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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2010-01-05

摂受・折伏に関する考察


 摂受(しょうじゅ)とは摂引容受(しょういんようじゅ)のことで、折伏(しゃくぶく)とは破折屈服の義である。


 殆どの日蓮門下が「対話の方法論」と誤解しているが、実はそうではない。つまり、優しく諭(さと)すような話し方が摂受で、大きなで相手をやっつけることが折伏なのではない。


 摂受折伏とは「対話の本質論」であり、そこには「社会との関わり方」が示されている。


 要はこういうことだ。像法時代の教者は国家というパトロンを必要とした。あるいはそうではないにしても、国家に迎合する中で研鑚が進められた。ひょっとしたら、アショーカ王(阿育)あたりが、そうした流れを作るきっかけになったのかもしれない。


 最澄伝教大師)や空海(弘法大師)が唐に渡って学んだのは、鎮護国家を目的とした教であった。最澄は国費で、まだが知られていなかった空海は私費で渡航している。ただ、いずれにしても遣唐使団の一員である以上は国家の庇護を受けていたと見るのが妥当であろう。


 つまり摂受とは、国家や社会という枠組みの中で展開されるの広がりを表していると考えられる。


 それに対して折伏とは、こうした枠組みに文字通り反逆することだ。国家にも、主人にも、親にも従わない生き方を日蓮は明言している。これを「反逆」と呼ばずして何と呼ぶことができようか。ただし、国家転覆を図した破壊活動を日蓮が示唆した形跡はない。ここに絶妙なバランス覚が窺える。時代や社会からはみ出ることなくして変革を起こすことはできない。


 古来、人間社会はヒエラルキーによって構成されており、いかなる社会も教育というのもとで子供達を「社会の枠組み」に従わせてきた。文化、伝統、風習の一切がこれを目的にしている。クリシュナムルティはこれを「条件づけ」と喝破した。


 例えばこうだ。私が小学校に上がるか上がらないくらいかの頃である。家族でデパートへ行き、食事をすることになった。当時、デパートで食事をすることは贅沢(ぜいたく)の部類に入った。ショーウィンドウに並ぶメニューの模型を前にして母は「好きなものを注文しなさい」と言った。私はおずおずと「これ」と指差してピザを選んだ。すかさず母は言った。「せっかくデパートへ来たのにそんなものを食べてはいけない」と。幼い私は、「好きなもの」と言われた場合は、TPOを弁え、大人が納得するものを選ばなくてはいけないことを学んだ。これが条件づけである。


 ほとんど理解力がない小学生に対して学校(=大人)は、助け合い、協力、団結といった概を刷り込もうとたくらむ。「自由になることが勉強の目的だ」とは決して教えない。このため、一方では個尊重を唱えながら、本当に個的な人物は「変な奴」という烙印(らくいん)を押される。「あいつは皆と一緒にならない」→「あいつは自分勝手だ」→「あいつは仲間ではない」という論法がまかり通ってしまうのだ。


 こうした背景もあって、親という親は子供がドロップアウトすることを極端に回避しようとする。例えば学校を中途退学した高校生がいたとしよう。この瞬間、高校からのドロップアウト=人生の落伍者というレッテルが社会によって貼りつけられる。本当は様々な事情があって、高校を辞めただけの10代の少年に過ぎないにもかかわらず。


 このようにして、「落伍」という恐怖でもって社会は形成されている。ここにおいて自由と幸福は、ヒエラルキーの上部に移動することを味しているのだ。


 人間を知らない内に束縛してやまない伝統・文化・風習に対して、断固として「ノー!」を突きつけるのが折伏である。私の見解では、末法とは非人間化が進行した時代であり、組織化され、高度なまでに情報化された社会を示しているとう。つまり本未有善という機根は、条件づけに支配された時代に生まれてきた人々の情況を示唆しているのだ。


