり、まへにかう申すはきたうなるべし(1169頁)


 伝統の2月、厳寒の中で自分を鍛えたい。


 創価学会インタナショナルが、世界187ヶ国となる。本部幹部会にて先生より発表される。


 また青木理事長から、多宝会・宝寿会のメンバーに関しては、寒い中、無理な参加をさせてはならない旨、通達あり。参加のがあれば、参加にせよと。