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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2004-12-07

創価班:確認事項


 既に書いた通り、身体の前や後ろで手を組むのは駄目。体重を片足に掛けるのも駄目である。咄嗟(とっさ)の対応が遅れるため。




 場外任務(門より外側)の場合、ネームプレートは着用しない。敵に前を覚えられてしまうため。




 任務の際は、ネクタイピンやカフスボタンは付けない。暴漢ともみ合いになった際、相手を傷つける凶器となってしまうケースがあるため。




 駐車場での誘導は行わないのが原則。創価班が誘導して、車をぶつけた学会員が訴訟を起こしたことがある。この場合、100パーセント運転手の自己責任となるが、相手が嫌ないをするのは当然である。たとえ、運転技術が未熟であったとしてもだ。ぶつけそうになっているのに黙っていることはないとうが、特殊なケースを除いては誘導すべきでない。




 また、交通量が多い道路に駐車場が隣接している場合は、駐車場の入り口で車を止めてはならない。一旦、駐車場に入れてから対応する。

2004-10-15

創価班:服装・頭髪


 社会で通用する服装と一般的に言われているのは、NHKキャスターのものである。だから、NHKで通用すれば、さほど失礼には当たらないんだが、創価班の場合、そうは問屋が卸さない(笑)。


 人間は第一印象が大事である。まして、創価班は来館者と会話をするわけではないから、言いわけは通用しない。友人の参加も多いし、会館近隣の目も光っている。「だらしない」とわれてしまえば、負けだ。参加者と、一番最初に接するのが創価班である。そうであればこそ、学会の顔なのだ。


 背広は紺かグレーの無地。スラックスはダブルの折り返し禁止。白ワイシャツ。頭髪は七三――というのがルールだったが、最近は、どうやら違うようだ。私の地域の〈区〉委員長は、分け目すら入っていないつんつんヘアだ。初めて見た時、わず握り拳に力が入った(笑)。私の先輩の時代は、下着は白と決まっていたそうだ。いつ、死んでも恥ずかしくないように、ってこと。


 服装で飾らない、というのが基本になっていた。だから、ボタンダウンのワイシャツであっても、気合いを入れられた。時折、ボタンダウンのボタンを外して誤化そうとしたメンバーもいたが、先輩の瞳は何一つ見逃さなかった。創価班が先生の後継であるならば、広宣流布の結果をもって荘厳すべきだという共通認識があった。


 本山担当で、運営指揮が関西の幹部だと悲惨極まりなかった(笑)。六四の頭でも気合いが入ったもんね。


 私の組織では、油を塗ってないのも駄目だった。今、時代はさらさらヘア(笑)。


 こんなこともあった。創価班会で、ある大学校生が指差された。元気一杯の返事をして立ち上がったメンバーを見て吃驚(びっくり)した。もみ上げが無かったのだ! 地方から出てきて、お笑いタレントを目指している青年だった。幹部から、「前に来い!」と言われ、直立不動で立った瞬間、笑いが漏れた。「何がおかしいっ!」。大学校生のもみ上げは、所謂、テクノカットの領域を大幅に超えて、頭髪の4分の1を剃り落としているようにしか見えなかった。創価班会であるから、参加者は下を向くわけにはいかない。数十人のメンバーの肩がブルブルと震えていた(笑)。顔を真っ赤にしているメンバーもいた。私はあの瞬間、確かに「忍耐」ということを学んだ。幹部の方も呆れ果てたようで、「貴様、なめてんのか!」だけで終わった。会合終了後、私は、指摘を受けた大学校生に駆け寄り、「あんまり笑わせるんじゃないぞ!」と言って肩を叩いた。


 創価班の恐ろしさを知ったのは、普段は温厚な幹部が、大を上げて叫ぶ姿からだった。どこの地域でもそうだった。創価班となった途端、人が変わったように、厳しいまでの真剣さを示していた。


