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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2007-12-25

“魂の自由”を拡げよ


 ともあれ、広布に邁進しゆく我々は真の子である。ゆえに、大聖人の御振る舞いを深く生命に刻み、子としての使命と誇りに、豁然(かつぜん)と目覚めていかねばならない。

 世の中は矛盾に満ちている。しかし、御本尊の功力は宇宙大であり、三世永遠である。この御本尊を受持した我々に何を恐れるものがあろうか。いかなる権威権勢にも、いかなる邪悪な勢力にも、断じて臆してはならない。臆病であっては、すべてにおいて損をしてしまう。

 何ものにも奪われない“魂の自由”――ここに、今や世界の良識の眼は注がれている。“民衆の時代”への新たな動向も、“魂の自由”を広げゆく胎動に他ならない。いわんや信仰は、最も深く、最も強い“魂の自由”である。“魂の自由を守れ!”。この叫びこそ、私どもの信仰実践の精髄であると、強く申し上げておきたい。


【第9回全国婦人部幹部会 1989-11-29 創価文化会館


魂の自由ってえのあ、界のことだな」――当時はその程度にしか考えられなかった。


 1985年(昭和61年)にゴルバチョフ氏がソ連共産党書記長に就任。ペレストロイカ(改革)とグラスノスチ情報公開)を断行した。これが、東欧の民主化革命の導火線となり、ベルリンの壁をも崩壊させた(1989年119日)。この指導がなされたのは、チェコスロバキアでビロード革命が起こっている真っ只中のこと。


 次々と、世界各地で「民主化」が産(うぶごえ)を上げていた。大いなる時代の変化をじながらも、日本はまだバブルに酔いしれていた。僧・日顕の謀略が発覚するのは一年後のことである。


 真の自由は、束縛を解いた人にしか味わえない。束縛が常態と化すと、人は環境に従う。例えば、劣悪な労働環境で働く少年少女は世界中にいるが、親は食い扶持(ぶち)が減るだけでも助かっているのが現状だ。


「衣の権威」という束縛に我々が気づいたのは、1990年(平成2年)1227日以降のことである。この日、先生が法華講総講頭を罷免(ひめん)された。それまで、広宣流布の先頭に立ったこともなく、学会の後ろから付いてきた坊主が、突然斬りつけてきたのだ。皆が唖然とした。金魚の糞が、金魚を襲おうとしたのだ。吃驚(びっくり)するわな。

 当時はまだ、血脈相承という秘密の儀式を重んじていたこともあり、学会は直ちに反撃するような真似はしなかった。秋谷会長(当時)が幾度となく、法主に対して話し合いを求めた。ところが日顕は、これを拒絶。「お目通りかなわぬ身」などと時代錯誤も甚だしい言い草だった。


 創価学会が反転攻勢の狼煙(のろし)を上げたのは、「破門通告書」(1991年1128日)以降だと記憶する。ファックス通信「地涌からの通信」が、日顕を呼び捨て表記にしたのが、これに先立つ1011日のことだった。

 我々は宗史を学ぶことによって、魂が鎖で縛られていたことに気づいた。そして、ここから本化(ほんげ)の池田門下生が陸続と登場したのだ。学会は、「会長勇退」(1979年)という“迹”をはらい、いよいよ本地を顕(あらわ)す時代となった。


 あれから既に17年が経過しようとしている。宗門問題を知らない世代も増えている。また、宗門問題の義を知らず、組織悪の奴隷となっているメンバーも多い。


 本日、「創価スピリット」を発行してから4周年となった。この指導を綴ったことが偶然とはえない。不議な使命をじる。

2007-12-08

「苦労してきた人ほど報われ、顕彰される」世界を築け


 ドローゴの場合は、長年務めた挙げ句、いざ“栄光の時”を向かえた途端、労知らずの連中に放り出されてしまった。

 我が創価の世界には、そうした不当な無慈悲の振る舞いは、片鱗だにもあってはならない。私も絶対に許さない。

 陰の労もなく、若くして、トントン拍子で幹部になりながら、そうした真の子を下に見るような言動は、学会の精神に反する。道理にも反する。人間としても卑しい。

 むしろ、「労してきた人ほど報われ、顕彰される」――我が学会は、そうした麗しい世界でなくてはならない。


【11.18記合同幹部会 1989-11-12 創価文化会館


 ドローゴとは、『タタール人の砂漠』(ディーノ・ブッツァーティ著)の主人公。


 どんな組織でも人数が増えれば増えるほど、一人ひとりの自覚と責任が弱まる。これは避けられない。川の上流は清冽な水がほとばしっているが、海に近くなればなるほど、ゆったりと濁った流れとなる。


