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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2010-01-23

仏壇屋


 前にもちらりと書いた話。会館を出て10メートルほど歩くと、若い男がチラシを配っていた。私は立ち止まって受け取り、チラシの内容を確認して男に言った。「指導を受けた上でやっているのか?」と。仏壇屋のチラシだった。当然、この男は男子部だろう。男は「エッ?」という表情をしていたので、「やめておけ」と一言だけいって私は去った。創価大学の正門を下って行った交差点の右側にある仏壇屋だった。この辺だ。若い男はきっと上司から言われるがままに仕事をしていただけなのだろう。上司は創価大学のお膝元で商売をしているのだから、これくらいは当然と思っていたのだろうか? あるいは本当にお得なセール情報を伝えたい親切心からであったのだろうか? それとも売り上げのノルマを達成するためになりふり構わぬやり方に打って出たのだろうか? それはわからない。


 事実だけ検証してみよう。創価学会員を商売のために利用しようとする会社があって、そこでは信心の判断力を欠いた若い社員が働いているということだ。何となく気になるのは、でかい顔をする以上は、それだけの理由があるのかもしれない。


 創価学会を取り巻く環境はここまで腐敗している。そして、腐敗と戦うことを奨励する幹部はいない。

2009-09-29

日妙聖人御書


 然れども法華経に対しまいらすれば妄語のごとし綺語のごとし悪口のごとし両舌のごとし、此の御経こそ実語の中の実語にて候へ(1217頁)


 爾前教と法華経とを相対された御指南。言論の真実、論理の整合、普遍的な実証をも示唆しているとじる。ウェブ上には悪の塊(かたまり)みたいな言葉が氾濫(はんらん)している。言葉は己から発せられた瞬間に、その人の考を方向づける。古(いにしえ)の人々はそれを「言霊」(ことだま)と称したのだろう。考は言葉によってなされる。すなわち言葉は脳を縛る。虚言に翻弄される人には、虚言を受け容れる土壌がある。「嘘つきは泥棒の始まり」という。嘘に対して鈍は、やがては犯罪をも容認する。他人の物を盗み取っても罪悪を覚えなくなる。組織利用を働く者に共通しているのは「病的なまでの虚言癖」である。嘘を見抜けない人は結果的に組織利用の片棒を担ぐ羽目になる。人がいいだけでは指導者の資格がない。妄語、綺語、悪口、両舌を瞬時に見破り、論破に論破を加えて鉄槌(てっつい)を下せる人のみが後輩を守れるのだ。

2008-12-22

沖浦某がものに狂うを見よ


 組織利用の常習犯である沖浦某が、学会員である阿部日ケ〜ン氏の個人情報を募り、訴訟を起こそうとたくらんでいる。しかもこれ、法華講員の掲示板で行われているのだ。沖浦某のものに狂った姿をとくとご覧あれ。

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2008-12-07

その後の沖浦某


 Web上で知り合った学会員に対して、「熱原の三烈士公演」のチケット(2500円)を20枚単位で販売している沖浦某が、持論である「人本迹論」を破折し尽くされたことに逆ギレし、今度は10人前後の学会員を相手に裁判を起こすそうだよ。理由は不明だが来年の6以降の提訴という予定らしい。一般の会員は、とにかくこのような人物と関わり合うべきではない。メールアドレスなど、個人情報を知られてしまえば、どんなことに利用されるかわかったもんじゃない。自分の牽強付会な論理が通用しないと見るや否や、今度は被害者面をして訴訟をネタに相手を脅す戦法に出たようだ。その異常さが窺える書き込みを記にアップしておく。

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2008-10-28

「ものの見方」について


 視覚に関する研究が進んでいる。我々は世界を「ありのまま」に見ているとい込んでいるが、実際はそうでもないらしい。簡単に言えば、バラバラになったジグソーパズルを脳で統合し直していることが明らかになってきた。例えば、上下が逆さまに見える眼鏡を掛けたとしよう。すると、1週間も経てばこの人はまったく普通に生活ができるようになるという(『海馬 脳は疲れない池谷裕二、糸井重里)。