 これはまだまだ勉強不足であるが、末法とは「国家が民衆を隷属させる時代」と言ってもよいのではないだろうか。日蓮が過去世の物語に仮託したのは、この事実であったと私は考えている。


 折伏とは生命をありとあらゆる呪縛から解き放つ叫びに他ならない。布教の目的が教団の拡張にある限り、日蓮が唱えた折伏精神を知ることはできない。魂の鉄鎖を断ち切った人のみが、折伏を実践できる人なのだ。

2008-04-01

紹介者の責任について


 新入会のメンバーが活動しなくなったり、退転すると、「紹介者の責任」にする馬鹿者がいる。勘違いも甚だしい。例えば、入会直後からダメになった場合は、壮年本部長と支部長の責任である。そのための面接と家庭訪問なのだから。次に、初めは活動していたが徐々に出なくなったというのは、組織の責任だ。


 折伏を決めるのは、当然紹介者一念である。だが、紹介者の責任は「入会させるまで」である。入会したメンバーの責任も取れないような組織であれば、折伏する味がない。

2008-01-15

和泉副会長の思い出


 話は変わるが、和泉副会長がまだ20代の頃に、牧口先生と一緒に折伏に行った時のい出をうかがったことがある。

 当時、牧口先生は70歳前後であった。和泉青年が約束をとり、ある憲兵隊の将校のところに折伏に出かけた。ところが、せっかく牧口先生に足を運んでもらったにもかかわらず、その将校がいない。約束を破って外出してしまったようだった。

 和泉青年は、“牧口先生に申しわけない”と恐縮した。また、“約束の仕方が悪いからだ”と怒(おこ)られても当然だとった。しかし、牧口先生は何の文句も言われず、一言「向こうは逃げたのだから、こちらは勝ったのだ。それでいいのだ」と言って、励まされたという。

 牧口先生のお人柄と、指導者としてのおの深さがしのばれる話だとう。一生懸命に戦っている人に、何か不都合なことがあったとしても、決して叱ってはいけない。皆が楽しく張り合いを持てるようにしてゆくのがリーダーの役目である。大きな気持ちで励ましてあげることが大事である。特に幹部の方々は、後輩・同志が「自分は勝った」と言い切れる法戦の歴史を刻んでいけるよう、朗らかに、また毅然と指揮をとっていただきたい。


【第24本部幹部会 1989-12-20 創価文化会館


 適当なタイトルが浮かばなかったので、検索しやすいものにした。


 これも忘れられない指導。憲兵隊の将校は、現代であれば国会議員や上場企の役員クラスに匹敵する立場であろう。約束を取り付けるまでの労を、牧口先生は察したのだろう。


 学会員の悪しき傾向の一つに、「指導を教条主義的に受け止める」ことが挙げられる。この指導についても同様である。「そうか、友人にすっぽかされても注してはいけないんだな」と。底の浅い考は、必ずパターンに人間をはめ込むようになる。


 また学会組織は、成果を出す人は評価するが、真面目に戦う人を見下すところがある。民衆救済の組織でありながら、民衆を蔑視する――これが創価学会一凶であると私はっている。全幹部が会員に奉仕する姿勢に徹した時、師弟不二の血脈が力強く流れ通うことだろう。幹部が偉そうな顔をしている内は本末転倒だ。


 和泉覚さんは、昭和15年の入会。初代小岩支部長である。北条会長の体制になった時、理事長を務めた。入会の経緯や戦地での体験談は、小説『人間革命』第3巻に詳しく描かれている。だみでユーモラスな指導ぶりが落語家を彷彿(ほうふつ)とさせた。会場はいつも爆笑の渦となった。2005年57日、逝去。晩年になっても、夫人が先生につけなかったことを悔やんでいた。