 学会が75万世帯となったのは昭和32年(1957年)1225日のことである。そして、750万世帯を達成したのが昭和45年(1970年)128日。わずか12年で10倍の勢力となった。この当時の学会員が最も折伏をしたことは疑う余地がない。所謂、「広布第一章世代」である。


 昭和47年(1972年)、正本堂の建立をもって広布第二章に入るわけだが、750万世帯を達成した直後に「言論問題」(月刊ペン事件)が起こり、昭和54年(1979年)には、先生が会長を勇退されるという前代未聞の事態となった。社会との融合を図りながら前進した隙(すき)を突いて、味方に背中から斬りつけられたも同然だった。


 先生の指導が再び聖教新聞に掲載されるようになったのは、創立55周年(昭和60年/1985年)の少し前ぐらいからだったと記憶している。その後、創立60周年(平成2年、1990年)・第二次宗門問題を経て、現在の前進につながっている。


 会長勇退以前の学会員を「広布第二章世代」としよう。会長勇退から第二次宗門問題までを「文化祭世代」、それ以降2001年までを「創価ルネサンス世代」と付けておこう。中々上手いネーミングだ(笑)。


 当たり前だが、新しい世代になればなるほど、広宣流布労をしてない。例えば、若くして本部長・区長・総区長・副会長に登用されている面々は、さほど折伏をしてないはずだ。「広布第一章世代」は、自分が折伏をして組織を築いた(タテ線組織)。あらゆる活動(当時は「闘争」と言っていた)が、人材育成に結びついていた。それがいつしか、運営型・調整型・事務型の便利な幹部が重用されて、現在に至っている。


 役職と広布推進度は全く関係がない。それを知る幹部が殆どいない。

2007-11-09

魂の自由


 ともあれ、あらゆる権威を弾き返し、“魂の自由”を勝ち取ってゆく――。ここに本当の信仰の力がある。


【第11回関西総会 1989-10-12 関西文化会館


 昨日、関西池田記会館にて本部幹部会が行われた。実に7年ぶりの関西入りである。大関西、おめでとう!


 この指導に宗門問題の極があり、本質が言い尽くされている。例えば、上司にペコペコ頭を下げているサラリーマンは、「上司の肩書」の前にひれ伏しているのであって、人間に敬を表しているわけではない。“虎の威”と言ってよい。多くの場合、何らかの利害関係によって強者と弱者の立場が決まる。


 権威に弱い人々は、“魂が不自由”なのだ。世間に縛られ、既成の知識に盲従し、会社組織に隷属している。


 一見、最も自由であるように見受けられる「お笑いの世界」だが、実はデビューした年代で序列が決まっている。彼等の関係においては、芸ではなくキャリアがものを言う。チト、官僚臭いね(笑)。噺家(はなしか)なんぞの影響もありそうだ(入門順の序列)。「古いほど価値がある」というのは、骨董品の世界と変わりがない(笑)。


 家柄、学歴、人気、地位、誉、財産などの類いは、いずれも権威の象徴だ。影響力の大きさを考えれば、マスコミや政治家は更に権威の度を増す。そして、人間が精神によって支えられていることを踏まえれば、・信条に関わる権威が最大のものであり、宗教においては「衣の権威」と呼ばれる。


 淫祠(いんし)邪教の類いがなくならないのは、罪とを絡めたデタラメ話によって奴隷にさせられる人々が多いためだ。「信じること」と「騙(だま)される」ことは隣り合わせだ。オレオレ詐欺を見れば一目瞭然だ。嘘を信じた瞬間から、不幸な人生が始まる。


