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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2008-11-01

何をもって戦うか?


 普通であれば武器だ。世界中には様々な挨拶の様式があるが、これらは全て武器を持っていないことを確認する味があると言われる。握手、ハグなど。日本古来のお辞儀は、多分急所である頭を差し出すことで相手の警戒を解こうとしたものだろう。「叩いても、よござんすよ」ってなじだろうか。


 文明は武器をも発達させた。たったの3000年で、木石から鉄器へ、火から核爆弾へと変貌した。武器に求められるのは殺傷力である。科学技術の進歩を致死の高さが証明するのだ。


 しかし、だ。武器がなかったら何をもって戦うだろう? 肉体だ。では、囚(とら)われの身となったら、どうする? そもそも、戦う場面なんてあるのだろうか。あるんだよ、これが。


 フランス人っていうのは、おかしいとったら一人でも闘う。

 それがフランス革命を起こしたこの国の伝統で、

 フランス人が一番大切にする気質です。

 1940年、わたしがドイツ軍に捕まった時、それはちょうど結婚した

 ばかりの時期でしたから、指に新しい結婚指輪をつけていたんです。

 で、それを見つけたドイツ兵は、無理矢理、指輪を指から盗ろうとした。


 もう頭にきてねぇ。一人でも闘おうと決しました。


 捕虜になると、最初に顔写真を撮られます。

 ナチスの連中はたかだか証明写真だっていうのに、

 わたしの身体をカメラの前に置き、ものすごい力で両脇から押さえつけてきた。

 フランス人なら絶対こんな時、闘わなくちゃいけない。

 だから、わたしはシャッターが押される瞬間、カメラの前で目一杯

 舌を出してやったんですよ。……こんな風にね。

 もちろん殴られて、再度写真を撮られることになった。

 でもわたしは抵抗をやめませんでしたよ。

 何度も何度も、彼らが諦(あきら)めるまで私は舌を出し続けた。


 独裁とは一人でも闘う。


 小さなことかもしれませんが、

 それがフランス人の矜持(きょうじ)なんです。


【『この大地に命与えられし者たちへ』写真・文 桃井和馬(清流出版)】


 ベロを出した普通のオジサンが写っている。少しピンボケした写真が、妙に臨場を高めている。オジサンは殴られても殴られても尚、ベロを出し続けた。フランス人のエスプリここにあり、だ。


 創価学会の原点は、戸田先生獄中の悟達にある。であれば、学会の歴史は獄中から始まった事実を忘れてはなるまい。


この大地に命与えられし者たちへ

2008-02-19

「戦の一字を忘るな」中岡慎太郎


「戦(いくさ)の一字を忘るな」(中岡慎太郎幕末土佐の志士)という言葉があるが、いかなる世界も「永遠の戦い」である。人生も社会も、そして宇宙も――。“法は勝負”との御本のお言葉は、いくら強調してもし過ぎることはない。

 人間も外に打って出る気概がなくなり、動かなくなっては成長はない。第一、身体に悪い。太るばかりである(笑い)。

 組織においても、「戦い」の気概こそが、活化し、成長を続けていけるエネルギーなのである。

 その味で、リーダーが自分で戦わず、軍隊に「雇われ根」が蔓延したローマは、そこから社会が弱体化し、内から崩れていくのは、むしろ必然といえよう。


 率先して第一線に立つ――この精神をなくしたリーダーは、実はその姿自体が無責任な「雇われ根」であった。

「誰かがするだろう」「彼らが、うまくやるだろう」「多分、何とかなるだろう」――人を使っているつもりで、実は自分の方が、だらけた悪しき「サラリーマン」に陥っていた。責任もなければ、独立もない。

 楽なようでいてその実、“貴族”とはばかり。状況に支配された“環境の奴隷”“欲望の奴隷”であった。

 栄光のローマは、やがて民族大移動という歴史の大波の中、ゲルマン諸部族の侵入によって滅亡する(476年、西ローマ帝国滅亡)。

 しかし、外敵に破られる以前、ローマは既に内から崩れ、破られていたのである。


東京文京・台東・板橋区代表者会議 1989-12-24 東京上野池田講堂】


 当時、私は26歳。男子部の副部長だった。第二次宗門問題のちょうど一年前のこと。


 仕事にせよ、活動にせよ、日常の中で妥協することは多い。サラリーマンの大半はうんざりしているし、活動家の多くはストレスまみれだ。職場や拠点に行く際、がワクワクしている人は幸せな証拠。