2007-12-21

「折伏」「指導」の本義


 一人の人間の生命を揺さぶり、動かしながら、正しい成への軌道へと導いてゆく――これが「折伏」の道であり、学会の「指導」の本義である。


【第9回全国婦人部幹部会 1989-11-29 創価文化会館


 たったこれだけのことが出来るか出来ないかで、地涌の菩薩かどうかが決まる。


 友の生命を揺さぶるためには、を開かせ、を通わせ、をつかむ必要がある。テクニックではダメだ。所詮、自分の生き方の問題である。


 まともな折伏、きちんとした指導ができる幹部は少ない。


 創価学会は広宣流布の団体である。最も広宣流布に貢献した人が幹部になっていくべきだ。ところが現実は、そうなっていない。このまま行けば、本部職員は職坊主と成り果てることだろう。


 問題がありながら、不問に付されている職員が少なからずいる。学会本部は情報漏洩(ろうえい)を恐れているのだろう。これが第二、第三の山友や原島を育てる温床となるに違いない。


 生命の交流にこそ、本物の幸福がある。互いが互いを必要とする関係が真の団結だ。境涯の拡大とは、より多くの友とを通い合わせることに尽きる。組織のために会員を手段にし、選挙のために友人を利用するような姿勢は邪道だ。創価の王道は、この指導が全てである。

2007-08-14

若き先生を折伏した戸田先生の言葉


 私の入信の日──昭和22年(1947年)の824日は日曜日であった。大変に暑い一日であったと記憶している。

 当時は入会の儀式の勤行が今よりもゆっくりで、慣れていない長時間の正座で足が痛くてしかったことをい出す。

 私は戸田先生の人格を慕い、深遠な哲学を求めて入会したが、宗教そのものには抵抗があった。

 父親は私の入会に猛反対であった。父と私の間に入って母は大変にしんだ。

 そうした私自身の体験に照らしても、新入会の方々の境がよくわかる。

 その味から私は、入会当時の戸田先生の激励のご指導を、そのまま伝えさせていただきたい。

 これも、私が若き日から記録し、留(とど)めていたものである。

「これから長い人生である。どういう宿命が待ち構えているか知れない。いつ、どのようになるかもわからない。一生涯、悠々と人生を生きていける信と哲学が、絶対に必要である」

「今後、年老いて振り返った時に、どれだけ自分が有義な人生を生きたか、価値ある人生を生きたかが大事である。

 特に、死という問題に立ち至った場合、悠々と総仕上げを飾っていけるかどうか。その時に悔いるようなことがあっては、断じてならない。人生は一瞬のうちに年をとってしまうものだ」

「一切の人生航路、生命航路の現実は厳しい。それを打開していく根本こそが、この大聖人法である。その法を、青年らしく勉強し、実践してみなさい」

 この師匠の指導の通りに約60年間、私は法を実践してきた。先生が教えてくださった通り、最高に有義な、最大に価値ある人生を生き抜いてくることができた。

 新入会の皆さんにとっても、入会の原点の日が10年先、20年先に、どれほど重要な人生の記日となっていくことか。

 そのことを、どうか晴れ晴れと確信し、良き先輩とともに、良き同志とともに、前進していっていただきたい。


【東京・関東・東海道合同研修会 2006-08-17 長野研修道場


 そして今日、師弟の邂逅(かいこう)から60周年を迎えた。それはまさしく、「人類の運命を変える出会い」だった。「長生きできない」と言われた身体で、半世紀にわたって指揮を執られ、世界に法を宣揚された。教史3000年においても、これほどの指導者は存在しなかった。既に世界中の識者が、「世界を救う言葉」として、先生のスピーチにを傾けている。


 その先生も間もなく80歳になられる。通説では、釈尊が説法を終えたとされる年齢である。我々は、先生が死ぬまでこき使おうとしている。本当にそれでいいのか?