 我々は「衣の権威」に勝った。しかし多くの会員は、相変わらず「組織の奴隷」だ(笑)。私は違うよ。


 ただし、勘違いしないで欲しいのだが、自由を獲得するには、それなりの力が必要となるので、訓練期間を避けて通ることはできない。「自由」と「不自由」も紙一重だ。「わがまま」と「忍耐」という物差しだけで判断するのは軽挙に過ぎよう。


 下から上を動かせ。それが実現すれば、学会の成だ。真の自由とは、自立することである。青年よ、一人立て! で、その後座るな(笑)。

2007-10-28

1989年(平成元年)の指導について


 現在、「創価スピリット」で1989年の指導を丹に連載している。後世の歴史家が「創価ルネサンス」を総括する時、その幕開けは1987年(昭和62年)であり、本格的なスタートは1989年と綴ることだろう。


 日顕による宗門問題が起こったのは1990年(平成2年)の暮れであることから、万全の機根を調(ととの)える指導が織りなされた。基調となっていたのは、「権威に負けない人間」「三類の強敵に打ち勝つ信」である。


 1989年、私は副部長兼任の地区リーダーだった。振り返ると、この頃からややこしい問題と関わる機会が増えている(笑)。若く純粋な生命に焼き付けられた指導の数々は、今尚、記憶に新しい。殆どの指導を覚えていて、当時の熱気や、拠点の空気までもがい出される。さしたる力も経験もなく、ただガムシャラだった。ひたすら、先生の指導にしがみつくようないで戦い抜いた。これが私の人生の根っことなった。


 当時を知るメンバーが、先生滅後の学会を支える使命があると深く自覚しておきたい。


 学会は、信ではなく会則で「永遠の師匠」を定めた。これほど惰弱なことはない。私はの底から呆れ果てた。このままいけば、組織は形骸化し、会合は会議となり、民衆のも知らぬ本部職員に牛られてしまうような学会になることを私は恐れる。そうなれば、多造塔寺堅固も同然だ。釈迦法が、形式化の波に飲まれて滅び去ったことを忘れてはならない。


 その一点にホシがあることを信じ、「会員を大切にする創価学会」を築くために私はキーを叩く。

2007-10-01

“自由”の意味を知るための教科書


 自由には2種類ある。freedomとlibertyだ。フリーダムは束縛からの自由を表し、リバティは選択の自由を味する。


 人生とは中々奥深いもので、不自由をくぐり抜けた人ほど、自由を享受する資格が与えられる。私は自由だ。しかし、出獄したネルソン・マンデラは、もっと自由であったことだろう。


 自由とは幸福の異でもある。とは、宿命の鉄鎖を断ち切り、自由自在の人間境地を示したものだ。地獄とは、環境や宿命、はたまた欲望などに束縛された不自由極まりない最低の境涯を指す。


 釈尊や大聖人が法を説いた目的は、民衆を自由にするためであった。ところが、組織というものは人を束縛する質が強い。どうしても、目的のために構成員に犠牲を強いる側面がある。


「自由に何でも話せる組織」があれば、完璧な組織といってよい。


 以下に紹介するのは、いずれも「自由の教科書」ともいうべき作品である。出来ることなら、順番を厳守されたい。宗門問題を考える上でも、必須のラインナップである。


 まずは、「学ぶ自由」を勝ち取れ――


書籍


 未来社会を描いたSFの傑作。本を読むことが禁じられた世界。「ファイアーマン(消防士)」は焚書(ふんしょ/本を燃やすこと)が仕事だった。繰り返されるコマーシャル。「書物」は、自由への扉だった。


華氏四五一度


 中世の暗黒時代。ライプニッツやニュートンといった科学者ですら女の存在を信じていた。告発さえあれば「女と認められた」ため、叱られた子供が、母親を女と訴えたケースすら受理された。また、処刑に必要な経費は全て本人の財産から支払われた。プロテスタントも女狩りを推進したことが見逃せない。


魔女狩り (岩波新書)


 ナチスドイツが、ユダヤ人の自由をどのようにして奪ったのか。著者は、強制収容所から生還した理学者。


夜と霧―ドイツ強制収容所の体験記録


遠い夜明け


 ネルソン・マンデラが戦ったアフリカの現実。人間として扱われない黒人の悩。


魔女狩り (岩波新書)