「戦う」ということは勝負である。その中身は、「状況を変える」ことができるかどうかだ。環境に流され、振り回されるか、環境を動かし、変えてゆくかが問われる。


 中岡慎太郎は武力による維新を目指していた。薩長同盟の立役者で、坂本龍馬と共に暗殺された。享年29歳。


 志とは 目先の貴賤で動かされるようなものではない 今 賤しいとえるものが

 明日は貴(とうと)いかもしれない

 君子となるか小人となるかは家柄の中にはない 君 自らの中にあるのだ


【『中岡慎太郎全集』(文久元年1126日 北川竹次郎宛手紙)】

2006-12-12

動かなければ勝てない


 教職員が動き、語っていった分だけ、大学・学園は発展する。

 動かなければ勝てない。これは万般に通じる鉄則である。


創価教育代表者会議 2006-08-03 長野研修道場


「動かなければ勝てない」――これを肝に銘じたい。


 私の周囲を見渡すと、あまりにも無駄な動きが多い。いくら、打ち合わせや会合をやったところで人は育たないのだ。


 悩める人のための組織であり、一人のための組織である。その本末を転倒すると、組織は人間を失い、必ず制度疲労を起こす。


 幹部が動いてない――ここに組織一凶がある。一見すると動いているように見えるが、打ち出しに躍らされているだけだ。こういう連中が、組織悪を育み、最前線の邪をする。


 幹部は偉そうな顔をしなくていいから、せめて、連れ出しぐらい手伝ったら、どうなんだ?

2006-12-10

明確な「数」を目標として掲げよ


 戸田先生は広布の前進に当たって、明確な「数」を目標として掲げられた。

 数学者としても有だった先生は、この「数」の持つ味についても、しばしば指導してくださった。

 これまでも何度か紹介したが、「創価学会は、地球上で最も尊厳な生命を守り、どれだけの人に妙法を受持せしめ、幸せにしたかということを数えるのである」と言われていた。

 あの歴史的な第二代会長の就任式では、「私が生きている間に、75万世帯の折伏は私の手でいたします」と先生は叫ばれた。

 この「75万」にも、甚深の義が込められていたのである。それは単なる数字ではない。先生の深き誓願と一体の「数」なのである。


【各部合同研修会 2006-08-02 長野研修道場


 草創期は、「決発表」のことを「確信発表」といった。長の一で「いくつ、やります!」と述べた。現在のように、雁首(がんくび)を並べて、「いくつにしようか?」なあんて目標を相談するようなことはなかった。


 昭和25年、文京の支部幹事となった若き先生(当時23歳)。組長、班長、地区部長の確信発表にを澄ませ、ある時は「できるわけがないよ。嘘を言ってはいけない」と叱咤し、またある時は「必ずできるよ」と励ました。先生が「できる」と言われたのは、組長、班長、地区部長の数が一致している時だけだった。これが呼吸というものだ。


 先日の本幹で学生部長が「ここ十数年来で最高の結果を出した」と発表していたが、私は「どうせ、ほとんど御守りだろ?」との中で吐き捨てた。また、「貴様は、その内の何世帯に関わってきたんだ?」ともった。


 御守り御本尊の授与に関しては以前、書いた通りである(「学歴本位になれば学会は崩壊」)。私が懸しているのは、折伏の歓喜が以前に比べて劣ってきていることだ。「一人の人を救う喜び」が「組織目標を達成する喜び」に変わってきてやしないか? 成果は出るものの、人が育ってない組織は要注だ。


 数字がデタラメだと、顕彰義も薄れる。幹部の利を満足させるために、数字が操作されている。特定の地域の婦人部内にこうした傾向が強く、それに手を貸さない壮年幹部が痛い目に遭うことも珍しくない。


 虚空会の儀式で、地涌の菩薩が自分の眷属にエキストラを起用しているような様子になってるよ(笑)。人材育成を阻害しているのは、幹部による成果主義だ。地道に人を育てている人が全く評価されない組織になってしまった。


 でもね、どんな組織にいたって構わないんだよ。結局ね、全部、自分で決まるんだから。自分の周囲に強い絆を広げていけばいいだけの話だ。同志とは、志を同じくする人のことである。私は、インチキ幹部を同志とったことは一度もない。


「一人立つ精神」とは、幹部を当てにしない精神のことだ。

2006-02-13

スタートが肝心


 創立80周年を目指して、「偉大なる勝利、勝利の前進」の第一歩を、気軒昂に踏み出していただきたい。

「肝なのはスタートではあるまいか。どんなことでも最初の第一歩によってその将来は左右されるものなのだ」とは、ロシアの文豪ドストエフスキーの言葉である。


【全国総県長会議へのメッセージ 2005-12-09 創価文化会館


 短距離になればなるほど、スタートの差が大きく影響する。100m走の如し。創立80周年までの5年間は外と長くじるかも知れない。では、ここで5年前のことを振り返って頂こう。つい、この間のことのように鮮やかにい出せるだろう。次に、この5年間で何をしてきたかを挙げてもらおう。


 どうだろうか? 案外、「可もなく不可もなく、相変わらずの5年間だった」という方が多いのではなかろうか? 5年なんぞは、アッという間だ。これで、“師弟共戦最終章の5年”が短期決戦であることが、ご理解できるだろう。