2006-12-16

38年越しで、母が父を折伏


明日 投稿者:水無はつか 投稿日:2006-12-16 21:51:07 No.15088


 私の父が創価学会に入会いたします。私の父は来年1の誕生日で70歳となります。私の母が昭和43年、御本尊を授持してから夫(私の父)の入会を祈り続けて38年。母の祈りが遂にかないます。母の初めての折伏が実ります。一番身近で「信」を見続けてきた夫(私の父)が入会するのです。母は組織では何の役職もありません。一婦人部員です。もう多宝会の領域です。教学資格もありません。任用試験も受けたことがありません。ですが、我が家の大黒柱を入会に導く偉大な力を持っていました。


 祈りは必ずかなう! 今回の母の弘教体験から、漠然とした観ではない確信を持つことができました。明日、父の入会記勤行会が行われます。私が実家を離れて既に10年――。明日は早起きして、父と母の祝福に向かいます。


【「富士宮ボーイ掲示板」より転載】


 勝手に転載させて頂いた。読みながら、私は涙が止まらなかった。これこそ、「民衆勝利の劇」そのものである。無の母は勝った。母の勝利は、子の勝利であり、一家の勝利でもあった。「創価の母」の何と偉大なことよ。

2006-10-13

御本尊をいただく当日ダメになる


【問い】折伏しないと功徳がないというので、折伏しています。ところが、判まで押して、いよいよ今日、御授戒というになると、その前の晩に夫婦ゲンカをして、大抵ダメになるが、どうしたものでしょう。


【答え】折伏をしなければ功徳はありません。今のような場合は立派に折伏しているのです。功徳はあります。やるやらないは向こうの自由です。何も、創価学会へ引っ張り込んでしまわなければ折伏にならないなどと考えてはダメです。それはそれで折伏になっているのだから、判子(はんこ)押したといっても、借金の時に判子を押して払わない人が、たくさんいるではないですか。ましてや折伏です、次の日になって女房とケンカしてやめたといっても、それで結構なのです。そう言ってやりなさい。ああ、結構結構と。

 功徳があるのです。どうしても創価学会員にしなければダメだとか、御本尊を持たせなければダメだとか頑張るから、おかしな事件が起きてしまうのです。御本尊様はお見通しです。我々にはわかりませんけれども、それがわからないような様ではだらしがなさ過ぎます。あなたの誠は十分、御本尊様に通じております。やめたやめないは、向こうの勝手ではないですか。そこまで行けば大丈夫なのです。判子なんか押しても、払わない人がいるのですから。立派に折伏したことになっているのだということがわかりましたか。

 では、もう一言申し上げます。それは、折伏になっているのです。それを折伏というのです。聞く聞かないは向こうの勝手なのです。日蓮聖人様が佐渡からお帰りのときに、あるアミダ寺にお弟子をやって、「どうせ言っても聞くこともあるまい、しかし一応は行ってこい」と命じられたことがあります。これは立派な、日蓮大聖人様の折伏ではないですか。相手は聞くわけがありません。その寺の前を通る時に一応いわなければの精神に反するから、それでお弟子をやって折伏させたのです。相手は聞きません。それで立派な折伏なのです。わかりましたか。判子まで押しても御本尊様を返してきたりするのです。すると、を受けるのです。いやだったらやめなさい、と言っておけばいいのです。後できちんと目が覚めます。これは不議なものです。そう急がなくてもいいのです。


【『戸田城聖先生 質問会集』 1963-08-02発行】


 締め切りが近づくと、オロオロする幹部にコピーしてやるといい(笑)。


 ここに指導の極がある。指導の目的は、相手のを軽くしてあげること。追い込むことでもなければ、指摘することでもない。


 質問をした方は、の雲が瞬時にして払われ、自信をもって堂々と折伏に挑んだことだろう。


「お前の一が弱いから、決まるものも決まらないんだ!」(私の決まり文句)――これは指導ではなく、単なる「評価」だ。幹部はレフェリーに非ず。しかしまあ、今時は、線からはみ出た途端、ピーピー笛を吹くような手合いが多いからねえ(笑)。


【※指導は、Technodon氏の投稿によるもの】