 我々は訓練を受け切る中で、後継の確かなる道程を歩んでいることを深く実したものだ。

2004-09-22

生命力旺盛な声で学会を守っていこう


 掃除をしていたところ、昔の記録が出てきた。私の新任抱負(笑)。これがまた、中々いいことを話してるんだ(笑)。1999年の8と記憶する。全国23期生大会が行われた翌日の開催となった。この23期生大会にて、先生より「偉大なる21世紀の指導者である敬愛する創価班の皆様に基本的指針を贈りたい」とのお話があり、新指針「創価班の誇り」が示された。総区の創価班の会合であるにも関わらず、先生より『池田大作全集』を34冊も頂戴した。


 江東男子部は新たな歴史を築くべく、1997年、1998年の折伏全国制覇を成し遂げ、この年、3連覇を目指していた。実は今だから言えるが、会館にバイクで向かった私はクルマにはねられた(笑)。アスファルトの上に投げ出されたが、傷一つなく、バイクを少し損傷した程度で済んだ。警察官立ち会いによる現場検証を15分で無理矢理終わらせ、開会の30分前に会館に辿り着いた。既に到着していた東京委員長に「申しわけありません。実は――」と報告すると、目が点になっていた。




 まず第一点は、「生命力旺盛な学会を守っていこう」ということであります。会館任務において私達が無事故を勝ち取る具体的な振る舞いは“”であります。どこかスッキリしない、モヤモヤした複雑のあるというのは、自身の壁を破ることができず、弱いに負けている諸法実相であります。そんな雇われ根の、役員の延長みたいな姿勢から事故は生まれてしまいます。ひいては、いつも生命力に満ちた婦人部から配されてしまいます。断じてそんなことがあってはなりません。戦い切った生命から発せられるハツラツとした、爽やかな、誠実なは、悩みを持った会員の方々のの扉を開きゆくでありましょう。


 創価学会の会合というのは、一回一回が“久遠の生命の儀式”であります。その味から申せば、会館の門に入った瞬間から会合が始まるまでが序分といえます。法華経でいえば、無量義経の儀式に当たるのです。会合が正宗分、終了後の打ち合わせから門を出るまでが流通分といえましょう。故に、門を入った瞬間の、生命と生命の感応がどれほど重要になるか計り知れません。


 御書に「自身の(おもい)をにあらはす事ありされば(こころ)がとあらはる」(469頁)とあるように、一切はで決まります。つまりそれは、信の一であります。更に別の御書では、「師子には一切の獣を失ふ」(1393頁)とあります。師子王のによって一切のは断ち切られるとの御指南であります。先生もかつて、「『事をなす』で、というものは、その人の、その瞬間、その場の生命の反響です。ですから、話すにしても、自然に参加者が勇気の湧いてくるような生命の響きがなければなりません」と指導されております。どうか、組織闘争をやり切った“勝利の”で創価学会の絶対無事故を勝ち取って参りたいといますが、いかがでしょうか。


(「創価班の誇り」について)

 8項目の全てに「共に」との言葉が入っています。


 私達の人生・生命を貫いてやまない根本のリズムは、「先生と共に」というただ一点であります。この一点しか存在しない。


 御書には、「法華経の法理を教へん師匠も又習はん弟子も久しからずして法華経の力をもつて倶(とも)にになるべし」(499頁)と説かれております。また別の御書では、「返す返す今に忘れぬ事は頚(くび)切(きら)れんとせし時殿はともして馬の口に付きてなきかなしみ給いしをばいかなる世にか忘れなん、設い殿の罪ふかくして地獄に入り給はば日蓮をいかにになれと釈迦こしらへさせ給うとも用ひまいらせ候べからず同じく地獄なるべし、日蓮と殿と共に地獄に入るならば釈迦法華経地獄にこそをはしまさずらめ」(1173頁)。また経文には、「在在諸の土に常に師と倶(とも)に生ぜん」(1056頁)とあり、重ねて御書には、「師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法吼とは師弟共に唱うる所の音なり」(748頁)。最後に「の一字は日蓮に共(ぐ)する時は宝処に至る可し不共(ふぐ)ならば阿鼻大に堕つ可し云云」(734頁)と。あらゆるところで大聖人は、“師匠と共に”という根本軌道を教えて下さっております。いつ、いずこにあろうとも、「先生と共に戦う創価班」でありたいといますが、皆さんいかがでしょうか。