 自由のために戦い、死んでいった人々の遺書。彼等こそ、真の自由を勝ち取った人々であった。


イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8‐1945.4.25


映画


「選択する自由」を見事に謳い上げた作品。オーウェルと共通するテーマだ。「自分で選択すること」が幸福の要素であることがわかる。


トゥルーマン・ショー(通常版)


 現代にあっても、同じ状況さえつくり出せば、ナチスに迫害されたユダヤ人と同じ理状態になる。閉ざされた世界が、人間を狂わせる。


es[エス]


 ネルソン・マンデラが戦ったアフリカの現実。人間として扱われない黒人の悩。


遠い夜明け


 スコットランドの史実に基づいている。


ブレイブハート



 こちらも史実に基づいた作品。イエス・キリストが生まれる少し前の話。奴隷剣闘士が立ち上がり、自由を求めて闘う。会長就任の昭和35年に封切りされた洋画。


スパルタカス スペシャル・エディション


 これは、今日見たばかりのビデオ(笑)。1984年の東ドイツが舞台。「選択する自由」は社会状況によって、これほどの危険が及ぶ。


善き人のためのソナタ スタンダード・エディション

2007-05-17

変わりつつある「社会と人間」


 何と大仰(おおぎょう)なタイトルか(笑)。内容は、さほどでもない。


 戦争に明け暮れた20世紀。日本は、鮮特需〜高度経済成長〜バブル崩壊〜空白の10年をもって世紀末にピリオドを打った。


 21世紀が近づくにつれ、不吉な予兆が現れ出した。安全神話の崩壊、キレる子供達、老々介護、猟奇殺人、引きこもり、の病……。


 それまで、教育の目的は「社会のための人間」をつくることだった。大人が用した鋳型(いがた)を拒む若者はドロップアウトせざるを得なかった。


 ところが、いじめやリストラが日常化することで、不登校や転職が当たり前となった。「自分の将来のため」「会社の繁栄のため」に頑張ることは、さほど味がなくなった。


 子供達がおかしくなってきたのは、時代と社会の歪(ゆが)みを体現しているからだ。


 今、「社会のための人間」から「人間のための社会」への変革が求められている。


 第二次宗門問題が明らかにしたことは、「衣の権威に隷属する愚かさ」であり、「宗教のための人間」から「人間のための宗教」への跳躍だった。


 であれば、「組織のための人間」から「人間のための組織」へと学会は変わらなければならない。


 おかしなやり方に対して沈黙を保っている幹部が、学会を腐らせる。

2006-06-11

1987年(昭和62年)


 創価ルネサンスの原点は、1987年(昭和62年)であったと考えられる。


 まず、14日に行われた第2東京新春代表者会議で先生は、戸田第二代会長、北条第四代会長が共に58歳で亡くなったことに触れ、「宿命にも似た年齢」と指摘。2日前に59歳の誕生日を迎えた事実を通して、「完全に学会の宿命を転換したと確信している。ともあれ、昨年は58歳という大きな節を乗り越えたことは事実である」と指導された。


 この年の主要な激励行は以下の通り――

  • 21日〜28日 北・中米を訪問
  • 416日〜20日 関西指導
  • 421日〜23日 中部指導
  • 511日 九州指導
  • 524日〜68日 ソ連・フランス訪問
  • 73日〜7日 東北指導
  • 727日〜84日 北海道指導
  • 89日〜16日 長野・群馬指導
  • 820日〜22日 神奈川指導
  • 920日〜21日 中部指導
  • 922日〜28日 関西指導
  • 1016日〜23日 九州指導
  • 1123日〜24日 静岡指導
  • 1125日 『今日より明日へ』1を刊行

 初めての米ソ首脳会談が実現したのが、1985年(昭和60年)1119日(スイス・ジュネーブ)のことである。ソ連はその後、1991年(平成3年)12に崩壊した。米ソの冷戦構造が激しく揺れる中、先生が両国を訪問された義は計り知れない。更に、世界広布への布石を打ちながらも、全国各地を精力的に回られている。会長勇退から既に8年が経過していた。満を持して、翌1988年(昭和63年)から、全国で電話回線を利用した同時中継が始まった。


 私が江東区へ引っ越したのが、この年だった。運命の不議をじてならない。