 我々は断じて、雪山の寒鳥になってはいけない。日々、創価革命の旗を振り続け、自分自身に対して、残酷なまでに厳しく望んで参りたい。

2005-10-06

学会に“保守”なし


 次に、攻めるということは最も強い、ということを申し上げたい。内容の是非はともかくとして、ベトナムの戦いについていうならば、あれだけのアメリカの大軍を向こうにまわして、執拗(しつよう)に日夜戦闘を展開しているあのベトコンの力、民族を解放しようとのに燃えて戦っているあの強さは、誰人もどうしようもありません。

 創価学会の戦いは宗教革命であり、それを根底にしての社会革命であり、教育革命であり、経済革命であり、政治革命であります。それは慈悲と道理の無血革命であり、一人の犠牲者も出さない未曽有の革命であります。今日までの大発展をかえりみても、日蓮大聖人の仰せ通りに折伏精神に立ち、革新の吹きに燃えて戦ってきたのであり、ただの一度も保守的になったことはありません。日本の国の王冥合達成まで、全世界の広宣流布まで、我が創価学会に保守はなく、革新の中の革新、戦いの中の戦いの精神、大聖人の勇猛精進、不惜身命の精神をもって永続していくべきであります。今までの歴史に照らしても、その戦いの善悪、の高低は論外として、戦い進まずして勝ったもの、保守で勝ったものは、古今東西を通じて絶対にありません。


【男子部部隊旗返還授与式 1966-01-06 学会本部広間】


 青春の季節には、新しい何かに挑むきらめきがある。それが、40歳近くなるにつれ、どんよりとした梅雨空みたいになる傾向が顕著(笑)。


 自分の立場を重んじる人は、できるだけ問題を避けようとする。何か事が起きると、婦人部に丸投げする壮年幹部は掃いて捨てるほどいる。“動かない”のではなくして、既に“動けなくなっている”事実にすら気づいてない。


 新しい何かを始めようとすれば、必ず反発があるものだ。日本を代表する工学者の一人に、“ミスター半導体”、“光通信の父”と呼ばれる西澤潤一氏(首都大学東京学長)がいる。現在では数百の特許にを連ねる西澤氏であるが、労に次ぐ労を綴られている(『独創は闘いにあり』(プレジデント社/新潮文庫)。


 1964年(昭和39年)に、収束型グラスファイバーの特許を出願したところ、さしたる理由もなく特許庁から二十数回にわたって却下される。西澤氏が高等裁判所に訴えたところ、「特許庁の却下理由が妥当ではない」との判断が示された。それでも尚、特許庁は拒否し続けた。出願から20年が経過し、とうとう特許は期限切れとなる。この間に、殆ど同じ収束型グラスファイバーが、ある企で研究され、繊維部門で特許を取得。アメリカでも、1970年にクラッド型グラスファイバーの開発に成功する。西澤氏が出願した特許にはクラッド型も含まれていた。


 日本という国は、こんな馬鹿馬鹿しい閉鎖がまかり通る世界なのだ。


 学会にあっても同じだ。先生が参謀室長の時に、軍楽隊(音楽隊)や体育祭(文化祭)を提案した時、最高幹部は皆反対した。戸田先生だけが、「大作が言うなら、やってみろ」と背中を押した。


 人間は保守的になった途端、魂が泥水のように澱(よど)んでくる。現状維持が保守の本質だからだ。法は無上道である。向上・成長に歯止めがかかれば、退転も同然。特に壮年幹部は、青年部の進取の気風を阻害するなと言いたい。逆に青年部に対しては、壮年部から煙たがれるほどの勢いを持てと言っておきたい。


 以下に西澤氏のテキストを紹介しておく――


 独創を生み出す「自主的」な研究態度は、一度は自己を捨てる瀬戸際にまで追いつめられ、そこで渇仰のようなものが初めて頭をもたげてきて、それがバネになって養われるのではないかとうのである。


 はなばなしい発明物語など、私には無縁なものである。独創技術とは、地味で、地道な努力のうえにようやく発現するものだとうからである。

 物にたとえれば、万里の長のように、といえようか。阿呆(あほう)のように、とことん物事にこだわり、考え抜き、気の遠くなるような営みをコツコツと積み重ねる。途中であきらることは許されない。妥協も許されない。あきらめず、ごまかさず、粘り強い努力だけが最後にものをいう。


 独創を推し進めていく段階では、新しいことが「できる」と考えるとできるし、「なにもできない」と判断すればできないという岐路に立たされることがある。

 ここで大事なのは、早急に「できない」とあきらめないことだ。「できない」と考えていて、何かをなすことはまずありえない。「できる」と考えていた場合にのみ、「できなかった」場合と、「できた」場合が生じてくるのである。つまるところ、「できる」と考えていない限り、独創の華は生まれないということである。


独創は闘いにあり