 自由な時代になればなるほど信の姿勢を正し、訓練に訓練を重ねて、先生の仇を討つ力をつけて参りたい。戸田先生の指導に、「組織は偉大な勇者をつくるか、さもなくば幼稚な愚者をつくる」とありますが、我が創価班はどんなことがあろうとも、偉大な勇者となって参りたい。書記長・各〈区〉委員長と力を合わせて、全国最強の創価班を築いて参ります。20世紀の有終の美を飾るべく、この下半期、全国一になるまで戦い続け、日顕を倒すまで戦い続けることを先生に誓い、新任の挨拶とさせて頂きます。

2004-03-15

「私は輸送班の先駆者」


 私もかつては、青年部にあって一青年部員の時代もありました。また班長の時代もありました。当時は隊長がありませんもので部隊幹部をいたしました。そして部隊長もしました。輸送班もやりました。私は輸送班の先駆者であります。


【5度男子部幹部会 1963-05-06 台東体育館】


 輸送班とはご存じのように創価班の前身である。昔は、輸送を担当して、そのまま本山の任務に当たったという。この凄まじさが理解できるのは、私ぐらいの世代までだろう。


 昭和51年(1976)112日、一枚のメモ用紙に先生が書かれた――「創価班大学校」と。第一次宗門問題の暗雲が垂れ込める中、新時代の闘将を育成すべく創価班は結成された。当初、「池田班」との構もあったと聞く。創価班こそ、先生の直系であり、親衛隊である。


 第1回総会は翌昭和52年(1977年)16日。この日は、奇しくも戸田先生から若き先生が後事の一切を託された日でもあった(昭和26年)。


 宗門が問題視した「仏教史観を語る」の講演が昭和52年125日に行われたことを鑑みると、創価班がどれほど重要な使命を持つかは歴然としている。


 私は9期生。16年間にわたって黄金の訓練を受け抜いてきた。本山担当に2年、本部担当は9年ついた。振り返ってみると、厳しい訓練こそが今の自分を形成していることに気づかされる。


 近頃の創価班はどうも覇気がない。言われたから立ってます、ってじのが多いですな。「革命的警戒」なあんてえのあ、もう死語かね?


 特に目立つのは手を組んでいる姿だ。これは駄目。とっさの転倒事故の際に直ぐ手が出るようにということと、不の暴漢に襲われた際、直ちに反撃するというのがその理由。


 会合運営もエラーが多過ぎる。


 男子部諸君よ、壮男合金だけは、どんなことがあっても回避願いたい。

1989-05-16

「本当の青には、染みがつくことはない」


 また、イギリスのことわざに、「本当の青には、染(し)みがつくことはない」とある。「青」はイギリスでは清潔、正義を表すともいわれる。そのためか、国旗のユニオンジャックにも「青」が使われている。

 このことわざでは、青は「色褪せることのない染料」と「志を曲げない人」との味を表している。つまり、自分の志を曲げず、信のままに一途に生き切っている人は、いかなる誘惑や妨害があっても、決して悪の道に染まることはない、との味になろう。


【第17回本部幹部会 1989-05-16 創価文化会館

1963-10-01

登山会について


 私は、常に登山会の陣頭に立って、万全の輸送を果たしている輸送班の、涙ぐましい活躍に対して、の底から深謝するものである。御本日蓮大聖人の子供を、その前にお目通りさせる輸送班の役目は、まことに重大であり、絶対の功徳に満ちあふれることは必然である。

 かつては、私も、輸送班の第一線に立って、楽をともにしたものであり、また立宗700年祭には、不眠不休でその任務を全うした、喜びの経験をも有するものである。


【巻頭言 1963-10-01】