 ご存じのように右目の右横と左目の左横には盲点がある。我々は片目をつぶってもそれを自覚できない。脳が補ってしまうためだ。また、視野は人によっても範囲が異なる。一流のサッカー選手になると、ボールを追いながらも敵味方の殆どが見えている。それとは反対に、交通事故を起こしやすい人は視野が狭いと言えよう。こうしたことを考えると、「実際に見えている」というよりも、「周囲の動きを像しながら先を読んでいる」ことが理解できる。


字の言」に対抗しようと目論んだが、予以上に前置きが長くなってしまった。やっぱり、いつもの調子で行くことにしよう。


「ものを見る」というのは考力であり、「ものが見える」というのは境涯であろう。「ものの見方」は目に映じたものを捉え直すことができるかどうかが問われる。見たままで判断する人は、ただの錯覚野郎だ。もちろん、そいつの目は節穴だ。


 なぜなら、「眼はむき出しになった脳の一部」(『共感覚者の驚くべき日常 形を味わう人、色を聴く人』リチャード・E・シトーウィック)であり、「能動的な仮定」(『脳は美をいかに感じるか ピカソやモネが見た世界』セミール・ゼキ)であり、「世界を見るために目ができたわけではなく、目があるからこそ世界は味を持った」(『進化しすぎた脳 中高生と語る〔大脳生理学〕の最前線池谷裕二)と考えられているからだ。


 では、本題に入ろう。次の文章が説明不足である点を挙げなさい――

  • 暑くて汗が止まらない。
  • 寒くて身体が震え始めた。
  • 風邪をひいて高熱となった。

 時間は1分だ。これ以下は、ちゃんと考えてから読むんだよ。って書いてもムダなんだよな。だから、答えは最後に書いておく。


 これらの文章は日常生活でよく使われている言葉である。ところが実際の味は違っているのだ。それを知っているかどうかが問題なんだよ。


 善悪はもっと複雑だ。多くの場合、相手の行為や言動に善があるか悪があるかで判断される。これがそもそも間違いのもとだ。そんなレベルで世間を渡って行けるとったら大間違いだ。そんな野郎は、一日一歩、三日で三歩、三歩進んで五歩下がるような人生しか歩めないことだろう。汝のを「五っ歩(ゴッホ)」とづけておこう。


「ものの本質」を見抜くためには、目的と味を素早く読み解く能力が必要となる。私が提唱する「組織利用の3秒ルール」には、そういう味が込められている。


 振り込め詐欺なら、金をふんだくられるだけで済む。だが、「組織利用」に巻き込まれると、信までが破壊されてしまう。


 というわけで、答えだ――

  • 汗が出るのは気化熱によって身体を冷ますため。
  • 身体が震えるのは体温を上げるため。
  • 熱が上がるのは体内で病原菌を殺すため。

2008-10-21

沖浦克治氏の「熱原の三烈士」公演について その二


 先日、沖浦克治氏の「熱原の三烈士」公演についてという一文を書いたが、いまだにわからぬ愚か者がいる。沖浦シンパ自体は、大した人数もいないのだが、もはや完全な「組織組織」と化したがある。


 既に話し合える状態ではなく、これ以上の好き勝手を許してしまえば、更なる被害者が増えることを私は憂慮している。


 実際に被害に遭った方からもメールが寄せられている。ただ、私の方で被害状況を調べることが困であり、確認することもかなわないため、学会本部に報告するのが一番よいとわれる。宛先は必ず「指導監査委員会」にすること。また、時系列順で事実を要約して書くことを掛けてもらいたい。


〒160-8583

 東京都新宿区信濃町32番地

 創価学会本部 指導監査委員会御中