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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2005-03-23

広宣流布の総仕上げは壮年の手で


 最近、非常に痛ましい飛行機の墜落事故が続いております。亡くなった方々は本当にお気の毒であり、私はいつも題目を送っております。専門家によりますと、飛行機事故の70%は着陸の際の事故であるといいます。

 師が会長になられてから今日まで約15年たっており、師が亡くなられてから8年になろうとしています。この間の学会の戦いは、大変、自画自賛の言い方になりますが、青年部出身の幹部ならびに青年部の最高幹部の戦いが、絶対過半数を占めているといっても、決して過言ではないとうのです。異体同でありますから、当然、四者一体になって戦い、今日を築いてきたといえますが、しかし、戦いの矢面に立って、また学会を推進してきた原動力は、青年部ならびに青年部出身の最高幹部であります。しかし、これからは壮年がしっかりしなければなりません。着陸の場合、すなわち広宣流布の総仕上げに入った場合は、壮年部の戦いが重要です。青年部はエンジンの役割りを果たしておりますが、着陸の場合にはあまりエンジンをかけないのが普通です。したがって、あとは壮年部の経験、年功、分別をもって総仕上げをする、すなわち安全着陸をしていくのが、私は当然正しい方程式ではないかといます。


【壮年部結成式 1966-03-05 学会本部広間】


「先生、そうはいきません。最後まで男子部で成し遂げてみせます!」――この指導を初めて読んだ二十歳(はたち)の頃、私はで誓った(笑)。周囲に元気な壮年部は一人もいなかった。そんなのは、伝説上の動物とえた(笑)。広布の電信柱にしか見えなかった。


 その私も遂に壮年部となった。青年部時代から、四者に目を配って戦っていたこともあり、ギャップは全くじなかった。受け持ち範囲の広さが変わっただけだ。350分の1に。だからといって、私が力の出し惜しみをするわけがない。現場で培われた闘争の吹きは、最前線にいるほど発揮されるのだ。


 壮年部が結成された時、先生は38歳。不議にも、先生の人生の歩みと重なるようにして“壮年”というが現れた。


 確かに、飛行機が着陸する際、馬力は不要だ。川だって、上流は水しぶきを上げて、清冽な流れがほとばしっているが、海が近くなるほど流れはゆったりしたものとなり、川幅も広くなる。水も澱(よど)んでくるが、海に入った途端、全く違う世界が開ける。


「経験、年功、分別」と指摘されているが、あくまでも力の裏づけがなくてはならない。経験とは、広布一筋に歩み抜いてきた信の歴史であり、年功とは、人生の労を知悉(ちしつ)することであり、分別とは、法即社会の実践によって養われた判断力のことであろう。


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【壮年部結成を記して会長が贈った巻頭言「妙法の将」が朗読された】


 社会が成熟する方向へ大きく変化する時、若者に対する厳しさが失われる。学生運動が華々しく繰り広げられていた1968年(昭和43年)頃、学会の組織はタテ線からヨコ線(ブロック制)に変わった。部隊長は総B長になった。また、バブル崩壊後、子ギャルが台頭。未成年者による犯罪や、少女の売春などに歯止めがかけられなくなった。1990年(平成2年)に第二次宗門問題が起こり、青年部の訓練からは、更に厳しさが奪われた。


 これが、私の個人的な時代考察だ。


 社会が成熟すると、自由な選択肢が増える。するってえと、必ず楽な選択をする者が現れる。フリーターやニートなどがその典型。厳しいことや、嫌なことを避ける風潮が極端に強くなってゆく。「3K」=きつい、汚い、危険な仕事を忌み嫌うようになったのも、バブルの前後だったと記憶する。


 しかし、社会の構造がどのように変わろうとも、人間の宿命は変わらない。透徹した信は、必ず厳しい訓練を求める。広布の総仕上げを託された壮年部は、青春時代の訓練をい起こし、自分に対して厳しい課題を課してゆきたい。